2003.10.1-10.30 マン・レイになってしまった人

November 30 2003

落ち葉が名古屋市美術館に続く通りをうめる。







巌谷國士氏の講演『シュルレアリスト 瀧口修造』を聴いた。氏はわたしにとって『ナジャ』の訳者である以上に、現在、シュルレアリストとしての肉声を聞くことの出来るただ一人の人。この人の前だと緊張してしまい、何も話せなくなってしまう。法王ブルトン、いや、巌谷さんの周りに集まる星たちの一つになりたいと憧れる。それは「未完の星座」場所と構成を刻々と変化させる。しかし、眼に入っているのは過去の光たち。瀧口修造氏についてある程度の知識はあるつもりだったが、遺言のように『シュルレアリスムと絵画』の原稿13枚を綾子未亡人から手渡された氏の語る「未完の人」の人となりを興味深く神託として聴いた。要約と感想を交えながら下記のように手帖のメモを再読すると-----

 隣人のケイト・ミレットに紹介された初対面(大学2年生)の日から、朝まで続いた会話は「ある思考を結論として出すのではなく、過程のみを話すような」ものだったと云う。それは、瀧口氏が書く途中で途切れるような文章と同じようなもので----- しばしば「、、、、」や「☆」や「日付なし」として紙面に残されている。----- 講演で嬉しかった指摘は、瀧口氏とブルトンとの共通点。二人の事情が似ていると云う 1)「医者になることを放棄」 2)「初期の時点で文学を一度放棄」 3)「第一次世界大戦による価値観の喪失。日本での震災体験から北海道への逃避に至る価値の喪失」。シュルレアリスムアンドレ・ブルトンに固有の精神の運動とみているわたしにとっては、この指摘は興味深い。わたしにも、二人に関連した部分がないかと思う部分が生まれる。瀧口さんにとって生きるために必要だった「シュルレアリスム」そして、実験を継続する過程で「人間が客観のみになって、狂気の手前」でたちどまざるおえない部分。「絶対」をそこで発見したが「絶対」との間には距離があり、「絶対への接吻」----「への」としか表現できなかった切迫感がある。詩的実験は主観を乗り越える為の行為。言葉は物だ。「いつも中断し、完成をしないまま、先へ先へと進んだ人物」「孤独な運動、プライベートな表現体」戦後、ブルトンと「初めての再会」を果たした後、文を書くことと絵を描くことの境界にあるオートマテックなデッサンの実験を最後まで続けた瀧口さん。「シュルレアリスムはアマチアである」職業としての手を持たない詩人。誰かとの出会いが準備されている『リバテイパスポート』を「偶然が糸としてつながっていくそれが自由ではないのか」と巌谷さんは続ける。瀧口氏が最後のパスポートだと巌谷さんに手渡したロトデッサン。原稿を用意しない巌谷さんの講演は「自由」で終わりなく続く、旅のようなものだ----

 引用が「未完」となってしまうのはしかたがない事か。「瀧口修造論」を書かかなければならないような「封印された星」の声を聞き始めた。『日録』には重い。いずれ、それを始める日のために、などと----

 この日の星たちの一人に加えさせてもらって歓談。わたしは名古屋生まれの名古屋育ちだから、驚かないけど。名古屋名物の「山本屋本店の味噌煮込みうどん」に恐れおののき、「コメダコーヒー」のコーヒーについてくるお菓子にあきれ。そのまたケーキのサイズにもびっくりして----

 そんな訳で、「しらふ」のまま京都に戻った。

追記: 「旅行家」「写真家」と領域が様々に拡がる巌谷さんの行動は、オブジェ作家桑原弘明氏とのコラボレーショによる<<パティオの快楽>>と題した展覧会となっている。会期は12月8日~12月20日まで。会場は美雷樹 東京都渋谷区宇田川町17-1渋谷ブラザービル4階 Phone 03-3463-8477


November 29 2003

自転車愛好家にとって雨降りはお手上げである。それで終日自室にこもって装幀ダミーとレクチャー用リーフレットのテスト。ゴソゴソやっていたら1時30分を過ぎてしまった。明日がしんどいだろうな-----


November 28 2003

11月の営業最終日でバタバタ。帰宅するとカスヤの森現代美術館の『コラボレーシュンの磁場』が届いていた。表紙もいれて8頁のすっきりとした造りのカタログ。25.7×18.1cm。初公開の「ドローイングのある木箱」が良い。指先に青い星がある「2次元を3次元に展開する試み」。踊っているような、階段を下りるような、幾つもの手形が縁取られている。その手の指し示すレイアウトにオリーブの瓶やトランプのコラージュ図版。実際にキャロルの猫と対面したいところだ。しかし、距離ではなく手許の何かの為に、横須賀は遠い。テキスト執筆の土渕信彦氏が注記でわたしに言及して下さった、感謝。


November 27 2003

瀧口修造生誕100年記念展示
: 瀧口修造の蔵書」展案内状。
2003.12.1-13 14:00-20:00
多摩美術大学上野毛キャンバス図書館2階資料展示室

   
   
   
多摩美から瀧口さんの蔵書展の案内が届いた。12月7日に関連した3つめの好企画。氏の蔵書にはマン・レイのものも沢山あって、詩や論文やエッセイとの繋がりを知ろうと図書館でそれらを拝見したことがあった。再会したいけど、東京へ気楽に出掛けるわけにもいかなくて、困ってしまう。「不思議な指先の人」がどうしても気になる。日曜日には、久し振りの星座が名古屋市美術館に現れるだろうから、そちらで我慢かな。

 加藤功騎氏の素晴らしいホームページを拝見した。『眠る前の写真集』 目次のページでの紹介からうなった。
「* 藝術としての写真集を、個人的な娯楽、蒐集の対象として、言葉によつて紹介します。 * 同好の士、また美術や読書を愛好する人、実作をする写真家を読者に想定してゐます。」とある氏の真摯な態度、的確なアプローチからして好印象。「写真家から写真集へ 彼ではなく、彼の本について」とか、日記風の覚え書きでの「四角いもの」を下記のように定義する「(1)寫眞集;(2)寫眞;(3)繪葉書;(4)書籍全般;(5)映畫やビデオの映像作品」といったフレーズに鋭い言葉の切れ味を感じた。お勧めのサイトだ。最初、写真が無いのが寂しいと感じたが、覗いていくと「日々採集される「イメージ」の目光主義」のコーナーがあって、そこでアップされている写真が良い。眼のサービスと思ってかってに写真を載せているわたしのいい加減さに、反省させられることしきりである。リンクに『Man Ray ist』を紹介して下さっているので感謝した。氏にこれからメールを入れよう。-----


November 26 2003

レクチャー用リーフレットのレイアウトを進める。


November 25 2003

The 8th How are you, PHOTPGRAPHY ?展
案内状

   


帰宅し再度ヤフーへアップ・ロードしたら上手くいった。この前のメールトラブルも含め、ヤフーのサービスが不安定だと感じる。さて、How are you, PHOTPGRAPHY ?展実行委員会から、第8回の情宣用のポスター、チラシ、案内状が届いた。わたしの受け持ちはレクチャーシリーズで下記の内容となっている。

指先の写真集  ----マン・レイと銀紙書房

日時: 12月20日(土) 19:00---20:30
受付: 18:45-- /定員: 30名
場所: 同時代ギャラリー
参加費: 500円(ワンドリンク付き)

申し込み、お問い合わせはメールかFAXでHow are you, PHOTPGRAPHY ?展実行委員会まで
e-mail   photo@iris.ocn.ne.jp   FAX 06-6454-1010

 当日は地階のカフェ・アンデパンダンでフォト・パーティが開かれる。スタートが8時30分だから、レクチャーの後半は喉がワインを求めて、喉から手が出ることになってしまうな。さて、どんな構成にしようか、こちらの方のカタログ作りにシフトせねば。


November 24 2003

東京の先輩S氏に『指先の写真集』の校正刷りを送る準備をし手紙を書いていたら、時間がかかってしまった。今、0時30分を過ぎ寝たいのだが、横浜のT氏に『日録』を今晩も書き込みますと約束した手前、頑張ってキーをたたき始める。今日は昼から雨になって、レクチャー時のカタログに使う写真複写が上手く出来なかった。(何時も、自然光でやるからお天気まかせ)。本はダミーまで仕上がった。ただ、装幀材料が枚数揃っていないので、微調整で終わる。プリンターの調子が悪くて難儀する。どうも、集中力が出ない、こだわれないと云うか、年齢のせいだろうね。恐ろしい。明日はダミーで最終校正に取り掛かろう。暗いトーンの『日録』になってしまった。「いや、集中力が出ないのじゃなくて、眠たいのだ」おやすみ。(0時50分)
 
 ホームページに上げようとしたら、ヤフーのサイトがダウンするぞ、もうだめだ。脳みそが寝てしまっている。


November 23 2003

今日の読売新聞日曜版シリーズ・市場へ行くは「山里に突如古書の王国 ヘイ・オン・ワイ」だった。昔、紹介されている王様のリチャード・ブース氏からマルセル・ナトキンの『ヌード写真』(1937年刊)を送ってもらった事があるので、興味深く街の様子を眺めた。書架に保管している本が、以前どんな生活(?)をしていたのかに、わたしは関心を持っている。もっとも、1995年11月に手に入れた、その本にはカバーが欠けていて、ガッカリした記憶がある。だから、ヘイ・オン・ワイの記事には複雑な感情を持ってしまった。以下の引用は、悪い意味ではなくて、同感の挨拶を贈りたいため『日録』に書き込むのだけど、「古書店にとって本を買うことも重要な仕事だ。言語関連の専門店の女性店主、マリヤ・ドゥワルスキーさん(46)に仕入れのコツを聞く。「掘り出し物がでるのは個人の蔵書よ。家の中であふれている本を一番憎んでいるのは、だれか知ってる? その家の奥さんなの。蔵書家が亡くなったと聞いたら、すぐに奥さんに電話するの。なぜだか、わかるでしょう。うふふ」。」と土生脩一氏が書いた記事。ウエールズののんびりとした街で、古書と触れ合うのも楽しいだろうなと思いつつ、神田のように大規模で古書店が集まっている街を知っている者にとっては、街路と離れた書物との対話なんてと---否定的な気持ちになった、いやはや。カバー欠の本の罪でもあるまいし----。


November 22 2003

中部学生写真連盟の仲間たち。
鼓ヶ浦(?)海水浴場
19 72年8月
   

   


朝から頁の流れを検討し写真を入れる位置を考える。それで、古いスクラップ・ブックを見ていたら懐かしい写真があったので、『日録』用に取り込む。恐らく就職した年の夏休みに写真連盟の先輩であるSさんの家に集まり、みんなで鼓ヶ浦に海水浴へ行ったとき時のスナップ。今回の『指先の写真集』で言及した主要な時期ではあるが、写真としてはテーマがズレルので使えない。しかし、ここに載せておけば知立のY氏も喜んでくれるだろうとサービス。
 今日は一日で『日録』のアクセス数が48回。新しい読者が出現したのだろうか。アクセス数は年初の10回が、夏に20回となり、以降20-30回を推移している。マン・レイの展覧会があったり、わたしが新しい人に会ったりすると、数字は上がるが、コンスタントに訪問して下さる読者の確保が命題である。「毎日この『日録』へ訪問して下さっているみなさん、有難うございます。リタイアしたコレクターですが、みなさまのメールに勇気づけられ、最後のところでコレクター生活を踏ん張っています」 日記の形でこうした状況を公表するのは、日本文化の現れのようにも思う。これに意味や価値があるかは判らない。続けることで、意味と価値が付加されていくのだろうね。写真と一緒、いや、ワインと一緒としたほうがしっくりするかな。

 夕食は茸のスパゲッテイ。遅ればせながら我が家でもボジュレ・ヌーヴォ解禁のお許しが出た。それで急いで、近くの店に買い物に出たら、もう一種類しか残っていない。今年は売れ行き好調と店主。でもこれは美味いと「モメサン・ヴィラージュ・ーヌーボー 2003」を勧められた。新酒らしい明るいラベルで期待がもてそう。焼いたフランスパンにキリのクリームチーズをぬって準備よし。乾杯で飲み始めた。香りが口中に広がる、合格点で一安心。
 
 風呂にも入ったのでポカポカして、ラジオの落語を聞きながらワイン頭でキーボードをたたくのは楽しい。さて、銀紙書房の新刊も先がみえてきた。定価3,000円で限定20部の予定。予約をそろそろ開始しようかな。告知即完売なんて夢だな。


November 21 2003

地下鉄の車内刷で期待できる展覧会の告知を知った。会場は百万遍京都大学総合博物館。来年1月14日からだから鬼が笑っているけど、「ロラン・バルトのデッサン展」副題が「色の音楽、手の幸福」だから、こいつはしっかり手帳にメモした。

 夜。知立のY氏と『指先の写真集』の話。いろいろと考えさせられた。写真3点を取り込み、ページネーションもほぼ決まってきた。


November 20 2003

どうにか注記も仕上げ、最終校正まで辿り着いた。知立のY氏の意見を聞くため、ちょっと休憩。彼と共に過ごした名古屋での日々が中心のエッセイとなった。論考のようなものをとスタートしたが、結果的には、テーマが設定され、様々な分析の後に、深化するというのではなくて、写真集を手に持った時の身体的悦びのラブレターのようなものに落ち着いた。Y氏は大作と言ってくれているけど-------


November 19 2003

今日は仕事の移動で、近鉄京都線十条駅ホームに立った。左に東寺の塔、右に京都タワーが認められる、雨の午後だが、京都の盆地は良いな、ボーっと見ていた。
 夜、メールチェックをすると知立のY氏が脳みそを活性化するカンフル剤を入れてくれたのに気付いた。古い友人は有り難い。教えてくれたカタログが直ぐに取り出せないので、友人の引用から手フェチの力をもらった。そして、I氏からも珍しく電話が入った。シナプスが切れまくっている頭で『日録』を書き込んでいると、このペース、対象への距離感が今のわたしに合っているのかと思う。講演での頭の整理と始めた『指先の写真集』、どこかに無理があるのだろうか。
 


November 18 2003

脳みそが濁ってしまって、注記書きが進まない。


November 17 2003

夜、出掛けたら寒くてヒヤリ。今年の紅葉は上手く色づかないまま終わるのかな。バレーボールを見ながらラ・フランスを頂く。甘くて品の良い西洋梨。果実ひとつひとつに個性があって、それぞれ味が違う、だから好きだとマン・レイは言っている。今日、食べたのは「蔵王ラ・フランス」エリック・サテイの曲を聞きたくなった。


November 16 2003

今日も昨日の続きをジタバタしながら「その為にこそ、必要なのはこの手である」と最後の言葉を置いて脱稿。校正と注記書きの段階に入り、レイアウトと装幀のアイデアを具体化する。でもね、書きたい事と書かれた事の間には、わたしの手があずかり知らぬねじれがある。いやはや、まだまだ。


November 15 2003

終日自室にこもって原稿書き。やっと最後の結論部分まできた。写真集に対する近年の注目度と自家製本の可能性に言及する予定だが、時間ぎれでビール・タイム。「日録」の調子ではしっくりこないので酒が入るといけない、しかし、日が暮れると飲みたくなってしまうんだね。
 知立のY氏が毎日、戦前の写真集の表紙をスキャナーで取り込み送ってくれる。未見のものがほとんどで、これを見るのが楽しみである。過ぎ去った時代の写真集と、今、生み出されつつある写真集。常に新鮮な眼で手にしなければならないのだが------同時代の仲間よ何処に。


November 14 2003

会社の欅並木が色づいている。夕陽が看板に反射して太陽が二つあるステキな4時。金曜日の夕方に仕事が入るとつらいけど、今日は順調に消化し定時の帰宅。真っ直ぐに帰って『指先の写真集』の原稿書き。家人達はバレーボルのワールドカップで盛り上がっている。今晩の試合もすごかった。ビールを飲んだりしているので、良い原稿とならない。今、11時過ぎだけど、眠たくてボロボロ。


November 13 2003

わたしが訪問した直後に『オートマテイスムの彼岸展』を観たと大阪のT氏から便り。月末、月初と二週続けて名古屋市美術館詣での予定であるが、瀧口ファンの何人かと再会するのが楽しみ。今晩は英語のメールに返事。上手く伝わるかとジタバタ。


November 12 2003

一週間前に気が付いた、オークションの締め切りが夕方7時30分。気合いを入れてビットをかけ、競争相手を蹴散らしたまではよかったのだが、出品者の入札下限設定にあって、あえなく玉砕。それで相手に「幾らなら売ってくれるの」とメールを入れたら、オークションサイトの管理者から「こうしたアプローチは危険で薦められないと注意を受けた」 欲しくなると見境が付かなくなり、ネットでの上限は決めているものの、つい走ってしまう。今まで事故に遭わなかったのは幸せなことだが、今後は冷静に対処しょう。

 初めて知った出品作品は1970年にパリの20世紀画廊で開催された「マン・レイ展」のポスターで、アンナの肖像が使われている。わたしのコレクションの出発点を示すような品物なので、喉から手が出てしまった。パリに住んでいるのだろう出品者に対する評価は93%。どんな人物なのだろうか。いつか、このポスターと再会する日を夢に見る。資料ファイルに追加できただけでも良かったと、泣きながら思っている。残念、残念。


November 11 2003

先日からの写真を取り込み、ホームページにアップ。


November 10 2003

長女と写真の話しを幾つか。


November 9 2003

名古屋市美術館常設展示室3
   
   
   
   
名古屋市美術館で開催中の『瀧口修造: オートマテイスムの彼岸展』を観た。土渕信彦氏をここまで熱中させ、氏の人生をあらぬ方向へ導いてしまったものの正体を突き止めたいという目的で会場を訪れた。作品保護の為に照度を落としたその世界は、ある種「湖底のサロン」。しかし、ドローイングを見始めながら、直ぐに反省した。「正体」などを安直に求めるアプローチなどと無関係にあるそれは、詩人や画家、瀧口さんや土渕さんといった固有名詞とは別次元の、誰のものでもない世界で生まれた風景だと理解した。人間の手が産み出したものなのに、では誰がそこにいたといえるのだろうか----瀧口さんの手を借り、舞い降りてきた妖精。「あなたは誰なんですか」と問わずにはいられない。だから、ほとんどの作品にタイトルがないのは当然の帰結。それ故に、展示されている全67点のうち、どれが良いのかなんて事は間違った鑑賞方法だろう。そうであっても、そんな見方をしてしまうのは、凡人の悲しい性である。作品収集の経緯を知っている側面もあるのか「書かれなかった帖面」とフィンガー・プリントの所で眼が止まった。ふたつの額の間には手フェチの琴線に触れる何かがあるんだ。妖精が羽ばたきを休めるせつなの地面が描かれているんだね。意志の台地、瀧口さんと土渕さんの手が、つい額の渕に忍び寄ってしまったんだろうね。
   

「書かれなかった帖面」とフィンガー・プリントの所で…………
  
「自筆原稿」のケース
  

   

   

   

   

   

同展には参考資料として4編の「自筆原稿」が出品されている。片寄った鑑賞者であるわたしは、「身辺珍書」読売新聞文化部 20 x 10 「星と砂と日録抄」LIFE C155 20 x 10 「青い羽根のあるコラージュ文 西脇順三郎氏に」株式会社河出書房新社原稿用紙(宮) 「西脇さんと私」ABC 10 x 20 などと原稿用紙の種類を追跡してしまった。その中で「本の手帖」創刊号に発表された「身辺珍書」を読み込んでしまったのは、本好きとしては当然か。9ポ二段。筆名14ポと記入された原稿には「紙ビラ一枚でも貴重だったのである。そういうわけでシュルレアリスム運動の生きた資料がかなり集まっていた。」が追記(下線で示す)され「紙ビラ一枚でも貴重だったのである。そういうわけで当時のシュルレアリスム運動の生きた資料がかなり集まっていた。」とか、「パリの街で夕立に会って駆け込んだ古本屋の棚で見つけたのだった。」が「パリの街で夕立に会って偶然に駆け込んだ古本屋の棚で見つけたのだった。」などと変わっていて、興味深い。ちょうど原稿書きをしているわたしに則して思うのは不謹慎なのだが、書き進んだ文の流れを自身から離す作業、客観化の作業があるのだろう。その意味で、瀧口修造氏が書く行為は実人生とともにある。原稿用紙の升目を離れ、過去の時間が現在の時として進行し、パリの街路で「待ちこがれた彼の訪れ」が実現されて行く。

 ドシャ降りが続く今の世の中で『瀧口修造: オートマテイスムの彼岸展』の会場は、雨宿りをする為の庇。つかの間のサロンとなっている。偶然に訪れるのもよし、待ちこがれて訪問するもよし。


November 8 2003

数日掛かりで入力した『指先の写真集』のざっとした内容に推考を加え、強調したり捻ったりしながら、3時頃までマック・ワードと格闘。気分転換と材料確認のため自転車で画箋堂へ。店頭で検討すると予算とのからみもあり、仕上サイズを縮小しないとまずい展開。これからテストを繰り返しながら、最終形を模索しよう。限定50部のリーフレットが準備されていると事務局が告知しているので、引き返せない。その後、気になる文具店と写真台紙の専門店を発見。丸善とメディア・ショップによってからATHAへ。昨日からカナダ人作家ジェスイ・バーチによる写真展『Out of Order』が開催されているので、気になっていた。本人のメッセージにはロラン・バルトジャック・デリダからの引用がある。昨夜は外国状態だったと吉川さんが教えてくれた。


November 7 2003

カスヤの森現代美術館
「コラボレーションの磁場」会場風景
主催: カスヤの森現代美術館
共同企画: 土渕信彦  

  


今日から12月7日までの会期で、横須賀のカスヤの森現代美術館を会場に「瀧口修造・生誕100年記念展 コラボレーションの磁場 ---デュシャンマン・レイをめぐって---」が開催された。さっそく会場の様子を横浜在住の友人Y氏がデジカメで撮って送ってくれた。写真から詩画集『妖精の距離』と『マルセル・デュシャン語録』限定A版を確認。マン・レイに関しては右奥のコーナーを中心に、イタリアで開催されたマン・レイ展のカタログに寄せられた『マン・レイ賛』と宮脇愛子さんに贈られた『MAN AS NO RAY AS YES』の額。エリュアールとのフォト・ポエム『ファシール』とGQから刊行された『自由な手』等を眼を凝らし見つめる。パソコン画面で透過された画像は、空間の距離感が楽しい。コーナーに置かれた若江漢字さんの『贈り物』に存在感があふれて、ひっかかる。このひっかかる感じか良いんだね。共同企画者の土渕信彦氏によるキューレーター・トークが11月23日 14:00- から予定されている。瀧口さんに人生を掛けた精神の肉声に触れるまたとない機会。「どうぞ、JR横須賀線衣笠駅(徒歩12分)までおいで下さい」と美術館に代わって告知したい気持ち。尚、展覧会の詳しい情報については、このをクリックして下さい。カスヤの森現代美術館のホームページへリンク致します。


November 6 2003

阪急電車西院駅ホーム
河原町よりで描く「地下駅の画家」をひさしぶりに見掛けパチリ。
彼はその都度、電車の乗務員に敬礼する気遣いの人でもある。
December 20, 2003

   
   
   
   
京都新聞の夕刊2面に現代美術作家のやなぎみわ氏が『地下駅の画家』と題したエッセイを発表している。「現代のことば」のシリーズで野村仁さんも書いていたりして、ときどきチェックするコーナー。彼女が言及する「駅のプラットホームでずっと写生をしている人」がわたしも気になっていた。その人の写真を対向のホームからとか、車内からとかで撮りたいと思いつつ、やはり「何となく近寄りたくない存在として遠巻きに」してきた。やなぎみわさんのエッセイの内容が面白いので、ググッと読んだ。「作品づくりに没頭することと、社会と対峙することの危うい均衡」 わたしは地下駅の画家の絵を間近で見たことはないけど、彼が新聞のこの記事を読んだらどんな反応を示すのだろうか。痩せて背の高い青年。彼を横目でやりすごしながら生活の雑用の側へ逃げてきたわたしに、社会のよそよそしさが心をぬける。「なぜ、あなたは自分の作品を人に見せるのですか」と問いかけるやなぎみわさんのエッセイの全文を紹介することが出来ないけど、彼女はこんな結語を、紙面に置いている。

「もしかしたら、かの地下駅の人は、あの場所で人に見られて描くことで、懸命に社会と共にあろうとしていたのだろうか。永遠に未完にも見えたあの絵は、地上に出たのだろうか。最近になってなぜか鮮明に思い出す。」


November 5 2003

経理マンの月末・月初は忙しい。夕食でビールを呑むとウトウト。そんな頭で案内状を見るのが楽しい。林哲夫さんの水彩画展「モランディ頌」が東京・六本木のGallery Yanaiで11月20日-30日の会期で開催されるとの葉書。林さんのセンスに何時も脱帽するわたしだが、今回の案内状は両面で作品を紹介。切手の貼ってある面にも、水彩作品が何点も重なっている。葉書の規格を知らないけど、他ではこんなの見たことないなと、関心する。ビール頭なので、論理は展開しない。ゴメン。


November 4 2003

マン・レイ・パリ・ポートレイト:1929-39展の案内状
12.7x20.4cm
   

   

   

ニューヨークのカロッソ・ファイン・アートからやっとマン・レイ写真展の案内状が届いた。オーナーからメールをもらっていたのに、現物が到着しないので心配になりかけたところだった。まずは、ひと安心。ティモシィ・バーム氏の協力で行なわれている、このシリーズの展覧会、日本にも招来されないかな。氏の集めたビンテージ・プリントが気になる、この眼で見たいのだよね。画廊のプレス・リリースによると約50点の展示らしい。尚、展覧会は既に始まっていて最終日は12月20日。ニューヨークに行かれる人にはお勧めの好企画。クリスマス・プレゼントといったところだ。

 帰宅し、メールを幾つか確認。順調にソフトは動いている。今回も自然復旧で、さてさて、------ それで、メールを読んだり返事を書いたり。高橋書店から手帖の要望に対する親切な返事が届いていた。使う人によって、必要な要素は千差万別らしく、製品への反映は多数決が原則のようなので、個人主義のわたしとしては、残念。でも、毎年、修正と変更を加えているとの事なので、同社の製品を見守っていこう。知立のY氏ともメールのやりとり、彼が書いてくれるメッセージがなかなか良く。心が癒される夜が多い。


November 3 2003

秋の古本まつりのダンボールの中に戦前の「みづゑ」が何冊か…………

市バスから丸太町河原町の角

   

   

   



一昨日、東京のT氏から「みづゑ」の戦前の号を薦められた。それで、10時に間に合うよう家を出て百万遍知恩寺古書市へ再チャレンジ。大書堂のコーナーに1日にパスした号がまだ残っているかとドキドキ。よかった、瀧口綾子さんのデッサンが巻頭を飾り、次の頁に「超現実造型論」瀧口修造の文字。182-214頁にわたる瀧口さんの重要な論考。挿入されている図版の時代背景が楽しい。ちょっとした画集である雑誌が残っていた。先輩のK氏は「瀧口さんは雑誌に発表する時、切り取って本の形に仕立て直し出来るようにレイアウトを調整されていた」との話なので、そんなオブジェを想像するのが楽しい。何時間ぶりの再会なんだろう。テントの書棚の様子をパチリ、パチリ。結局、購入したみづゑは4冊で、後のものは山中散生氏の「ダダ精神」で3ヶ月にわたる連載。使われているマン・レイツァラの肖像写真が気になった。当時のカメラ雑誌で知っている写真だけど、山中さんや編集部との関係に興味を持ってしまう。古書市みづゑを買い求めた直後に雨が降り出し、すぐに土砂降りとなった。ブラブラと写真を撮りながら鴨川を下ろうと思っていたけど、バスで素直に帰宅し、昨日の原稿入力の続き。

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 ところが、メール確認で土壺に入ってしまった。先日からヤフーBB側のメールサーバーのトラブルかと思っていたけど----アウトルックのメール、インターネットのメールサービス共にアウト---、ネットスケープで入ったインターネットでのメール受信はOKなので、わたしのパソコンのアウトルックのソフト・トラブルのようである。前回は自然復旧したけど、さて、どうするか。その後もゴソゴソすると、アウトルックでのメール送信はOK。今の時間ではインターネツトでの受信でのメール確認、困った。一応、メールのやり取りは出来るけど、回復手順をどうやってしらべるか、明日、わたしのマツクの先生であるS氏に相談してみよう。


November 2 2003

抜群の行楽日よりで今日も良い天気。郊外に出掛けるのがベスト・チョイス。それなのに終日パソコン画面とにらめっことなった。じみな原稿入力作業の後に楽しい刊行が待っているのだと思うのだが、今回の『指先の写真集』はマン・レイに至る世界の開陳がメインなので、つらく回りくどい論理展開が続いている。中部学生写真連盟の話に関心を寄せる読者を想定することなんて出来ないよな。まあ、したがないか。何時も原稿を書きながら、次回作を夢見る。学生時代の試験勉強と同じだ。社会人となってからの仕事ぶりも同様。


November 1 2003

ドニ・オザンヌ・ラール・ブックスの目録。
21x15cm。
   

   

   

   

パリのオザンヌさんから気が狂いそうに素敵な古書目録が届けられた。リング綴じでマルセル・デュシャンの切り絵で作った横顔の表紙。オレンジとイエローのバランスが洒落ていて、彼のセンスに脱帽。掲載131点の全てが吟味されたピカイチで、わたしはノックアウトされてしまった。例えば国際シュルレアリスムのロンドンで開催された1936年のポスター。山中散生氏の著書『シュルレアリスム資料と回想』で紹介されているやつだ。あるいは、2001年にリオデェジャネイロで開催されたシュルレアリスム展の箱に仕立てられた限定2000部のカタログ。こうしたジャブの後に、ストレートがみごとに炸裂した。雑誌『ニューヨーク・ダダ』である。欲しいけど、こいつは高い。ごめんなさい、お騒がせしましたの世界だ。昔、チャンスがあったのに、雑誌類はパスしていた頃だったので、残念、残念。その次の頁にはジユリアン・レビューのマン・レイ展カタログ。デュシャンが表紙のデザインをしているので、こいつも高い。でも、持っているからねと安堵。ロットレリーフといいコーダー・エクストロームの案内状といい、レデイメード・エトセトラのオリジナル写真といい、ボデーブローがどんどん効いてくる。とどめはブラインドマンかな。最後の力をふりしぼってマン・レイに相対すると、電気、フォトグラフイス1920-1934、もちろんファシール。マネキンもウッドマン夫妻もいらっしゃる。パリの街を、ニューヨークの街を、世界中の都市を歩き回り、オザンヌさんが集めた至福の書物たち。アンディ・ウォホールのインデックスもあるのだから、涎のたれっぱなし。この目録を手にしたため、昼から古書市に出掛けても何も買う気になれなかった。