昨日紹介したフランスでの北園克衛モノグラフ『KITASONO KATUÉ 1902-1978』は、林画伯も書かれたように「図版も多数収められた」貴重な一冊。小生が手にして驚いたのは、山本悍右が終戦直後の混乱期に雑誌『UBU』を編集発行されていた事実だった。表紙と裏表紙から内容を推測したいけど、無理ですな。裏表紙(?)の上段に「ユビユ ★ 一号 ★ 詩 ★ 造型」と配されたタイポグラフ(手書き?)がお洒落、椅子と帽子のモチーフは山本の写真で馴染み深いもの、御遺族の話では椅子は現役だそうです(すごい)。『UBU』の参加者は藤井伸八、伊藤紫英、伊藤正斉、北園克衛、野川友喜、大口登、山本悍右で、東京在の北園以外は名古屋地区の関係者と思われ、ネットなどで確認すると藤井伸八以外はヒットした。(ここでは山本、北園については記さない)
● 伊藤紫英(1907-1989)は映画評論家、映画史研究家。市内覚王山に居住。アマチア映画人として映画製作もおこない八重垣劇場の機関誌『シネ・アート』に寄稿。『名古屋映画史8mmから70mmまで』『シネマよるひる』などの著書がある。(エンペディア)
● 伊藤正斉(1913- ) 詩人、VOUに参加、詩集に『壺』コスモス社 1971年、『火の壁』コスモス社 1976年、『乾湿記』VAN書房 1978年、『伊藤正斉詩集』 砂子屋書房 1986年など (bookface’s diary)
● 野川友喜(本名・川野友喜)(1920-1999) 朝日新聞記者として福岡、名古屋、東京等で勤務。詩作の他、文筆も行い、名古屋時代には記者として「人間・言葉」なるコラムを受け持った。新東海新聞にも在職したと推測(徳田秋声文献年表ノート)
● 大口登(1901-1969) 画家、美術文化協会。『地殻』(1940年)などが知られる(日本のシュルレアリスム絵画データベース)
書誌情報は、1948年4月5日印刷、4月10日発行、UBUクラブは山本悍右宅を連絡先とし、編集発行印刷人を同氏がつとめている。尚、印刷所は新東海印刷所(名古屋市中区茶町1丁目14番地)
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下掲の絵葉書は戦前の名古屋市内
9.1 × 14 cm
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廣小路通り(山本の実家・山本五郎商店も近い)
9.1 × 14 cm
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後方の公会堂(鶴舞公園市美術館)で『巴里新興美術展覧会』が催されたのは1933年6月24日〜29日。マン・レイの油彩『画家の室内』と『サン・ジャン・ド・リュッツの夜』が陳列された。どんな様子だったか知りたいところ……
小生は1960年代前半に、この噴水塔の池にプラモデルの潜水艦(ゴム動力)を走らせ遊んだ。鶴舞公園には移動遊園地が置かれたり、桜の季節は花見で賑やか、家から歩いて行きました、懐かしい。