2006.1.1-1.31 マン・レイになってしまった人

January 30, 2006
   
 
堀江敏幸氏の「飛ばないで飛ぶために」(図書 2006.2月号 岩波書店)を読む。冒頭から「読書とは、空港でじっと動かずにいる旅客機みたいなものだ」とあって上手いなと思った。小牧空港の話題が出ているのも名古屋人として嬉しい。「うずくまる機体の周囲には、なにかがはじまるだろうとしいう予感と、なにもはじまりそうにない予感がせめぎあう」、3月には飛行機に乗ったり、うなじやお腹を見たりするだろうから、このエッセイの事を思うだろうな。グットタイミングの読書である、わたしの場合は、移動する電車内なのだが---
   
  
January 29, 2006
   
 
床の間の掛け軸を替える。

 ミクシーでの情宣に使う為『マン・レイの謎、その時間と場所。』の撮影、---実行は「文」が決まらないので明日以降とする。ついでに座敷の掛け軸を替える---箱書には昭和八年とあるが、作者名が判読出来ない、ゴメン。屋根裏から海外旅行用のサムソナイトを出し、J&Pへ行って海外でのデジカメ・バッテリー充電に使う変換プラグ(Cタイプ)を求める。コンビニでデジタル写真プリント。色調が気に入らないが、何店かでテスト、いつものイエロー・カメラにも注文してみる。わたし自身はリコーGRとミノルタの一眼レフ(X-700)の二台を持っていくつもりだが、同行者達はデジカメを希望している。ところで、最近のX線検査の状況、どなたか知りませんか。関空とニース、パリの飛行場ではどんな体制でしょう。フィルムがカブったりしたら、いやですものね。
   
  
January 28, 2006
   
 
スクラップ・ブック作業に向かって部屋の整理をしていると、郵便局員のチャイム。パリから荷物が届いた。オークション・カタログの二冊セットでサザビーズ・ロンドンで2月7日に行われる「印象派と近代美術」のセール。マン・レイの油彩『幸運II』とレイヨグラム集『妙なる野』が出品される。エステメは油彩40-60万ポンド、写真10-15万ポンド。欲しいけどゴメンナサイの世界である。送り主のアンドリューが書いているカードは、わたしと家族に宛てたもので、「3月にパリで会いましょう、日程を知らせて下さい。」とあった。そして「資料の交換をしましょう」と続く。サザビーズのパリはフォブール・サントノレ通り、エリゼ宮の向かいだと思うが、時間がとれるかな。

 GALLERY RAKU 京都造形芸術大学 第一楽章『家をつかまえよう!』

 昼食後。自宅から北白川までを自転車で移動すると、登り勾配の連続。昼から出掛けたので、時間制約があり、ブラブラと走れない、楽しみ半減だが。真っ白になった比叡山頂上の延暦寺がくっきり見えて、眼には喜び、でも寒い。
   
 今日は上終町の京都造形芸術大学、GALLERY RAKUで開催中の「利岡コレクションをめぐる四つの変奏曲」展を拝見するのが、第一目標。ギャラリー16でコレクション展をされた事もある、利岡誠夫氏の多彩な収集品から芸術表現・アートプロデュースを学ぶ学生達がキューレーションした企画。四つの切り口から、「家をつかまえよう」と云うのが実現されている(他には、コレクターの目、とうだいもとくらし、黒白(コクハク)二つの色が出会う時)。会場に利岡氏がいらっしゃったのでスナップ写真の許可をいただき、ちょっと展示にいたる事柄をお聞きする。展示作家には赤瀬川原平、北辻良央、川俣正、三島喜美代、奈良美智、松井知恵、庄司達、高松次郎など。河原温の「"I Got up at" series」があったので、1971年5月18日にニューヨークから投函された葉書の裏面について、コレクター御自身に尋ねた。
 若い人達がコレクターやコレクションに接して、どう感じ、どのように展示へつなげて行くか。レジメを読んだり、展示の様子を確認しながら、同じコレクターとして考えさせられた。
  
 文庫堂、ガケ書房、紫陽書房、プリンツ、福田屋書店と覗いてから、百万遍を下がって関西日仏会館のライブラリーへあがって、南仏旅行のパンフレットを物色。ここに来ている女性達は美しい。景色より女性だなと旅行の目的を自主変更。---同行する日本女性が恐いな、写真なんて撮れないだろうな。 Puis-je prendre des photos ?
  
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 京都国立近代美術館企画展会場、ここを曲がるとロレッタ・ルックスのコーナー

 4時を過ぎてから、本日、第二目標の京都国立近代美術館で「ドイツ写真の現在---かわりゆく「現実」と向かいあうために」展を観る。若い女性達が会場にあふれていて驚く。写真をどこへ行かせようとしているのか、現実との対峙は難しい、このようにしなくてもと、日本写真を観ている眼には感じられる。ドイツの作家達は他者を意識する眼に押さえつけられている。風景に対しても、片意地はった眼をもってしまっている。どうも、居心地の悪い作品達だ。今回展示されているベッヒャー夫妻のプリントには、完成度を感じなかったのは何故だろう。関心をもった作家はミヒャエル・シュミット、ベテ・グーチョウ、ロレッタ・ルックス。細部まできっちり写っているイメージについ、ひかれる。人の眼は、自分が持たない眼を作品に求めるのだね。大画面の前で視度を調節し、あたかも、現場に居るような感覚を持つこと、写真作品が、美術館の壁ねあるいは、皮膚になりたがっているように思った。それにしても、観客の若い女性達。写真の人気はすごい、彼女達は、ここでどんな事を感じているのだろうか、異次元世界なんだろう。自分で再構成可能の写真、街へ出ていく、彼女達のパワーが、ユラユラしてくるのだろう。

 美術館の雰囲気が悪くなっている。ユニフォームのアンケートも一因だが、監視員の動きが、とても無礼だ。観客は悪いことをする、責任はないぞといった、マニュアル行動。大人しく観る事を強要される世界だから、ぞっとする。そんな、ナーバスにならないでよと言いたい。今日、悲しかったのは、常設展でチケットをもぎってもらったとき、なんとも、ひどいデザインなんだ、ミヒャエル・シュミットのシリーズ「統・一」がちぎられる。残った部分のバランスの悪い事、入口で、こんな気分になったのは初めてだ。デザイナーの人、チケットの切り取られる状況をシュミレーションしてデザインしてもらいたい。クルト・シュヴィッタースの小品が展示されていたので、ホットした。

 その後、ギャラリー16で、小松敏宏展を観てから、白川、祇園四条大橋をいつもと逆ルート、四条坊城でビールを二ケース買い求めて帰宅。
   
 四条大橋西詰の夕暮れ
   
 
そんなわけで、ストックを確保し、ゆったりとお風呂。夕食はひらめの縁側をつまんで、サントリー・ザ・プレミアム、サッポロ生ビール黒ラベル、エビスビールを飲む。東京のT氏から電話が入り近況報告をいろいろ。昼間のデジカメを取り込んで『日録』をアップ。就寝前にエビス<黒>を飲む。
   
   
January 23, 2006

 月曜日、京都は朝から粉雪が舞っている。寒い、昼頃まで外出を躊躇したりの仕事で、バタバタとした。さて、夕食はスパゲッティ。これに山中油店が輸入しているルスティコのオリーブオイルを掛ける。家人が大丸百貨店で当てた白ワインのヴァン・ドゥ・ペイ・フランシーヌを空け、たらことバジリコのフランスパン二種を軽く焼いて、ブルサンボアブルのフレッシュチーズを載せ食す。直ぐにワインが空になった。こんな、夜は嬉しい。
  
 林画伯がマン・レイ・イストの年賀状を「コラージュなのですが、見れば見るほど、まことに手の込んだ趣向です」とご自身のホームページで紹介して下さった。感謝。
   
   
January 22, 2006

 快晴の名古屋、午前中に兄と墓参り。昼からお鮨をつまみビールを飲む。
   
   
January 21, 2006

 愛知県美術館吉原治良展を観る。エルンストのユビュ親父を連想させる「縄をまとう男」(No.35.1931頃)が気になっていて、日本のシュルレアリスムとして重要な作品、現物に接してみたいと思っていた訳。大阪ではチャンスがなかったので、名古屋で実現なのである。吉原の仕事、マグリット風の「手とカード」(No.28.1930年頃)等も手フェチのわたしとしは気になっていた。でも、生涯を振り返る180点あまりと一同に接した時、どうも、すっきりしない。期待とのギャップが大きかった。並べられた油彩達の30年代の色彩が、合わないのだね。手にしてもベタリとして、溶けている感じ、大阪市立近代美術館建設準備室蔵の「縄をまとう男」をじっくり観ながら、このように感じた。パネルには「白が多用された色彩は、吉原の作品に特徴的な情感と静けさを画面にもたらしており」とあるのだが、深みが足りないような気がする。期待するシュルレアリスムの油彩世界とは違って、彼の仕事はデザイナーの描く油彩といった印象を、生涯の仕事を通して感じた。平面的なんだね。キリコ的であったり、禅僧風であったりと、どこかに他者が顔を出している作風といえようか。資料好きには1928年とある吉原治良油絵個人展覧会のカタログが面白かった。
    
 このようなわだかまりを持った視線には、辰野登恵子の「Untitled 95-1」と榎倉康二の「干渉(Story-No.49)」の常設2点が救いだった。

January 19, 2006

 皆様有難うございました。昨年の秋から具体的な本造りに入って、やっと本日、『マン・レイの謎、その時間と場所。』全冊完成しました。----番号とサインを入れ、コレクション・カードに石原輝雄コレクションとして保管する一冊のサイズや頁数を書き込みました。明日以降、納品をお待ちいただいている方々にお届けする段取りです。

  
January 18, 2006

 山本容子さんの『マイ・ストーリー』(新潮社 2004.9)を読んだ。

   
January 14, 2006

 本造りの最終コーナーに入って、風邪をひいてしまった。換気の為に窓を開けっ放しにして、糊を塗っていたのが、ボデーブローで効いてしまったのだろう。朝から中島薬局定番の「感冒剤3号」を飲みながら、作業を続けるので、家人に叱られた。----本人、早く終わりたいのです。昼前に背固をして寝床へ。5時間程熟睡する。鳥ミンチ鍋で暖まった後、また、作業。そして、久し振りにミクシーの日記を書き込む。11時には就寝したいと思っている。
  
  
January 12, 2006

 渡辺誠氏の本に沖田総司の三段突きに関連して、こんな言及があった。

 沖田の三段突きは、巷説が多くあるばかりで技の詳細は不明のようだ。「突き損じてもどこかを斬る」ために「刀を平に寝せて、刃は常に外側へ向けて」突く(『新選組遺聞』)ということも、これは古流共通の突きの刀法であって、天然理心流独特のものではない。
 このように遣うのは、そのほうが敵に与える殺傷力が増すからだ。これは経験的にそのように教えられただけであって、合理的な説明のつくものではない」(205頁)

 
高校時代、任侠の世界に関わりのあるクラスメートが、出刃包丁の扱いで、これによく似た説明をしていたのを思い出した。


January 10, 2006

 通勤のお供に渡辺誠氏の『幕末剣客秘録』(新人物往来社,2003)を読み始めて、はまった。寝床でも読んでいる。テレビでは篠原涼子主演の新番組『アンフェア』(関西テレビ)。ちょと期待出来るぞと、観てしまった。そんな訳で、背固めは2回目塗りを5冊のみ。糊が濃くなってきた。
   
   
January 9, 2006

 三連休の最終日を、終日、銀紙書房の職人で過ごす。糸縢りを全冊完了させ、背固めも15冊まで。第四コーナーを回って、身体に鞭を入れたところである。
   
   
January 8, 2006

 団栗橋から南座を見る。
 2Mから0.3Mにリサイズした写真。

     
   
   

  
 気温が低いので糊の乾きが遅い。これまでは3時間程置いて次ぎを塗っていたのだが、どうも、予定通りとならない。それで、昼から、返却日を1ヶ月以上経ってしまっている旅行関係の資料を返しに府立図書館へ出掛けた。道中、自転車を停めてカメラ・テスト。FX8は液晶が汚いので、写り具合の確認が上手く出来ない。祇園街に出ると十日えびすの準備で、ザワザワと人が多い。町家をいくつかパチパチしながら、新門前、白川と抜けて星野画廊を覗く。井上長三郎の油彩小品(風景 1932年)が良いものだから、このところ、頻繁に立ち寄っている。図書館で5冊選び、必要なコピーもしておく---新井満の『お墓参りは楽しい』(朝日新聞社、2005年)にモンパルナス墓地のマン・レイとジュリエットの墓が俯瞰して撮られた写真(87頁)が載っているので、1/2に縮小し手帖に貼る。
 寺町に戻ってカメラのナニワに寄り、撮影した画像のプリント・アウトを依頼する。10分で仕上がるが、色調が青みがかって気に入らない。それに2Mでは、荒れている感じ。リコーGR DIGITALをベタベタ触りながら、これが欲しいなと涎。帰宅して、銀紙書房本の制作を続ける。換気の為に窓を開けているので寒い。靴下を重ねて履いている。
 

January 7, 2006

 
  
 自宅前の朝9時、雪が降っている。デジカメで撮り『日録』へアップ(左; 仏光寺通りを東に、御前通りに至る。右; 西に行くと西大路通り)。フットワークの良さがデジタルだが、画角が狂っている、カメラの使い方がまだ判らない。寒い。これから、銀紙書房の職人仕事に入る。------終日続けて糸縢りを待つのは残り4冊となった。背固めの糊付けも始めたが、換気の為に窓を開けて作業を続けると、さすがに凍え、他の作業の品質が落ちてしまい、別の段取りを考える。

 夕食後のビール頭でデジカメのマニュアルを読んでいたら再生メニューの中に、リサイズ機能のある事が判った。
   
   
January 5, 2006

 元旦から『マン・レイの謎、その時間と場所。』の糸縢りに取り組み12冊完了。その間、『日録』の書き込みもお休みしていた。今宵も続きのつもりだったが、上新電機ピットワン京都一番店のお年玉特価セールにつられて注文したデジカメ (パナソニックの「LUMIX FX8」と512MBのSDメモリーカードのセットで35,000円)が届いたので、テスト撮影をしてしまった。使い方はまったく判らないが、カシャ、カシャとボタンを押してみた。ファインダーではなくて、液晶画面を見ながらの撮影は、身体になじまない。---この差異感覚については、いずれエッセイを書いてみたいと思うほどだ。
 USBケーブルを使ってマックに画像を取り込もうとしたのだが、メモリー不足でフリーズする。画素数を最小の0.3Mとしてやっと作動。気楽にデジカメで撮って、ホームページにアップする作戦を考えたのだが、これでは、写真を本来のプリントとして使えない。マックをG5、OS-Xにグレードアップできる資金はないし、困った。A4サイズまでプリントし、画像取り込みは100K程度といった解決策を検討しなくては。
   

 居間の正月飾りでカメラ・テスト
   
   

January 1, 2006

 昨年は、1月23日に前年から続いた『マン・レイ展「私は謎だ。』の最終会場である徳島県立近代美術館から戻り、同巡回展で感じた事柄やマン・レイに対するこれまでの経験に基づくコレクター人生の悩みや夢を吐露した書物『マン・レイの謎、その時間と場所。』(銀紙書房)を刊行した。A5版200頁となった原稿を仕上げたのは7月、本の形が整ったのは8月だった。その後の手作業による刊行は、思いのほかに手まどり、一ヶ月で10冊作るのがやっとだった。その為、年末までに30冊強の刊行にとどまったが、新美術新聞やギャラリー誌に書影付きで紹介され、東京国立近代美術館多摩美術大学等の公的機関も含め順調な注文をいただいた。50部限定刊行なので、残り20冊をこれから作らねばならない。製本前段階まで進んだ作業を早く仕上げ、最終の情宣を勢力的に行って完売に近付けたいと思っている。ご注文がまだの方は、ぜひ、ご一報願いたい。5年もしたら、すごい、コレクター・アイテムの本になるとわたしは思っている。

 さて、昨年の12月には京都写真展(ギャラリー・マロニエで12月20日-25日)に初出品した。『不在について』と題した作品は、マン・レイが住んでいた住所に宛てた封書と、その場所の写真で構成したインスタレーション。最初、宛先不明で返送された封書を展示する計画だったが、アメリカ以外は戻らず、手許に残した封書(同一の消印をしている)を使ったのだが、展示品を作った後に、フランスから船便で数通が戻ってきた。その中にはフェルー街のマン・レイ最後のアトリエに、現在住んでいるスイス人の画家(Roswitha Doerig)からのものがあり、その表面には「すでに20年以上前に死んでいる」と書かれていた。判っている事柄だが、改めて明記されるとつらい。『不在について』の意図にはオブラートに包みたい部分もあり、その封書を展示品として使う事が、わたしには出来なかった。
       
 
しかし、年賀状に、会場構成と展示しなかった返送封書のコピーをコラージュし、レクイエムとした。年賀状は前年の成果報告であったり、新しい年の計画表明の意味がある。今年は、3月にパリへ小旅行をしてマン・レイの墓参りをしたいと思っているので、このイメージが紙面に現れているのではないかと、本人は考えている。
      
 マン・レイ・イスト 2006年 ポストカード
 
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毎年、列挙している新収集品だが、本造りに全力投球をした為、昨年は大きな収集が出来なかった。自室に掲げた1954年の展覧会ポスター(Galerie Furstenberg)を観ながら、振り返へり、「もっと欲しいな」と今年は、本来のコレレクター生活に戻りたいと決意した。

 昨年、コレクションに加わったもの

Book; 
Man Ray the enigma, in time and space, 2005

Catalogue; 
Man Ray, Galleria La Chiocciola, 1970. 

Poster; 
Peintures de Man Ray, Galerie Furstenberg, 1954.

Invitation; 
MAN RAY Les Annees Bazaar, Musee des Arts de la mode et du textile Paris, 1992

Periodicals; 
+ING issue 08, autumn 2003
Zoom Japan 3 SEPTEMBER/OCTOBER 2005
etc.
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ギャラリーマロニエ
   
旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

マン・レイ狂い