『辺界のアジール、あるいは黒き流れの辺りに』by NAKAMURA Kyo

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中村趫『辺界のアジール、あるいは黒き流れの辺りに』

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元・淳風小学校で開かれているLINK展17で中村さんの作品を拝見した。余白にこれほどの「黒」が溢れているなんて、本当にあることなんだ。怯えながらも引き込まれた。「力」ある作家の仕事は、グイグイとその世界を広げ、人は言葉と共に生きているのだろうか、あるいは、どうしても必要とするのだろうかと考え始めてしまった。「シュルレアリスム」「瀧口修造」「サラムーン」という言葉に遭遇したものだから、気持ちメラメラです。

 中村さんが印画紙に白抜きで綴じ込んだ「ところで68年の5月革命の時の壁の言葉って知ってる?」なんてのを読んでしまうと、映像と言葉のイメージがぐるぐる回って、「あの頃にもどってしまう」感覚。通り過ぎてしまった街のひだに、へばりついている影をじっくり見ると、キラキラ光る影だったりして、若い人というより、あの頃の自分に優しく語っている感覚。肉体を失いつつあるシニア世代の淋しさみたいな。中に「誰と生きていくのかが問題ね」なんてのもあったけど、「共同体といえばロック系の人たちって美術系より結束がかたい気がする」と。廃校となった廊下に並ぶ大判の写真を読んでいく。黒く流れる街とおどろおどろしたエロティック、「幼系成熟」って、どんなリアリテイのなかにあるのだろう。並べられ飾られた印画紙から、ファイリングされた幾枚に至り、頁をめくりながら、街路から書物に閉じ込められていく感覚。祭壇にいるの──これって聖水なのかしら。機会があれば趫さんに尋ねてみたい。

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LINK展17 今年の元・淳風小学校会場でのテーマは「わたしたちが失った余白」、教室に入って校庭にカメラを向けました。「どうして、語りたくなるのだろう。」余白が白でなくて黒だった事を教えてもらった。わたしは能天気ですな。

 尚、展覧会会期は9月29日(日)迄、28日(土)午後1時から出品作家による作品解説が予定されている。

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 わたしのパチリ。