大槻洋介ガラス展 at 京都高島屋

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ガラス作家の大槻洋介(1972年横浜生まれ)さんから個展の案内状を頂戴した。『ひかりがやどる』と題した京都で初となる展覧会だそうで、会場は京都高島屋6階美術工芸サロン。氏は、一昨年開かれた「第4回金沢・世界工芸トリエンナーレ(2019金沢・世界工芸コンペティション)」で島敦彦審査員特別賞、「第66回日本伝統工芸展」で作品「彩の記憶」が 宮内庁お買い上げとなるなど、近年特に注目されている。コロナ禍の自粛要請で変更の可能性があるが展覧会は5月19日(水)〜25日(火)の予定(22・23日は休業)で開催される。拝見するのが楽しみ---

 

特段関係しないが、新選組ゆかりの健康散歩・ブラパチをアップしておく。 

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八木邸(新選組 壬生屯所旧跡)長屋門 奥座敷芹澤鴨暗殺の場(1863年9月16日)

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光緑寺(1613年頃創建の浄土宗寺院) 新選組副長・山南敬介ら隊士が眠る。

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南仏紀行-20 サン・マロ

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終日、モン・サン・ミッシェルの岩山を上下したので足に疲れを感じる人もいるだろうし、ワインの酔いが残っているわたしの様な者も居るだろう。おぼろげな街灯に照らされた古い港町。(100頁)

 

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ホテル、ドゥ・フランス・エ・ドゥ・シャトー・ブリアンは、名前が示すとおりロマン主義文学の先駆者で作家であり政治家でもあったシャトー・ブリアンの生家であったところ。この旅行中、一番素敵なホテルである。(101頁)

 

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ホテルのフロントは百合が織りなす花模様の壁紙と海にまつわる数点の風景画。美しい百合が飾られた花盛と鸚哥、ピンクや白の色 が心地よい。(106頁)

 

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ツーリストの朝は忙しいが、大型の古い鍵が額装されているのに気付き、急いで説明を読んでみると「他の多くの町と同じく、先の大戦の間中、サン・マロには外出禁止令がひかれていた。町は強固な壁と城に囲まれていたので見張人や監視人は容易に、普 の生活や様々な行政のサービスを行うことが出来ました。占領者は鍵を掛けたり作り替えたりして扉を閉ざしたのですが。彼らが出ていった後、一九四四年になってわたしたちはやっと鍵を取り戻した」なるほど、そうか一本の鍵が物語るもの、こんな時、わたしは、この扉の鍵穴が何処にあるのか、今もあるのかと気に掛かる。(106頁)

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 ホテルからバスまでは距離がある。昨夜、足を捕られた現場を確認。注意を促す大きな標識があり、なんで引っ掛かったのか、わざわざその部分をまたいだのか判らない。(107頁)

南仏紀行-19 モン・サン・ミッシェル

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先端に立つとブルターニュの湾が二二五度の眺望で拡がる、身を乗り出すと一回転してしまいそうな大パノラマ。足元の石畳がかってここが教会の身廊であったことを示している。火災に遭ったのは十八世紀の出来事だが、雨が止み前方からの光が石の表面を美しく反射しせまってくる。小さな文字模様のようなものがあるが、それは石工達が掘ったサイン、幾種類もの経済的理由、あるいは生の主張。水が残る一センチ程の窪みを見ながら、わたしは時間の単位を無くしてしまった。(90頁)

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ここは今も使われている教会、鐘が鳴らされる時間もあるはずだ。内陣へ続く床は奇麗なタイル模様でガラスの入った丸い部分がある。(92頁)

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教会内の交差部を左に進むと列柱廊の一角に出た。わずかにズレながら続く二列に組まれた小円柱(ここでも重さを軽くする考慮がなされている)が、木製の天井を支えている。そして、眼は中央に設えられた四角い緑の刈り込みに引きよせられる。石造建築物の最上階に緑あふれる自然の土地がある。立方体として切り取られた空間。(92頁)

 

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修道士達の生活では会話が禁じられている。食堂として使われていたこの空間では、食事の間に声を出せるのは一人のみ、ただ一人の僧が南壁の司教座で読唱をする。部屋を進んで見ると天井まで続く細長い窓は、黒い輪郭だけで形作られた禁欲的な文様だった。(94頁)

 

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ここから降り中間階に移って、王や貴族達を迎えた「迎賓の間」へ。上階の付属教会を支える土台となった十五世紀半ばに造られたと云う太柱の礼拝堂。(94頁)

 

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列柱廊の下にあたる「騎士の間」へ。ここには暖炉がある。しかし、これは修道士が暖をとる為ではなく、写本を造るために顔料を溶かし、指先を暖める為のもの。中世の修道士達の主たる仕事は写本の制作だと云う。言葉を発する事を禁じられた僧が、言葉を書き写す聖なる行為に恍惚となるのだろう。禁欲世界はその対局に欲望の世界を持っている。人の世のあらゆる構造はこのバランスにかかわっている。外光がふんだんに取り入れられ、働くことの喜びがあったのだ。(95頁)

南仏紀行-18 ル・ルレ・サン・ミッシェル

2006年3月8日(水)

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トゥールはロワール地方の中心都市で学生が多いと云うが、ホテルの立地が判らない。ロワール川から直角に伸びるジラード通り二四七番地と云うから川から随分離れていると思う。朝の りに出て幾つかの道を超えアタックと云う名前のスーパーへ。家人達にとって現地の日用品を買うのは楽しみであるようだ。(84頁)

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ブルターニュ半島とノルマンデイー半島が れる付け根の辺りで、黒い塊に向かってバスは進んで行く。これが、周遊最大の観光地、モン・サン・ミッシェルへと続く最後の道程である。湿地帯に降りてなおも進み、一時過ぎ、バスは四つ星ホテル・レストラン、ル・ルレ・サン・ミッシェルの駐車場に到着した。(86頁)

 

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一時過ぎ、バスは四つ星ホテル・レストラン、ル・ルレ・サン・ミッシェルの駐車場に到着した。食事を提供する広いホールは前 ガラス張りで、岩山を正 に望む最高のロケーション、洗練されたサービスを受ける。当地名物のオムレツはメレンゲ状のクレープがたっぷりかかって美味しい。このレストラン、島内で知られるラ・メール・プラールの経営であるようだ。メインの皿はサーモンでライスとの付け合わせに茸ソース。デザートは洋梨のムースで橙、赤、白の三色ソースがかかっている。(86頁)

 

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食後、クウェスノン川の堤防に上がり記念写真を撮る。横殴りの強風にさらされながら、この場所に家族と共に訪れた幸せを感じた。(88頁)

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式内隼神社

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隼(はやぶさ)神社からのパチリ、神坐の御帳台(みちょうだい)は濱床(はまゆか)の上に厚畳(あつじょう)、八重畳(やえだたみ)、龍鬢(りゅうびん)、御茵(おしとね)と重ねるられるとの事。仮宮には両御社の御帳台が飾られていました。

元祇園梛神社

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神幸祭100年記念事業で内陣、御帳台調度品を新調されたお社で御本殿内陣の特別公開が行われた(4月29日〜5月5日)。御霊は仮宮にお遷りされておられるので、カメラパチリをさせていただいた。こんな機会は、この先いつあるのかと、小生緊張しました。

 

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『吉原英里』展 at ときの忘れもの

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案内状を頂き楽しみにしていた吉原英里さんの展覧会「不在の部屋」は、5月12日(水)〜27日(木)へと会期変更となっています。緊急事態宣言発令が延長されたと報道にありますので、さらに変更の可能性も、詳しくはときの忘れもののホームページなどでご確認ください。

 

壬生狂言の近くで

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昨日は雨、それでも、健康散歩はかかせません---で、綾小路を通りますと「カンデンデン」と大念仏会が聞こえてきました。それで、しばらく「炮烙割」を鑑賞(今年はコロナ対策で事前予約での公開、狂言堂の脇から遠目です)。

 

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壬生寺

南仏紀行-17 シュノンソー城

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次ぎの目的地、シュノンソー城に向かう。雨粒が窓を打つどんよりとした三月。王侯貴族の愛憎劇が土地をめぐる。夢とおとぎ話のシンデレラは映画の中から抜け出し森のどこかに潜んだようだ。バスを降りたわたし達はプラタナスの並木を連れ立って進む。視線の先には美しい城。(75頁)

 

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シュノンソー城は代々の城主が女性だったことから「六人の女の城」として知られている。国王アンリⅡ世の家庭教師で二十歳も年上でありながら、変わることのない美貌で王の寵愛を得たディアーヌ・ド・ポワティエが、一五四七年に城を贈与される。(76頁)


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さて、四時二〇分から与えられた自由時間は一時間。愛人と正妻、二つの庭園を歩いてみるが、今日は雨、水たまりが沢山できて、川の水位も上昇している。(80頁)

 

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白とスレート色のタイル張り市松模様の床で梁の見える天井。ここに入った時、光の様子も作用していたのだろうが、マン・レイのデッサン『日曜日の放浪者』(一九三七年)を連想した。後で知ったが第二次世界大戦の時、城の入口は占領地区内にあったが、ギャラリーの南側の扉は非占領地区に通じていたと云う。(78頁)

 

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[ル・コレッジョ 愛の教育] (78頁)

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しかし、王が馬上槍試合で命を落とした後は、正妻のカトリーヌ・ド・メディシスに城を追い出されてしまう。(76頁)

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 城の出口でパリからやって来た日本人ツーリストの一行と出会う。添乗員が聞いた情報では、「パリでストライキがありルーブルが閉鎖された」との事。フランスでは突然、ストライキが始まり、いつまでも続く。よくあるらしいが、観光客には辛い。(80頁)

南仏紀行-16 ロレ・ド・シャンポール

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さて、昼食は城から三キロメートル離れた田舎屋、ロレ・ド・シャンボール。内部には梁の太い木材が使われている。(72頁)

 

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暖炉で燃える赤い炎を見ていると、広いホールが暖められているのを感じる。その暖炉の上には鉄製のアイロンが並べられている。数えてみると十三個、メーカーは異なるがほとんど同じ大きさである。マン・レイが後年のオブジェに使ったのと同じメーカーの物を探したが確認できなかった。(73頁)

 

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南仏紀行-15 シャンポール城

2006年3月7日(火)

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モーニングコール五時十五分、出発六時。今日はロワールに向けて五五〇キロのバス移動。日本なら京都から東京を超え水戸まで行ける。空は暗い。(68頁)

 

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駐車場に戻ると小学生の一団がフランスパンを頬張っての昼ご飯。カメラを向けるとポーズをとってくれた。どこでも子供達は可愛い、わたし達の二人にもこんな時代があったのだと思う。(72頁)

 

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城の前には森を切り開きどこまでも続く一本の道。切り開かれた樹木、地形の高さ等、完璧な左右対称となっているが、遠近法的風景の恐ろしさでもある。足元には雪が残り、風は冷たい。一六世紀、パリとこの城を結ぶ直線を地図上に引き、土地の起伏、岩石の有無、工事の難易度とは無関係に権力者によって、権力を誇示するために造られた道。馬に跨った騎士や貴族、輿に乗って運ばれる貴婦人を、召使いや奴隷の一団が随行して取り囲んだ。一本の道をやって来た城主は、その道をパリまで帰っていく。封建時代の飾り、権力の象徴として造られた城。(71頁)

『贈り物』四点セット at 岡崎公園

今日から5月、予定では古書市に参戦していたのに---

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先日、図書館で調べ物をした帰りに平安神宮側に出たところ、アンティークフェアに遭遇。知らなかったけど「平安蚤の市」と云う催しで毎月10日前後に100店舗以上が出店されると云う。ひやかしだけですが、おフランスの鉄製アイロンが並んでおりました。欲しいけど、ちょっと形式が違うのよね。

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その後、ルパン氏にリーフレットの査読を依頼。まったりと珈琲を飲んでおりました。

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古書ヘリング at 岡崎・平安神宮

グルグル・健康散歩

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4月14日 5,226

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25日(日)の発出(発令)から来月11日(火)までの緊急事態措置。岡崎・都メッセでの古書市も中止となり、ほんま、わやでんな。役所言葉の「発出」なんて、これまで聞かなかった。「なじみが薄く、分かりにくい言葉に」わざと言い換えているのではと疑いたくなる。期間が延長されるのではと心配ばかり。

 

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4月11日 2,285歩

 

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4月15日 6,593歩

 

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4月12日 6,853

南仏紀行-14 リヨン

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街に入るとローヌ川に沿って高さの揃った古い建物が連なっている。黄昏れ時の都会は素敵だ。様々な人々を車窓から眺め、生活や人生を想像するのは興味深い。(62頁)

 

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出された料理はキュシュのサラダ、メインの皿はボルドー白身魚、デザートはチョコレート・ケーキとフレンチ・ロールのカスタード・クリーム。店内を見ると一人で食事をしている中年婦人の手許に、NRFの書物、タイトルまでは読みとれなかった。(62頁)

 

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ヨーロッパのホテルにはよくあるらしいが、渡された鍵で開けるのにコツがいる。「ガチャガチャしてれば開くよ」といった訳にはいかないのだ。(63頁)