日本の写真1968


読売新聞(大阪本社)6月6日朝刊 文化欄(33面)
金子隆一さんによる企画展『日本の写真1968』東京都写真美術館で開かれている(7月15日まで)。朝食の時間に新聞をめくっていたら、田本研造の北海道開拓写真や牛腸茂雄、中平卓真の作品が現れて、「おおー」と思った。昨年、ギャラリーマロニエで『マン・レイ展』をした時に、導入部に置いた「壁は語る 学生はこう考える」や「10.21とは何か」「佐ト訪米阻止斗争」と云った時代の雰囲気を伝える写真群が、金子氏の視点で開陳されている。激動の年だった1968年をシンボルに1966年から1974年までの動向を検証する展示との事。わたしが写真を始めた時代なので「これは上京しなくちゃ」と血が騒ぐ。
 日本における学生運動の写真、写真集への注目は、マーケットから強い関心が寄せられ高値に次ぐ高値であきれているところだが、40年以上前の出来事の「意味」をわたしなりに考える時期だと最近の状況が示す。展覧会は幾つかのパートに別けられているが、新聞の記事で「最後のパートは70年安保闘争の前後、全日本学生写真連盟の学生・OBが展開した<集団撮影行動>の写真群。個人の表現を越えた撮影の営みが社会的な行動と結びついたことを示し、本展を写真界に閉じた回顧に終わらせまいとする、論争的な締めくくりだ。」と記者は記す。ジャーナリストは好きなんだよな、こんな切り口が。でも、わたしは、それは違うと言いたい、<集団撮影行動>は組織のヒエラルキーが写真表現を歪曲させる、人との出会いが表現に良い意味で影響すると楽観的に考えるのは、いかがなものかと思う。「コンポラ写真」の側に行ったつもりはないが、写真を「核」に人生を生きる事になったのは、有り難いことであった(楽観的かしら)。都写美サイトの金子さんの発言を引用したくなった。
 「この時代、日本では全共闘全学共闘会議)を主体とする学生運動が過激さを増して、機動隊が動員されるといった事態に発展したり、強権的な空港建設に異議を唱えた三里塚闘争が社会問題化していました。若い写真家や学生たちは、学生運動であれば学生の側、三里塚であれば闘争する農民の側に立って撮るということが基本的な姿勢であり、だからこそ彼らは当事者に受け入れられて、現場で自由に撮ることができました。ところが、フランスでは1968年にパリ五月革命と呼ばれる反体制運動の嵐がまきおこり、アメリカではベトナム反戦の大規模な運動が繰り広げられていたのに、それらを記録したものは雑誌社や新聞社のカメラマンが撮った報道写真しか残っていないのだそうです。」← http://syabi.com/contents/exhibition/topic-1870.html
 金子隆一さんは、世界的な写真史家で空前絶後の写真集コレクター。今展の出品リスト(PDFで)293点を拝見すると、オリジナルプリント以外の資料も多い、オフセット印刷、写真網目版印刷、グラビア印刷といった写真集などの印刷表現も独自のものだろう。金子さんじゃなきゃ、この魅力に気付かないだろうね。
 こんな事を考えて、会社員の一日を過ごした。帰宅途中の最寄り駅で地下鉄を待ちながら、平凡に生きる事と自己の確立、楽しく充実した一生についての解答。あの頃、一緒に写真を撮っていた人たちのその後を思うと、平凡な我が人生に感謝しなくちゃならない。

京都地下鉄烏丸線 竹田駅 1114号(10系、近鉄車輌製) 前面貫通扉の緑色デザインを舞妓さんの「だらりの帯」とみる意見もある。