写真のクラシック・ベンツは京都産業大学公用車第1号(1964年取得、2015年同学自動車部より寄贈)だそうです。170Vは1952年製造、4輪独立懸架採用、木骨銅板構造流線型。車種は4ドアのセダンタイプの他、2ドアのカブリオレ、スポーツカー、救急車などさまざまあり1936年から55年まで展開したもよう。同大学のむすびわざ館で展示される170Vは、手入れが行き届き、惚れ惚れするようなスタイリングで、魅力を振りまいている。古きよき時代の結晶ですな(眼福)。
1959 PHOTOGRAPHY ANNUAL 28 × 21.6 cm pp.242
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ジョニー・デップが製作/主演した映画『MINAMATA―ミナマター』で再び注目されている写真家のユージン・スミス(1918-1978)。60年代後半から写真表現に開眼した小生にとって、気になるグラフジャーナリスムの写真家なのだが『水俣』に関する写真集などが、今は手許にない。それで、35頁にわたって一挙に彼の『ピッツバーグ』を掲載した1959年の写真年間の頁を捲っている。『現代写真の名作研究』(1970年)で著者の吉村伸哉は「スミスの写したピッツバーグは、なぜか全体に暗く澱み、そこを行きかう人たちは、小市民的な日常性のなかに沈みきっているように思える」と感想を述べ、広角レンズの流行に決定的な役割をはたした写真家は、「編集的歪曲に厳重に抗議しつづけてきたガンコな芸術家」なんだと紹介した。
写真集より、雑誌などの表現、わたしは好きなのであります。
京都に移り住んだ頃から、マン・レイに狂いはじめ、手書きでマン・レイTシャツなどを造っておりました。撮り鉄とは疎遠になったのですな。独身時代の懐かしいお座敷暗室を思い出します。世帯をもってからはホームでパチリが専門です。
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奈良で遊んだのは1979年だったか。写真は大和西大寺駅での乗り換えでパチリ。
12200系(新スナックカー) 羽根付き特急マーク、スナックコーナー設置(不明) 1969年より製造。
西大寺・橿原神宮間 急行 800系(802) 1955年新造の高性能通勤電車、正面非貫通流線型軽量車体。奈良線特急としても運用された後、生駒線等へ転用。
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世帯を持った頃のパチリ、下図は明治村を訪ねた折ですな。
京阪・四条駅(地上駅時代) 京阪電車京都線特急テレビカー 旧3000型第一次車(3504) 1971年8月デビュー 画面右奥に東華菜館が認められる。1982年頃
Bunkamura ザ・ミュージアムで9月6日まで開催されていた『マン・レイと女性たち』展の作品が、中国に渡り北京の美術館・木木美术馆(M WOODS MUSEUM)で展示されている(会期は10月1日から来年の1月2日迄)。同国の国慶節休暇に合わせ多くの観客が訪れたと云うが、展示の様子などが判らなかったので紹介が遅れてしまった。
「マン・レイ」の中国語表記は「曼・雷」。これまでも、ネット検索しておりましたが、いよいよ、彼の国にも浸透してきましたな、競争相手が増えて恐ろしい。
自動翻訳の助けで簡体字をなんとなく読んでいると、「アジアではこれまでで最大規模の個展」とあって、首をかしげた訳だが、1921年にマン・レイが初めてパリで個展を開催してから100周年となるのを記念しての展示だと云う。巖谷國士らの監修によって日本で同じ作品を使い「マン・レイと女性たち」の対等である関係に焦点を絞ったのとは違い、「240点以上の作品を展示し、マン・レイの多様な芸術活動を徹底的に検証、探求」するようである。
展示やネットでの画像を観ていると、日本と同じように性的表現は穏便なものに差し替えられ(展示キャラバンに元々、含まれていませんな)、優しげな関係性に終始しているように思われる。
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展覧会の副題とした「白昼纽约,午夜巴黎」は、「昼はニューヨーク、夜はパリ」の意味だと思うが、雅昌技术网の会場レポートには、マン・レイが活躍した時代・地域毎に分かれたセクションの序章に至るには「白い風船で満たされた廊下を通らねばならない」「風船回廊」が設けられ、リブレリ・シスでのマン・レイ個展へのオマージュとなっているようである。これは、楽しいアイデアですな。
M WOODS MUSEUM 798 Art Zone D-06,No.2 Jiuxianqiao Rd, Chaoyang, Beijing
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木木美术馆は、コレクターによって2014年に設立された独立した非営利組織で、2020年に中国国家の正式な遺産博物館の資格が与えられ、二つのギャラリーとナイトクラブなどを持つに至った複合的な施設。ロンドンのテート・モダンなど他国の美術館とも連携し国際的な活動を展開していると云う。
さて、この展覧会は北京の後、青島のTAG Art Musuemに巡回。その後、日本に戻り4月17日開催の長野県立美術館での展示へと移動する。同一作品が国によって、異なる切り口で展示される。とりあえずは、北京でのカタログの到着を待つことにしたい。
「菓子職人抹茶トリュフケーキ」は濃厚でほろ苦くてたまりませんな、このところの拙宅人気商品。チビッコはホワイトショトやいちごショートを選んでおりました、ほっぺたベトベト、「あ! カメラパチリの前にトリュフ食べてる」(ハハ)。
〇間-MA- 京都市南区西九条比永城町59
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先週、健康ライド外周コースで九条通りを走り、東寺を過ぎ大宮を下がって気になるスペース「〇間-MA-」を訪ねる。目的は蔵を改装した古本ショップ「つるかめ書房」。看板などを掲げていないので、謎の雰囲気。炭屋などに使われてきた建物をセルフリノベーションし、京町屋の雰囲気を演出、日本茶を専門とし料理も提供されている。この店、最近の雑誌での露出、半端ではありません。わたしも、つられて立ち寄った一人ですが。元々の町家にあった招き猫や高張提灯の他に、あらたな骨董品が持ち込まれ、飾られている。
半眼微笑の仏頭がよろしいですな。
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つるかめ書房は、店舗奥の蔵を整理した二階構造。いろいろと本はありますが、小生とは傾向が異なりますな。若い人は喜ぶかもしれません。確認すると箕面の古書店・ひなたブックの京都店だそうです。
2021.10.5(火)
昨日、お使いで大丸百貨店へ行くと映画『燃えよ剣』のパネル衣裳展が催されていた。最終日との事。栗塚旭演じる副長・土方歳三ファンとしては、新作の岡田准一土方が気になります。原作: 司馬遼太郎、監督・脚本: 原田眞人。東宝系での映画公演は10月15日から。
大丸での展示は、隊員が着たとされる「だんだら羽織」が、京都の呉服店だった同店が注文を受けたという逸話に基づいた企画で、当時は一般的だった麻を、草木染めで浅葱色に仕上げたと云う。京都の老舗・千穂や染司よしおかなどが協力されたそうである。尚、パネル衣裳展は5日(火)で終了してしまいました。
そんな訳で、午後の健康散歩は屯所であった八木邸辺りをブラパチ。
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さて、2019年2月9日の午後、妙心寺で映画のロケと遭遇したのですが、この映画のシーンとは知りませんでした。なので、SDカードの画像を取り出し検証。予告編からすると、浪士組が京都に入った場面の撮影だったのでしょうか?
高嶋政宏さんが、清河八郎を演じられていたのですな。出待ちのエキストラの皆さん、よろしいですな。
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1863年、浪士組を束ね上洛した清河八郎が将軍警護ではなく「尊皇攘夷」に投ぜよと大演説をした新徳寺(新徳禅寺)。江戸に戻った清河は同年4月麻布で幕府の刺客によって斬殺される(享年34)。
新徳寺(新徳禅寺・臨済宗永源寺派)。
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©Kenichi Sohara, 1969
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東人の友が曾原健一さんのレポートが掲載されている鉄道ジャーナル誌資料を送ってくれた(深謝)。メモリアル第1回で言及した「関西線の赤ナンバーC57最終運転」は1970年1月号。氏は同年6月に近鉄鳥羽線・志摩線開通のレポート『真珠の海へ走る特急』、1973年2月に名物企画・連載ドキュメント'追跡'のひとつとして、1930年に誕生した近鉄(参宮急行電鉄)のデ2200系を取り上げ、愛溢れる『戦前私鉄界の花: 近鉄2200の一生』を寄せている。形式写真も含めた豊富な図版には、氏によるスケッチ画もあって、2200系登場時の独特のフェースへのメッセージが心地よい。氏はレポートの最終段に「ダブルタイフォンの響を青山山系の谷間にこだまさせて走る<2200>の雄姿を想像するだけでも楽しい」と書いておられる。生きていてくれたらと、思うことばかり。謹んで故人のご冥福をお祈りしたい。
12.8×18.3cm
油菓子 ハイカラ(袋) 150g
油菓子 カカオ(袋) 150g
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ニューケンピは大阪・中崎町の芋けんぴ屋さん蜜香屋のスグレモノ、TV番組『マツコの知らない世界』で紹介されたらしいけど、美味しいですな。袋には「大陸の香気漂ふ 美味なる逸品 ニューケンピ」とあります。原材料はさつまいも、米油、砂糖、カカオパウダー、水飴、カカオ豆、塩。これにハイカラの方はカカオ豆に変わってコーヒーと蜜香紅茶が加わります。
2021.10.2(土)
会場: メリーゴーランドKYOTO 中央油彩『トラディショナル』
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午後から四条河原町下ルの壽ビルディングへ出掛け、林画伯の個展『詩人の肖像』を拝見した(10月13日迄・木曜定休)。展示は物故の詩人、画家、音楽家などを描いた油彩画を中心に、水彩画、コラージュ、古本などで構成した林ワールド。「自分の顔に責任を持つ年齢」をはるか昔に超えてしまった小生には、画伯の筆先から生まれた柔らかい頬や唇に「身体や周囲の人たちへの責任」もあると改めて考えさせられる鑑賞となった。最近は体幹の衰えを自覚するので、他人様にどのような顔を向けているのかと、不安になるのですな。画伯の絵から頬にスリスリしたくなるような温かみと、唇にキスをしたくなるエロスを感じるのです。スクリーンや書物の中で生きているイメージを記憶から取り出し、会場で重ねると哀愁が漂うのです。これが歳をとったと云うことかしら。
『T.H.』(上段)、『Hope』
『澁澤龍彦』
『坪内祐三』
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林画伯の仕事を拝見しながら、描かれた著名人の人柄や作品へと導かれるのではなく、その人にまつわる人たちを目に浮かべたのは、どうしてだろう。例えば若い頃に熱中した澁澤龍彦からは悲しげな矢川澄子を、1979年に亡くなった女優のジーン・セバーグからは『勝手にしやがれ』で共演したジャン=ポール・ベルモンドを(先月6日に訃報に接したばかり)、坪内祐三の水彩スケッチからは、『ツボちゃんの話』を著した佐久間文子を(坪内は今年の1月に亡くなり、林画伯は追悼文を発表されている)…… 故人の肖像から「周囲の人たち」が自然に語り出すのは、魅力のある表現故だろう。あるいは、わたしたちの年齢に起因するのだろうか。
身につまされる『自画像』を拝見しながら、自身を真摯に見つめ続けなければならない、画家の仕事と云うのは、大変なんだと思った。気楽なカメラ・パチリの小生など、健康散歩のノルマ5,000歩でお茶を濁すばかり。いけない、3時間は外出したのに歩数2,792 今日は落第でした。
林画伯
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詳しくは画伯のブログdaily-sumus2を → https://sumus2013.exblog.jp/32424523/