『書物でたどる京都時空散策』 at 京都府立図書館

秋山愛三郎『舊都名勝記』(1930)

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 マン・レイ受容史に関する調べもので府立図書館に伺うと2階で、「幕末から明治にかけてやって来た西欧からの旅行者が目にした」京都を紹介する書物を中心に、京都府立図書館(32)と京都外国語大学附属図書館(42)が所蔵する稀覯本の展示が行われていた。── 府立では6月22日迄、会場を外大に移し27日から7月6日迄、7点追加展示される。

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岸田劉生、名倉鶴二郎、夏目漱石与謝野鉄幹与謝野晶子など

ハリス『日本での生活の印象』(1887)

ベル『桃源郷への旅』(1917)

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 ロベール・ショウヴゥロの『微笑みの日本』(1923)を紹介する一文に、日本の歴史や言葉を学んだロベールは「日本語を勉強していくうちに気付いた日本語特有の表現、特に京都独自の内にこもった感情の表現だけは理解できなかったようです」とあるのに気付いた。小生、今もって、これが分からないのです。苦労しますな。
 尚、36頁の展示目録が発行されている。

無題


ロンドン 2019年

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 エリザベス女王即位70周年、「プラチナ・ジュビリー」を祝う人々の映像がテレビから流れています(6/2-5)。大英帝国の栄光、これもまた複雑な光景ですな。

 

9 × 14.1cm

マン・レイ受容史-9 再開

 昨年六月にテキスト初稿を終えた後、渋谷・Bunkamuraでの『マン・レイと女性たち』展までを含めなければと思い、それならば『マン・レイのオブジェ』展もと欲がでて作業を停止させていた日本におけるマン・レイ『受容史』。長野県立美術館に巡回した前者を拝見したことと、DIC川村記念美術館で十月八日から始まる後者の『マン・レイのオブジェ: 日々是好物 | いとしきものたち』の準備が進んできたことで、おおよその原稿量と目録項目数などを予測出来る段階となった。銀紙書房としてはコデックス装・288頁、チラシ・案内状等のオリジナル別添、25部限定で作業に入っています。(42.195キロでやっと競技場トラックに戻ったといった塩梅でしょうか)。来春の早い時点での上梓を目指していますので、ファンの皆様、今しばらくお時間頂戴できれば嬉しく思います(社主敬白)。

 

上京区

無題

中京区

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 最近、『マン・レイ受容史』の追加となるピースと出会う機会が多い。絵葉書以外は場所をとるので買いたくないのだけど、しかたありません。嬉しいような、困ったような、気持ちです。

下京区

石川寅治『雨の日』1942年


14.2 × 9.1 cm

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 石川寅治は1875年高知生まれ。洋画を学び1891年上京、太平洋画会に参加、1901年には第1回文展出品、1902〜04年と欧米巡歴。文展、帝展、新文展日展と一貫して官展で活躍。東文研のデータベースによると「初期には婦人像が多かったが、のちには好んで港や船をえがき、アカデミックな作風から次第に印象主義的な明るい画調に移った」とあり、教育者でもあった。1964年没。…… 今日(6月2日)も暑かったが健康ライドで御所の辺りへブラブラ、先日紹介したトヨダヤで本品を求めた。→ https://manrayist.hateblo.jp/entry/2022/05/23/060000

 

千種掃雲『ねざめ』1911年

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 小生も70歳になったので、京都市美術館(京セラ)の常設展示を気楽にブラブラ。専門外の日本画も季節がかさなると良いものですな。先日は千種掃雲(1873-1944)の『ねざめ』を拝見し、鴨川の情景を思い浮かべながら色香を楽しみました。竹内栖鳳の画塾で学んだ日本画に、浅井忠の洋画表現を取り入れ、模索した千種を学芸員の大森奈津子は、新時代の探求者として紹介する。リーフの冒頭を「夏の昼間、眠りからふと目覚めて上体を起こす女性。帯がゆるみ、浴衣が着くずれて胸元もはだけ、日本髪もくずれています。眠そうな目つきで一点を見つめており、目覚めたばかりでまだ頭がぼんやりしている様子です」と始めている。湿度がありますな。


 100年を超えて鴨川の納涼床は、右岸だけとなった。京阪が三条まで延伸開業したのは1915年と記憶する。

六月はアドニスム

紫陽花の季節になりますな。拙宅小展示六月は、若い友人の油彩を中心に癒やされる空間を演出。傘さして花の誠か明日の嘘なんて(子規もじり)ね、芭蕉風に「藪を小庭の別座敷」としたいところですが、拙宅の猫の額では朝顔がやっとです。今年は、どんなのが咲くかしら……

 小展示(右端)の『ADONISM』は、1914年5月に結婚したマン・レイが妻に捧げた少詩集のオマージュ(現物を探すけど)。題名は妻の名前アドンからとって「アドニスム」手刷りで20部刊行したと云う。

 

菊本直次郎宛絵葉書

2月の交換会で、ロンドンの王室騎兵隊司令部のあるホワイト・ホールの絵葉書を求めたのは、絵柄への興味以上に宛先が「菊本直次郎」とあるからだった。銀紙書房本の読者の方であれば『三條廣道辺り』(2011年刊)で言及した中西武夫の実父の名前だとピンとこられたのではないかと思う。養子となったので苗字が変わっているが、中西はパリでマン・レイのアトリエを訪ねた人。拙著で実父を次のように紹介した。

 「菊本直次郎(1870-1957)は三重県生まれ、津藩主藤堂家家臣菊本保有の次男で慶應義塾卒、中上川彦次郎によって小林一三と共に三井銀行に採用され、常務取締役から初代会長となた実業家。日本紙パルプ取締役。同郷の俳聖松尾芭蕉の研究家としても知られる」(20頁)

 1920年代に菊本と交流した人たちがロンドン、ベルリン、ワシントンから投函された絵葉書。こうしたものが、拙宅に集まったことに、何かの縁を感じる。

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5月も、今日で終わります。