新選組で知られる池田屋事件といえば元治元年6月15日(今の暦で1864年7月8日)。池田屋(所在地は後に佐々木旅館となり、テナントビル時代には古書店があった)は三条小橋西で、刀傷の残る擬宝珠に極めて近い。抜刀したまま駆けてきたイメージだけど、実際はいかがか、歴史の彼方ですな。下掲写真に赤く丸印をつけておきました。
三条大橋擬宝珠刀傷跡(南側)
鴨川三条大橋
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こちらは、三条大橋から下流の四条大橋を望むパチリ、東華菜館のシルエットが美しい(写真に赤く丸印をつけました)。1990年代後半に三条・四条間にパリの「ポン・デ・ザール芸術橋」風の橋を新設する計画が発表され、景観論争となったことを記憶する。生田耕作が先頭になって反対運動を繰り広げておられた、前述の古書店主と生田氏の交流も特筆すべきことなのである。