大船鉾の復興シンポ


立命館大学朱雀キャンパス

ご神体衣裳「磯良」紅地金立湧に雲板波の丸文様厚板

JR二条駅南の立命館大学朱雀キャンパスホールで開かれた「大船鉾の復興〜祇園祭山鉾の今日と明日〜」と題するシンポジウム(13時から2時間)を聴講した。定員400名の会場が全席埋まるという関心の高さ、昨年、唐櫃巡行をはたし、鉾本体焼失より150年の筋目の年にあたる来年には、再建された鉾本体が姿を現し巡行列のしんがりを行く予定との事。この歴史的事業に立ち会える幸せを感じている。シンポは四条町大船鉾保存会理事長の松井米三氏の挨拶から始まったが、明治3年に再建を期して唐櫃巡行をしながら、新しい学校の運営費に町内の資金を使われ、町屋200坪も売却するに及び、断念された経緯などを話され(町内の財産である町屋はお囃子の練習などに使われるが、主にご神体や鉾などの神事道具の保管場所となる)。明治人の思いに目頭が熱くなる思いだった。わたしが京都に移ったころに居祭で観た大金幣の飾りが、いつのまにかなくなって、忘れてしまったような時期があったが、このたびの復活は本当に喜ばしい。
 鉾の復元設計をされた末川協氏の講演も興味深く、町内に残されていた水引幕(3枚つなげて船の片側を覆う)の長さが6m33cmであることを基準に、船体の全長を割り出し(これだけでは丸みが判らない)、前懸の形状から鉾先の幅や高さを推測。スリムで尖った形状をめどに設計されたという。この時、現存する船鉾の協力を受け、部材の実測から大船鉾の構造を導くやり方で、サイズを船鉾の1.126倍で算出、部材は144本(3次元のもの4本、後は平面図で作成可能)。鉾構造のポイントや屋根組の試作など身を乗り出す話が続いた。
 パネルディスカッションは、服飾評論家の市田ひろみ松栄堂の畑正高、京都青年会議所の大角安史、山鉾連合会理事長の吉田孝次郎の各氏で、いずれもお話上手で笑顔の間にしんみりする話題も入って、満足させてもらえる時間となった。畑氏は長刀鉾のお稚児さんをされた経験を持ち、現在は笛方だそうだが壇上で鉦をたたいて下さり、生き神様となる少年を「お稚児さま」と呼んで親愛の情を示されたし、市田氏は「修復など、祭を継続する努力は、精神的な連続性で、日本人の特性ではないか」と指摘され「絹の寿命は50年、重さで疲弊してしまう」と説明された。財産税と相続税の苦労話しや、父君の凛とした巡行のお姿を語る吉田氏など、祭を生きる町衆の気持ちを充分に感じた2時間だった。


京都市無形文化遺産展示室(京都ヨドバシビル 1階北東角)