追悼 東松照明


東松照明写真集『日本』(写研、1967年刊)

戦後写真に幾つもの金字塔を打ち立て、若い写真青年を社会活動に導いた偉大な写真家である東松照明さんが亡くなられた。----それを、奥野政司(京都写真クラブ)さんのFacebookの書き込み(7日)で知って、寂しい気分になった。翌朝の新聞には、昨年の12月14日、肺炎のため那覇市内の病院で死去、82歳だったとあった。体調が悪いとの話しは聞いていたが、その日がやって来てしまうと、「わたしの青春」も終わったのかと云った感傷に包まれた。高校2年生の秋だったか、母親がと入れた布団の山にもぐって『日本』の頁を捲っていた時の、視覚の刺激が忘れられない。---確か部費で購入した写真集を持ち帰っていたと思う。
 東松照明さんについての、きちんとした追悼文を書かなければと思って今宵まで経った、でも、それは難しい。写真表現に魅せられた「青春の夢」を告白する作業と対になる訳で、40年間どのようにやってきたのか、『日本』や『11時02分 長崎』をどのように咀嚼してきたのかを遡る必要がある訳で、今、すぐには重い。数日来、写真集を書棚から取りだし、スクラップブックを拡げて、東松さんと交わした言葉を思い出している。初対面の時(焼鳥屋さんのカウンターだったか)に「山本悍右さんを知っているのか」と親しく言葉を掛けてもらったのも懐かしい。「好きな画家はコルビュジェなんだ」とも言っておられた。中部学生写真連盟創設の立役者、彼の活躍がなければ、今のわたしはないだろうと思う、思うから上手く考えがまとまらない。このプログでも整理する事ができないので、身体を動かし写真を幾枚かアップ。謹んでご冥福を祈りたい「東松さん有難う」

この頁を見ていて鳥肌が立ってしまった。

卒業後、古書店で求めた『日本』にサインをお願いした。

来宅された東松照明とポンピドゥーセンターのアラン・サヤグ 1984年11月