国立新美術館 マン・レイ展 -1

早朝6時に四条烏丸へ出て巡行前の長刀鉾を観る。ハレの舞台を控え鉾を挟んだ駒形提灯を外すところだった。ギャラリー・スコープで懸装品を楽しみスナップ写真を幾つか。街は静かな落ち着きで、巡行への期待が光りに溢れ、京都の底力を感じる。それに比べると東京はどうだろうか。



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6時52分発の「のぞみ206号」で上京。品川で下車し山手線、千代田線と乗り継いで乃木坂の国立新美術館へ開館前に到着。木曜日から一般公開の始まったマン・レイ財団による「マン・レイ展」を観るのが今回の目的。しばらく、二階で催されているオルセー美術館展への観客動員におののきながら待つ。さて、40年近くマン・レイに狂っているわたしにとって、悩みの多い展示だろうと覚悟して会場に入る。---スペインでのカタログなどから出品作の傾向と展示規模を予測。これまでに国内で開かれたマン・レイ展と比較するのは良くないかもしれないが、出品作の重要度や展示品の扱いに戸惑いを感じつつの出会い。ハート型に切ったセロハン(?)にマジックインキで「Man」と書き加えた作品(?)がわたしを向かえた。これ、どこから出てきたのだろう、気持ちの良い青だ。展示構成はニユーヨーク、パリ、ロサンジェルス、再びのパリに別れ、各時代に関連した作品が(制作年ではなく)が並べられている。台紙に貼られたり、下段にサインが入っていたりする写真の真贋は判りやすいが、ピントの甘い物や、印画紙のタイプが明らかに異なる物などでは、複写(?)と表示するべきではとも思った。照度の落とされた会場で額装され、切断面が隠された写真を確認するのは厳しい。レイヨグラムは本来、一点しか作られない訳だし--- 図録番号を示し個々の作品にまつわる背景や解釈に言及する必要があるのだが、人様のサイフを覗き見るような「品の無い行い」となるので、控えておこう。
 カタログ・テキストの「マン・レイ財団」の項(27-31頁)で監修者のジョン・ジェイコブ氏が、複雑なプリントの存在について興味深い発言をされているので、これを参照する事をお勧めする。わたしは、マン・レイのアイデアを的確に伝える為には、完成された作品が必要だと伝えたい気分である。あるオークショナーは、真贋の問題についてたずねた時、「良い作品とそうでない作品があるだけだ」とわたしに答えている。
 10時から3時まで、カタログと照らし合わせ細かく作品を拝見した。未出品作1点、図版と異なる版画など2点、図版と天地が異なる物1点。(他にもあるかもしれない) 総じて図版は縮尺が頁毎に統一される傾向にあり、美しく修正もされているので、作品との乖離が多い。甘味、風味、後味、濃さどれをとっても今ひとつで「薄い牛乳」と云うのが展覧会全体の印象だな。でも、No.250「紫の仮面」(油彩)、No.339「無題」(自然絵画)にははっとさせられたし、最晩年の「影の習作」シリーズも楽しめた。

 表参道に移動し、日月堂で冷茶を二杯頂いてクールダウン。その後、中村書店をのぞき、半蔵門線で神保町に出、田村書店で友人と合流。ビールをグビグビ、冷酒も続け、焼き鳥、お刺身など、美しい女性をゲストにマン・レイ展の事など話す。東京の喧噪とは無縁に、ひとり研究を続けるのが一番だな。でも、刺激はいるか。


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中村書店で 北川冬彦監修・詩誌「時間」昭和27年3月号 表紙はマン・レイ「自由な手」より