ボイスルーム開設の頃

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 18日(火)に掲載したときの忘れものでの拙稿『ボイスのこだま』を読んでくれたコレクター仲間が「身につまされる」との感想を寄せてくれた。人生を懸けて惚れ込んだ品々の行く末を案じる気持ちは、お互い、痛いほど分かる。大先輩、伊藤信吾さんの心中を察して、しんみり話をしておりました(電話です)。

 京都でのテンポラリー「ボイスルーム」で、パチリをした中に、ボイスが亡くなった1984年に自室を改装し伊藤さんが展示公開されたボイスルームの案内シート(片面刷り)があったので改めて報告したい。氏はボイスは来日したけれど「依然として、謎と神話に包まれたままのような気がします」と、開設への思いを綴っておられる。「マルチプル作品約40点を中心に、海外での展覧会ポスター約80点、関係図書、カタログ、資料を含めた」展示でのスタートであった。予約制の運営で運営協力金の負担が600円、自室の所在は京王線初台駅から北へ徒歩5分の住宅地にあるマンション。清里現代美術館開設までの6年間の運営だったのだろうか?

  作家や評論家、美術館や画廊を紹介する記事は多いが、コレクターとなると少ないように思う。商業主義向きの「自慢話」ではなくて、人生を豊かにする「社会彫刻」を実践した「美術品」との出会いに関する記事となると……

 

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  掲載した2点の画像ともカードファイル越しのパチリなので、現物の魅力を上手く伝えていないかと思う。お許し願いたい。

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 後日、伊藤さんの教え子だった廣瀬友子さんから教えてもらったところによると、案内シートは1980年代に爆発的な人気を誇ったプリントごっこを使って廉価な用紙に刷ったものだと云う── 臨場感ありますな。

 ヨーゼフ・ボイスが伊藤さんの人生に与えた影響、生き方の成果であるような中学校での美術教育がどのようなものだったかを知りたい。ヨハネス・イッテンの理論やヘンリー・ムアーが登場した授業時間を生徒だった人から、さらに聞いてみたい。日本美術オーラル・ヒストリーでは美術家や画商などが人生を語り、HPで公開しているが、コレクターの生き様も取り上げてくれたらと願う。