「写真の都」物語 23 ── 写真集『足ぶみ飛行機』

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印画紙に焼き付けたプリントで鑑賞する「写真」というのは、当時の感覚とはズレていたように思う。印画紙はセレクトやイメージの確認に用いるもので、表現は、網目印刷の写真集。絹目の印画紙などは営業写真館の範疇で、ひどく時代遅れで、捨て去るべき対象だった。本(雑誌も含めて)の形式は写真というメディアに直結した時代の気分だったのだろう、友人のS氏が東京で『足ぶみ飛行機』と出会い、名古屋にもどってテキスト部分をガリ版刷りで再現した。サークル活動に熱中していたわたしたちには、必要なアイテムだった。

 

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写真集『足ぶみ飛行機』17×17.8cm 明治大学カメラクラブ 1966年7月発行 筆者所蔵品はカバー欠。

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 最終解説会で明治大学カメラクラブのAさんは、「軽井沢合宿で900点ぐらい、夢に出るくらい写真を沢山見た」「だれが撮った写真なのかすぐに判る」と具体例を示しつつ「北海道101」もふまえて「一人でやるには手に負えなくて、100人単位でやらなければ」と集団撮影行動の体験、「自己認識の方法」と「現実認識の方法」について語られた。そして、写真集の最終頁から「心で見なくては物事はよく見えないってことさ、かんじんな事は目に見えないんだよ」というサン・テクジュペリの言葉を引用された。

 竹葉丈氏の解説では、「写真サークルの形骸化した共同制作から脱却し、活性化させるための集団撮影行動を模索する過程で作られた写真集、伝説の写真集だが、多くのひとがサークル運営のテキストだと理解していた」との事だった。

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テキスト『足ぶみ飛行機』19.5×13.7cm pp.56 刊記なし 1969年頃

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会場の最終コーナーに全日会報や「われわれの写真 '77〜'78」などが展示されている。