帯は明るく

8GのI-O DATAにカラー比率を9パターンに別けたA3の帯シートPDFとInDesignファイルをコピーし、カンプリの烏丸店へ。『三條廣道辺り』もいよいよ最終章。エプソンのPX-503Aとコピーショップの出力機とでは、色目が異なるので、こいつも苦労する。自宅ではC100 M90 Y10 K00のブルーが良かったのだが、ショップの機械はゼロックスのDocuColor5065P、ぜんぜん違うのよ、モニター画面とエプソンゼロックス、テスト出力をするも、ドンピシャの色調にならない訳。デザイナーとしては詩雑誌『青樹』で天野隆一が選んだ青、あるいは俵青茅詩集『夜虹』の表紙に使われた墨流しの青、もちろん地中海の碧といった色調を求めたのだが---、硫酸紙をとおして上手く表紙写真と相性の良い青はないものかと、ショップでうろうろ、出力した後、帯にカットし硫酸紙越しに確認を続ける。持ち込んだPDFでは上手くいかなくて、結局、INDesignを使いC90 M40 Y10 K00を選ぶ、家人が「帯びは明るくないと」と出掛けにアドバイスしてくれていたので、そこに落ち着く。パソコンの設定など1時間の作業だった。夕方、イノダコーヒ本店のガーデン席で仕上がった『三條廣道辺り』を手にとって自画自賛。「天才じゃないか」なんて思ってしまうのよ。アラビアの真珠を美味しく飲み、噴水の水音に心なごませ、指先には新しい本。初回出荷用に製本作業をしなくては、お待ち頂いている皆さま、後しばらくです(プリンターの機嫌よいようです)。

[帯のコピーは]

中西武夫のスクラップ・ブックに詰まった不思議から 俵青茅詩集『夜虹』を飾ったマン・レイのレイヨグラフ さらに山本悍右のオリジナルまで ── 詩雑誌『青樹』『麺麭』『夜の噴水』を巡る

マン・レイ受容史を書き換える画期的発見 戦前京都の詩人 俵青茅(1902-1964)と天野隆一(1905-1999)が選んだ写真に迫る。三條廣道は現在の京都市美術館南東側 京都詩人協会の事務所があった。著者渾身の240頁、限定75部

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報告は前後するが、帯を仕上げた、完成品の『三條廣道辺り』を持って善行堂へ。烏丸丸太町から銀閣寺道までの登りはきついけど、ソムリエ氏の意見はとても参考になった。それから気持ち良くギャラリー16へ移動し、16日から始まった庄司達展「空間軸の内と外 2011」を拝見。開かれた不思議な茶室体験をさせて頂いた。本作りばかりじゃなく、外に出なくてはと思った。夏の終わりには、75部の制作も終わっているだろうと思う。