2003.12.1-12.31 マン・レイになってしまった人

December 31 2003

 

さすがに、掃除から逃亡出来ず、カードに今年の収集品を載せ、レイアウトの微調整も早くやっつけての自室掃除。冷たい雨の一日なのでラジオを聴きながらのながら掃除。夕方、海外へグリーテイング・カードを送って、どうにか大晦日にこぎつけた。忙しい12月。来年は段取り良くと反省しつつ、毎年恒例の反省だと、なかばあきらめ、『指先の写真集』の装幀作業の続きに取り掛からねばと、焦っている。「注文したのにどうなっているのだ」と皆様の怒りの声が聞こえくる。ごめんなさい。本人、お酒をやめれば、遅れを取り戻せるのだけど、今夜は「紅白」観ながら宴会モードに突入だからね。でも、パビヨン縢り10冊はノルマにしよう、恐ろしいノルマだ。

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 結局、千枚遠しで一冊分12ヶ所の穴を開けたところで、飲み始めてしまった。面白い「ミニあて」があって、12×3cmぐらいの袋に、いろいろな乾物が入っている。年越蕎麦の後、片っ端から開けて楽しんだ。----「初キッス」「いかたらサンド」「胡麻ステック」「酢的なワカメ」「のしかます」「細切り昆布」「甘納豆」「ままかり浜焼」「イカ、香ばし」「えいのヒレ」「天使のなみだ」「Tuinkle Star」「うめえ貝」「うに三昧」「はぎそーめん」「ふぐりん」「やわいか」と云ったラインナップ。書き込みながら飲んでいる。ヨッパライです。娘達は「ゆず」の出番でワイワイ。

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 メールチェックをしたら知立のY氏から、本年最後の添付写真が送られていた。桂時代のアパートに彼が尋ねてくれた時のスナップで、わたしはヴォランテーヌ・ユゴーの肖像を抱えている。マン・レイを好きになり始めた素直な頃の若いわたしが写っている。久し振りの自分との再会。Y氏は『指先の写真集』を評価してくれている。彼とわたしの青春が写真集との出会いには詰まっていて、それを、本の形で再現できたと云うことなんだろう。甘く苦い30年も前の出来事。皆さん良いお年をお迎え下さい。


December 30 2003

終日、掃除から逃亡して年賀状の作成。瀧口修造氏のフィンガー・プリントから借用のアイデアを実行に移してみたのだが、やはり難しい。リキテックスのフタロブルーを指先にベタベタ塗り込めて実験。最初、手形を考えたのだが、指紋が生々しく残るのは重い。指先を動かしてデカルコマニーの調子を試す、あれこれやっていたら、用意した50枚を使い切ってしまった。美しいブルーとマン・レイの言葉との関係はどうだろう。元旦の『日録』でイメージを紹介しよう。急いでこれから投函するんだけど、もう夜中の12時半になってしまっている。元旦には届かないね。


December 29 2003

東寺の五重塔と南門。
   
   
   
   
   
   
   
   
昨日は座敷の掃除と掛け軸の取り替え。『初日の出』にすると気持ちも新たになった。その後、風呂掃除。今朝は良い天気。自転車で片道30分をかけ会社へ。東寺の五重の塔、南門を見ると迎春準備がすすんでいた。昼から子供部屋の掃除。毎年苦労する波板ガラス磨きに簡単マイペットとタワシを初導入。長年の汚れがグングン落ちて家人と次女が大喜び。三人でスイスイ、ゴシゴシやると部屋が明るくなった。明るくなるほどだから、汚れの程度がわかりますよね。長年って何十年単位のことでした。



やがて新快速電車が入線する。
   
   
   
   
   
   
   
夜、用事が出来て滋賀県へ出掛ける。JRの道中でユリイカ1993年10月号「特集: ダイアン・アーバス」を読んだ。対談で荒木経惟の発言「それで写真家として一等賞になった、頂点に達したって言われたって、それがどうなんだと。そんなにいろんなことを捨ててさ、俗な幸せというものを捨てて、「それをやったから何なんだ」と言われた時、どうする?」(133頁)

 重い用事だったけど、それぞれの幸せというのを考えた。それぞれの家族というのを-------

December 28 2003

NHK新日曜美術館で40数年来美術作品を収集されている丸山治郎氏の展覧会『あるサラリーマン・コレクションの軌跡 ~戦後日本美術の場所~展』が紹介された。銀行員だった氏は収集の3基準を番組でのべられ、1)感動 2)素朴 3)情緒 を挙げられた。わたしには戸惑う部分があるものの、作品のラインナップはすごい。わたしの関心を持つ作家では安齊重男、オノデラユキ、河口龍夫、川俣正草間彌生、、桑山忠明、合田佐和子、坂本善三、菅木志雄、関根伸夫、高松次郎、辰野登恵子、中西夏之、中原浩大、中村宏野田哲也、彦坂尚嘉、堀尾貞治、堀浩哉、眞板雅文、三島喜美代、森村泰昌、山下菊二、李禹煥、等。集められた作品はおよそ1,200点だと云う。会場は三鷹市美術ギャラリー 東京都三鷹市下連雀3-35-1 Tel.0422-79-0033 会期は2003/12/13---2004/2/1。

 氏と同じサラリーマン・コレクターとしては気になる話題である。ただ、早速確認した
三鷹市美術ギャラリーのホームページでの紹介記述に戸惑いを覚えた。全文を引用出来ないが「作家への精神的経済的な援助の意味合いがあったとしても、一サラリーマンである彼がなぜこれほどたくさんの作品を収集できたのでしょうか。それは、「見る」ということが、彼にとっては単に「見る」だけのことではなく、「見る」+「収集」の意味があったからではないでしょうか。言い換えれば、収集が鑑賞の一部になっていたということです。」ここには個人の長年の営為に対する尊厳の念が欠如しているように感じる。前後の文章によって取り方が異なるだろうから、全文はこのをクリックして確認して下さい。わたしの感じ方がかたよっているのでしょうか。
 それで、読売新聞の芥川喜好編集委員の記事にも気が付いた。
「問題はその徹底ぶりです。---あくまでも自分の小遣いの範囲でやりくりすることを自分に課します。---自分の足で個展を回り、自分の目で見つけ出すのです。他人が何を言おうと、頼るものは自分の感覚だけです。並の収集家と違うのは、若い作家を育てようという強い情熱が---あったことです。結果として、いま活躍している作家の初期の秀作が幾つも集まった。」(12月20日夕刊)

 
コツコツと情熱を持って集めること。年月がたち、時代の客観化と数が増えてくることで見えるもの。人生そのものであるような収集品は、東京文化財研究所に最近、寄贈されたと芥川氏は伝えている。脱帽。
  

December 27 2003

照明器具の掃除九ヶ所で迎春準備が始まる。メモを持たされ幾つかの買い物。みぞれまじりの寒い一日。四時頃解放されて、写真の取り込みや『指先の写真集』の作成。このように『日録』を書き込む余裕をみつける。写真を沢山入れたので古いページもご確認下さい。

December 26 2003

売上目標をクリアしたので、安堵して新年を迎えられる御用納め。経理マンは月曜日に残務で出勤。

December 25 2003

明日で会社も御用納め。経理マンとしては忙しい。『指先の写真集』が完売した。感謝。

December 24 2003

光のツリーと恋人達。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
今夜はイヴ、春日通五条の角で星が輝きリボンが色を三度変える、恋人達には最高の場面。これは、ヤマモモの樹にローム社の白色LEDを使った電飾のシンボルツリー。同社の京都本社周辺敷地にある欅等の樹木60本ほどを飾る点灯された45万個の電球。雪が光っているように見えるファンタジーの世界を次女と楽しく散歩した。

 写真の取り込みや、製本の続きなど作業をかかえているが、今宵は眠い。

  


December 23 2003

電車を降り、フラフラと階段を上がる。
   
   
   
  
帰宅して湯船に浸かったら、そのまま寝てしまいそうになった。今宵も阪急電車の最終から一本前の時間。バリからNさんが上洛。名古屋市美術館で『オートマティスムの彼岸』展を観てからの京都入り。「八文字屋」で六ヶ月ぶりの情報交換。銀紙書房刊行の『指先の写真集』も購入いただき、この『日録』の継続した読者であることを知らされ、照れくさい。彼女はバリで訪問してくれているのです。ジョセフ・コーネルと重なる瀧口修造氏の影をビルの地階で見掛けた、この人にとっても、瀧口氏の存在は単純なわたしの屈折とは異なり、重く不思議だ。これから書こうとしている本のアイデアを幾つもいただきながら、次の店「たこ入道」の熱燗に鰺の南蛮漬け、おでんといった京のおばんざいで楽しくなった。女将はわたしのことを覚えていてくれた。1980年前後のモンモンとした青春。明石焼きでビールというのをしていたのだ。写真集の当時者としては「地図」にしても「にっぽん劇場」にしても「サラーム・アレイコム」にしても、作家のトラウマの前で手を引っ込めてしまったのを思い出した。

December 22 2003

机の回りを掃除し始めたが、サンドペーパーの砂がちりまくって、ひどいありさまとなっている。眠い、数週間にわたる睡眠不足がきいてきた。


December 21 2003

お茶の老舗、一保堂茶舗。家で使うのはここの番茶、たまに抹茶を求めることもある。(上段)



三月書房、左の棚に『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』が置かれていた。(下段)










4時から急いで「The 8th How are you, PHOTOGRAPHY?」展の、江寿画廊、小林祐史写場、ギャラリーTerra、ギャラリー四季を覗く。陽が落ちかけた御所の辺りや寺町の雰囲気はちょっと良い。木下憲治氏の「父が息子を撮った。息子が父の眼差しを撮った。」には、親子関係というか写真の写真らしいたたずまいを感じた。二十歳の頃に亡くなったわたしの父親も、日曜写真家(?)だったので共感する部分がある。神武志帆氏の「Y」って、エロテックで、水に性的な暗喩を特に感じるわたしの感性にぐぐっときた。そして可能性一杯の立体的作品、豊島綾也氏の「flatなgirl Solidなgirl」に楽しさを感じた。「How」が8回目になって初期の展覧会から忘れてしまったものが、この作品にあるように思う。それは、表現したいものへの、関わり方なんだけど。

 昨夜からハイな気分になっているせいか、通りにかかる提灯の揺らめきで、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』の限定復刻版を三月書房で買い求めてしまった。この本の縮刷版は持っているのだけど、限定1500部の初版は買いそびれたまま、今日まできた。京都書院で出会ったとき、B5変形の書物は買いにくいものだった。どうして縮刷にしたのかは、定かではないが、その後、初版を欲しいと思いつつ、状態の良い物が見つからなかったり、加藤京文堂などで、それを発見しても、最初にパスした書物には、なにか不義理のイメージがあって、買うことが出来なかった。瀧口さんの初版は孤高の書物の感があり、容易に手を伸ばさせないところがあったのだろう。それから30年以上たって、瀧口さんの仕事をいろいろ知った結果、やっと、元のサイズの「詩的実験」を買うことができた。ずいぶんの回り道だ。今日の一期一会の中でしか、本を買うことはできない。まして、瀧口さんの詩篇が到達しようと、目指したものの、厳しさは身にしみる。上手く出会えないままの、詩人よ、どうして、わたしに返事をくれなかったのかと-------


December 20 2003

朝から限定番号やサインを書き入れ、注文していただいて、今日、渡す人を考えたり、くじ引きのチケットと出版案内チラシをページメーカーで作ったり、紹介する写真集をカバンにいれたりしていたら-----時間がせまってくるのに、その準備がはかどらず、レクチャーの内容を整理する前に本番となってしまった。
 
「全日本学生写真連盟の会報」を知立のY氏が見せてくれた。「この時代だったらよかったのに」と写真との関わり方を氏は語る。評論家吉村伸哉が早稲田大学の写真部出身であったの会報から知った。






京都市内も雪なので、本が湿気を含んだら困るなと、そればかり心配していたが、出掛ける5時前にはあがった。古い友人である知立のY氏と碧南のS氏が、大雪の中を来てくれたのでトールズ・コーヒーで昔話。今回の話題の原点となった人達なので、話が盛り上がった。S氏がガリ版刷りの「テキスト 技術講習会」をプレゼントしてくれたので嬉しくなった。山本悍右先生のエッセイ「技術は君たちにとつて何か?」を転記したもの。高校3年生で自分で書いたもの、懐かしい。このテキストにファイニンガーの「完全なる写真」の抜粋が一頁あるのを、知った。知ったというのも可笑しいが、書いた本人はもう、忘れてしまっていたのである。


レクチャー会場の同時代ギャラリー。元の毎日新聞京都支局。趣のある空間である。















さて、レクチャーの内容になる訳だが、世間話に流れてしまったところはあるが、後で、批評をいただいた二三の方から興味深く面白かったと聞いたので、まずまずの出来だと思った。後半、はしょりながら紹介したものが何冊も出た。やはり時間配分はむつかしい。聴講者の心を掴むのがポイントなのだが、準備した福引券の効果で離籍する人もなく、1時間半が無事終了。会場で『指先の写真集』を販売したのだが、何人もの人が購入してくださった。感謝。
 
 その後、地階のカフェ・アンデパンダンでフォト・パーティ。大事な写真集を持って入ったので、いろんな人と話す事は出来なかったが、銀紙書房の新しい読者を知った。早速『指先の写真集』を購入して下さったのだが、総ての在庫が欲しい、書かれたものを読みたいとの事なので、著者としては望外の喜びである。ハンス・ベルメールからシュルレアリスムに関心を持ったという、ナジャにも惹かれた、その人は、若く美しい女性。

 ウイスキーが呑みたいと言う長女と二次会。ちょっとしたデート気分。最終間際の阪急電車に乗り、自宅近くのラーメン店にも入ったので、帰宅したら2時を回っていた。

カフェ・アンデパンダンでの恒例集合写真。
みんながそろわなくて大騒ぎ。









  




December 19 2003

寒気団が到来しているので明日の天気が心配。夜中の2時にリーフレットの表紙40セットまで、仕上げる。


December 18 2003

横浜のT氏が貴重な資料2点を送ってくれた。慶応義塾大学三田キャンバスで行われた岡崎和郎氏の講演『瀧口修造とオブジェの世界』と多摩美術大学図書館瀧口修造文庫の『瀧口修造の蔵書』 どちらもA4サイズのコピーだが、慶応のものはピンク色の紙を使い、バランス良く瀧口さんのシュルエットとローズセラヴィの文字が組み合わさり、展覧会の意図を表現するオブジェ・ショップの名前が煙草の煙のようになっていて、楽しめる一品となっている。スキャナして『日録』に載せたいところだが今宵もバタバタして、この作業は諦めた。


December 17 2003

今宵はMAC出力をせず、量産体制に入っている。


December 16 2003

「How are you, PHOTOGRAPHY? 」展同時代ギャラリー会場。
   

   

   

   

   



「How are you, PHOTOGRAPHY? 」が始まった。早速、同時代ギャラリーとギャラリーマロニエを覗く。バタバタと忙しい。すぐに引き上げ、今宵はカッターナイフの人となって作業を続ける。


December 15 2003

パソコンの調子が悪い。ページメーカーの行調整に手間取る。出力毎にアウトプットが変化するのでお手上げ。納期が20日なのだから、大変である。完全に壊れないでねと、祈りながら作業を続けている。今日も注文を頂いた。


December 14 2003

今日も印刷オペレーター。HPのDISKJET1220Cをだましだまし動かしている。納期が20日なので、直前は徹夜になるぞと怯え始めた。しかし、疲れてくると作業が雑になるので要注意。昨日に続いての注文も頂き夜になった。テレビでのニュースを見ながら、変化の予感。


December 13 2003

朝8時から印刷オペレーターを続けた。しかし、トラブル発生。ページメーカーの文字バケである。総てのページにわたって「日」の字がヌケ、アキとなってしまった。複数枚出力をあきらめ、小出しに印字する。さらに、終日出力させた為か、夕方には熱を持ってしまい写真図版のグレートーンが赤く変色するしまつ。手戻りが延々と繰り返されて、まいってしまった。それで、今は焼酎を呑んで気分転換しながら『日録』を書き込んでいる。

 昨夜の刊行案内配信で、続々と注文を頂いたので、トラブルがあっても頑張る事ができる。20部刊行だから残数もわずか、25部にしとけばよかったと思いながら、少な目が気分的に良いのだと、言い聞かせている。ご注文していただいたみなさま、有難う御座います。


December 12 2003

装幀に使うタグを印字。銀紙書房の刊行案内をメールする。さて、何冊の注文が入るのか楽しみである。

December 11 2003

会社を早く出て、ギュラリーマロニエで開催されている「第4回京都写真展」を覗く。雨が降っていたので森岡パパの「ALL of You」がちょいと好いぞと思った。パパとちょっとだけ立ち話。マロニエは3フロアーに別れて展示してあるが、小林ゆう「ここは、犬のトイレではありません」、寺島みどり「'96. NO.016」、中川貴司「したさきまわった」に興味を持った。写真だけど写真にとらわれないのが良いな。写真に引きずられてしまう表現は自己の過去を見るようで辛い。

 リーフレットと単行本はだいたいのところまで進む。しかし、接着剤のテストをしてみると強度が出ないので、新しいものを手に入れる必要を感じる。先に講演会の案内と単行本の刊行お知らせメールを送ろうと思ったが、時間切れで持ち越しとする。


December 10 2003

長女とMACがバッティング。それでリーフレットのカットをする。


December 9 2003

名古屋での写真が出来たが、期待したようには写っていなかった。リコーGR1は人物の集合写真はダメなのかな。室内ではやはり一眼レフを使わなくちゃと反省。まあ、写真は気楽に撮ろう。


December 8 2003

昨日の『日録』の続きを書き込む。レクチャーのリーフレットを出力する。やはり途中でインクがかすれ、用意したカートリッジと交換する。

December 7 2003

美術館を出て車をひろい、駅前に向かう。
通りはクリスマスのイルミネーションで美しく輝き、華やいだ夜となっていた。
  

  

  

瀧口修造氏の生誕100年。名古屋市美術館で土渕信彦氏の講演『オートマティスムの彼岸』を聴く。「自覚的な造型作家の道を選択した瀧口」の作品に則した作家論を興味深く伺った。氏が初めて購入した瀧口さんのデカルコマニーを講演の後、会場で確認したが、ナイーブでとても良い作品だった。------土渕さんや学芸員のYさんたちと美濃路のやきとりで打ち上げをしたので、今、わたしはヨッパラッテイル。ごめん、なにも書けない。

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 土渕氏に対して瀧口修造という人は、どんな「神託」を与えたのだろう。研究者として、研究資料の為に作品を求めたと発言されたが、「売りに出ていること自体が、許されない」と覚悟を持って収集された作品達は、「美しい表面を持ちつつ書くことと描くことの根源を追求した、新しい表意文字である。」「論理的に考えぬかれた作品」は造型作家を志向した瀧口さんの手である。わたしはデカルコマニーの作品に惹かれるがこの技法は「フランスの子供たちの遊戯の一つ」だと聞いた。研究するために作品(技法)相互の関係を調べたという土渕氏であるが、スライドを使ってミショーやドミンゲスやミロ等のいろいろな作家の仕事と対比させて、解説してくださったので、とても良く理解できた。ゴミ箱から拾い出した吸取紙を台紙に貼りサインを付けて作品化したマン・レイの逆説と瀧口さんの「吸取紙」を使った作品の物質性への言及など、興味深い指摘が多かった。今日の話は作品に即した展開だったので、あらためて地階の会場で「彼岸」の世界を拝見させていただきながら、発見をたくさんした。心残りは、講演最後の質問時間に、「彼岸」という日本語が持つイメージと瀧口さんの造型世界、あるいは「ナジャ」における「あの世」のイメージ、身もだえする機関車についての質問を土渕さんにするタイミングを逃した事。いつか、本人にあらためてうかがってみたいと思う。


December 6 2003

朝一番から急いで画箋堂へ出掛け材料を購入。二割引セール中なので大盛況の店内。雰囲気にのまれて、つい多めに求めてしまった。次いで四条烏丸キンコーズへ行ってリーフレット用の写真コピー。セルフサービスでテストをしつつ、アイボリー色上質紙に出力する。まずまずの仕上がりに納得。こんな職人の気分が好きだ。その後、大丸百貨店で買い物をし、出掛けに注文したキャビネ写真を引き取り帰宅。忙しい。
 昼食をすませてから名古屋へ。鶴舞古書店でモンバルナス墓地のマン・レイのお墓の写真が載った、特集「20世紀のお墓参り」の「おとなピア」2000年1月号を見付ける。キャッチコピーが「彼の20世紀の美術の旅、その終わりはここだった」である。「たくさんのフィルムの空きケースが詰まっている」お墓を見ると、本当に行きたくなる。それで、フィルム・ケースを使ったオブジェが閃いた。いつかパリに行くことがあったら、これをポケットにしのばせて----

 夕食は、お袋の味で姉が「にんじん御飯」を炊いてくれた。母親の顔色も良いし楽しい夕食。ちょっと贅沢をしてビールをいろいろ飲む。「銀河高原ビール」「サッポロ黒ラベル」「キリンクラシックラガー」「モルツ生ビール」」「エビスビール」「一番搾り」。 その内では「銀河高原ビール」が一番旨く、次は焦げ臭いけど「サッポロ黒ラベル」、続いて「モルツ」も旨い。アルコール度数はそれぞれ異なるようだ。特別の日の「エビス」だったけど、「銀河高原」にしようかな。


December 5 2003

早く帰宅して次女と留守番。


December 4 2003

テストがほぼ終わり、いよいよ本番。しかし、プリンターのインクが減って警告メツセージが表示されている。帰宅してからの数時間作業だから効率が悪い。日曜日に間に合わせようと進めていたが、あきらめモード。納期が切迫すると楽しみが苦しみになってしまう。名古屋市美術館で7日(日)に行われる土渕信彦氏のレクチャー『オートマテイスムの彼岸』が楽しみ。


December 3 2003

レクチャー「指先の写真集」準備に、幾つかの用事が重なってとても忙しい。


December 2 2003

Exhibition Poster
Man Ray's one-man Exhibition
at XXe SIECLE, 14 RUE DES CANETTES PARIS VI
15 MAI - 15 JUIN, 1970  

   



『日録』の11月12日を再読していただきたい。忙しいけれど、今日は楽しく充実した顛末報告。「20世紀画廊のマン・レイ展ポスター」が無事到着した。夢に見た品物は76.2×54.3cmで、濃いブルーベースに白い線で「アンナの肖像」が描かれている。制作はムルロー工房。会期は1970年5月15日~6月15日。画廊の所在はパリ6区カネット街14番地。状態は良くないけど30年以上前の品物なので我慢しつつにんまり。版画集『時間の外にいる貴婦人達のバラード』の版元で展覧会も開催した20世紀画廊の動向を知らせる貴重なドキュメント。コレクション第一号の「アンナ」と、今回のポスターを部屋に飾り、交互に見ている。わたしがマン・レイの世界に出会う前のパリの街なんだ。ル・フェルーのマン・レイのアトリエに伺う前に通ったところだろうか。いつまで画廊はあったのだろう。このポスターに気付いて会場へ足を運んだ人は何人くらいいたのだろう。そもそも、このポスターはどこに貼られていたのだろう。想像は膨らんではてしない。送金から16日目でパリ近郊の街、ペシーから航空書留で届けられた品物は、再度、額装すればステキな一品に変身するだろう。

 夕食で、うわじま名産の「手押しじゃこ天」をあぶり、生姜醤油でいただいた。これがビールと合って美味い。ポスター到着のお祝い気分だ。子供たちも喜んだ。


December 1 2003

1日は経理マンには忙しい。