2003.5.1-5.31 マン・レイになってしまった人

May 31 2003

遅日草舎店内
京都市左京区田中門前町91 有本ビル2F
左から生田文夫、亀井薫、三逵真智子の各氏

 

 

 

百万遍の遅日草舎へ自転車で出掛け生田文夫氏と会う。手紙のやりとりは以前からあったが、とても気になっていた人。始めての出会いだがイメージどおりの人柄で安心。氏の父君の事を思い出した。訪問したのは生田耕作旧蔵書目録の「アンドレ・ブルトンシュルレアリスム」を入手する事。買い求めたそれには「50部印行」とある。非売も含まれるがリストは134点。書架から取り出してゆっくり紐解く事が出来て至福。挿入された価格表を確認すると一番高いのは、20万円の「鳥籠(VOLIERE)」カッパ版のタンギー口絵にブルトンの肉筆複製が入った美しい本。この本、事情があって手放したけど昔、わたしも持っていた。マン・レイに関しては、作品が表紙を飾っている「映画とシュルレアリスム」や「ヨーロッパ誌シュルレアリスム特集」などがあったが、どうしも購入せねばというものではなかったので、ホットするやら、残念がるやらで複雑。
 遅日草舎は生田氏自身が友人達と内装をした書店で、一般的な古書店とは大きく異なる。サロン的な雰囲気にあふれ、翻訳者でシェイクスピア書店の研究者である三逵真智子さん、ジャック・リゴーの訳書を刊行している亀井薫さんに紹介された。生田さんは日本と中国を行ったり来たりとの事。この新しい出会いが、どう拡がっていくのか楽しみである。


May 30 2003

マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』(白水社 2003年刊)の138頁あたりを読んでいるところだが、どうも、しっくりこない。マン・レイに関する本は何時も楽しく、新しい発見がつきものなのだが、今回のハーバート・R・ロットマン(木下哲夫訳)氏の本は、既存の書籍をネタに書斎で纏められた読み物で、著者自身が街路に出ていない印象をもった。マン・レイ狂言回しに仕立てたモンパルナスのカフェ物語であるのに、ロットマン氏はパリに住んでいながら、カフェのテーブルでは不在のようだ。青春時代にダダとシュルレアリスムに魅了されマン・レイを専門としているわたしとしては、氏の種本の頁数まで分かるわけで、氏の引用文と引用した書籍中の記述が混乱し、氏の意見のように使われているのには閉口する。そして、登場人物の外見的なこと、身体的なことに対しても、思いやりのない言及が散見され、ちょっといただけない。専門家に確認すれば、すぐに判明することであるのに、机の前で、本に転載された写真から受けた印象を報告している感じがする。例えば106頁に「グループは大きく伸ばしたマン・レイのポートレイトを持ち出して、これをマン・レイが居るべき所に置いた」とあるけど、ロール紙サイズのプリントパネルを用意している事の方が不自然で、マン・レイの肖像は後から写真にコラージュしたもの。さらに、装幀にも不満があって、写真図版が少ないのに白い本文用紙の為、活字と紙が不釣り合いで、かつ、手にペタペタひっつくありさま。本文は、まだ半分残っているので、今の感触が変わるのだろうか、それを、期待しよう。


May 29 2003

明日で5月も終わる。それで仕事もバタバタ。台風もやって来そうで、段取りを考える。
 帰宅してから、昨年の8月頃を整理し始めたところのスクラップブックを作成する。今回は写真(36枚撮り33本)と資料(ダンボール一箱)を貯め込みすぎたので、全体のイメージが散漫になって調子がでない。しかし、毎日コツコツ続ければ、興味も湧いてくるだろう。


May 28 2003

「日録」の読者に『マン・レイ写真展』のチケットをプレゼント致します。同展の最終巡回会場である京都駅の美術館「えき」KYOTOでの6月4日から6月29日までの展覧会のチケットです。ご希望の方は、このをクリックしてメールでお申し込み下さい。先着順で10名の方にご用意出来ますのでお楽しみに。

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 展覧会は「フォト・アートの誕生 マン・レイ写真展」と題して、JR京都駅ビル内にある美術館「えき」KYOTO(電話代表 075-352-1111)で開催される。 PART� 6月4日から15日 PART� 6月17日から29日 500点を超す多様なフォト・アートの世界を会期2回に分け、テーマ別で展覧。
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 先週、福岡出張のお供で「藤田嗣治 異邦人の生涯」(近藤史人 講談社 2002年刊)を読み出し、今日、読了。その中で、眠るときも枕元から離さなかったという夏堀昇氏の「藤田嗣治論」の存在に感銘した。藤田が加筆した「夏堀用手記」命をかけた原稿は自費出版の準備が進行中という。これを読んで、故人の情熱と対話したいと思っている。


May 27 2003

スザンさんからメールをもらったので嬉しく、何度も読み返えす。


May 26 2003

京都写真クラブの第2回総会は6月29日(日)16:00-17:00 四条大橋西詰の「東華菜館」で開催されることになった。現時点の会員数128名と代表の森岡誠さんが知らせてきた。新会員の中に期待する名前、懐かしい名前を見付けた。尚、当日17:00-19:00まで同会場で懇親会パーテイーも開かれるので楽しみ。明日にでも会費を納入しよう。


May 25 2003

午前中は銀紙書房の新しい本の準備。午後から河原町へ出掛ける。雨が降りそうなので、久し振りに阪急電車を使用する。古書店無印良品をブラブラ。自転車とはちょっと違った街の発見。丸善でハーバート・R・ロットマン(木下哲夫訳)の「マン・レイ 写真と恋とカフェの日々」(白水社)を購入。発行日付が5月25日となっているので、まだ、未見の本。原箸は2001年刊の「MAN RAY A MONTPARNASSE」 訳者が先日の「マルセル・デュシャン」評伝を訳した木下氏であるので楽しみ。新しい発見があるのだろうか? 内容については、いずれ言及したい。



『シンプル・ビーズ&カルチャー・ビーズ』展会場の
「Smarties bra(チョコレートによるブラジャー)」
写真右下にスザン・ピーチ氏のサイン。




岡本光博氏の計らいで憧れのスザン・ピーチさんに会う。肖像写真は雑誌のコピーで、ブラを着けているのはモデルさんとの説明。でもでも、スザンさんはキュートで美しい女性だ。先週会場で撮ったスナップ写真に彼女のサインをお願いし、さらに、ホームページへの掲載の許しを頂いた。

 知的で美しくなければ現代美術は出来ないと思うのは偏見だが、岡本氏もカッコ良いし、わたしがこの世界と出会った30年前とは状況が異なるのだろう、自己表現を真剣に思考する者の表情は美しいと云う事実が「偏見」を弁護してしまう。ジュエリー作家という枠組みから解放されているスザン氏は、来年、ボイスの作品等と一緒に展示される大規模な展覧会への出品が予定されていると云う。彼女の作品はお菓子を主題としつつ、主成分の砂糖が溶ける過程で変質する差異を提示している。今回展示されている「Five Robots」や「Sea Family」の変質した物のオブジェ感も面白いけど、作品と写真のインスタレーションから溶解に必要な体温を上昇させる「視覚の欲望」を産み出す「Smarties bra」にわたしは、参ってしまっている。

 今日は、展覧会カタログの話をいろいろ聞いた。風車の見えるドイツ的な風景、アウトバーンを疾走する岡本光博氏。高速道路を一心に走る氏の背後、はるか後方に車のライトが迫りかける。彼の社会的なメッセージを象徴する写真だ。---カタログは出品作家にそれぞれ2点の写真頁を選ばせる条件で作品写真の他に、ワークショップ会場(ドイツ、メクレンブルク・フォア・ボンメルン州。プリュショウ城)の近くで作家自身が選んだ状況での一点が使われている。岡本氏が話してくれた各作家へのコメントが面白い。スザン氏はお菓子を一杯抱えて店を出てきた情景。彼女のアプローチを端的に表した写真だと思う。
 
 評論家のバーバラ・マースはカタログ・テキストの結びに「身に着ける装飾、身に着けない装飾、社会批評する装飾、装飾としての空間、装飾ではない何か。作品こそは多種多様ですが、素材と芸術的手段の自由な駆使、既存の枠組みにとらわれない他領域への越境行為、これらの点で各アーティスト間にはある種のコンセンサスが見受けられます。」
(長谷川圭訳 日本語文加筆・編集 岡本光博)と書いている。

 尚、同展は6月1日まで京都芸術センターで開催された後、会場を東京のギャラリー「結」(ヒコ・みづのジュエリーカレッジ本校舎1F 東京都渋谷区神宮前5-29-2 電話03-3499-0350)に移し、6月10日(火)から19日(木)まで開かれる。こののち、8月にフィンランドへ巡回される予定との事。


May 24 2003

朝、二日酔いの頭で昨日の「日録」を書き込む。そして、書きながら酒に自堕落な我が身を反省。支店のみんなに「痩せたね」と指摘されたので、本人自身もちょっと心配になる。2年前の輻輳した仕事の日々からの激やせと思っているのだが、支店の仲間の場合は「1年たったら、もと以上」と云う。「わたしのは違うぞ」と自己分析。脹ら脛の調子はいまひとつだが、他には自覚症状が無い。2年前から一日も休まず、会社に行っているので、「元気そのもの」の、わたしなんだけどね。家内に勧められ、朝シャン、体重を測ると57.5kg(5kg程の減)だった。

 昼前に体調がいまひとつになり、しばらく昼寝。夕方からホームページの新シリーズを作成する。予定より大変な作業。公開まで、いましばらく。


May 23 2003

古式生そば「ひさや」
博多区店屋町5番11号
電話092-281-1263
昼食時、サラリーマン達で盛況。

 

 

 





食べ処「彦」のテーブルに
鯨のベーコンと刺身が並ぶ。






日帰りで博多へ出張した。始発のひかり177号、博多着10時47分。移転した福岡支店が想像以上に綺麗な事務所で、職場も活気があり安堵する。仕事の内容は別として、昼は古式生そばの「ひさや」で天ぷらそばを食す。アツアツ、カリカリのエビ天とそば、ここのは上手い。支店から3分だから出張の楽しみ。博多といえば、鯨を食べるも楽しみで、夜は「彦」へ。ここも支店から3分。刺身とベーコンを頂く。焼酎をしっかりのんで、いろいろな話に熱中。しかし8時に切り上げ、新大阪止りの最終ひかり396号に乗車。新神戸まで爆睡。JR、タクシーと乗り継いで帰宅は午前1時。


May 22 2003

家内の祖母から頂いた盆栽を地植えにした庭のさつきが、今年も赤い花をつけ始めた。見事な盆栽だったが、引っ越しで植え替えたり、わたしたちが手入れをしなかったりで、近年は勢いが無い。それでも、眼を楽しませる。この花が咲くと祖母の事を思い出す。

 夜、現代美術の作家、鈴木崇氏が来宅。氏は写真の話に詳しいので興味深い話題。真面目に表現の話をいくつか。そして、旧作を拝見。アメリカのガソリン・スタンドで撮った写真だが、展示するときには壁面から浮かせ、微妙にゆれる画像、人間の視覚と認識のズレを利用した表現と云う。細部までピントの合った写真であるのにシリアス写真とはならず、場の状況を伝えるのではなく、視覚の問題を想起させる仕掛けは、新作の「Haut(皮膚)」シリーズにつながる非凡なものを感じた。「写真は時間を表現する」とは氏の言葉。


May 21 2003

友人のメモに「心が動かなければ、本当の知恵やエネルギーは出てこないものである」とあって同感する。わたしの社会的存在としての側面。出張を前にして準備にバタバタ。


May 20 2003

カメラ雑誌でリコーが銀塩写真から撤退したニユースを改めて読んだ。在庫がなくなり次第終了。保守期間も10年との事。気に入って使い初めた「GR1V」、そろそろカメラの性格が掴めたかと思った矢先に残念だ。資金があれば「GR1V」の予備機を確保するのが正解なんだけどね。


May 19, 2003

テレビを観たり、昨日取り込んだ画像の調整をしたり、メールの返事を出したり。


May 18, 2003

京都芸術センターで『シンプル・ビーズ&カルチャー・ビーズ』展を観る。企画主催者であるスザン・ピーチさんの「Smarties bra(チョコレートによるブラジャー)」に惹かれてしまった。特別の仕掛けがあるわけではないのに、お菓子のチョコ(?)をビーズにしたひも状のもので、展示台上にブラとパンテイのシルエットが作られている。壁面には「チョコレートによるブラジャー」を着けた若くて知的な女性の肖像写真がピンナップされている。薄いブラウスから乳首が透けて見えるその写真は上品なエロティシズムの甘い食感。この作品に吸い寄せられたのは、子供の時に明治製菓の「マーブルチョコレート」をナメナメした舌先の感触と乳首のマーブル感が繋がってしまった事にあるのだろう。そんな訳で、会場にいらっしゃった出品作家の岡本光博氏にお願いしてスナップ写真を何枚か撮った。貴重な記録だ。こんなブラを着けてみたい。舌先でブラが溶けていくなんて、興奮してしまうよ----。

桧公園で休憩する獅子舞。



 

 

 お祭りのおかげで昼間から公認ビール。赤飯やら鯖寿司で昼食。3時には祭列を見に近くの公園へ。町内の役が回ってくるのは、まだ先の事だが、その時にはお供をしなくちゃ。わたしは祭りが好きで、血が騒ぐ。今日は獅子舞いにポーズを取ってもらった。名古屋での子供時代、氏神様で獅子を被るのが好きだった。六年生までやっていたな。祭列の獅子は二匹なのでつがいなのだろうか。蒸し暑い一日なので、風呂上がりのビールが旨い。ビールばかりだね。


May 17, 2003

BRUTUS6月1日号の「新しいスタイルの「本屋」が気になる!」を朝からチェックする。「ハックネット」の本店には以前行っていたが、マン・レイとの出会いがなかったので、本を買い求めた事はなかった。でも、こうした「いきなり老舗」といったコンセプトは良いよね。本好きにとって、気に入った本屋と出会うことは幸せである。最近のわたしは、海外の古書店とインターネットを通しての付き合いだが、わたしが利用し、利用していた京都新旧のブックストアと云えば「京都書院」「シルバン書房」「三月書房」。それぞれ、人との出会いがキーワードである。

 家の用事を片付け、伊勢丹でのマン・レイ写真展の広報を幾つか。さらに、銀紙書房の注文書籍を発送する。ニュースでりそな銀行が特別支援銀行になった事を知る。公的資金2兆円規模の投入。まったくもって経済の失速を憂う。

壬生の旧家

 

 

 

 

 今宵は氏神様の元祇園梛神社の例祭宵宮。このお宮はスサノオノミコトほかを祭り疫病除けの神で知られる。貞観年間、京の悪疫退治のため祭神を東山八坂に祭る前いったんこの地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが起こり。このため元祇園とも。祇園祭傘鉾の起こりも同社の祭祀に由来するという。5月第3日曜は例祭で祭事のあと神霊を鳳輦(ほうれん)に移し、北・三条通、南・松原通、東・壬生通、西・土居の内通に囲まれた氏子社中を巡行する。特に少年勤王隊、獅子、鉾、花傘などの祭列は見もの。」(京都市観光文化情報より引用)
 毎年、お祭りの時には鯖寿司を作り宴会。今年は良い鯖が手に入り上手く出来たと祖母は満悦。食卓には鱧に梅肉。炊いた旬のエンドウ豆。家内の好きな鴨ロース。奮発してのエビスビール。明日の行列が楽しみである。


May 16, 2003

寝不足のところに、夕食でビール、猛烈に眠たくなって、ヨレヨレ。キーボードをたたきながら、支離滅裂。それというのも、帰宅すると6月4日から京都駅の伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOで開催される『マン・レイ写真展』のポスターやチケットが届いていて、うれしくなって、「ベールをかぶったキキ 1922」の写真に見入っていたからなのだ。こんな夜は、ますますもってビールが旨い。このキキの写真、昔、日本の高名な写真家が買い求めたと云う話を聞いたことがある。若い時のキキはいい女だね。芸術家のイメージをそのまま反映する肉体。自由に形付けられる粘土のように、手にしたい肌。

 展覧会は「フォト・アートの誕生 マン・レイ写真展」と題して、JR京都駅ビル内にある美術館「えき」KYOTO(電話代表 075-352-1111)で開催される。 PART� 6月4日から15日 PART� 6月17日から29日 500点を超す多様なフォト・アートの世界を会期2回に分け、テーマ別で展覧。


May 15, 2003

「ATHA」の生ビール大。
こればかりを飲んでいる。

 

 

 

「ATHA」で前田好雄さんと待ち合わせ。16日からボルボニューイースタン本社で開催される樽家紀治氏の「着物展」の搬入帰りにチョット世間話。タイの『帯』織物とのコラボレーションとの事、どんな展覧会に仕上がっているのか、面白そう。
 京都芸大出身のAさんとOさんお二人と、いろいろな話し。世代的にはわたしとほぼ同じ。会話の中に時代の雰囲気もチラホラ。ビール一杯で退散するつもりが、ツイツイながい。でも、上品に飲んで、ゆったりとした夜の街に出る。カメラをもっているのだけど、写真的な風景とカメラで切り取る風景は別物だと、実感。


May 14, 2003

今週の通勤のお供は森山大道さんの『写真との対話』(青弓社 1995年刊)。今まで、書店で手にしても、ちょっと重いかなと敬遠していたが、読み始めると面白い。いろんなキーワードの詰まった本だ。わたしの場合は暗室から離れて20年以上経つが、あの頃が懐かしい。懐かしがっていてはいけないのだけど、最近、リコーGR1Sで街スナップをやりながら、考え感じる事の確認が本書で出来る。写真を一行で定義すると「光と時間の化石」であると森山さんは印す。「記憶=記念=記録」上手く引用できないけど、気分はとてもマッチする。彼の写真にバイオリズムが一致する時間があるように、現在は彼の言葉に影響を受ける。でも、どうしてだろう。この皮膚感覚は大変だ、きっと、平凡なサラリーマン、家庭生活者としてはズレ始めているのだ。
 飛ばしたり、後段から戻ったりして、読んでいるのだけど、小池鉄朗氏が纏めた「略歴」が面白い。本文を読みつつ略歴を確認。森山さんへの親近感、小池さん自身の営為を確認する作業。「事実の羅列」なのに雄弁に書き手(編者)を表現する。当然、物を書くことはこうでなければ、何故書くのかの問いに答える生身の人間がいる。


May 13, 2003

詩人のKさんと、「ATHA」で新しい本の打ち合わせ。実現したら素晴らしい本になる予感。しかし、その前は地味な作業。ヨッパラッテいるのでお休みなさい------


May 12, 2003

『ドキュメント カフェ マン・レイ』の注文を幾冊か受ける。


May 11, 2003

スクラップブック用の資料整理。昨年の8月からやっていなかったので、大変な作業となった。展覧会の案内状や新聞の切り抜き等を取り出して、つい読んでしまい、作業ははかどらない。これ以上たまると、修復不可能な状態となるので、しばらく、これを続けるか。しかし、家内の花粉症がハウスダストの為に悪化してピンチ。

 銀紙書房の新刊書を計画。構成を考えつつ、ページメーカーでのダミーを作り始める。


May 10, 2003

朝刊で霊能者の宜保愛子さんが亡くなった事(6日に胃ガンで)を知った。テレビ番組での超常現象解説を観ながら、氏であれば、どうしてわたしがコレクターになってしまっているのか、説明してもらえそうな気がしていたので残念。

 花粉症治療で草花のエキス注射をしてもらいにK医院へ出掛けたのだが、待合室でウツラウツラしていたら、パリ・サン・シュルピスにある写真集専門書店の名前が「La Chambre Claire」だったと思い出し、これってロラン・バルトの『明るい部屋』のことだったと連想した。しばらく、注文してなかったので、フランスでの新刊注文はアマゾンをやめて、こちらにしようかなと、ネットで検索をする。
 
 昨夜、横浜のT氏と情報交換。石神井書林内堀弘さんの事が話題に出て、その雑誌『ユリイカ』の2003年4月号「特集、詩集のつくり方」を京都芸術センターで手にする。パラパラ見ていたら、田村書店の奥平晃一氏と初版本コレクターの川島幸希氏の対談「詩書初版本談義」に気付いた。その最終部分に司会者が「川島さんは、ご自身のコレクションの行く末について考えることはありますか。」と投げかけた質問に、以下のように答えている。同感するので、長くなるが引用する。(183頁)

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<川島> 最終的には、全部売り払うつもりです。まあ、遺された本をどうするかは僕の子供が考えることですが、絶対に図書館に寄贈だけはするなと子供にも言っています。本というのは、自分の物でも自分だけの物ではない。その人がいらなくなったら本屋に売って新しい人が買ってというように、いろんな人の手に渡って読まれることで生きているんですから。図書館に入った本は剥製のようなものです。

<奥平> そもそも図書館に納まりたいと思って発行された本はひとつもないでしょ。愛着を持ってくれる人の手に次々と渡って、大事にされ続けていく、本というのは本来そういうものだと思います。

<川島> 欧米ではコレクターは本を手放す時、非常に詳細な、書誌としても役立つ蔵書目録を作るわけですよ。いわば蔵書の墓碑ですね。それは考えないこともありません。

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May 9, 2003

ここしばらくの通勤のお供はロラン・バルトだった。しかし、馴染みの無いキーワードが幾つかあるので戸惑う。バルトの思索は朝は読めなくて、退社時に5分程立ち入るといった感じ。「日付が写真の一部である。日付が写真の様式を示すからではない(私にとってそれはどうでもよいことだ。)撮影の日付が、写真からふと顔を上げさせ、何世代もの人々の生や死や無慈悲な消滅を推測させるからである」(ロラン・バルト箸『明るい部屋』花輪光訳 みすず書房 1985年刊 104頁)等の箇所で眼が止まる。「温室の写真」を観てみたいものだ、バルトは「ここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それ関心=差異のない一枚の写真、<任意のもの>の何千という表れの一つにすぎないであろう。」(89頁)と拒絶しているけど---そんな訳で、木水千里さんの論文を再読する。


May 8, 2003

京都市内でも今朝はドシャ降り。駅までの5分間でグショグショになってしまった。地下鉄駅から会社まで田舎道を歩くと15分掛かるので、初めてバスに乗る。駅から始発の臨時便は、ある大手企業の貸し切りバスの様子。社内ではOL達が上司、同僚と挨拶。こんな光景が昔、わたしの会社でもあったなと思い出した。2年程の間に状況は180度の変化。会社勤めが続けられているだけでも有り難いと、傘を差しての出勤。


May 7, 2003

会社のSさんとマウスの話。わたしのMACの先生である氏は「安いのはどうしてもダメだね。ちょっと高くても純正を買うようにしている。マウスやキーボードは悪い姿勢で仕事をしているのといっしょだから」とアドバイスをしてくれた。やはり、ソフトをインストールしスクロールボタンを使っても動きが悪いので、買い換えを検討しなくちゃならないと思う。今宵も手首がシビレた感じになっている。

 子供の時から、お金もちは良いなと羨ましく思ったものだ。最初に買ったカメラもやっと貯めた小遣いだったから「ペトリV6F2」だった。「ニコン」でスタートしていたら随分違うだろうな、最近、リコーGR1Vを使いながら、性能の良さに感心することばかり。ローテクのこだわりといった部分もあるけど、良い機械を使えばへんな回り道をしなくてもすむと、実感している。その反面、あり合わせの品物を使って、夢見るオブジェを産み出す原動力は、お金持ちとは違って、おもちゃを自分の手で作ること。常に、羨ましいと思うギャップを自覚すること。貧しい仕立て職人の息子であったマン・レイにも、この感覚があるのではないだろうか。 「マウス」の買い物でこんな事を考えてしまうのだから、困った性格だ。

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 4月11日、10時30分から開かれたオークションのアンドレ・ブルトン旧蔵書籍の中に、シベリア鉄道を西に走ったと推測される数冊の本が含まれていた。その内の一冊である『火串戯』は『或一生の内幕 或は人間の尖塔』と二冊組でロットNo.1570 予価750ユーロで掛けられた。この『火串戯(JOUER AU FEU)』は、シュルレアリスの紹介者である山中散生氏の1935年の詩集で、ブルトンへの献呈本。今回のオークションではデジタルカタログが充実していて、献辞のあるページを確認することが出来るのだが、そこには「a Andre Breton / son ami / Tiroux Yamanaka / c/o J.O.C.K Radio Station / Nagoya Japan」と云う記載がある。ブルトンへの献呈本が幾冊も出品されたオークションで、他の著書達の献辞ページを観て、楽しんだわたしは、ちょっと不思議に思った。封書や小包の差出人住所なら解るけど、美しい自書の大切なページに勤め先の会社名を書き込む詩人なんているのだろうか?  ここに山中さんに対する違和感がある。氏と同じコレクター的資質を持ってしまっている「マン・レイ狂い」のわたしとしては、手許に保管するマン・レイ資料に対する客観的態度と、入手に至るアプローチへの真摯な姿勢が不可欠と思う。シュルレアリスムの思想がこの立場をわたしに求める。シュルレアリストとして生きる為には、当然の態度なのである。権威主義ではなくて、孤高の存在として社会にあること。落札価格は4,100ユーロだった。ビットして100ユーロ足らなかった同胞の無念に思いをはせる。
 
 こんな事を「日録」に書き込まなくてはならないと思う経緯が情けない。シュルレアリスムは研究の対象ではなくて、生きるための指針である事。わたしにとっても、貴方にとってもと、伝えたくてしかたがない。

 尚、山中さんの筆跡を観たいと指先がソワソワしてしまっている方は、このをクリックして下さい。現時点で(5/7)ネットカタログはクローズしていないようです。


May 6, 2003

手許資金の関係で「安物買いの銭失い」をしてしまったのか、買ってきたマウスが小さすぎて肩が凝る。人間工学を考えないデザインじゃないのかな、製品名はサンワサプライのウィザードミニ(MA-WZPL)  昨日、J&Pで何時もお世話になっていたFさんが大阪へ転勤したため、上手くアドバイスが引き出せなかったせいでもあると反省。従来のMAC純正に近いのを購入したらよいのだが、ちょっと高いと思ったのがケチの付き始め。手首と指先が慣れないままであれば、再度、マウスを買う事になるのだから困ってしまう。ノートに合う小型のマウスが今は主流なのかな、わたしのようにガンガン書き込む者には、不向きだと結論、女性用なんだろうか。

 古い友人が、この「日録」について「あっさりとしてそして悲しさがあふれているような気持ちになります。全体のイメージから独特のひきつけるものを感じます」とコメントしてきた。30年来の読者、青春の同じ時期に写真に傾注してしまった同志。いまはただ、お互いの健康を祈る。


May 5, 2003

昨夜、帰宅したらIMACの調子が悪いと長女がヘルプ。画面のポインターがマウスに反応しないので難儀する。二週間程前から、現象が出始めていたが、いよいよダウンの様子。今日は、ゆっくり本造りと考えていたがJ&Pにでかけてマウスを買い求める。

 午後からやっとメールのチェック。井浦睦生氏は
深夜1時20分に私宛のメールへ「メイプルソープ。 観る者への、拒絶と哀願、コモンセンスな審美と、アンチな退廃美など、、、、こうしたパラドクスが好きなのだと再確認できました。」と書き込んだ。


May 4, 2003

イノダコーヒー本店の中庭
三条堺町下ル



朝、イノダコーヒーのガーデン席に座って黒沢さんと昨晩の続きを少々。氏が昨年から連載を開始した「山中散生ノート」(名古屋近代文学史研究140号~)への期待を表明しつつ、パリのシュルレアリスト達と交流した山中さんの、シベリア鉄道に載せられ名古屋まで送られてきた戦前の書籍。洗足池のご自宅でマン・レイ関係の原書を手にした昔を思い出した。過ぎ去った時代。2003年のわたしはインターネットを使って本を探す。手紙でやり取りしていたわたし自身の時代もつい5年程前だったのに----心地良い光と風に包まれながら、噴水の水音に心が慰められる。

 コミュニケーションアーキテクトの井浦睦生氏に誘われて連夜のATHA詣で。ウエッブでのネットワーク、ホームページの作り方のポイントを伺う。もっとも、氏は現代美術にも関心を持つ人なので、そんな話題、メープルソープの評伝の事等、世間話をいろいろ。ATHAでは知っている顔の幾つもと再会、もちろん新しい出会いも。8時からの入店なのに退店は12時。店を出て二人で御池通をブラブラ。広い通りに街灯のオレンジ色の列。自転車を押しながら半袖にヒヤリと夜風。メープルソープの構成力が好きだと氏は語った。


May 3, 2003

山中散生氏の研究者である黒沢義輝さんと会う。フィールドワークで名古屋に出掛けるついでで京都へ足を運んだ様子。岡崎勧業館での古書市会場で待ちあわせ。1995年に山中さんを研究対象に選んだ経緯を質問した。20代にエゴンシーレ等のウイーン世紀末に惹かれた後、ロシア構成主義に関心を持った黒沢氏は時代状況や都市といったものに関心領域があったとの事。1995年にシュルレアリスムの内、山中散生氏を対象領域に設定したと云う。瀧口修造氏についてはすでに先行研究がなされ予測される部分が多いが山中さんについては未知の領域が広がっていると判断し、山中さんの研究を進める過程で富山県立近代美術館の「シュルレアリスムをめぐる作家たち」展の企画に出会い「山中散生年譜・書肆」を発表された様子。山中さんその人自身ではなく、山中さんを通して時代や都市をうかびあがらせるのが狙い。シュルレアリスムの思想が人生を変えたと判断するわたしの視点とは異なる。瀧口さんの第二世代ともずれる第三世代と自身を位置付けている。コレクコターとは異なる研究者の立場。名古屋市美術館の「日本のシュルレアリスム」展に決定的な影響を受けたと云う氏は、展覧会は観ていないが、カタログを読み込んだと云う。山中さんの人柄に対する意見を伝えたが、そうしたものとは別のところに、黒沢さんの立脚点があることが話をしていて解った。対象についての愛ではなくて、対象を通しての時代や都市といったアプローチがある事を理解した。シュルレアリスムがそうした研究対象になるのだと思う事は、わたしには複雑な感情でもある。 ATHAで黒沢さんのそんな話を聞いていたら、ひどく酔っ払ってしまった。


May 2, 2003

4月27日に「日録」へ書き込んだ内容の訂正が必要になった。

 美術評論家の桐島敬子さんが朝日新聞に寄せたアンドレ・ブルトンのオークションに関する記事を横浜のY氏がコピーして送ってくれた。7日の夕刊では「競売という手段は、既成の価値観に抗してきたブルトンの詩の世界を商品化し、現代社会が要求する大イベントというショーに祭りあげようとしている。カタログの、挿話をちりばめた文学的説明は作品に付加価値を与え、競売者の慇懃な煽りの具になる」と警告している。又、28日の夕刊には、競売反対派のデモやチラシ配布、ブルトンの肖像を印刷したニセ札ばらまきなどの行動を伝えると共に「競売は<美術商>対<館長>戦の様相を呈した。小さい作品は個人戦------政府はすべてを保存するのは国の方針ではないことを競売直前に明確にする一方、総数4100点のうち335点もの作品を先買権を使って確保」等とある。ブルトンが溺愛したという娘オーブ。年老いたジプシー女「秘法17番」のエリザ夫人。「遺族は22日、その半分以上を国に寄贈すると発表」と顛末も報告している。
 市場にブルトン旧蔵品が登場する可能性がまだ有るとコレクター心理がくすぐられる部分を残しながらも。しかし、考えるべき事柄は桐島さんも指摘されているように「散逸は個々のオブジェを結んでいる思考が断ち切られること」(7日)の痛恨の念である。


May 1, 2003

つらい電話を今日も----