《写真の方法》を考えるために


『6月』

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前シートから続いて、「話し始めた。「確かに日本の写真集は高いと思うな。僕はよく外国の写真集を本屋で見るんですが大体10ドル位の物が一番多いですね。そして特に売れている物や特に高い物はそのダイジェスト版が1〜2ドルで出ているんです。日本の本のダイジェスト版はあまり内容も製本もよくないけれど、外国のはそんな事はないですね。もっとも内容と言っても全部読んでもいないし、読んでも解らないですが。」と言い終ると今言った事を想い返すような仕草をした。」杉山茂太「《写真の方法》を考えるために」抜萃

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今回の『6月』展示では、写真カード下段に高校3年生の杉山茂太氏が中部学生写真連盟高校の部の機関紙『フォト・オピニオン』第1号に寄稿した「《写真の方法》を考えるために」の冒頭部分を印字した。用意した本人でも、この長さを展示会場で読むのは、疲れるが、1,200字あまりにもかかわらず多くの観客が、最後まで読んでくださった。名古屋の写真家などは字の大きさが読みやすくてちょぅど良いと云う意見であるが、皆様、有難うございました。お礼申し上げます。
 文中の煙草好きで「写真雑誌を読むことは良くない」と指摘する「長浜先生」は、当時の連盟顧問だった山本悍右先生を念頭に置いていたのではないだろうか、先生のご自宅や栄近辺の喫茶店の情景を、転記しながら想像してしまった。紙面では、この後に5つに区切った写真の歴史(1.ストレート・フォトグラフィーの確立まで、2.アバンギャルド時代と写真、3.フォト・キャンペーンとライフ、4.フォト・ドキュメンタリー、5.写真前衛とコマーシャル・フォトグラフィー)が26頁まで続き、主に海外の写真家に絞っての概説となっている。その中にはマン・レイへの言及もあって「レイヨグラムやソラリゼーション・フォトで知られ、画家としても有名なマン・レイはアイロンに釘を13本打込んだ『贈り物』を、マルセル・デュシャンは便器を『泉』として発表した。効用と機能が喪失したものは、それだけで風刺的な存在だった。このようなダダのオブジェはシュール・リアリズムにおいてさらに発展することになる。」としている。重森弘淹などの著作からの引き写しであるとしても高校3年生の文章として、非凡であると思う。

「雨の音が聞こえてくる。一瞬、部屋の中が静かになった。「近頃の学生の写真ね……。」と言うと長浜先生は煙管を取り出した。それを握り直すと銀色の包みから刻み煙草をつまみ出して、煙管に詰めた。しばらく煙管を左右の手の間で往復させていたがテーブルの上からマッチの箱を取った、そしてソファーに身を沈め、煙草に火を付けた。刻み煙草独特のやわらかく、ゆっくりと近寄ってくるような甘い臭いが広がって雰囲気が急に変ったようだ。」杉山茂太「《写真の方法》を考えるために」冒頭

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『フォト・オピニオン』第1号表紙 

12-13頁

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 『6月』が撮影される一年程前(1967年2月20日)に発行された『フォト・オピニオン』第1号を再読してみると、ディレクションと撮影を担当した表紙制作のアイデアについて杉山氏は、「一般の白の階調の上のクリアーな白」に気が付いたと書いている。また、本部役員の一人は「編集後記」の中で「希望のない人生が退屈そのものであるように、なやみのない人生もまた、退屈そのものであることを知っていたい。なやみは、希望ととも、人の心をそだて、深めていくための、大切な糧だと思いたい。」と、わたしが『6月』のラストで感じた事柄を、高校生達はすでに書いている。半世紀前の時代状況を加味するとしても、10代に感じた事は、変わらないのだとつくづく思う。