2004-03-31 マン・レイになってしまった人

March 31 2004

会社前の欅にも若葉が芽吹き始め、売上、利益率共に目標をクリアしたので気持ち良く帰宅。夕食にわかたけを頂き春の到来を感じる。ワールドカップ一次予選もなんとかシンガポールに勝ったので、気分良くヨッパラッテいる。


March 30 2004

朝、銀行へ。事務所へ戻る道すがら中島堀端町の辺りは鳥羽離宮に続く古い田舎道。梅や桜、チューリップや椿が咲いていて気持ちが良い。雨がパラパラと降り出して土の香りが舞った。背広が濡れ足元の水が跳ね上がる。鼻につんとくる匂いは、春が始まるような、終わったような不思議な肉感をともなっていた。


March 29 2004

資生堂から『マン・レイ』展のチラシ・デザインが送られてきた。具体的になってきて心が騒ぐ。


March 28 2004

埼玉県立美術館がニュース「ソカロ」(11号)を送ってくれた。同号「展覧会見て歩き」の大越久子氏によるコラムに、先日からこの『日録』でも言及している「あるサラリーマン・コレクションの軌跡 戦後日本美術の場所展」が取りあげられている。展覧会のネーミングが親近感を与え、同展が「人生を模索する現代の人々に訴えかける社会現象になりえた」とし、「専門家による美術」をうっとうしいと感じる大衆に対し「展覧会を企画したり開催することの意味や手法をあらためて考えたりして、しばらくの間胸中は複雑でした」と、筆者は締めくくっている。文中に「私は常々、氏の活動の根底には、美術のありように神話を作らないという強い意志があると感じています」とあって同感である。観客にとっても、展示にたずさわる学芸員にとっても、厳しい選択をせまる内山治郎氏の行為である。
 尚、埼玉県立美術館では9月11日から10月27日まで『マン・レイ展』が開催される。巌谷國士氏がオーガナイズされる大規模な回顧展で、とても楽しみ。公式の広報がそろそろ始まる、チラシには「ユーモアと皮肉、遊び心に満ちたマン・レイの魅力を探る」とある。

 家の用事や原稿のチェック、アンドリューへのメール等をしていて、外出しないままの一日となった。夕方からヤフーBBのメール・ボックスが故障し確認が出来なくなって難儀する。明日の修復まで開店休業。


March 27 2004

Pierre Bourgeade
bonsoir, man ray
Pierre Belfond
1972
Provenance; Kausaku Ikuta
限定版のサイズは22.2x14.3cm。
版型を示すトンボが残されていた意味が
判った。この普及版は21x13.5cm。

    
    
     
    

福田屋書店に掛けられている静物
1929-6 K.TOMITA

   

桜の開花には一週間早いが午後、古書店めぐり。山本善行氏の『関西赤貧古本道』を読んだところなので、ソワソワと自転車で走った。アンドリューに頼まれたマン・レイ資料を探しに紫陽書院を覗くのが、一つの目的だった。その前に百万遍の遅日草舎に寄ると生田耕作旧蔵書の『ボンソワール・マン・レイ』が目録11号に掲載されていたので、早速、見せてもらった。同書日本語版の刊行者としては、気になる一冊で、昔、生田先生に翻訳をお願いしようかと思った事があり、先生は「僕も持っているし、良い本だね」と答えられた。その話題になった現物を今日、手に入れたのは、何かの必然である。
 福田屋書店で「近鉄京都古書即売会目録」を頂き世間話。丸物と云えば「タンジ書店を思い出しますね」と投げかけたら「あの人は出町の夜店から出発していて、変わった人だった。親父の代の人でね」等といろいろ。わたしはタンジ書店でいくつかのマン・レイ関連書を買った。カイエダールやG.L.M.の本があって、何度も胸がときめいた。この店の事をだれか書いてくれたらよいのにと思う。福田屋書店の店頭には小さな油彩が掲げられている。何気ない花の絵なんだけど、こいつがすこぶる良い。左下に「1929-6- K.TOMITA」とある。誰なんだろう。

 その後、ギヤラリー16で世間話。ATHAによって久し振りのビール、吉川さんと世間話。帰宅して、また、ビール。こんな午後が好きだ。


March 26 2004

昨日に続き、今日も昼休みに原稿書き。だいたい纏まる。午後、春の嵐。突風が事務所をまって伝票類が花吹雪のように舞う。寒い。

 同僚の車に便乗し帰宅。彼にも同じ年頃の娘がいるので世間話がはずむ。高校2年生の娘さんの希望は「パティシエ」になることだったが、料理学校の説明会で「良い菓子職人になるためには、美味しいものをしっかり食べて、舌を鍛えなければいけない」との説明を聞き「それじゃ、ダイエット出来ない」と反応して「パティシエ」への道をあきらめたとの解説に、なっとくするやら、あきれるやらで面白かった。

 内山治郎氏から写真を受領されたと礼状が届いた。そこに「初対面に関わらず共有する価値観のゆえか、永年の知己のように感じられ、楽しく過ごさせて頂いた一夜でした」とあった。感謝。


March 25 2004

昼休みに原稿書き。


March 24 2004

昨日送った画像データーが役立ったようだが、ヤンは二信で「原稿の参考にしたいから、貴方がどうしてそんなにマン・レイに夢中になったのか、そして、どうしてそんなに大変な作品作りをしているのか、教えてもらえないだろうか?」と問いてきた。しかし困った。日本語でも上手く言えないのに、英語で伝えなければと思うと、お手上げである。そうこうしているうちに睡魔が襲う。----おやすみ。


March 23 2004

アンドリューと話をしたばかりのタイミングで不思議だが、ル・フェルーのマン・レイ・スタジオで出会ったヤンからメールが入った。出会った頃の彼は20代前半だったと思うが、今では大活躍のアーティスト。この秋にストックホルムの美術館で開催される『マン・レイ展』のカタログにエッセイを頼まれたそうで、執筆資料用の油彩図版をJPGファイルで添付し送って欲しいと云う依頼だった。彼は『港湾監視人』(1958年)と題された油彩のエスキィースを持っていて、これに言及したい様子である。彼にしてもロンドンやローマで展示された油彩を手に入れることは困難だろうけど、形体や色彩に関する細部への書き込みのあるデッサンは魅力的である。


March 22 2004

蛇足になるとわかりながら、福井県立美術館での印象を書き加える。書かずにはいられない、わたし自身の再構築が必要なのだ。


March 21 2004

昨日までの写真を現像に出し、終日『日録』の書き込み。書き出したら止まらなくなって困ってしまった。結局、マン・レイ展用の原稿にかかれないまま一日が終わる。写真を取り込みながら、著作権や肖像権の関連で『日録』では使えない写真を前にして、ストレスがたまった。本当は会場の展示風景。内山治郎氏とのツーショット。アンドリューとオリビアが膝掛け毛布を掛けて居酒屋で飲んでいる情景。家人とアンドリューのセッション等を紹介したいんだけどね。ご希望の方は、御一報といったところである。


March 20 2004

 福井県立美術館
 福井市文京3丁目16-1
 電話0776-25-0451
     
     
     

     

早い時間から福井市へ出掛け、最終のサンダーバード50号で京都(22:46着)に戻った。あるサラリーマン・コレクター内山治郎氏ご自身による「語る会」は盛況だった。終日会場でコレクションを拝見し、ゆっくり氏のお話をうかがい、質問も聞いて頂けた充実した一日だった。閉館後、囲炉裏端で土地の美味しい山菜と共に、お話しをさらに詳しくお聴きし、サラリーマン・コレクターの大先輩と云った先入観が、真摯な伝道者に変わった。内山さんは楽しく魅力的にご自身の世界を開陳される。実に朗らかに作家や画商や収集家について語られる。その人間的魅力がコレクションの品格を支えているのだと思った。今、1時前、アルコールはほどよく気持ち良いが、遅い時間となって。キーボードがあやふやである---おやすみ。

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「あるサラリーマン・コレクションの軌跡 戦後日本美術の場所」展 

 巡回最終会場の福井県立美術館はスペースに余裕がある関係(注1)で、巧みな導入部から観客の心を惹きつけてくれた。第一会場で「サラリーマン・コレクターの家」と表札のある玄関にインターホンがあり、赤いボタンを押すと「こんにちは「サラリーマン・コレクターの家」にようこそおいでいただきました。ごゆっくり楽しんでごらんいだければ幸いです。どうぞ右側から家の裏側におまわり下さい。」と主人の声が流れる。サイズ25cmの紐無しの黒靴が置かれている玄関なので、ご主人のものだろうか、先客が居るのだろうかと展覧会への期待が膨らむシュチュエーションである。そして進んでいくと黒猫ヤマトの美術品運送の運び込まれた(保管されている)作品ケースが山と積まれた一角をやり過ごして、裏庭から居間にあがる。展示品は原則作家名の50音順と後で聞いたが、最初が安齊重男さんの撮った南画廊でのイサムノグチ展の会場。ノグチと武満徹が会場の人物中でも中心となっていて、本展との関連で深読みしてしまった。図録には無い(他会場では展示されなかったと推測)が、自由が丘画廊「窓越しに……マルセル・デュシャン小展示」での瀧口修造の肖像、山中信夫展のピンホール写真と続くのだから、深読みはしかたないぞと思った。

 作品は各ジャンルにまたがっているが、違和感は無い。氏の購入基準は「出会った際に心に触れるもの」「素朴、情緒、感動」との事だが、各作家の優品が、重要作が、一級品が、もちろんこんな区分けは無意味だ。第三者の観客であるわたしの心にも、作品達が飛びまわってくる。紙やキャンバスや絹等の支持体から作者の精神が浮き上がり、伝えたいと語りかけてくる物達である。だから、客観的でありながら熱い。それぞれの作品についての感動を記録したいとも思うが、膨大になりそうなので最終コーナーに用意された人気投票(注2)で青シールを貼った塩見暉夫「荒畑寒村像」に触れたい。コレクター自身が記したメモには「某画廊で打ち捨てられたような感じでこの作品に出会った。作者を確定出来ず値段も破格のものであった。じっとこの作品に見入ると寒村の静かでゆるぎない信念が伝わってくる。素晴らしい肖像画である。」とある。こうした人間の生きざま、悩みをかかえつつ前に進む、生きていかねばならない生といった実存が伝わる。コレクターが共感される作品の重層的な魅力が、生の悩みの克服にあると、観客であるわたしは、わたしの物語として読んだ。中国から引き揚げた父親の時代が油彩の中に塗り込められているのだ。

 そして、午後2時から「コレクターと語る会」(司会進行は担当学芸員の野田訓生氏)が始まる。米沢出身の氏は日本画の沢山ある素封家の長男として育ったご様子で、掛け軸や屏風などの水墨画に親しんで幼年期を過ごされたが、一年入隊が早かったら死んでいたと云う、戦中を生きた人(注3)。収集の始まりは、転勤に際して仲間から贈られた、友人画家が描いた油彩だったと云う。第一次美術ブーム時に作品を手放したが、それ以外は手許に置いてきた氏のコレクションは約1,000点。美術資料収集家として知られる氏は、調査に訪れる学芸員達が自宅に掛けられた作品に気付き、その展覧会を懇願されてきたとの事。本展実現までには8年近くが費やされているが、最終的に提示した条件は、1--実名を出さない。 2--作品選定は企画者が実見して決める。3--謝礼は不要だが、しっかりしたカタログを作る。の3点だった。そして、3条件の背景をお話しされた。1--美術資料収集家の側面から色眼鏡で見られる事を拒否。 2--図版がよくて現物が悪い物、また、その逆もある。実物そのものの魅力を感じとって欲しい。3--作家達にカタログを作ることで還元させたい。等、明確な態度で関心した。資金不足に悩まされ物欲に支配されている、わたしは氏の姿勢に脱帽した。
 
 氏の現代版画収集は、精力的に画廊回りをし、作家の肉声に接するやり方でもあり、体験的に現代美術を学ぶ事となった。氏の営為を書きとめながら、ご家族との折り合いを聞きたくなった。福井まで来たのはその為でもあったのである。氏と語る会は、日本の美術館では考えられない活発な質問のあらしとなって会場を熱気に包んだ。質問がほとんど無い、あるは、質問しないのが礼儀であるような風潮が支配する美術館が多いのに、この日の会場は違う。若い女性、年輩の女性、画商風の男性、新潟や富山や京都や各地から駆けつけた人が手をあげる。他の方が質問された内容がわたしの知りたかった事であったので、あらためてわたしがとも思ったが、会場の作品に掲げられたコメントとカタログ掲載のコメントに微妙な差違があったので、この部分が気になり尋ねてみた。「作品を購入したら、日時と購入先、金額と共に、感じた事を書いておく。それは、わたしがいなくなったら家族には、何も解らなくなってしまうので、家族に向けたメモであり、内向きの記述でもある。」したがって、わたしには、カタログに載せられていないコメントが面白い。それは、家族だけではなくて、その時点での、予言的な作家評も含まれているわけで、活字化するのに差し障りがある部分を内在しているとも云える。例えば合田ノブヨの『月へ行くうさぎ』では「この絵を一見して親しみを感じました。メルヘンチックな要素が仄かに感じられます。私の頭に宮沢賢治の「銀河鉄道」がよぎりました。でもよく観ると黒い雲が漂い何か不安感が醸し出されています。この絵を孫の部屋にと娘に提案しましたら、「ちょっと」とやんわり断られたのも絵の中に作家の鋭い時代へのまなざしがあるからでしょう。でもこの絵は孫が大好きです。」と書かれている。難解な業界用語が氾濫する批評家が書くものは読まないんだ嫌いだとおっしゃる氏は、鋭いエッセイストだ。

 語る会は、4時前にいったん終了したが、多くの方が直接、氏とお話しをされていた。わたしは、作家の三島喜美代さんとバッタリ会って驚いた。戦中資料を展示した一角の止めのように置かれたレンガの一点『Work-2000 情報の瓦礫(20世紀の記録)より』に焼きあげられた「シンガポール陥落」の新聞記事。展覧会開催直前に送られてきた2年越しの期待の実現であった。三島さんを作品とともに記念撮影。

 さて、外も暗くなり閉館の時間となってしまたが、内山治郎氏のお話しがあまりに面白く楽しいので、無理にお願いし夕食の席に同席させていただいた。囲炉裏端で土地の美味しい山菜を頂きビールを飲んだので、いつもだったらヨッパライとなるわたしが、氏の哲学を聴講させて頂ける喜びの前で緊張し、理性があるままで食事も楽しんだ。一期一会の夜は梶喜一画伯の娘さんご夫妻も同席され口と心が同時に充実する「場所」となった。胃袋と心臓は同じ袋なんだな、今宵はどんどん入っていくぞ。
   

 囲炉裏ではあまごが焼けてきた。


 カタログに掲載された野田訓生氏の論文「反--美術館としての「あるサラリーマン・コレクションの軌跡」」が鋭くて良い。氏は「コレクション展の一亜種として本展がとらえられてしまうとすれば、このことほど企画の実質と遠いことはない」(162頁)と始める。「公共性の高い個人コレクションも、マニアックな個人コレクションも、ともに個人のコレクションが特別な評価を受ける際の指標だが、真逆にみえる志向も実はコレクションがそのコレクターへの帰属を離れるという点で同質である。」(164頁)とし「異和という現実として突きつける本展はやはり異常の範疇にあり、美術展を告発する具体的な異物であるといわざるを得ない。」(165頁)。美術館のこと、展覧会のこと、美術とは?と、全ての状況に投げかける「時に立てる爪」(コレクター氏の展覧会タイトル案)である、福井の「場所」はわたしにとって、ひとつの「マイルストーン」となった。


(注1) 山口展 周南市美術館 2003.7.11-9.21 東京展 三鷹市美術ギャラリー 2003.12.13-2004.2.1 福井展 福井県立美術館 2004.3.5-28 カタログ掲載は134点。福井では戦中資料・作品を中心に+15点程となっているだろうか。

(注2) 他の会場では一人一枚とか、年齢とか性別とかのアンケートと共に実施されたらしいが、本会場では、自由気ままに貼れる。一人で何枚でもよいわけである。統計を心配する事はない、好きな作品、見てきた作品での感動を感動体験の継続の中でシールを貼る楽しみは、購入の疑似体験でもあるのだから、人気投票を分析する画商達とは異なる、美術の楽しみが広がっている。わたしはシールを自分の手帖にも貼った。ここには展示されていない、わたしのマン・レイにも投票したかったのだ。

(注3) 組織的に焼却・隠匿したとしか考えられない、戦争期の作品や資料は、風化し忘れ去られる。裏付けをきちんとして後世に残すことは、価値観を180度替えさせられた、氏の世代のアイデンテイティに関わる重要事項と認識させられた。藤田嗣治全資料の刊行がまたれる。
  
   
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 それにしても、第2展示室の一角にしつらえられた、デスクの臨場感はどうだろう。最初の版画コレクションである、日和崎尊夫の『樹木』が、画廊から買い求め、箱から取り出された、まさにその時の状態で置かれている。ダンボールケースの紐がクルクルと垂れて、開かれたままの状態。コレクター氏は背広の上着を椅子に掛け、ネクタイを外したところ。机の上には大判の画集やらノートやら、メガネや電タクが置かれている。スタンドに照らされてあるのは李禹煥著『出会いを求めて』 その右側には象徴的に書籍資料がアクリルケースに入れられ展示されている。展覧会によくある、作者の画室再現とは根本的に異なる、生きている空間。生活の香りというのが上手く表現されたインスタレーション。これは、額装されていないけど、内山治郎と名乗る人物を表現した『肖像作品』である。

 そして、2階への長い階段を上がって、第3展示室の最終コーナーを教会の内部のように感じた心に、ふと呼びかける心地よさそうな応接椅子が置いてある。疲れた足が休みたいと誘惑をうながすが、椅子の上には帽子が置かれ、すり寄る他者を拒否する。「街に出て美術を楽しみなさい」と、コレクター氏がわたしたちをうながしているのである。


March 19 2004

今宵はアンドリューが来宅されたので、手許のマン・レイ資料をお見せする。また、家内の琴と氏のサンバ風のギターで競演のまねごと。氏は琴の弦をいろいろつまびく。先程まで喋っていて、後かたづけが終わり、パソコンに向かったのは1時を回っている。アンドリューは明日11時過ぎの関空でパリに戻ると云っていた。この二日間の事、日録に書きたいのだけど、わたしも、明日は福井県立美術館で笹木さんとお会いする予定で朝が早い。連ちゃんはきつい、さて、明日はどうなるか----

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 アンドリューの目的は、日本で開かれたマン・レイ展のカタログ等の基礎資料収集や、日本の美術館収蔵品のマン・レイ油彩調査。コレクターの確認といったところだろう。レゾネがいつ完成するのかと尋ねたら、「ぼくが知りたいんだ」と笑っていた。今まで、国内資料を余分にストツクしておく習慣がなかったので、これからは、注意すべきだと考えさせられた。彼らが求めるものは、極東日本でのマン・レイ理解。そのスペシャリストとしての、わたしの存在である。

 アンドリューが『マン・レイ方程式』で話題を確認。


March 18 2004

アンドリューと友人のオリビアの二人が上洛。喋れない英語だけどなんとかコミュニケーションをして祇園甲部で飲み先程戻った。---おやすみ。

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 アンドリューの荷物が未着の為、メイフェアでオリビア氏と世間話。氏の仕事は企業法律顧問なのだが、「ロイヤー」が聞き取れない。二条城を観光して感激したとの事で、街の様子や京都の歴史へ話題は言及することになる。「京都」と「東京」の違い等を漢字の説明で伝える。やっと荷物が到着し予定より30分程遅れて祇園花見小路までタクシーに乗る。一力の前で降り、お茶屋それぞれに吊り下げられた都おどりの提灯に迎えられ幻想的な街路を店へ。
 アンドリューはパリ在住で、オークションハウスの上級ディレクター。専門は印象派と近代絵画。でも本人はシュルレアリスムに興味を持っていると云う。ティモシー・バァムと共にマン・レイの『油彩レゾネ』を準備中の氏は、マン・レイの専門家なので、いろいろと質問をした。ル・フェルーのアトリエは、ジュリエットが亡くなった後、空っぽになってしまい、現在は外見はそのままだけど、スイス人の画家が住んでいると云う。いろいろな質問が上手く伝わっているか、返答を理解出来ているのか不安だが、「マン・レイの油彩で一番好きなのはどれか」と尋ねたところ。しばらく考えてから「貴方はどうなの」と切り替えされた。「1930年代の後半が好きで」といいかけたら、料理が運ばれてきて、結局、そのままとなってしまった。

 蹴上のウエスティン京都で待ち合わせ。


March 17 2004

ここはマン・レイに関するサイトなのだが、最近は『日録』にはまっていて、そのページだけを熱心に更新している。我が国古来からの日記文学の魅力と成立過程については以前言及した事があるが、訪問していただいた方のカウント数やら、時に頂くメールなどを励みに書き込んでいる。その過程で、リンクのページを整理し、他の方でわたしが気になる『日録』を紹介している。今日は、京都写真クラブの小池さんと、新しい書店を準備中の石川さんのサイトをリンクした。それで思うのだが、『日録』の行為は、筆者の思考がよくわかる。わたしが同感する人たちをリンクしているのは、もちろんだが、毎日訪問して楽しく、日々の力のお裾分けをいただくようなサイトが魅力的である。やっと林哲夫さんも旅行から戻られたので、訪問するのが楽しい。書き込みされていないと心配になってしまうのは、読者のワガママなのだろうか。



March 16 2004

必要なメールを幾つか入れる。


March 15 2004

開始から一ヶ月以上経過しているが、やっとオーストラリアのシドニーで開催されている『マン・レイ』展資料が送られてきた。会期は4月18日までだが、これから予定されているランチタイム・レクチャーは3月19日のヴィッキー・カラミナ「解き放された視覚; マン・レイの裸体」、4月2日のテレンス・マーロン「アーモリー・ショーの裂け目; マン・レイデュシャンとニューヨーク・ダダ」となっている。トリヤー氏に関わる写真が中心となった展覧会。さて、今後の巡回先での反応はどうだろう。

 
ART GALLERY OF NEW SOUTH WALES
 EXHIBITIONS & EVENTS
 FEBRUARY -APRIL 04

 Front cover; Man Ray Fingers of love by Main Ray
 1951 Rayograph.
   
    
     
     
     
     
     
     
     
      
      
     
      
     
   
 


March 14 2004

良い天気、祇園の辺りを自転車でウロウロ。花粉症が心配だけど気持ちが良い。縄手や白川や花見小路の町家風飲食店を物色。鴨川を超えて飲みに出る事がほとんどないので、その時にそなえて店の確認。ガイドブックだけでは、どうもピンとこない。

 画箋堂で4月から始まる京都市美術館のチラシをもらったら。○の中に「モ」のデザイン。「マルモッタン美術館」か、なるほど判りやすい。しかし、これなら、細見美術館の「やまと心の美---めぐり逢う王朝文学と美術」展の方に興味ひかれる。


March 13 2004

依頼原稿の下調べをした後、昼から名古屋へ。地下鉄で京都写真クラブの中村さんとバッタリ。名古屋駅でトイレに入ったら「一歩前に出て使用して下さい」の表記。いろいろと考えさせられる名古屋行き。顔を合わせ、世間話をしないことには、物語の進展は無いのだと今日も思う。でも重い。


March 12 2004

『日録』に存在証明といった側面が芽生えたら本末転倒だなと思いつつ、キーボードの前で不在となってしまった心。


March 11 2004

ネットサーフィンで調べものをいくつか。


March 10 2004

昼から研修で大阪へ。昔からお世話になっている自由闊達な社風の外資系企業。しかし、トイレに入って驚いた。「オフィスでは次の身なり、服装を禁止します」と「服装マナー基準イラスト版」が掲げられている。訪問客用じゃなくて、社員向けの基準だろうから、昔は古き良き時代。今はここまで、手取り足取りしなければなのかと、おもわず、読んでしまった。禁止されているのは「短パン、Tシャツ、ジーンズ、襟なしシャツ、トレパン、スニーカー、スポーツシューズ、スリッパ、サンダル、裾をズボンの上に出して着る、無精髭やフケなど清潔感のないもの」地味な服装の経理マンとしては仕事は仕事とわりきって。でも、外見は別とはいえ創造的な仕事ってどこから生まれるのだろう。

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 アンドリュー氏に「残念ながら、英語が全く喋れません。でも、頑張ります」とメールしたら、「喋れているじゃない---少なくとも、ちゃんと書けているよ」と返事。手紙やメールでの「カタログが欲しい」とか、「展覧会の成功を祈っています」と云った定型的な用件であれば、差し替えみたいなもので、なんとか意志の疎通をはかる事は、出来るのだが、会話となると、逃げたくなってしまう。


March 9 2004

喋れない英語での質問を前にして、気もそぞろ----


March 8 2004

京都新聞土曜日朝刊で深萱真穂氏が『Bill Art Exhibition』をとりあげた4段・作品写真付きの記事を「今年は紙幣デザインが一新される。新紙幣は偽造への抵抗力が高いというが、作家の想像力に対しては、さて、どうだろうか。」としめくくっている。


March 7 2004

ギャラリー16での写真があがったので「利岡誠夫コレクション」展に出掛けたいと思いつつ、昨日取り出した資料の整理やらアンドリュー氏に依頼された国内でのマン・レイ展カタログを探したりしていたら遅くなり、外出を断念。日頃の纏め方がいい加減であるし、効率的に取り出す事が出来ず、つい隣の本や雑誌に手が伸びる。金澤一志氏の日録「ねるなブックマン!」にVOUのバックナンバーのどの号を持っていたらいいかと云う問い合わせがあると言及してあったので、つい手許の124号をパラパラと読んでしまった。氏の勧められる号ではないが、鳥居昌三さんに昔、戴いた記憶がある。この号には山本悍右先生の「るーぺ・rendez-vous」が載っている、他に名古屋豆本「バタフライ」についての書評もある。わたしが、今日、じっと目を凝らしたのは新宿・紀伊国屋画廊での「第28回 VOU形象展」(1970.6.25-7.1)での記念写真。17頁のそれには先生を含めて10名のメンバーの肖像がある。自作展示壁面に持たれかかる岡崎克彦氏の雰囲気も良い。氏の自伝執筆がまたれる。


March 6 2004

雪起こしのような風の舞う日。朝からお雛様を片付け、納戸からマン・レイを運び来客を迎える。午後、マン・レイのいろいろな話を、作品や資料を交えて楽しく語る。夜、その方から頂いた「黒ごまスペシャルチーズケーキ」を子供達と美味しくいただいた。わたしはもちろんビールで良い気持ち。

 さて。今日のメールに「日本に着いたら、お話しましょう」とアンドリューの予定が具体的になった。運悪く家人が不在の日に重なるようなので、だれか通訳をと、不安がつのってきた。英語が喋れないマン・レイ研究家なんて失格だよな。いやはや----


March 5 2004

ある目録にマン・レイの版画が掲載されている。


March 4 2004

昼から雪が舞う寒い一日で震えた。すでに読み終えた本の、しかも、最後の頁を引用しようとする事は「自分がなにを知りたいのかはわかっていた」(200頁)の後の決定的な言葉にあるのだが、「,」を挟んでくねくねと蛇行するブルトンの文章から、現実の体験を受け渡されるのが望みである訳だし、肝心のその部分については、『日録』の訪問者に残しておこう。そして「ホテルのオフィスの黒板に、子どもの手で書かれていた方程式は、もういくつかの変数しかのこしていなかった」(197頁)に続けて「たしかに、ひとりの女にむかって、一台のタクシーにむかって、「よろしくたのみます」というほど簡単なことはない」(195頁)として、数日来いの逃避行に終止符を打つことにしよう。複写したマン・レイの写真を暗室で再現し、マン・レイに成り代わる体験と、アンドレ・ブルトンの文章から、何かにかかわるフレーズを抜き出し、『日録』に書き込み、ブルトンの指先を手に入れる事。透明な濾過紙になった指先よ、美しいチョークを求めるな-----


March 3 2004

帰宅が遅くなったが、雛祭りのお祝いで食卓にちらし寿司。資生堂から「HOUSE OF SHISEIDO」のオープニングレセプションの案内が届いている。一般公開は4月8日(木)からだが、「私たちが受け継いできた文化資産や、化粧の歩みをおさめたアーカイブ、さらに斬新な展覧会などどなたにも楽しんでいただける空間をめざしました」とアナウンス。招待状はブック型式で、広げると日めくりカレンダーになっている。今日はあと36日。当日には「グランドオープン。今後ごひいきに」とある。またしても期待が膨らむ。『マン・レイ展』もいよいよとなってきた。

 今日は、シドニーからマン・レイ展のカタログも到着。しかし、展覧会に関するリーフレットも頼んでいたのに、これは期待はずれ。荷物はシンガポールからの委託便で出されていて、日数はかかるは、細かいサービスは無いはで、単に商品を購入したにすぎない関わり。ヨーロッパ勢の文化に対する姿勢に好感を持つ身としては、オーストラリアの対応には、なるほどと思いつつ、仕方がないかと、カタログをラップしてコレクション・カードに記入した。
 就寝前にメールチェックをしたら在パリのアンドリュー氏が来日予定との事。「一杯飲みましょう」と誘いを受けたが、さて、喋れないのにどうしよう。アルコールの力にたよるか----


March 2 2004

 
Bill Art Exhibition
 at galerie 16

   
 上段: あいだだいや氏の
 「あなたはこの壱万円に今まで交換されてきた価値を
 想像することができるであろうか?」
 での ネットオークション結果を、
 語って下さったコレクター利岡誠夫氏。
 背後に楠原和也氏の作品「彫刻」
 削り取る彫造行為と砂消しゴムのゴミ袋との関係。
     

 中段; 森村千円札 ed.3/50
 流通価値と交換価値のたぶらかし、
 落書きであるサインと勝手に貼り付けられた
 写真の手前にある話とは…………
    

 下段; 後方、円形の額に鈴木崇氏の
 「MONEY PORTRAIT, CLARA SHUMANN 」  
 手前、額装された「赤瀬川克彦個展
 あいまいな海について」の千円札と
 差出人名が記載された現金書留封筒。
   
   
   

    
         

ギャラリー16での利岡誠夫コレクションによる『Bill Art Exhibition』初日。この企画を聞いた時から期待が膨らんでいた。やはり、スゴイ。「貨幣をモチーフに価値観の問題提起をする作家は多く、貨幣を通す事で美術と関係のない方々との共通項が出来上がる事で訴えることも多い」と画廊の案内にある。12作家17作品のすべてが一人のコレクターの収集品。利岡さんは出品作家にコメント等を求め、作品のレジメを作っている。これが、また、面白い。「コレクターは子供と同じで集めた物を見せたいんだ」と笑う氏は、これまでにも何度か展覧会を開催されている。ワインを飲みながらいろいろとお話しをお聴きした。「作家の屈折した感情と云うのが、お金を扱うことによって現れる」と指摘する氏は、現代美術に広汎なアンテナを伸ばし、楽しくイメージをキャッチする。すでに森村作品のコレクターでもあった氏が、これは面白いと手にされた『森村千円札』が、このコンセプトのきっかけであったと云う。画廊空間にきっちりと正装した元紙幣達は綺麗である(利岡談)が、やはり、屈折している。屈折を楽しむと云うのも屈折した感情であるのかもしれないが、それぞれの作品にまつわるエピソードを、具体的に明示してくれる氏は饒舌で楽しい。お薦めの展覧会である。

Bill Art Exhibition   3月2日-13日   ----- 利岡誠夫コレクションより ----

1. MONEY PORTRAIT, CLARA SHUMANN  2003 鈴木崇
2. 赤瀬川克彦個展 あいまいな海について 案内状 1963 赤瀬川原平
3. 千円札印刷作品 III 1963 赤瀬川原平
4. 大日本零円札 ed.7/10 1967 赤瀬川原平
5. 肖像経済 1991 森村泰昌
6. 森村千円札 ed.3/50 1991 森村泰昌
7. S.A.G.BANK NOTE, ONE EYE 1997 シュウゾウ アズチ ガリバー
8. S.A.G. BANK NOTE, FIFTY EYES 1997 シュウゾウ アズチ ガリバー
9. あなたはこの壱万円に今まで交換されてきた価値を想像することができるであろうか?  2001 あいだだいや
10. 彫刻 2002 楠原和也
11. 無題 2003 あるがせいじ
12. NOTICE TO GUESTS 1974 ジョセフ ボイス
13. OVER ECONOMY 1992 宮島達男
14. THE 1,000 YEN DEFINITIVE STAMP 1998 太田三郎
15. FARMERS ON RICE FIELD & SEXY DOLLAR 2001 グエン ヴァン クーン
16. 空質一値 2001 村岡三郎
17. 封印値 2001 村岡三郎

galerie 16
京都市左京区岡崎円勝寺町1-10
スクエア円勝寺2F
電話 075-751-9238


March 1 2004

昨年からアメリカを巡回中の『モダニズムへの変革; マン・レイ初期作品』展は、会場を最終地のシカゴ、テラ美術館に移して開催されている。シカゴなら直行便を使って行けばなんとか、と思いつつも、後、一ヶ月の会期(4月4日まで)となってしまった。会社を休めないサラリーマンの身は辛い。先月13日にはゲイルさんのレクチャーがあったようだが、案内状の油彩「赤い背景のある花々,1913」も提灯が描かれたジャパニズム好みで良い雰囲気。今日届いた美術館のプログラムを見ると、3月19日-20日にかけてフランシス・ナウマン氏の講演が用意され、19日夕方6時から「マン・レイ; カメラ無しの写真、あるいは絵筆無しの絵画」、続けて翌朝10時から「ダダ; 無政府状態の美学」となっている。とりあえず、残念無念のメールを美術館に入れた。