つばめグリル ✕ 伊東屋

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16.5×9.5cm 測量野帳

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 東京の友人がそんなに特急「つばめ」が好きなんだったらと銀座の伊東屋別製測量野帳 を送ってくれた。これは伊東屋が銀座にある15以上のお店・団体と協力した「AMAZING GINZA」シリーズのうちの一冊で、創業1930年10月のつばめグリルを紹介するもの。看板メニューはつばめ風ハンブルグステーキ。店名は特急「つばめ」にちなんでいる。

  以下の蒸気機関車C622は1948年日立製作所笠戸工場製。糸崎、宮原、小樽機関区などに所属の後、京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存。特急つばめを牽引していた宮原時代の1951年、除煙板にステンレス製つばめマークを取り付けている。尚、以下の撮影は筆者による。

 

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2015.8.14 梅小路蒸気機関車館

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1969.8.21 函館本線 急行『ニセコ』前補機運用

イノダコーヒの噴水

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 先日の事。『さまよえる絵筆』展を鑑賞された友人とイノダコーヒ本店で、良い展覧会だったねと感想を述べながら世間話をしておりました。噴水の整備を済ませた関係か、綺麗になりすぎて趣半減、水音もあまり響かなくなっています。

 店で聞いたところでは、コロナ禍への配慮か今年創業者・猪田七郎(1993年没、享年75)の祇園祭を描いた油彩を飾ったのは一ヶ月程遅れたとの事。長刀鉾、船鉾と並ぶ(想像上)画面は、癒やされますな。猪田は二科会員の洋画家、本店はパリのカフェの雰囲気です。

 

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三日三晩の土用干し

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 先週の事柄。今年は小ぶりながらも良い梅を入手したらしく、 天気予報とニラメッコの家人が、明日から漬けると号令。小生は見学のみで、相変わらずのパソコン作業をしておりました。暑いですが、温度は昨年よりましでしょうね。

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ベンサンとオレンジサンダル

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 ロンドンのハイストリートで求めたのは2年前、海外旅行がしたいですな。

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 お店は左端のACCESSORIZE 通りの画像はグーグルより引用---バーチャル旅行が楽しみですな。

屏風祭 at 吉田家住宅

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新町通六角下ル

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  毎年、吉田孝次郎氏の趣向を凝らした室礼を楽しませてもらえる幸せに感謝。今年は子供の浴衣のモダンぶりが際立ち、神輿渡御に奉仕される三若組とは良いですな。檜扇が整い祭り気分が盛り上がります。巡行は行われないけど、コンチキチン、血が騒ぎます。

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7月24日(土) コンチキチン

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北観音山

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過去の屏風祭を幾つか紹介。良いですな。

2020 八ツ星メダリオン
2019 後祭曳き初め
2018 明日は巡行
2017 北観音山
2015 檜扇
2014 祇園祭を迎える町家の室礼
2012 インド更紗交流特別展 at 京都生活工芸館無名舎

 

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 さて、三条通りを東へブラパチ。京都文化博物館で開かれている『さまよえる絵筆 ── 東京・京都 戦時下の前衛画家たち』展は、本日(25日)が最終日。続いて昨日から2階総合展示室で第二部『戦後京都の「色」はアメリカにあった!』が開催されている。二つを合わせて拝見すると、より深く当時の状況が分かり、2021年のわたしたちの生活へもフォーカス可能。大切なものを失いすぎたの感、「戦争に負けた」様子がひしひしと伝わってきた。明治期に残された写真よりも、わたしの生年に近い写真群は、参照する引き出しを沢山持っているので、感慨深い。京都市電がポール集電ではありませんか(ハハ)。以下はチラシ

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北観音山

北観音山も御神体は楊柳観音、脇侍を韋駄天とする曳山。上り観音山とも称し、文和二年(1353)にはあったとされる。江戸時代までは南観音山と隔年交換で巡行。元治の大火以降は囃子を持つ曳山として後祭巡行の先頭を務める。

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7月19日(月)

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7月21日(水)

f:id:manrayist:20210723195235j:plain破風正面鱗板部: 片岡友輔作雲鶴金箔置彩色木彫。屋根裏金箔押。

f:id:manrayist:20210723195221j:plain破風正後面鱗板部: 同上。

 

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f:id:manrayist:20210723195313j:plain真松: 左三の枝尾長鳥木彫

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7月24日(土) コンチキチン

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f:id:manrayist:20210724132416p:plain脇侍・韋駄天


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南観音山

南観音山は御神体楊柳観音、脇侍を善財童子とする曳山。下り観音山とも称し、文和二年(1353)にはあったとされる。江戸時代までは北観音山と隔年交換で巡行。

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7月18日(日)

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7月19日(月) 松建て

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7月21日(水)

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下水引一番: 加山又造原画飛天奏楽図 二番: 猩々緋剣倒巴文金糸伏縫  三番: 紺繻子地小真向龍刺繍。 前掛: 伝異无須織ペルシャ絹緞通 胴掛: ペルシャ花文緞通 。

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 7月23日(木)

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破風正面鱗板部: 塩川文麟下絵太真王夫人、王母、少女玉卮等木彫、幸野楳嶺・山母雙竹彩色。屋根裏金箔押。

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破風後面鱗板部: 塩川文麟下絵天夫人、雲、龍等木彫、幸野楳嶺・山母雙竹彩色。屋根裏金箔押。

 

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真松: 下二の枝鳩木彫 

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7月24日(土) コンチキチン

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24日は巡行用天水引緋羅紗地鳳凰麒麟・四神肉入刺繍に変更。

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凱旋船鉾

7月2日(金)

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 凱旋船鉾(大船鉾)は禁門の変(1864年)で消失、2014年復興。四条町大船鉾保存会によると「居祭りとなったころから町内では凱旋船鉾と称したと云うが、昭和59年(1984年)の伝統工芸博覧会において凱旋船鉾の復元展示が行なわれた折、韓国の全斗煥大統領が、第二次大戦以後韓国の大統領としては初めて訪日され、さらに上洛されるということで、国際情勢に鑑み四条町が名称を変更することになった。その際、『祇園社記』に記述されている『大船』の呼称をもとに、『大船鉾』と称することとしました。 町内には前の祭の船鉾より大きかったという伝承もありますが、同時に巡行したことがありませんので、真偽の程は不明です」との事。わたしは凱旋船鉾と称されていた頃より居祭りで拝見した記憶があり、前祭の出陣の船鉾、後祭の凱旋の船鉾として一対、大船鉾と呼ぶには抵抗を感じる。松田元氏の『祇園祭細見』では、消失するまで二つの町内が互隔年に受け持って凱旋船鉾の巡行をおこなったと云い舳先の大金幣は南四条町、龍頭は北四条町の当番となる故。

 

7月18日(日)

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7月19日(月)

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7月21日(水)

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2021年 龍頭金箔張り

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2021年艫飾新調: 桧製木彫極彩色霊獣 左舷海馬、正面鳥龍一対、右舷犀。東山区瀧尾神社寄贈。

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 毎年懸装品が整えられていくのを楽しみに拝見する。名古屋生まれなので昭和の菊水鉾には立ち会えなかったが、平成の凱旋船鉾など多くの復興に立ち会え、来年は鷹山の勇姿にも出会えると思うと幸せ。コロナ禍の終焉を願う。

 

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7月24日(土) コンチキチン

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 四条通まで移動

水ようかん by 仙太郎

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祇園梛神社

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 氏神様のこと、今日も暑そうですな。

 

 主神: 素盞嗚尊(すさのおのみこと)、配祀: 宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、誉田別命尊(ほんだわけのみこと)

 

「社伝によれば、 梛神社(元祇園社)は、貞観11年(876)京都に疫病が流行した時、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行なったが、このときその神輿を椰の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであると言う。
 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会傘鉾の起源であるとしている。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという。
 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられたという。」

 

 播磨国広峰は現在の姫路市北部西播丘陵県立自然公園にあたり、素盞嗚尊と五十猛命を主神とする広峰神社が山頂にある。同社は八坂神社と同様に牛頭天王総本宮と称する。

 

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御供石(ごくいし)

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 梛神社の境内には、「祇園祭山鉾巡行のとき、この石の上に神饌をおき神にそなえたたもので、もとは下京区御供石町(万寿寺通烏丸西入)にあったが昭和7年に町内の役員・若者により」この地に移された。

 

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 水ようかん

 

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仙太郎本店

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 19日から土用の入りなので「あんころ」、これについては改めて紹介します。

 

 涼しい間にネット回遊--- ときの忘れものの7月21日ブログで鏑木あづささんが連載されている「関根伸夫資料をめぐって」の最終回を拝読した。資料好きのわたしとしては、手許資料の行末を考える。広く利用されるべきだが、紙もの・資料は破損と紛失の危機を常にはらむ。デジタル化させて紙面を判読するのがベストなのか、これでオリジナルの持つ訴求力は伝わるか? ケースに入れられたカタログ類を観る度に、心が痛む。鏑木さんの記述は以下。 

 

 「資料は資料であって、それ以上でもそれ以下でもない。だが、これが美術館に収まると、作品の従属的な存在とみなされることもあれば、ときに“作品以上の貴重品”として扱われ、所管する者が特権的に振る舞うこともある。そして彼らがそのことに充足するだけで、利活用しきれないまま存在そのものが可視化されなくなってしまう、という事態に陥ることさえある。しかし資料と作品は、このような関係でとらえるべきものではない。今後はどのような施設・機関であっても、資料を預かることによって生じる社会的責任と、その公共性が問われていくはずである。」

 

 彼女は日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブにも参加されいる司書、アーキビスト。ときの忘れもののブログでは、以下の発表も紹介されている。

放下鉾

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12日 15:38 新町通四条上ル

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鉾建ては一日遅れの十一日から。

 

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12日 15:38

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13日 12:46

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13日 12:47

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15日 16:09

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ゲリラ豪雨が続きましたな。

 

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16日 16:10 宵山

天水引: 金地彩糸丸龍 金幣

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18日 10:56

鉾の片付けにはクレーン車が使われる。

 

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18日 11:02

 放下鉾鉾頭 後方図 鉾頭: 桧製州浜形金箔押 榊: 桧扇型。 松本元氏は鉾頭の意味について「日月星三光を象徴し、二本の棒は光茫」説と「放火師と鞠とこきりこ」説の他に「州浜紋のめでたさ、あるいは茶目っ気のある団子形」を指摘されている。

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 来年は山鉾巡行が執り行われるのを願う。無病息災、疫病退散。 

破風

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長刀鉾 後部蟇股彫刻: 小鍛冶宗近神剣鍛造像 背景鱗板: 金無地 破風裏: 孔雀

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 祇園祭は昨年に続いて山鉾巡行や神輿渡御などを中止としたものの、組み立て技術の継承や懸装品保全の観点から一部で山鉾を建て、祇園囃子も演奏された。 

 観覧自粛が呼びかけられているので、早い時間に健康散歩をかねてパチリ。例年ではこの光と角度の写真を残していないので、懸装品好きには良い記録となった。

 

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鶏鉾 屋根裏: 金無地 正面妻部: 大瓶束を挟んで鶏雌雄と雛

 

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月鉾 前部蟇股彫刻: 金波白兎像伝左甚五郎作 軒廻り: 応挙草木図

 

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函谷鉾 正面鱗板: 金地に林和靖と童、鶴と白梅 軒裏: 金地に極彩色雌雄鶏

 

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放下鉾 正面鱗板:駒井源琦下絵三羽丹頂鶴高浮彫 

於菟麿

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於菟麿(おとまろ) 月鉾稚児人形

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 松田元氏の『祇園祭細見 山鉾編』(1977年)によると、於菟麿は「三代目伊藤久重作近代的写実美少年人形。頭: 桧胡粉菜色、艶出、描眉口玉眼入、頭髪植毛茶筅結。身長一三〇糎。宝冠: 鳳凰雲揺珞付着彩金色。巴紋金羯鼓」。明治末に生稚児から人形に変わったと云いブログ「京のお人形」には「モデルは最後の生き稚児と伝えられている。」とあり「女性から人気の高いイケメン」さんだと云う。

 

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コンチキチン

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月鉾鉾頭 後方図

田辺勇蔵氏寄進(昭和56年)18金製新月型(みかづき)鉾頭 

エア・山鉾巡行

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大丸百貨店 長刀鉾模型 

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 昨年の当ブログでは「エア・祇園祭り」と題して一ヶ月、過去の映像を眺め祭りを楽しんだ。今年は巡行が中止となったものの、一部の山鉾は建てられたので、健康散歩の折にこっそり見学(コースを変えております)。懸装品を拝見するのは良いものですな。今日は前祭の山鉾巡行の日、梅雨が明ければ蘇民将来の粽を軒先に飾りたい。無病息災、疫病退散。

 

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厄除けの粽は郵便で届きました。

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四条烏丸角  7月9日(金) 健康散歩 8,222歩

宵々山

7月15日 健康散歩 6,298歩

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霰天神山  (錦小路通室町西入ル)         16:13

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 昨日は雨雲・雷の両レーダーを確認しつつ帰宅できるつもりだったのですが、黒雲にさえぎられ、しばらく雨宿り。ゲリラ豪雨と言うのでしょうか。「夕立三日」ならぬ「ゲリラ豪雨三日」+ 巡行で梅雨明けとなるのが京都---と家人の言。天気予報より当たりますな。山も鉾も懸装品にビニールが掛けられ、密をさけての静かな街歩き。小生、それでもパチリをすると気持ち、昂ぶるのです。今宵は宵山、コンチキチンが聴きたいので19時までにこっそり健康散歩、したいけど。出来ませんな。

 

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蟷螂山 (西洞院通四条上ル) 16:25

『マン・レイと女性たち』展 ─ 初日から。

f:id:manrayist:20210714170621p:plain渋谷文化村通り 7月13日(火)  写真も送ってくれた。

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 コロナ禍の緊急事態宣言発出中の渋谷・Bunkamuraで表題の展覧会が昨日(13日)から始まった。オリンピック開催もひかえ、人流が変化する前に東京へ出掛けたいところなのだが、諸般の事情で躊躇。そんな事情を察してくれた友人が、初日朝に観覧しすぐにカタログや資料を送ってくれた(深謝)。

 年初から気になっていた展覧会については6月22日の本ブログで紹介したように、2004年に催された『マン・レイ「私は謎だ!」』展の監修者である巌谷國士さんとマリオン・メイエ女子のコンビが再びマン・レイ芸術を開陳するもので、今回は「20世紀という変動の時代を美しく積極的に生き、それぞれの個性を発揮していた自由な女性たち」と云う視点で、美しく刺激的に紹介されるらしい。わたしは会場を観ていないので、明るく楽しい様子を共有することは出来ないが、今朝方、受領したカタログや展覧会資料を広げながら、展覧会の魅力を想像している。

 

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 巌谷氏の監修された書籍は、カタログと云うより単書の位置づけなので、展覧会の一次資料好きにとっては、上に掲げた「展示品リスト」が心躍る品物。

 

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 書籍のカバーを外した状態、デザインは中村香織さん。背の模様はシュルレアリスム画廊案内状(1928年)からの引用で、表紙にはレイヨグラフ(1927年)が使われている。『青樹』で天野隆一が紹介した絵柄なので個人的に嬉しい。ただ、240頁から続く欧文の「参考文献」などは小さすぎ、虫眼鏡を用いてもシニア組には苦行。読むための資料じゃなくて、デザインなのかしら。

 

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204-205頁 掲載された8点の案内状等の内、未収集は3点、頑張らなくちゃ(笑)

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 これから、巌谷さんのテキストに突撃し、勉強したいと思う。

『日本の前衛絵画 その反抗と挫折── Kの場合』

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中村義一『日本の前衛絵画 その反抗と挫折── Kの場合』美術出版社 1968年

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 愚稿では「名古屋時代に本書を読んで惹かれ、わたしの中に北脇が住んでいた時期」と書いた。表紙に使われた『眠られぬ夜のために』を京都市美術館で観た折の光景を思い出しながら、言葉を選んだ。改めて本書を読み直したが、瀧口修造が寄せた序文にある「とりわけ同時代の人間にとっては、絶えず念頭にありながら、自分からは手の着けにくい主題なのである」には、「一人の画家の屈折多い歩みを検討」する難しさ、美術家の「多少とも個人の営為に比重のかかった立場」の社会との複雑なかかわり合いにふれられている。また、著者の中村が北脇の出自に関する恵まれた生活の他方に「拒みえない重い絆」(90頁)があっただろうとする点を、絵画作品とその作者、そして生活と結びつけ、「おいといない」面を強調して「書き進め」ても良いものかと愚稿では躊躇した。北脇がわたしの中に居た時から、およそ50年が経つ。「手の着けにくい主題」にも向かわなければと思う。

 

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佐久間象山(1864.7.11)、大村益次郎(1869.9.4)遭難之碑。  高瀬川、前方茂みに廣誠院。