2003.7.1-7.31 マン・レイになってしまった人

July 31 2003

7月度の営業成績は昨年より悪かったが、それでも、今期目標を110%クリアしたので、充実した気分を持って帰宅。


July 30 2003

知立のY氏と電話でいくつかの会話。やはり彼が所持する『セーヌ左岸の恋』はオランダ語初版だった。昔、源喜堂で買い求めたとの事である。古い友人は、共通の過去を持っているので心強く、また、悲しい。この感情はどこから来るのだろうと考える。写真と云う自己表現に懸けた青春の情熱といったものは、夢と希望と挫折の後に、現在へとつらなっている。なろうと思った人物からは程遠く、妥協の顛末としてある自分。それでも、ここで生きていかねばならない50歳を超えた今、30年以上前の感覚が心の隅で燻っているのを感じる。何故だろう。やはり、なろうと思った人物になりたいのだ。

 未知の読者からのメールに返事を書き込み、送付する。新しい出会いを何時も期待。


July 29 2003

知人のUさんからスズ虫をいただいた。「日録」を書込んでいる今も涼しげに鳴いている。


July 28 2003

蝉時雨。昼休みに読書。エド・ファン・デル・エルスケンの『セーヌ左岸の恋』は、わたしたちの何人かにとってバイブルだった。残念だが、わたし自身は出会いを逸してしまっている。それで、写真集の記憶を思い出しながらの読書だが----「エルスケンがテキストを母国語で書き、デザイン全てに関わったと言われるオランダ語初版を「原版」と見倣すと、----(略)----そして、蘭・独語版と英語版との、最も重大な異同は、英語版では何と、最後の一ページが削除されてしまっているという点である。この写真集の刊行当時、多くの日本人写真家たちはおそらく英語版を手にしたであろうから、現在流通している日本語版も含め、私たちは実はこの物語の「本当の結末」を知らないで来たようなのである。」(『<パリ写真>の世紀』391-392頁)
 あの本が描く世界には違和感が残ったままであるが。20歳の頃に四日市のS氏宅で手にした本は、どの版だっただろう。あるいは、知立の友人Y氏が保管している一本には、エルスケンのサインが入っているはず、これもどの版か気になる。
 今橋映子さんの本を読みながら、言及されている写真集をインターネットの検索エンジンで探す。マン・レイ関連の書籍を新たに買い求める場面(検索のみて、購入まで進むのは年に数回)が、殆ど無くなった現在、価格を確認すると、今からでもチャレンジ出来るので、パリ本の写真集収集にターゲットを拡げてとも思うがどうだろう。しかし、昔、パスしたりした本を再度、追いかけるのは、潔くないな。


July 27 2003

ビールのストックが増えたのでプチ・リッチな気分。終日、家の用事。例えば『<パリ写真>の世紀』の「この何とも奇妙な「友人関係」をどう説明したら良いだろうか。それは、例えば1920年代モンパルナスで繰り広げられたような仮装舞踏会の「狂乱」でもなく、バウハウスのような「組織」でも、シュルレアリスムのような「運動」でもない。画家、詩人、写真家といった多領域の人間がいるからといって、彼らが完全に「コラボレーション」を目指していたわけでもない。むしろそれは「友情」を基盤にした、創造的精神の共同体というべき風景なのである」(199頁)と云った記述で過ごす午後。「友情」か-----未知の読者がメールを入れてくれて、新しい出会いが始まらないかな。このをクリックしてくれると嬉しいのだけど。


July 26 2003

午前中に理髪店へ。待つ間『<パリ写真>の世紀』を読む。自室よりも、外の方が楽しい。電車の中や店で刺激的に読む方が言葉が生きる気がする。午後、次女が書道を習っていて、京都市美術館での発表会に「夕陽千樹鳥聲寂源月一庭花影深」と読んだ漢詩を出品しているので、出掛ける。真面目で素直な筆運びをする娘だ、軸装の右下に銀色の短冊「準特選」を頂いたので、何枚か写真をパチリ。還ってきたら床の間に飾ろうと思った。ギャラリー16、三月書房等に寄ったが、早い時間に帰宅。


July 25 2003

職場の南面は駐車場も兼ねた空き地で、午後から二回ほど休憩に出る。わたしは煙草を呑まないし、一般的な会話と云うのもニガテなので、簡易なベンチに一人腰掛け、欅並木のあたりを流れる雲を見たりするのが好きである。この夏は涼しく、高原のような風が流れている。会社の今後の姿と共に、足の疲れが取れないのが心配事としてある。西側に植えられた向日葵の花々も、首の所から切り取られ、傷口だけが斜めに地面を差して、花頭の重量を連想させる。向日葵という花は、わたしには重い。首を落とされた死人の霊が姿形に立ち表れていると怯える。いやな花だ。


July 24 2003

『<パリ写真>の世紀』を読んでいる。


July 23 2003

雨。朝顔もつぼみを出さない。


July 22 2003

今橋映子さんの『<パリ写真>の世紀』(白水社 2003年刊)は期待できるぞ、さっそくにこんな記述を発見「写真家たちの側から見れば、発表の媒体は、雑誌/展覧会/写真集という三つの可能性があった。特に1930年代以降、写真家たちがフォトジャーナリストではなく、アーティストとして熱いまなざしをむけたのが、<写真集>という領域であった。----どんな写真を、どんな順番とレイアウトで、どんな文字テクストと共に構成するのか、写真集はそれ自体が<物語>である。」(39頁)、これは、いいね。通勤のお供から書斎の仲間になっていく。


July 21 2003

東寺の講堂、金堂、左手奥に五重塔が見える。
下段写真は講堂の菩薩部の仏様達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎月21日は弘法さんの縁日。休日でもあり久し振りに東寺へ出掛けた。本日の骨董はガラクタすぎるけど、縁日の雰囲気は好きだ。5時頃、雨だったので出店は少なそう。ブラブラ覗きながら、大師堂をお参りする。優美な屋根の勾配が雰囲気のある空間。信仰とともに、わたしも手を合わせる。出店の通りで知人にバッタリ、写真をパチリ。密教美術の優品を楽しみに見学コースへ。純和風の組み物も美しい五重塔に近付き、木々の緑と360年程を経過した木の端正な黒が、眼に心地よい。博物館で仏像を観る事の楽しみとは別に、金堂の内部に漂う光と線香の香り、手を合わせる人々の心の先に仏様の輝きがあるのは良いな。美術品ではなくて、仏様なんだよね-----当然だけど。
 講堂に再現された立体曼陀羅の世界。密教世界が具現される明王部、如来部、菩薩部は21尊で構成されているが、薄暗い講堂内で無我の心境。やがて国宝と重文の違いを考え始めたが、鵞鳥座に座する梵天象座像(木造・国宝)に惹かれた。右側のお顔が、ちょっと自己を投影するんだよね。マン・レイによりそうわたしのよう。解説を読むと梵天は「天地創造の神」でもある。わたしでもある彼がもっているのは、何だろう筆のようでもあるが、気に掛かる(註)。密教世界の完成図であるが、仏様達の後ろ姿を眺めながら、密教って、光と闇の混合世界だと思った。

註: 獣毛や麻等の繊維を束ねて柄をつけたもので払子(ふっす)と云う。虫や塵を払う道具。僧が説法などで威儀を正すために用いる。

 


July 20 2003

九州では梅雨明けの集中豪雨で被害が出ている。新聞やテレビを観ながら、治水は古来からの大問題だと思う。暑いので気持ちよく風呂掃除をしながら、水のあふれる美しい国の事を考えた。湿度のたっぷり詰まった、われわれの情緒といったもの。その後、掛け軸を夏用に替える。壇ノ浦の静御前(?)を描いた、黄昏れ時の涼しさが漂う一品。
 「日録」を書き込みながら、松田元氏の篇・画になる『祇園祭細見』(郷土行事の会 昭和52年刊)をパラパラと読む。写真よりも画の方がイメージが湧いて良い。4時頃、アメリカの雑誌記事を拾い読み(拾うだけで、何も理解出来ないけど)、気分転換に簾を取り付け夏対策を進める。


July 19 2003

家族がそろって平穏無事でありますようにと「鯉山」で求めたちまきを門口につるし、新しい一年の厄除け、災難除けを託す。

しゃしんのいえ きたお
中京区西ノ京内畑町

 



 午後から自転車で出掛け、付き合いの写真展を覗く。ニッコールクラブだから、技術レベルはたいしたものだ。その後、走っていたら、正反対の驚くべき家があった。壁面、家屋内、天井も含めいたる所に写真が貼り付けてある。北尾健一さんの自宅と彼が写真に撮った、場所や時間が通底している異様なアルバム世界を観せられてしまった。写真好きなわたしとしては、このような家に住む事の恐ろしさと、住んで、発表したいという、方向が入り交じる。なんとも凄まじい。路地に内水をしている主人のスナップを撮りたいと思ったが、話しかけるチャンスを作らせない、バリヤーを感じた。自己の内的生活を異様に表出させながら、写真を鏡とするような姿勢、貼ってあるのは、これを観る側の世界だと、主人が発言しているような気配を感じた。

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 以前から気になっていた夷川堺町の『堀野記念館』を覗く。キンシ正宗で知られる京の造り酒屋の本宅で町家文化の博物館として8年程前に開館したという。この地には名水「桃の井」があり、昔は100以上の造り酒屋があったという。御所に近くて白木家など裕福な家も多く、南北に門のあった町内らしい。酒蔵と文庫蔵の他、京都人の知恵が生かされた町家の構造を楽しむ。座敷や鶴亀の庭等を気楽にスナップする。庭の石灯籠が傾いているのは、二度の大火(天明と蛤御門)を潜り抜けた、堀野家の歴史の証だとの説明を聞いた。300円の入館料で試飲をいただけるのは嬉しい。飲み比べると「大吟醸」がさすがに旨い。地麦酒も飲んで、良い気持ちになってしまった。

 その後、三月書房、メデイアショップと寄り、府立図書館で今橋映子さんの『<パリ写真>の世紀』を借りた。

 

名水「桃の井」の井戸

 

 

 

 

 

 

 

 

 




July 18 2003

今日は仕事が忙しかったが、明日からは三連休。とりかかっている原稿をすすめなくては、図書館にも行きたいしビールも飲みたい。
 さて、通勤のお供にラッセル・ミラー(木下哲夫訳)の『マグナム』(白水社 1999年刊)を読んでいる。報道と芸術の相関は、写真家に付きまとう何時ものテーマであるが、本書では、どちらに体重を掛けるにしても現場に居なくては写真が撮れないという、エピソードが散りばめられているので、楽しむことが出来た。作品と名前を知っている写真家の生身の人間としての部分がやはり興味深い。それにしても、アンリ・カルテイエ・ブレッソンに影響を受けたメンバーの多さには、納得と戸惑いの感情が混在する。わたしならどうだろう、「決定的瞬間」といったものには知的な装いが感じられて、そこまでは、といったところかな。
 しかし、内容は面白いのにこの本は読みにくい。量が多いために詰め込んだ弊害が現れている。各章の終わりにインタビューが載っているのだが、本文との差異を付ける書体に、さらに一工夫あっても良いのではないか。又、本文の太字で強調した箇所も統一性に欠ける。わたしの読解力では著者が、何故、強調したいのか理解に苦しむ部分が多い。 



July 17 2003

新聞に昨夜の宵山は46万人の人出とあった。今日は巡行、夕刊には「夏の日差しが照りつける都大路に見物客17万人」とある。今年は雨よけのビニールが掛からず、懸装品が良く見えてステキだろうなと推測。内勤者のわたしは、外に出掛けず仕事。休憩で散歩したら暑い。


July 16 2003

出掛けるのが遅くなったが、久し振りの宵山長刀鉾、孟宗山、占出山、山伏山、鯉山、黒主山、鷹山、八幡山、北観音山等を覗く。屏風飾りで京の町屋にためいき。気楽なスナップをいくつか。そして、30年来ひいきの「鯉山」でちまきを買い求める。その後ブラブラ歩きATHAで生ビールを二杯。酔っ払っているので「日録」の書き込みは、これで、ゴメン---おやすみ。

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鯉山の厄除けちまきには『登琉門』の説明がある。

出世、栄達の第一歩を意味する目出度い言葉です。中国黄河に龍門という激流の難所があり、鯉がここを登り切って龍になるという古事から、人生の難所を突破し、成功と繁栄をかち得る事が出来るという貴い示唆を持つ盛運の比喩とされて居ります。

 京都に来た最初の年から「鯉山」に惹かれた。16世紀中期のベルギーで織られたタペストリー、トロイ戦争を題材としたホメロス叙事詩イーリアス」が素晴らしかったのと、「明日は出ません今晩限り、蝋燭一丁献じられましょう、ろうそく一丁どうですか ちまきどうですか。」と歌う子ども達の声、蝋燭の灯り、町会所のたたずまい。 自転車で走り抜ける町の、はれのたたずまい。さすが1,000年の王城の地。



鯉山の駒形提灯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

     

 

 

 

 

 

 

 

 

鯉山の町会所飾り。
胴掛、見送り、後方右に
「勇ましく滝上りする鯉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

     

 

 

 

新町通り三条下ルにある
町家・大西家の屏風飾り。
若沖の絵柄も観られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

     

 

 

 

July 15 2003

歩行者天国となった四条通
函谷鉾が認められる。
鉾頭の三角形は山、三日月は夜半を表している。

 

 

 

 



カメラを持って出掛け、夕方、宵々山の街にあがった。歩行者天国バツグンのロケーション。風が心地よく白楽天山、鶏鉾、函谷鉾を観た。祇園囃子を聞くと血が騒ぐ。遠くからでも鉾頭で鉾の名前が解るが、明日は時間を作って宵山を楽しみたい。京都生まれの家人にとっては祇園祭も、隣の町内の祭りといったスタンスなので、一人でブラブラかな。


July 14 2003

地下鉄で宵々々山に出掛ける浴衣姿の娘さんを多数見かけた。四条烏丸で地上にあがれば鉾町なのだが、気分がのらなくて、そのまま帰宅。月曜日は重い。


July 13 2003

風呂掃除

 

 

 

 


今朝も雨。家の前をパレードが通りブラスバンドの賑やかなマーチで目が覚める。ちょっと二日酔い。昨夜の写真を現像に出して「日録」を書き込み、風呂掃除も。結局、雨は断続的に強く、終日降り続いたので街にも出掛けずに終わった。夕食は胡瓜のあんかけと鱸の塩焼きにビール。本を読んだりして過ごす。



 

July 12 2003

夏のPHOTO PARTY in 先斗町
at co*myon tour

 

 

How are you, PHTOGRAPHY?による、夏のPHOTO PARTYが先斗町のコミョントゥールで開催されたので出掛ける。床でくつろぐ人達を見下ろす二階の会場。展覧会の参加者や写真好き、浴衣姿の女性陣、好奇心旺盛な若者(わたしのような中年、老年も混じっているけど)があふれ、活気と期待がひろがる。今冬の各会場参加者名が貼りだしてあったので出品したくなったが、作品を観て何かコメントを寄せるのも参加の一形態かと思いとどまる。写真集作りのレクチャーをしてみるのも楽しいねとTさんと話す。ポラロイドで祈りの形を捉えるSさんの新シリーズ制作現場ともなっていた。画像が浮かびあがる過程に宗教性が感じられて、恐れと深淵を垣間見る。いろいろ話をしながらビールばかりをグビグビ。OさんのライカM5を持たせてもらいその重量感に感服。軽い我がリコーGR1Vでスナップ写真をパチリパチリ。気軽さが良いよね、でも、写真はハードで決定されるとも思ったりする。

 二次会でATHAへ移動。店頭の看板の上にグラスを置き、入れ替わり、立ち替わりのバカ話しをえんえんと、野外でグビグビ、いや気持ちが良い。



木屋町から河原町へブラブラ
メディア・ショップを覗く。

 

 

 

 

 

 




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寺町二条下ルのATHA
二次会の盛り上がりは店から溢れ、
道路にテーブルを出した参加者はワイワイ。











ATHAの隣は酒屋なんだよね。



 

 飲み過ぎて、当夜の記憶を失しているのに、写真に写っているのが恐い。一週間後、追加の現像を出したら、テーブルが出され、中村きょうさんが白ワインのサービスをしていたり、御機嫌な森岡パパや道路でひっくり返っている人がいたりの映像が浮かび上がり、撮った本人も驚いてしまった。何も覚えていないんだよね。長女と一緒に飲んでいるのに、これではね、反省、反省。

 

July 11 2003

その場では、それほどでもなかったが、後になるほど怒りが湧いてきた。 ホームページの展覧会コレクション・リストに追加アイテムを4点書き込む。


July 9 2003

決算で忙しい。


July 8 2003

帰宅したのは遅かったが、昨日の売り主に感謝のフィードバック・プロフィルを書き込む。その後、ビールを飲んでいたので精度はおぼつかないが、名古屋でコピーした資料を使って『DADA AMERICANO』を作成。モノクロでしか再現出来なかったが、「NEW YORK DADA」オリジナルに準じたサイズの手触りが、内容を理解するには必要だと自己満足する。


July 7 2003

Man Ray's Exhibition Poster
at Louisiana Museum

 

 

 

南フランスから、最高のポスターが到着。オークションから25日経過していたので心配したが、ホットした。アメリカでも同様だと推測するが、地方都市と郵便のやりとりをするのは大変だ。現物を手にするまで、ひたすら待ち続けるのだからね。本はなれているけど、ポスター等を入れた筒状の荷物となると、お天気まかせといったところだろう。

 1971-72年にかけて、大規模なマン・レイの回顧展がヨーロッパの三箇所で開催された。ロッテルダムのボイマンス美術館、パリの国立近代美術館と続き、最終開催地はデンマークのハムルバックにあるルイジアナ美術館、3月18日から5月7日までの会期だった。ルイジアナってアメリカの?と、オークションに気が付いた時、疑問に思い、ネットで検索したり、1972年をキーに資料を調べたりした。直ぐに前述の回顧展と判明したが、日付の入った展覧会のポスターに魅せられているわたしは、オークションでの作戦をいろいろ考え、万全の態勢で望んだ。-----成功したのである。  ポスターの図柄は自然絵画で描かれた「マン・レイ」の文字で、存在感にあふれ素晴らしい。サイズも85x62cmで満足。部屋で使っているアクリル額からはみ出してしまうので、広げた後、筒に戻す。ちょっと残念。これを飾れる額が欲しいな。

 


July 6 2003

 

 

 

父親の墓参りに行く。

 

 

 

 

 

 

July 5 2003

愛知芸術文化センター
アートライブラリー

 

名古屋に帰る用事があったので早く出掛け、午前中に愛知芸術文化センター(栄)図書館のタリカ・コレクションを訪れ、『ニューヨーク・ダダ』の復刻版をゆっくり拝見する計画を立てた。昔、丸善で完璧なオリジナルを見た事があったが、今回は復刻とはいえ手にする事が出来て至福の時となった。貴重本だが、閲覧も稀なのか状態はすこぶる良い。テーブルに置いて写真を撮ったり、コピーをしたりした。復刻なので、表紙の印刷が甘くなったり、スティーグリッツの写真に皺があったりするが、触れるのは幸せ。書架から取り出してもらった時、これが1970年11月にシュワルツ監修の基500部限定で5つの雑誌を纏めた『DOCUMENTIE E PERIODICI DADA』として刊行されていた事を知った。わたしがコレクションしている『リッジ・フィールド・ガズーク』(1915年)の復刻版も含まれている。以前からシュワルツにダダ関係の雑誌類を復刻したフォリオがあるとコレクターの先輩Kさんから聞いていたが、現物と遭遇したのは今回が初めてであった。上記2誌の他は『THE BLIND MAN No.1』『THE BLIND MAN No.2』『RONG WRONG』。

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名古屋市立大学
山の畑キャンパス

 



 待ち合わせまでに時間があったので、子供時代によく遊んだ八高(現名古屋市立大学)を散歩する。陣地を造りどろ弾を投げ合ったり、銀玉鉄砲で撃ち合ったりした「てっかん山」へ行ってみる、現在は古墳だった小山なので立ち入り禁止扱いとなり、草木が生い茂って昔の面影は無い。草野球をやったグランドや馬場のあった辺りも整備され、教室等の施設となっている。35年以上昔の出来事だから、土地の記憶が殆ど無くなっていた。

 姉が懐かしいだるま餅の「鬼まんじゅう」を買ってきた。(関西ではみないけど、小さく切ったさつまいもの入った蒸し饅頭) 先代とは味がかわってしまったがこの店のは美味しい。小腹が膨らんだ。夜は夜で兄妹が揃い高齢の母親と親子水入らずで食事。実家近くの台湾料理「盛華」御器所店へ行く。「豚の耳」を前菜にビールで始める。注文したどの料理も美味く、満足。店もバリアフリーになっていて、車いすでも気兼ねなく食事が出来た。久し振りの外食なので母親も大喜び。記念写真を何枚か撮る。実家に帰り、母親を姉にまかせ、「盛華」では車の為に酒の飲めなかった兄と、二次会で『いなよし』へ。ここは兄、行きつけの店。魚が美味い。鱧の落としと焼きで、又、ビール。相方は生ビール、冷酒、焼酎とピッチが早い。12人程で満席となる店だが、立浪の2000本安打達成とドラゴンズの勝利で、常連の会話が楽しい。地元は良いな。京都ではこうはいかない。  

 

July 3 2003

Perpetual motive man ray
binoche 19 mars 1997

 

 

 




フランスの地方都市アミアン(パリ北部)に住むデイビット氏が1997年3月19日にビィノッシュで開かれたオークション・カタログを送ってきてくれた。写真、デッサン、オブジェ、油彩、版画等の137アイテム出品。マダムX他の旧蔵品とある。久し振りにネットオークションでの楽しい18日間を過ごした。当時、注意していたつもりだったけど、このオークションについては知らなかった。残念だがしかたがない。円換算しながら落札予想価格を確認。物の動きを跡付ける事も面白い。このカタログ表紙、シュワルツが持っていたコラージュのある油彩なんだけど、洒落た作品だと、前から思っていた。ネットで写真を見た時、ビビときたんだよね。それでオークション最後の5分間、焦りながらの一騎打、勝利は我が手に。品物も無事に到着してよかった、よかった。夜中の4時に頑張ったかいがあった。


July 2 2003

期初処理に伴いホストコンピュータが使用出来ないので、午後から開店休業。早く帰宅し日曜日の写真をイエローカメラに出す。その後、写真を取り込んで「日録」の作業。集合写真をAさんへ添付ファイルにして送る。


July 1 2003

朝顔の花が六つ咲いた。今日も雨。