『キネマ / 新聞 / カフヱー 大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代』

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中村勝著・井上史編『キネマ/新聞/カフェー 大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代』272pp. ヘウレーカ刊 2019年12月12日初版

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 戦前の京都で短期間発行された進歩的な新聞『土曜日』(1936.7〜1937.11 月二回)と発行人斎藤雷太郎について、京都新聞の文化部記者中村勝が名物コラム「現代のことば」を舞台に99回におよぶ連載「枯れぬ雑草」で紹介した。中村は1940年山口県周防大島生まれ、1963年京都新聞社入社。本書は氏の没後(2019年1月 享年78)に井上史らによって連載を纏め刊行されたが、映画とカフェなど時代の諸相も語って興味深い。

 愚稿での引用は斎藤嘉夫による「父・雷太郎のこと」によった。引用箇所の前段に「父は幼い私をあらこちに連れて行ってくれたが、ある日、京都駅に汽車を見に出かけた。京都駅にはたくさんのホームがあり、次から次へと列車が入ってくる。しかし、ホームにいる人にはその列車がどこへ行くのか、わからなかった。先頭には行き先が表示されているのだが、それを見逃すと、どこ行きなのか見当もつかない。駅員に聞こうとしても駅員はいないし、行き交う人に尋ねても知らないという。ようやく」とあり、プログでの引用は下記。「駅員を見つけて、父は笑顔でこう言った『行き先を横に表示するとわかるんですがね』」、さらに「……」の部分を説明すると「駅員はまったく聞く耳をもたず、『そんなことできない』とけんもほろろだった。父は意に介さず、平然としていた」とある。子息は「いま、ご存知のとおり、電車もバスも車体の横に、行き先が表示されている。もちろん、父の提言でそうなったわけではないが、父はだれも気がつかない前に、こうしたアイデアを思いつく才能が合ったように思う。父が私によく言っていたのは、『ものごとをよく観察し、創意工夫』せよということであり、実際、自身も生活の中でもそれを怠らない人であった」(256頁)と続けている。

 

 これを読んでいて、名古屋駅に連れてもらったわたし自身の子供時代を思い出し、ウルウルとなったのを報告しておきたい。「父・雷太郎のこと」の文中で子息は厳しく躾けられた様子なども回想されているが、浄土真宗本願寺派の僧侶になられ父の法名を「雷光院釋刊曜」とつけられと云う。親子の情、とくに男の子にとっての父親の存在を、かみしめた。(合掌)