さて、昼食は城から三キロメートル離れた田舎屋、ロレ・ド・シャンボール。内部には梁の太い木材が使われている。(72頁)
暖炉で燃える赤い炎を見ていると、広いホールが暖められているのを感じる。その暖炉の上には鉄製のアイロンが並べられている。数えてみると十三個、メーカーは異なるがほとんど同じ大きさである。マン・レイが後年のオブジェに使ったのと同じメーカーの物を探したが確認できなかった。(73頁)
さて、昼食は城から三キロメートル離れた田舎屋、ロレ・ド・シャンボール。内部には梁の太い木材が使われている。(72頁)
暖炉で燃える赤い炎を見ていると、広いホールが暖められているのを感じる。その暖炉の上には鉄製のアイロンが並べられている。数えてみると十三個、メーカーは異なるがほとんど同じ大きさである。マン・レイが後年のオブジェに使ったのと同じメーカーの物を探したが確認できなかった。(73頁)
2006年3月7日(火)
モーニングコール五時十五分、出発六時。今日はロワールに向けて五五〇キロのバス移動。日本なら京都から東京を超え水戸まで行ける。空は暗い。(68頁)
駐車場に戻ると小学生の一団がフランスパンを頬張っての昼ご飯。カメラを向けるとポーズをとってくれた。どこでも子供達は可愛い、わたし達の二人にもこんな時代があったのだと思う。(72頁)
城の前には森を切り開きどこまでも続く一本の道。切り開かれた樹木、地形の高さ等、完璧な左右対称となっているが、遠近法的風景の恐ろしさでもある。足元には雪が残り、風は冷たい。一六世紀、パリとこの城を結ぶ直線を地図上に引き、土地の起伏、岩石の有無、工事の難易度とは無関係に権力者によって、権力を誇示するために造られた道。馬に跨った騎士や貴族、輿に乗って運ばれる貴婦人を、召使いや奴隷の一団が随行して取り囲んだ。一本の道をやって来た城主は、その道をパリまで帰っていく。封建時代の飾り、権力の象徴として造られた城。(71頁)
何処が入口だろうかと思う程続いた後、左に折れてレプュブリク門をくぐった。旧市街は一直線で法王庁の方へ続いている。今は冬の季節、芽吹き前の街路樹はキュビスムの絵画だ。(57頁)
市役所前のロルロージュ広場には観覧車、細い通りに入って法王庁宮殿に出た。白い石造りの要塞のような建物が窪地になった空間から始まって奇妙な感じだ。青い空につながって金色のマリア像。(58頁)
ブラッスリー・ル・シントラはジャン・ジョレス大通りに入って直ぐの左手にある。ガラス張りのカフェ・スペースから店内に入るとマハラジャに仕えるインド像のタペストリーが飾られたエキゾチックな内装。時間は一時過ぎ、飲み物を聞いて回るギャルソンは、要領が悪くて把握できないままテーブルクロスにオーダーを直接書きつける。(57頁)
---
わたしの方もフランスの書店チェーンのフナックが途中にあったのをチェックしていたので覗いてみる。一階はCD、ビデオ、二階が書籍で、アートの棚でマン・レイを捜した。近年刊行の廉価版、画集や写真集が見つかると期待していたが、何も見つからない。それで、若い女性に尋ねてみたが、ダメだった。(58頁)
集合場所に指定されたロルロージュ広場をポプラがぐるりと囲む。今は風が強い季節なので椅子やテーブルはかたづけられている。やがて春が訪れると、人々は集まり身体と心を解き放って光を浴びるだろう。(61頁)
国旗が掲げられているのが市庁舎で、空はどこまでも青い。(48頁)
一〇〇年の後、壁を黄色に塗って「光」を抹殺した観光地の名所は「カフェ・ヴァン・ゴーグ」と名乗ってわたしたちを迎え入れる。壁の黄色は過剰な演出、夜空に輝く星の光が地上に反射して明るく照らすといった昼夜にわたるサービスぶり、それもしかたないか。(54頁)
2006年3月6日(月)
ジョン・ジョレス通りを進んで革命広場へ。中世の石畳の上にオダリスクと噴水。四方に向かってライオン、モーゼの口からは清い水が落ちている。(48頁)
---
右手にあるのは、正面のポルタイユ(装飾彫刻のある門)が素晴らしいサン・トロフィーム教会。扉を開けると老人が一人、ナルテックスからわたし達を奥へと導いてくれた。(48頁)
聖堂内部に他の人影はなく、自然の光が側廊に満ち溢れ、信仰の重さが床の辺りに漂っている。ロマネスクとゴシックが混在するこの教会では、ステンドグラスの色 は控えめで、交差部の辺りでも光は本来の姿を留め、中世からの祈りの時間を封印している。(48頁)
---
18.8×13cm pp.110 書誌よろず屋発行 限定500
---
林画伯のブログ(sally-summus)の一部が書籍化された(2006年5月から2008年12月迄)。 氏のブログはNo.2となって現在も続けられているが、上桂から桂へお住まいを移された頃の多忙な様子、東京での活躍、楽しい京都、大阪、神戸の日々。古本好きには有益な情報満載で、今も色あせない。
上梓されたので早速手に取ったところ、当時(15年程昔です)の思い出が蘇り、記憶を補正する行間で、休憩するのももどかしく、一気に最終頁まで走ってしまった。林ワールド満載。コロナ禍の自粛要請化では、夢のような人々との交流、飲み屋さんに、東京に出かけたくなりました(感謝)。
尚、本書は銀閣寺前の古書善行堂で取り扱っている。販売価格・税込1,000円。↓
細長い広場の突き当たりには、濃い黄色に塗られた五階建ての美しい館、この最上階には晩年のマティスが住んでいた。画家が描いた室内風景の幾つかを思い出し、部屋からの眺めを想像する。(37頁)
---
車に注意して砂浜側に渡ると、アンジュ湾の海岸線がはるか彼方まで続いている。人々は海を眺め、椰子の葉が風に揺れる。京都市美術館で昔見たラウル・デュフィの油彩『ニース、天使の入江の夕暮れ』(一九三二年)の世界だ。あの絵に惹かれたのは、視覚じゃなくて、身体に当たる潮風の香りにあったのだろう、しばらくして広場に戻ると、北側に陽が当たり、腰掛けてお茶や食事を楽しむ観光客。印象派の画家たちも何処かのテラスに居たのだと思うと、目の前の人達に混じってゆっくりしたくなった。(39頁)
---
https://www.librairiemassena.com/librairie-de-nice/ssh-5277
---
昼食の店は、一筋入った裏通りにある劇場を改造したビストロ・フェロ、 舞台に設えられた厨房が、豪華な幕の間から見える。連続した一幕劇の趣向だ。エデット・ピアフも出演した舞台、アール・デコの内装はヨーロッパ的で楽しい。ニース風サラダの後に運ばれた自慢のブイヤベースは、スープは少ないが、ムール貝や鮭等の魚介類がたっぷり入って美味い。(35頁)
バスは岩盤内の駐車場へ。エスカレーター、エレベーターと乗り継いで六〇メートル程の崖の上に出る。(33頁)
---
海洋博物館前に置かれた玩具のような観光列車や深海探査艇も興味深いが、道なりに現れた白亜の大聖堂が素晴らしい。創建一八七五年のロマネスク・ビザンチン様式。中に入るとパイプオルガンと聖歌隊の歌声。(33頁)
歴代の大公と共に王妃グレースも眠っている。ミモザの花で飾られたグレース・パトリシア。清楚でエレガントな彼女は『ダイヤルMを回せ』『裏窓』『泥棒成金』等のヒッチコック作品にも出演しているのでわたしにも近しい。フランス語がしゃべれずモナコの人々にうちとけるまで苦労したが一男二女をもうけて次第に公務も積極的に努めるようになったと云う。(33頁)