西村貿易店社屋(現・文椿ビルヂング)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211213170431j:plain2021.11 西村貿易店社屋(現・文椿ビルヂング) p.262 竣工: 1920年 木造地上2階地下室付 銅板葺及びスレート葺 設計: 不詳 施工: 清水組。セセッション様式 カタログによると「ドーマ窓で飾られた腰折れ型マンサード屋根、庇を突き抜け上方まで伸びた南側入口の八角形付柱などにセセッション様式を感じさせる」「外壁の仕上げは後年に改修」2004年に久和幸司設計で商業施設として改修。

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 ブログ『建築京都』のシリーズは、これで1920年までに至りました。先は長いと云うか、ここから100年経たないと現代になりません。健康ブラパチをしていると、取り壊し物件に遭遇することも多々、それで、小生、焦り気味。画像は別として、ユジューヌ・アトジェの気分です「失われる京都」でしょうか。年明けには、およそ35点になる1920年代を、分散しながら報告しますので、お待ち下さい。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

講演会に続いて搬出、搬入 at ギャラリーマロニエ

2021.12.19 15:00-17:00f:id:manrayist:20211219223625j:plain
 昨日、写真集好きの小生の関心ズバリとなる飯沢耕太郎の講演会「日本の写真集の可能性」が、「How展」の会場で行われた。1960年〜80年代にかけての写真集黄金期を、グラフィックデザイナーと写真家の共同作業の結果ととらえ、ある種、オブジェとして造られた日本の写真集の特徴を、体験に即し熱く語られた。紹介は川田喜久治の『地図』から始まり、映像の展開と云うより、複雑な系統樹的要素のヴォルフガング・ティルマンスの写真集「if one thing matters, everything matters: ひとつのことが大事なら、すべてが大事ということ(飯沢)」を取り上げ、写真の見せ方を指摘。ここには東松照明の『日本』にみられる群写真的要素もあるのでは…… 現代では、SNSの中で写真が出されているけど、みんな満足していますか?  表層的量的拡大ではなくて、視覚だけでない身体や臭覚にも作用(印刷インクの匂い)する写真集の可能性に、期待すると、続けられた。

 

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 飯沢氏と若手の写真評論家・打林俊の解説、つくば写真美術館のカタログをデザインした中村善郎構成で、日本で発行(海外もあり)された写真集のおよそ600余冊を作者の生年順に紹介した『写真集の本』(カンゼン、本体:2200円)が刊行され、写真集の実物は恵比寿の「写真食堂めぐたま」で手にとることができると云う。これは、楽しい仕掛けですな。

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 その後は、搬出と搬入。「How展」に続いて「京都写真展」に参加されている人も多く、作品のつながりが興味深い。

f:id:manrayist:20211219223650j:plain「How展」5F 搬出

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f:id:manrayist:20211219223656j:plain「京都写真展」4F 搬入

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f:id:manrayist:20211219233835j:plain金井杜道 作品

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 「京都写真展」3F 搬入(小生も3Fです) 展示は明日21日(火)〜26日(日)。ご高覧いただけたら、嬉しい。

京大・工学部土木工学教室本館(現・総合研究14号館)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211213170236j:plain2021.11 京都大学・工学部土木工学教室本館(現・総合研究14号館) 竣工: 1917年 煉瓦造2階建 瓦葺 設計: 永瀬狂三(京都帝国大学営繕課) 施工: 直営。京都風光によると「永瀬の初期作品であり、明治期に比較しファサードの意匠は彫りが浅く、窓も大きい。壁面に凹凸を細かくつけ、石材を装飾的に配する。内部にはセセッション的な直線が目立つ。両翼は1924年に増築されている」

 尚、『モダン建築の京都』展では立項されていない。

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f:id:manrayist:20211213170254j:plain手前は総合研究3号館

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 石造りの不思議な階段が残されていると云うが、小生、未見。次回の楽しみですな。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

『How are you, PHOTOGRAPHY?展』のお母さんは、京都写真クラブですって。

2021.12.18 14:00〜16:00f:id:manrayist:20211218210108j:plain

「はい、時間です」

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 日本写真芸術学会関西支部研究会主催の「関西における70年代以降の写真活動を振り返る ── 京都写真クラブと『How are you, PHOTOGRAPHY?展(以下「How展」)』(京都市1997年〜2020年)」をテーマとしたシンポジウムをギャラリーマロニエの「How展」会場で聴講した。蜜を避けるためのオンライン参加(ZOOM)が原則で、申し込んでいたのだが、やはり、現場に居たい。

  小生は地元で、友人、知人の他、勤務先の若い女性デザイナーたちが多く出品していた関係で、活動初期の様子も、おおよそ、知っていた。とはいえ、参加は2001年からだったと記憶する。展覧会を拝見して、つい、アルコールに誘われたのが実態であるのだけど。以来、小生も長い付き合いとなっている。

 会は写真を専業としない森岡誠と岩村隆昭らが初めたもので、写真の固定概念にとらわれない自由な雰囲気が、心地よく、拡大を志向しないのも、賛成できる要素。学校関係者とギャラリストが多く参加したのも特色といえる。小生が最近はまっている『モダニズム建築の京都』繋がりから、明倫小学校での展示(1998年)、1928ビル内の同時代ギャラリーの利用、五条楽園歌舞練場での宴席と、貴重な出来毎が続いた。写真展にとらわれることなく、変貌を重ねる活動は、コロナ禍にあっても根強く、今年は参加者も多いと云う。京都写真クラブの「京都写真展」と「How展」との違いは、判りにくいが、母体となっている京都写真クラブに鍵が有りそう。クラブはお母さんで、子供たちが自由に活動をできる仕組みになっていると森岡は語った。

 今日の2時間では、駆け足。いずれ、きちんと小生も報告したいと思っている。

 

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 2020年の京都写真展では、出品者がそろってマスク姿の記念写真を残しました。皆さん記念写真撮るのも、撮られるのも、好きですね。

 

f:id:manrayist:20211218210132j:plain「挨拶時の一瞬だけ、マスクを外しています」左から岩村隆昭、森岡誠、村中修(司会)

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f:id:manrayist:20211218210143j:plain「お疲れ様でした。有難うございます」

不動預金銀行京都支店(現・SACRAビル)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211213161930j:plain2021.11 不動預金銀行京都支店(現・SACRAビル) p.264 竣工: 1916年 煉瓦造地上1階(花崗岩貼り)、木造地上2、3階(コンクリート塗り)、地下1階建 銅板葺 設計: 日本建築株式会社 施工: 不詳。京都風光の記述を要約すると「外観はルネサンス風を基調とした左右対称、装飾は豊かであるが細部の意匠はセセッション風で直線的、実用的」「不動預金銀行は牧野元次郎が1900年に設立した、全国規模の貯蓄銀行。同行は後に日本貯蓄銀行となり、現在のりそな銀行へと続く」

 

f:id:manrayist:20211213161936j:plainカタログには「正面中央の張出窓両側に配された付柱の柱頭には卵と鏃を組み合わせた卵鏃飾りを施す」とある。

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f:id:manrayist:20211213161954j:plain「室内の木製階段室が当時の姿を残す」

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[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

『古本スタイル』創刊

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21×15cm pp.32+表紙pp.6 発行: 書肆よろず屋、定価600円(税込)

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 関心領域にドンピシャの、心躍る名前の雑誌が創刊された。横文字だと「FURUHON STYLE」バタ臭くなく、お洒落で、手に取りたく成る仕掛け、表紙のパイロットも可愛らしくて、ノスタルジア満載ですな。毎回ゲストを迎えての楽しい展開に、紙面で待ち構えるが山本善行林哲夫の名手二人、内容と購入方法については山本が自店の新刊欄で、林が「古本スタテル出来」でそれぞれ紹介されている。参考にされたし。

 

f:id:manrayist:20211215204327j:plain先日、出来たてホヤホヤ、熱々の一冊を手にとった。良いですな。

山口銀行京都支店(現・DEAN & DELUCA京都店他)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211213161741j:plain2021.11 山口銀行京都支店(現・DEAN & DELUCA京都店他) p.262 竣工: 1916年 鉄筋コンクリート造地上2階建 設計: 辰野片岡建築事務所(辰野金吾、片岡安) 施工: 不詳。屋上北東と南東に形の異なる塔屋を持つ。本作は辰野式建築の最終期の作品で、「1階、2階ともに縦長の窓が並び、細部装飾は少なく、セセッション運動の影響を受けた幾何学的で簡素化された装飾が認められる」

 ウィキによると本作の山口銀行は、大阪の山口財閥によって設立された第百四十八国立銀行が普通銀行に転換したもので、合併等を経て1933年に三和銀行、さらに、三菱UFJ銀行へと継承されている。建築の方は北國銀行京都支店として活用された後、複合施設、及び、地元の長谷ビルグループの本社となっている。

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f:id:manrayist:20211213161747j:plain2014.5

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 パラソフィア京都国際現代芸術祭の準備室(?)が二階にあって、訪ねたことがありました。その時、一階は飲食店への改装中で、金庫や内装などをパチリ・パチリとやりました。現在の「DEAN & DELUCA」はお洒落で、入店が恥ずかしい。

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2021.9

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f:id:manrayist:20211213161812j:plain2016.5.11 17:52 現役時代など仕事が終って勤務先を出ると、烏丸通を挟んで本作が目に入りました。小生には北國銀行の名称の方が親しい、夕方など西陽が回って良い塩梅なんです。そうそう、おでん屋さんは反対方向でした(ハハ)。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

南蛮焼と揚最中 By 中里

f:id:manrayist:20211211221634j:plain先日、ある方から、お江戸の美味しいものを頂戴した。駒込の御菓子司・中里は創業明治5年(1872年)、名物の揚最中と南蛮焼は昭和初期に考案されたお品。好きなんですよ、この系列。「三河屋安兵衛の名で創業」されたと云うから、愛知県のご出身かしら……

 

f:id:manrayist:20211211221651j:plain揚最中と南蛮焼の詰め合わせ

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f:id:manrayist:20211211221702j:plain南蛮焼: 「沖縄産黒糖を使用し、ふっくら焼き上げた皮で餡が包んであります」働き者のパンチありですね。

 

f:id:manrayist:20211211221713j:plain揚最中: 「ごま油で揚げた最中の皮が、パリッと香ばしく、ほのかな塩けと、滑らかで甘みのある餡」時代を遡らせる安心感がありますな。

 

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村井銀行七条支店

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2021.11 村井銀行七条支店 p.279 竣工: 1915年 煉瓦造地上2階(一部1階)建 設計: 吉武長一 施工: 清水組。村井銀行倒産以降、戦後は東邦生命七条支店、セカンドハウス西洞院店など、近年は飲食店として利用されていたが、撮影時には「テナント募集」の張り紙あり、外壁のグレー塗装がいつ行われたは判らないが、2006年には「市民が選ぶ文化財」に選定されている。

 カタログの記載を要約すると「正面ファサードはドリス式オーダーで、古代ギリシア形式に則り半円柱は柱礎を持たず、基壇の上に直に立つ。柱上の水平梁状装飾帯構成は古代ローマ的」で、「小振りながら細部に幾何学的装飾、古典様式の名残り」がありと、京都風光には詳細な解説がなされている。

 

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七条通北側

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

 

『How are you PHOTOGRAPHY?』 at ギャラリーマロニエ 4F・5F

今年で26回目となる写真展『How are you PHOTOGRAPHY?』は、33名が集まり四条通蛸薬師下ルのギャラリーマロニエを会場に開かれている(19日迄)。初日に拝見させていただいた。友人、知人も多く、人となりと作品を結びつけての鑑賞は、楽しく、また刺激が多い。「来年は、こんな作品を」とアイデアが生まれるのです。

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↓5Ff:id:manrayist:20211214164815j:plain(右) 村中修

f:id:manrayist:20211214164821j:plain(右) 中井五絵

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f:id:manrayist:20211214164837j:plain中島諒

f:id:manrayist:20211214164845j:plain早川知芳

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↓4F

f:id:manrayist:20211214164901j:plain森岡

f:id:manrayist:20211214164914j:plain俊山晶子

f:id:manrayist:20211214164925j:plain片岡利恵

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 尚、18日(土)に日本芸術学会・関西支部研究会による「関西における70年代以降の写真活動を振り返る」(オンライン開催)と、19日(日)に飯沢耕太郎講演会「日本の写真集の可能性」が同会場で予定されている。そして、夜は、小生も参加する「京都写真展」の搬入ですな、作品、あれで良いかしら……

三井銀行京都支店(現・京都三井ビルディング)

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2021.11 三井銀行京都支店(現・京都三井ビルディング) 竣工:  1914年 設計: 鈴木禎次。四条烏丸角にあった旧建築の壁面一部を残しての建て替えは1984年だったらしいが、小生の記憶では曖昧。道行く者の視線辺りは壁面で、柱や塔屋、上部装飾に気が付かなかったし、銀行口座を持たなかったので一階フロアーの光あふれる空間については、残された写真で想像するだけ、設計者の鈴木禎次(1870-1941)は三井銀行建築係に所属した人で、「文部省の命を受けて1903年、イギリスとフランスに留学」。本作は独立後の仕事、名古屋の近代化に貢献した建築家としても知られ(鶴舞公園の噴水塔や奏楽堂などで、個人的に親しい)ると云う。1984年に久米建築事務所による交差点側イオニア式オーダーのファサード部分などを保存する形で建てられた現・京都三井ビルを前にしても、鈴木の仕事の魅力をたどるのは難しい。瘡蓋みたいに張り付いているだけだし、西側部分の地下通路口装飾も往時との関連が、いまひとつ分かりにくい。

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 小生、現役時代の勤務先取引銀行のひとつが太陽神戸銀行京都支店であった関係で、1990年の三井銀行との合併、92年のさくら銀行への商号変更などの過程で、取引店舗の所在が現・京都三井ビル内となった。それで、建築内部の様子もある程度、体験している。建て替え時に旧貴賓室は保管されたようで、なんどか見学した記憶なのだが(写真を撮っていたかもしれない)、はっきりしない。今回の『モダニズム建築の京都』繋がりで、確認とも思ったが良い思い出はさくら銀行の時代。「人の三井」と大阪商人とは、ちと行風に相容れない部分がありますな。 

f:id:manrayist:20211212210610j:plain四条烏丸北西角

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f:id:manrayist:20211212210622j:plain西面(烏丸通側)

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

『岩村隆昭展』 at ギャラリーマロニエ 3F

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 成安造形大学で長く後輩の指導をされてこられた岩村隆昭氏の個展がギャラリーマロニエで開催されている(19日迄)。リトグラフと写真の、水を介した対話を、耳を澄ませて聞いた。これまで、12月恒例の京都写真クラブの写真展で、氏の「色彩」表現の素晴らしさに接していたので、モノクロからも色の深みを感じ、合わせて生物の形態が持つ神秘性が、物体の影をとらえるフォトグラムのようで、さすがに、すごい作家なんだと感嘆させられた。リトグラフ制作の複雑なプロセスや、展示に昆虫採集の標本箱を使う発想などをうかがう嬉しい会場となった。感謝。

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岩村隆昭氏

日本生命京都支店(現・京王京都三条ビル)

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2021.11 日本生命京都支店(現・京王京都三条ビル) 竣工: 1914年 p.264 煉瓦造地上2階建 銅版葺 設計:  辰野片岡事務所(辰野金吾、片岡安) 施工: 山本鑑之進。カタログを要約すると「ルネサンス風外観、灰白色石材貼り。正面塔屋2階から垂れ下がった円形装飾、窓上縁の波紋などの意匠に大正期流行の幾何学を多様するセセッション様式の装飾表現の傾向が窺える。1983年、塔屋を含む東側と西側壁面の一部を残して保存再生、部分保存の先駆的事例となった」

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 2021.12 本作の1階部分は11月21日から寺内宝飾本店となっている(詳細未確認)。寺内は創業1895年の老舗宝飾店として知られたが2001年に破綻、老舗を惜しむ地元の支援を受け2007年に債務返済を終え立ち直ったと云うが、2010年に再び頓挫。そして、今年、烏丸通りから良い場所に移られたのですな。探索に行かなくちゃ…… プライスゾーンが違うけど。

 

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[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

西陣織物館(現・京都市考古資料館)-2

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211209232534j:plain2021.12 西陣織物館(現・京都市考古資料館) 正面 右に西陣

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 1914年竣工の西陣織物館は、1924年に年間4万人近くの入場者を迎えた。戦後の1976年に新たな施設、西陣織物会舘を造り移管した後、京都市に寄贈され、1979年に京都市考古資料館として開館。京都市内で発掘された埋蔵文化財を中心に展示活動を行っており、小生が訪ねた12月1日は「地下鉄烏丸線の発掘調査」展示を1階で開催していた。会舘の管理・運営は発掘・研究・保護を目的とする京都市埋蔵文化財研究所があたる。

 

2階展示室

f:id:manrayist:20211209232544j:plain「能」字文軒丸瓦 本能寺跡

f:id:manrayist:20211209232554j:plain金箔違鷹羽文軒平瓦 上京区三丁目

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 ↓ 拙宅の近所や現役時代の勤務先近辺からの出土品を、熱心に見てしまいますな。これらは海外からのさまざまな交易品との事。

f:id:manrayist:20211209232604j:plain越州青磁 椀 [晩唐〜五代] 下京区中堂寺壬生川町[平安京左京六条一坊]

f:id:manrayist:20211209232614j:plain染付 椀  [明末] 中京区烏丸通三条下る七観音

f:id:manrayist:20211209232625j:plain越州青磁 椀 [晩唐〜五代] 中京区壬生仙念町[平安京右京四条ニ坊]

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 京都風光によると、「1階・2階室は展示などに用い、構造補強のため室内意匠はない」3階の貴賓室を公開する展示もあるようなので、いずれ紹介したい。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

西陣織物館(現・京都市考古資料館)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211209232305j:plain2021.12 西陣織物館(現・京都市考古資料館) p.300 鉄筋コンクリート造柱梁・煉瓦造壁からなる混構造3階建 緑色屋根 竣工: 1914年 設計: 本間精吾 施工: 清水組。京都風光によると「外観はモダニズムの影響を受けた白いタイル貼り、単純な箱型、壁の装飾、凹凸、コーナーストーンも廃す平板的意匠は斬新」とある。本間清吾(1882-1944)は東京帝国大学建築学科出身で三菱12号館の設計にも関わった人。欧州留学(1909-11年)モダニズム建築の影響を受ける。京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の図案化教授を務め、1918年にはドイツ留学。京都で結成された「日本インターナショナル建築会」に参加。本作は初設計と云う

 

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[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』