ウィーン分離派、エフェメラルな声---

展覧会 世紀末ウィーンのグラフィック── デザイン そして生活の刷新にむけて

    at 京都国立近代美術館

    2019年1月12日(土)~2月24日(日)

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ウィーン本繋がりの影響が冷めやらぬうちに、紙モノ好きには堪えられない展覧会が京近美で催されている。通常と異なる3階から入室すると、リヒャルト・ルクシュの大きな石膏・着彩による一対の女性像の先、窓ごしに分離派会館の正面が、輝いて綺麗(階段に掛けられた大判写真)に見える。これは、なかなかよろしく、ウィーンの街に居るような錯覚を伴い、展示品の世界に連れて行ってくれた。わたしは「ウィーン分離派」の理念や運動、成果について、何も知らなく、関心領域のダダやシュルレアリスムとの時代のズレ(ほんのわずかなのだけど)から敬遠する気分なのだけど、100年以上昔のカタログや案内状が、驚くほど状態良く置かれていると、銀紙書房の社主としては、血が騒いで、このレポートを書きたくなった。紙とインクが眼に心地よいのです。

 

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 まず、壁面ではクリムトの蔵書票、ケースでは1899年のアドルフ・ベーム装丁・分離派展カタログと分離派年報第1号で始まる。程よい大きさと色の度合い、冊子の厚み、銀紙書房の仕事に取り入れたい意匠のオンパレードではありませんか。実際に手に取るわけにはいかないけれど、目を凝らしてタイポクグラフィーの精緻を吸収することに努める。次回の銀紙書房カタログが変化していたら、これ、これですよ! 第99回分離派展:クリムト記念展カタログ(1928)も洒落てると──見入る。

 

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  展示されているクリムトの素描よりも、わたしは印刷物に惹かれる。コロタイプ、フォトグラヴェールで刷られたフォリオの『グスタフ・クリムト作品集』(1918)から、『接吻』や『ユディト』が飛び出て壁面に並ぶ、ベルヴェデーレ宮殿ではなく京近美、誰にでも楽しめる距離のもと、大衆化と言ってしまうと身も蓋もないが、わたしも、昨年のようにウィーンでの実見を繰り返す訳にもいかず、芸術の楽みはこんなやり方になるのだと思う。見事な印刷表現が前提であるのだけど。

 

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『ウィーン工房第1回「食卓展」オープニング招待状』(ca.1905)

 

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『クンストシャウ・ウィーン臨時カタログ』(1908)も良いけど、しびれるのは『ウィーン工房第1回「食卓展」オープニング招待状』(ca.1905)リトグラフとの説明だけど、こんなの作りたいと涎が出てしまいます(汚しちゃいけません) 会場を回りながら、休憩室でこの展覧会のカタログ(デザイン西岡勉)を読むと、京近美収蔵となったのは2015年で約360点の一括購入。前所蔵者は近江八幡生まれのアパレル会社キャビンの創業者平明暘(いずる)氏で、ウィーンで観たエゴン・シーレの展覧会に衝撃を受けた氏は、1990年にミュンヘンとウィーンで画廊を運営していたミヒャエル・パプスト氏(1941-2008)から中核部分を譲り受けたと云う。カタログのテキストに「手刷りの版画はさておき、ポスターや蔵書票、プログラムやカレンダー、雑誌や書籍、挿画の原画など、通常「芸術」のエフェメラル(周縁的)な存在として扱われるものの集積である本コレクショの購入を決断した背景には、すでに美術館に所蔵されていたふたつのコレクションの存在がある。」とあり、エフェメラ好きのわたしとしては、やっと時代が追いついたと嬉しくなった。詳しくは池田祐子氏執筆の展覧会カタログを参照されたい。雑誌やカタログも悪くないけど、エフェメラ感満載は、一枚物の招待状ですな。ほとんどが第一次世界大戦以前だから、よくぞご無事でと、涙モードになっております。とはいえ、バブルの時代にコレクションを築いた他会社に比べ良い結果となって喜ばしいがコレクションの生々流転には寂しさも、拙宅では家人が80年代に求めたキャビンの製品が娘に引き継がれている事もあり、前所蔵者の起こしたキャビンに親近感を持つ。しかし、同社は2007年に大手SPA企業ユニクロの傘下となり、2010年には同じ子会社のリンク・セオリー・ジャパンに吸収合併され、ブランドも会社も、企業文化も今はない。吸収した会社の文化とビジネスが、ウィーン分離派の「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」の精神に惹かれた平明氏の思いを継承することがないのは、容易に想像がつく。閉塞するこの時代にあってキャビンで働いた人たちにこそ、展覧会を観てもらいたい、そのように思う。展覧会は京都の後、4月13日から東京の目黒区美術館へ巡回されると聞く。

 

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 さて、展示は「ウィーン分離派クリムト」、「新しいデザインの探求」、「版画復興とグラフィックの刷新」、「新しい生活へ」の4章に別れ見やすく楽しい会場構成となっている(京都会場デザイン: 大室佑介)。ゆっくり会場を回る、登山鉄道のボスター(1897)はウィーン近郊のシュネーベルクだから、昨年、楽しんだシャーフベルクとは異なるけど、ドイツ的な意匠で、小さな汽車に目を凝らした。「新しい生活」ですね。池田祐子氏のテキストは、「ウィーン分離派は、「豊かな人々のための芸術と貧しき人々のための芸術の区別」を撤廃することを目標に掲げ、あらゆる人のための芸術を目指した。当然ここには男女の区別も存在しない。」と指摘しつつ結ばれている。100年前に提唱された生活の刷新は、両次対戦、冷戦、グローバリズムを経て、変質と云うより相変わらずの感が強い。わたし、いつまでも「貧しき人」年金生活は辛いな。

 

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会場でウィーン分離派の「金」や「赤」、紙との兼ね合いを楽しみながら1908年2月のカレンダーをアクリル越しに観る。サラエボでの暗殺事件は1914年だったな、2019年の世界は、あの時代に近いのだろうか---。展覧会の会場は、アドルフ・ロースの壁付家具の部屋を除くと撮影が許されている。気楽にエフェメラに近づきパチリパチリ、幾人かの観客も同じようにしておられる、わたしのカメラ消音設定なので、こんな時には重宝いたします。

 

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 会場で配布されているA2サイズの展示品リスト(和文・欧文2種)もすぐれもので楽しい。観終わり一階に降りて絵葉書(裏面には「京都国立近代美術館蔵」の表記)を求めた。前述のカタログには「ウィーン工房制作の銀器は買えずとも、絵葉書を買うことによって、人々はウィーン工房の製品を、そしてそのスピリットを家に持ち帰ったり、人に贈ったりすることができた。」との記述もあった。これらが分相応の楽しみ。どうも、コレクターをリタイアした為、自虐的になってしまっている、いけない、いけない。

 尚、展覧会最終日の2月24日(日)は、天皇陛下御在位30年を記念して入館無料となっている。芸術の階段には結界が無いもよう、道の端を歩くことも求められない、改めて拝見したいと思う。