南仏紀行-26 ポンピドゥー・センター

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それから急いでポンピドゥー・センターへ。左手の建物は移設されたアトリエで、ブランクーシの彫刻がちらりと見える。開くのが二時からなので今は諦めねばならない。(131頁)

 

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チューブ状のエスカレーターに乗って最上階へ登る。風は遮断され雨がやんで雲の流れが心地よく、青空がところどころでのぞいている。眼下、右手後方にエッフェル塔、右手上部にサクレ・クール寺院の卵型のドーム、素晴らしい眺めだ。(131頁)

 

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南仏紀行-25 20世紀とその資料書店

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センターに続く手前のミシュレ広場に面して古書店がある。きっとリブレリ・アルカードの吉永昭夫がお薦めと言っていた店だ。洒落た作りの白い外装で、ディスプレーされた書籍の写真を撮る。これは期待が持てそうだ。(129頁)

 

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主人は再び書庫に降り、さらに貴重な一冊をひろげる。一九七二年にパリの市立美術館で開催されたマン・レイ回顧展のカタログ、まっさらの極上品。わたしの手許で保管するのは神戸のトアロード画廊で『ダダ・メイド』と云うオリジナル作品を買った時に、おまけで貰ったヨレヨレの一冊。パリで状態の良い物との出会いがあれば購入したいと思っていたのだ、主人がタイトル頁を拡げると中央にマン・レイ自身による献辞が青い文字で書かれているではないか、これは非売品だろうな、欲しいけど売ってくれるのかと上手く英語で伝えられない。(130頁)

 

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それで、記念にと、サインの入ったページを拡げている主人の写真を撮らせてもらう。資生堂でのリーフレットをプレゼントし名刺交換。ゆっくりと書棚に食らいつき、あれこれと手に取ればシュルレアリスムに関する珍品が見つかるだろうと思うのだが、時間が許さない。 (131頁)

南仏紀行-24 カンパーニュ・プリミエール通り

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三月初旬の寒い朝。モンパルナス墓地を出て、エドガーキネ大通りをメトロのラスパイユ側に向かう。マン・レイのアトリエがあったカンパーニュ・プリミエール通りが直ぐに始まっているはずだ。ギマールによるアールデコ様式の地下鉄入口から交差点の反対側を見ると、一段高いアールデコ装飾のアトリエ風の建物に気付いた。(126頁)

 

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パリのこのアトリエで仕事をしていた頃のマン・レイは、キキ・ド・モンパルナスと一緒だったのよね。マン・レイはニューヨークの両親にあてた絵葉書に「ここに住みます。部屋代は月二五ドル--すてきなところです!」と書いている。昨年の暮れ、写真評論家の平木収から「石原さんイストラル・ホテルに泊まったことあるの」と尋ねられた。ホテルはアトリエの北隣り。二九番地だが二人はここに部屋をとっていた。デュシャンも利用したし、後半にはリー・ミラーも泊まった。バスローヴを羽織ったマン・レイの背後にリー・ミラーの裸体写真がピンナップされている写真もあったなと想像は膨らむ。次回、パリへ来る時には泊まってみたい。(126頁)

 

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今も使われていると思われる建物の内部を覗くと、二層式で画家のアトリエ向きだろうと想像できる。(126頁)

 

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カンパーニュ・プルミエール通りは三〇〇メートルほど、先に進めばリュクサンブール公園に続く。ゴダールの映画『勝手にしやがれ』のラストシーンで、ベルモンドが撃たれたシーンもこの通り。 (128頁)

南仏紀行-23 モンパルナス墓地

2006年3月10日(金)

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世界中からやってくるマン・レイのファンがお墓に手を合わせる時、ジュリエットが一緒に現れる。彼女の筆記体で『平面卵』の表面に刻まれたマン・レイの墓碑銘は「呑気にしているけれど、無関心ではいられない」、名前と生没年表記の下には「ラブ・ジュリエット」とある。一体化したジュリエットの墓石には二人が並んで撮った平凡な写真。「この次も二人で」と書いてあるのが黒い文字なので目立つ。年齢差は二一年、気むずかしい中年男と若い素直な娘が 写っている。くるくると回って立っていた円盤が回転を終えた時、彼女が支えたのだろうか、夫の死後、十五年にわたって夫の芸術的名声を支えた。評伝によれば「墓石を建てる事はマン・レイの意志に反するのでは」と悩んだジュリエット。偉ぶらずあっけらかんとした様子のマン・レイに似合うとジュリエットは思ったのかもしれない。二人の写真は誰が撮ったのか、二人が出会ったカリフォルニア時代、娘のようなジュリエットとお父さんのカップル。写真の二人が示しているのは、マン・レイの黒子に徹していたジュリエットが最後には前に出た事。そして、二〇〇六年の今朝。(123頁)

 

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暗い空から幾筋もの雨。ゆっくりと感傷に浸る訳にもいかないが、持参した拙箸『マン・レイになってしまった人』(限定番号十八番)を供え合掌する。(124頁)

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 昔、ツァイト・フォト・サロンの石原悦郎が「門番が観光客が持ち込むカメラを没収するから、判らないようにすり抜けて行くんだ」と言っていたのを思い出して、呼び止められないよう、左側の建物には視線を向けないようにして、さっと通り抜ける。(122頁)

『マイネクライネ』京都支店 開店のお知らせ

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5月20日(土・友引)  開店 お待ちしております。

 

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純喫茶・マイネクライネ 名古屋本店 (中区栄三丁目) 
ハーフティンバー風看板建築 風見鶏付き

 

 土曜日の午後になると、中部学生写真連盟の事務所から三蔵通りを西に歩いてすぐ、今のプリンセス大通りと交わる処にあった喫茶店・マイネクライネで他校の写真部員と話す事も多くなり、女子校の部員も加わって連盟活動の活性化についての相談を繰り返した。

 『状況1965』『状況1966』の二冊や、東松照明の写真集『日本』を手にとったのは目を開かせる良い経験となった。窓側の席で頁を捲り、映像を全身で咀嚼する。

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縮尺1/100

マイネクライネへ一緒に通ったS君が造ったペーパークラフトの図面を送ってもらって、3号店を開店させました。

 

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良い時代でしたな。

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1972年頃の本店・店頭、写真集コレクターと中部学生写真連盟の仲間。

木村伊兵衛の本

以前付き合いのあった写真集コレクターは、『JAPANESE SCHOOL LIFE THROUGH THE CAMERA』(1937年)、『小型カメラの写し方・使ひ方』(1937年)、『王道楽土』(1943年)などの木村伊兵衛の戦前書籍を架蔵しているが、一番珍しいのは『小型カメラ写真術』(1936年)だと言っていた。氏は第一回木村伊兵衛賞を受賞した北井一夫主宰の「のら社」刊『パリ』を六冊も書棚に並べる人なので、そのままにお聞きした。
 わたしの手許にあるのは、以下の四冊+雑誌一にすぎない。いまさら集めるのもいかがなものと思うから、図書館などで拝見しよう。

 

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『小型カメラの写し方・使ひ方』(1937年、玄光社)

 

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木村伊兵衛傑作写真集』(1954年、朝日新聞社)

 

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木村伊兵衛外遊写真集』(1955年、朝日新聞社)

 

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木村伊兵衛写真集 パリ』(1974年、のら社)

 

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『アサヒカメラ 増刊号』(1979年12月、朝日新聞社)

木村伊兵衛の先斗町

木村伊兵衛の写真からf:id:manrayist:20210429204244j:plain

(左)大阪・道修町の旦那:1957年 (右)先斗町:1955年 

 

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雨の先斗町、後方に東華菜館のシルエット

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マン・レイ・イストの先斗町(2014年3月)

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 「ときの忘れもの」のブログにコメントを寄せられたMさんの指摘(18日13:23)「このポスターは近所の釜造りの美術館に貼られていて親しみ深く日本の美人を眺めてました!」とは下記写真のものかと思います。f:id:manrayist:20210519090255j:plain

大西清右衛門美術館(2021年5月14日)

ママとボトル

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展覧会は23日(日)迄 何必館玄関 高峰秀子(左)、秋田おばこ(右)

 

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四条通大和大路西入ル 南座、東華菜館 撮影: 2013.3.9

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八坂の塔

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先斗町

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 会員制で営業されたママのバーも、しだいに雰囲気が変わった。おでん屋さんの時代を懐かしみ、あの手料理を味わいたいと思いつつ、下手なカラオケをひとさまに聴かせるわけにもいかず、自然に足が遠のいた。

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  杉下右京が通う小料理店「花の里」、つづいての家庭料理「こてまり」、こんなお店が見つからないかと、探索をしておりますが、コロナ禍もあって難しい。口にピッタリ、財布にやさしい、そして和装の美人、そんなお店はないでしょうかね。

秋田おばこのバレエシューズ

ときの忘れもの(東京・駒込)のブログに『秋田おばこと京おんな』と題して何必館で開催中のライカ使いの名手・木村伊兵衛の写真展について寄稿させていただいた(5月23日(日)迄)。

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 この展覧会は同館コレクションから50余点の大判サイン入りプリントを厳選して、5つのテーマ「戦前・戦後(写真の本道)、庶民の町(人間のふれあい)、秋田の民俗(現実の縮図)、日本列島(自分の仕事)、ポートレイト(手の表情)」に分け、わたしたちが失った昭和の時代を写真をとおして、見事に思い出させてくれている。

 

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祇園・権兵衛

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 わたしは、カメラ雑誌の月例コンテスト的写真とは別の道を歩んで、この歳となったので、木村写真の魅力には疎く、のら社から刊行された『木村伊兵衛写真集・パリ』(1974年)を古書店で入手するまでは、ノーマークの状態だった。それが、銭湯のお湯に濡れる日本女性の肌を捉えた写真と出会って、「女性写真」は素晴らしいと開眼させられた。マン・レイは肖像写真を撮る時に、女性はたやすく、男性は難しいと述べているが、木村は男性は最初の一瞬で決められる、女性はじっくり構え、最後にならないと良さが引き出せない、「時間がたつにつれて、だんだん色っぽくなってきますね。顔でもなんでもあぶらぎってきたり、上気してきたり、きれいになるんです。着物が多少くずれてきたり、シワがでてきたりね。そういうところが出てくるのに、相当時間がかかります」(『週刊朝日』1953年)と語っている。

 この歳になると、そんな写真を撮ってみたい。

 何必館での写真展を拝見したいと思ったのは、菅笠を被った美しい女性が、四条通に面して大きく掲げられていたからだった。それで、この人や撮影の様子などをいろいろ調べてみた。ときの忘れものでの拙稿に、反映したいとも思ったが割愛。それでも備忘録として「マン・レイと余白で」に記しておきたい。

 

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 操作性に優れた小型カメラの作例なので、スナップショットと早合点していたが、秋田美人は、田植えに従事する農家の娘さんではなくて、「おばこコンクール」で入賞した写真のモデルを務めた地元で評判の高校三年生、柴田洋子さん。審査員だった木村が頼んでモデルを依頼されたと云う。したがって、意図するイメージに仕立て上げられた「秋田おばこ」なのだが、美しい、美しい人だからしかたがない。ドアーノでもキャパでも、スナップとされながらのモデル疑惑の作例は多い。

 

 何必館の梶川芳友が紹介するように「『居合抜き』とも称され、出会い頭に『パチリ』であった」木村の写真のなかで、本作のコンタクトには28カットが残されている。顔の表情を追う木村のカメラの中で時をさかのぼり、女性が凛とした一瞬、山の頂へ登るように、しだいに被写体と通じ合い(19コマ)、決定的なひとコマが押された後、田んぼでの全身像に移っていく(8コマ)。名人・木村伊兵衛の鼓動が伝わるコンタクト28カットである。

 顔の表情だけなのに、スタイルの良さが現れ、知的な様子がかもしだされているのはどうしてだろう、モデルの人柄を知りたいと願うのは、当然ではないか。上段にリンクを貼った記事によると、彼女は7歳からバレエを習っていて、高校を卒業すると地元の子供たちに教えたと云う。1959年6月に開いた「柴田バレエ研究会」の挨拶文「やっと三才になりました」を読むと、彼女の慈愛にみちた信念の深みを知ることができる──「汗とほこりにまみれたバレエシューズが幾足もはきかえられて、私達の研究会もやっとかぞえ年三ツになりました」と文章もうまい。美人で賢く姿勢が良い、もう最高ではありませんか。

 リンクの情報によると「2010年に76歳で亡くなられた」その人生は、「けがをされてバレエをやめ、代議士秘書になって東京に」行かれた後、「日系米国人と結婚してロサンゼルスに渡り」「趣味で油絵を描き」「毎年桜の頃に大曲に帰省」された幸せな人生だったという。

 木村伊兵衛の撮った19歳の女性の表情、たたずまいに、昭和日本の良い戦後を教えていただいた訳である。

南仏紀行-22 コンコルド広場

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そして間近に迫るエッフェル塔。さらに続けてイエナ橋、歩行者用のドゥービイ橋。セーヌとともにアルム橋、アンヴァリッド橋、アレクサンドルⅢ世橋、コンコルド橋、ソルフェリーノ橋。車窓の両側が気になる、対岸のオルセー美術館の入口には行列が並ぶ。ルーヴル美術館のピラミッドがちらりと見える--あの時にはなかったな。(109頁)

 

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そして、シャンゼリゼ大通りへ。全長一、八八〇メートルの通りはマロニエプラタナスの並木。なだらかな勾配が凱旋門に向けて一直線に続く。車窓左手にはルイ・ヴィトン本店、女性陣から歓声があがる。(114頁)

 

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 ジョルジュ・サンク大通り、アルマ橋、ラップ大通りを経由してシャン・ドゥ・マルス公園へ。テレビ取材等でよく使う場所。エッフェル塔を見上げる芝生の公園で記念写真を撮る。シャイヨー宮の高台から眺めたのは二〇年前。塔の先端をここで写真に入れようとすると人物とのバランスが悪い。でも西陽が当たり気持ちの良い公園。バスに戻る家人達の後ろ姿をパチリ。繪になる光景である。以上で本日の観光終了となった。(114頁)

南仏紀行-21 サン・ジェルマン・アン・レイ

2006年3月9日(木)

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十一時五五分、二度目のトイレ休憩をサン・ジェルマン・アン・レイの近くでとる。青ベタ白ヌキの道路標識略記は「S: GERMAIN enL. 」第二次大戦が始まる前の一九三九年、マン・レイはパリでの多忙な仕事から逃れる為に、田舎の一軒家を手に入れていた。ドライブインから標識を辿って、その方向を見るが、なだらかな平坦部が続くばかりで、実感が伴わなかった。(108頁)

 

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梛神社・神幸祭

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健康散歩で氏神様へ。明日16日は神幸祭、昨年の巡行はコロナ禍の影響で取りやめとなったが、今年は「氏子崇敬者各位の繁栄と無病息災を祈り」祭典執行の後、規模を縮小し神輿と御鳳輦で行うとお聞きした(13時出発)。お天気はどうかしら---

 

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健康散歩6,893歩

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5月16日(日) 終日の雨で巡行は中止になりました。コロナ退散、来年こそはピーヒャラ・ドンドン聴きたいな、八乙女さんとお会いしたい、なんてね。

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健康散歩6,759歩

迷幻街 杉浦正和写真展 at gallery176

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京都写真クラブで交流している杉浦正和(1960年京都生まれ)さんから個展「迷幻街(サイケデリツクストリート)」の案内状を頂いた。「ルモンタージュ」や「櫻花行」など精力的な表現で活躍する氏の写真が、阪急・服部天神の自主ギャラリー gallery176 に展示される。「2019年から2020年に撮影したベトナムの夜の路上スナップ」だそうです。「混沌として活気のある」街の表情がスゴイ、展示の予定は5月21日〜6月1日(水・木休み)との事、楽しみです。

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以下は澱んだ時間の京都、小生のパチリです。

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ペコちゃん

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先日、念願の「あらん&ペコちゃん号」624号(モボ621形)に乗車した。可愛い赤いお部屋でおよそ12分、楽しいひと時でした。 嵐電のプレスによると今年の3月25日が開業111周年、ペコちゃんラッピングは22年3月24日まで運行の予定、記念硬券(グッズ)も発売されています。

 

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