2004.5.1-5.31 マン・レイになってしまった人

May 31 2004

きつい雨が何度か降った一日。合間を見付けて銀行へ出たり、用事を済ませたり。


May 30 2004

昨日の写真をホームページにUP。わたしのマッチコレクションを取り出し、これも取り込む。蝶の標本のようなものを作るプランを以前から抱いていたのだが、昔、マッチが危ないと思って外した関係で傷んでいるのが判明、標本箱は断念することになるな。貴重なマッチが沢山残っているのに残念。昨日の冊子に紹介されているものであれば、ZABO、BIGBOY、蝶類図鑑、しあんくれーる、CARCO'20、YAMATOYA等。いずれ整理して紹介したい。

 昼前、所用で外出。戻ってから資料解説書の校正を確認し送信する。暑くてたまらずクーラーやらビールやらで、不完全のままのデータとなった。ビールが入ると根気が無くなり困る。でも、湿度の高い島国では、喉越しが一番だね。


May 29 2004

午前中に大丸西側の河野医院に行き「草」を一本入れてもう。昨年は5月15日、一昨年は5月23日だったと先生は教えてくれた。今年は暑く、雨も降り出していないので「稲」がきついのとの事。今日は他に患者がいなかったので河野先生は鴨川等の稲科植物の写真を見せてくれた。腰のあたりまで伸びる雑草。「エキス」を入れてもらうようになって15年、河野医院の一本は効く。わたしはいろんな種類に反応する身体なので、何種類いただいているのだろう。「古本」と云うのがあったらドンピシャで、花粉症も完治するのじゃないだろうか。
 
LA CAFE MOUSTASHE
BOSSA-NOVA & JAZZ
開店時のマッチと記憶する
    
     
     
     
     
     


 大丸地階で買い物をし、京都芸術センターで岡田一朗氏のインスタレーション「CONECT WITH '60S 京都・記憶の断片集」展(4/29-5/30)を覗く。資料好きには好企画。京都の若者文化が1976年生まれの作家によって捉えられている。ちょっと紋切り型は否めないが、わたしの70年代初頭京都が再現されている部分もあった。壁面には平凡パンチなどの雑誌が掛けられている、テーマ毎に別れてアクリルケースに当時の品物や思い出がつめられている。やはり、わたしにはジャズ喫茶文化といったものが、20代と結びつく。エリック・ドルフィーのフォンタナ版「LAST DATE」のジャケットの前に幾つかのマッチとスイング・ジャーナルの「全国ジャズ・スポット巡り」京都編が開かれている。マッチを提供されたE.T.さんのコメンは「当時、私の周りにマッチを集めている人はいなかったのですが、きれいなマッチを探して集めました」とある。状態の良いものがそろっている、わたしがよく行ったのはムスターシュ。食事をしながら4、5時間は居たな。マーク・マーフィやスタンゲッツを聴いた。奇妙なトイレのあったコットンクラブ。ビル・エバンスバド・パウエルのピアノもよかったけど、リタ・ライスのヴォーカルには心がキュンとなった。良い店だった。先の雑誌の紹介には「京都で一番狭いジャズ喫茶がここ「コットンクラブ」5人も入れば一杯になる。ムードは最高」とある。レディ・ディが開店する時、友人がマッチのデザインをしていた。みゅーずやしあんくれーるやソワレは定番だけど、中庭に噴水のある「夜の窓」がなつかしい。あの場所へあの時間へ帰りたい。同展には「京都・場所の記憶1960-75」と題された冊子(18.2x13cm)が準備されているので、重宝した。

COTTEN CLUBのマッチ
     
     
     

     
     
   

     
 センターの情報資料室でセゾン現代美術館で開催中(4/17-6/21)の「美意識の形成と展開」展のポスターに気付いた。マン・レイの「永遠のモチーフ」が使われているポスターなのだが、眼がウインクするウイルソンリンカーン・システムの意図がポスターでも再現されている優れものの一品。軽井沢へ手紙を書かなければ---

 大宮のブック・ファーストでハーパース・バザー日本版7月号を買い求める。ハウス・オブ・シセイドウでのマン・レイ展の紹介が4頁(200-203)「アートとファッションを融合させたマン・レイのまなざし」との見出し。203頁左下に今井一文氏が撮影した「贈り物」が紹介されている。夜、展覧会での資料紹介リーフレットの見本がPDFで届いた。校正をする。
 


May 28 2004

月末が近づきバタバタと忙しい。金曜深夜12時前の西院は賑やかだ。ヤフーBBやっと復旧。ハウス・オブ・シセイドウのホームページでマン・レイ展---まなざしの贈り物』が紹介されている。


May 27 2004

「大学の枠超えセンスアップ 京都学生写真連盟を結成」と京都新聞夕刊一面で五段抜きの大記事。わたしが日記を愛読するこいけカメラ氏も掲載写真におさまっていた。彼らのスタートを応援したい。偶然だけど夕方、河原町四条上ルのアートプラザくらもとで京都産業大学写真部3回生展「春」と云うのを覗いた。ミヤノアエミさんの「つれづれ」と酒井隆章氏の「休み」が面白いと思った。ヤフーBBの障害、今宵も続く。花粉症が出てきた。


May 26 2004

帰宅すると丁寧に梱包された大判の宅配便が届いていた。資生堂の担当者がマン・レイ展---まなざしの贈り物』の招待状(44x30cm)を送ってくれたのである。折り畳んで封入するサイズは10x22cmだから、刷り上がったままで折り目のない美しいシートはポスターとしても楽しめる。絹のドレスを着てメーキャップ鋭くポーズをとるリー・ミラーとパドヴァの広告が綺麗にレイアウトされた一品。早速、自室のポスター額に入れた。来週から始まる展覧会への期待がたかまる。

 
林蘊蓄斎氏の「ディリー・スムース(5月26日)」を読んでいたら氏の友人である岡崎武志さんが、自身の「均一小僧の古本購入日誌」(5月22日)で「阿佐ヶ谷会で堀江敏幸さんに会った話が出ている」と紹介されていた。「堀江さん、なんだかいい人」との事、わたしもお会いしてみたいけど、ファンだからあがってお話し出来ないな----

 ヤフーBBのメール障害は今晩も続いている。まったくもって、困ったものだ。


May 25 2004

またしてもヤフーBBのメール障害。バイバスで送受信をすると、後の記録がややこしい。


May 24 2004

雑誌STUDIO VOICEの6月号にマン・レイの記事。「マン・レイ アートの反逆児が見せたエレガンス」66-71頁。ナンシー・キュナード、キキ、メレット等が頁だいで紹介されている。解説は竹内万里子氏で「マン・レイ---"光の男" ファッション写真とシュールレアリスムの美学」


May 23 2004

昼前ヤフーBBのメール受信回復。早速、資生堂でのマン・レイ展をお知らせする送信を幾つか行う。又、クロネコメール便林哲夫氏からスムース12号「小出版社の冒険」が届けられた。さっそくパラパラと目を通す。小島輝正の『アラゴンシュルレアリスト』についての事情を扉野良人氏が「蜘蛛出版社ノート」に書いておられる。手許の同書を取り出すと読了日'74.7.14と書き込んであった。神戸によく遊びに行っていた時代の日付だ。そんな事を思い出してくれたスムースに感謝。きちんとした透明袋に入れられ手配されていた。本当に書物が好きな人達なんだと感心する。

恵文社「アンフェール」内
『模擬書店空中線書局』

下段、リブリーニ・コレクションが収められた書棚の上には
「Last Will and Testament of Gertrude Stein」


     
     
     

   
午後、一乗寺恵文社で開催されている未生響氏の戯詩、出版、造本を紹介する『模擬書店空中線書局』展(6/18--6/31)に出掛ける 。弊宅から自転車となると登りばかりでつらいが、良い天気なので気持ちよくサイテクリング。そのまま会場に入ってしまったのでは作品に失礼なので、しばらく休んでから拝見する。指先の宝石であるような可憐な作品群に真摯な気持ちが湧いてくる。彼女の指先が紡いでいるガラス製の紙のようなものの感覚。不思議な硬度を持つ宝石。きっと私達の世界とは違った基準で運行している空間なんだろう。書店名のクリスタルの看板や、パプのように書き込まれた鏡。恵文社の一室「アンフェール」が変身している。Muse's Knobのオブジェや彼女によるフォトグラム「ホーカス・ポーカス」「雲道化冠」「製夢管」などに惹かれた。そして会場にしつらえられた書棚が気にかかる。リブリーニ・コレクションと名付けられたそれの中には、エリュアールの詩とアルプの造形との組み合わで、プレス・ビブリオマーヌのコレクションオパールとサフールの一点。画・野中ユリによる瀧口修造の『星は人の指ほどの---』、あるいは『星と砂と 日録抄』等々、イタリアのお土産本「レガーロ」も面白そう。紙物好きにはこたえられない。
 6月に東京へ拠点を移す作者と世間話をいろいろ。彼女にはいつも著作を貰ってばかりだが、本日も新刊の『詩的遊戯術』(書肆啓祐堂 2004年初版400部)と『フォザーランド・バイキング』(空中線書局2004年刊限定500部)を頂いた。別れ際、書棚に並べられた長型ブルーの紙物、ガートルード・スタインの遺書だと解説されている展示品が、話しかけてくるのを感じた。未生さんにお願いし取り出してみせてもらったら、あまりにしゃれた紙物なのでうなってしまった。「Last Will and Testament of Gertrude Stein」1974年2月に生誕100年を記念し友人達が150部限定で作ったもの。本ではないけど、何気ないたたずまいで完璧な完成度、絶妙なバランスの一品。Iさんにプレゼントされたと所有者は教えてくれた。ここにも一人、女の詩人がいる。「スタインの遺書」の意図、いつか借用したいと喉から手が出てしまった。それで写真を何枚もパチリパチリ。

 その後、萩書房、文庫堂を覗き、最近開店したガケ書房を訪問。恵文社のように若者に支持されていく新古書店になっていくだろうと期待した。府立図書館で堀江さんの本を幾冊か返却し螺旋階段をのぼったところで、山崎書店さんとばったり「山こま荘オープンアトリエ」を勧められる。ギャラリー16で坂上さんと恒例世間話。この『日録』に先日書き込んだ下鴨美玉屋の「黒みつだんご」の話となった。わたしなどやっと2本にありついたところだが。16を取り巻く人達の間では超有名だんごとの事。「10本食い」があたりまえなんだそうだ。わたしも次回はチャレンジしよう。

 それから、けもの道を抜けて画廊西側の路地にある旧いアパート、山こま荘を覗く。京都芸大の卒業生達が多く住んでいるところで、今週と来週の土、日に自宅を開放しての展示とのこと。わたしも桂時代を思い出して嬉しくなり、ハイテンションで各部屋を訪問した。12号室の福本浩子さんが「手作りart book展」(山崎書店)の出品者だった関係もあるのだろうか、住人の方に聞くとほとんどの人がギャラリー16つながりらしい。今回がオープンアトリエの一回目で参加者は6号室川崎歩 8号室増田佳江 11号室奥田真希 12号室福本浩子「書庫」 城戸みゆき「大地と我が家」の5氏で、それぞれ個性があって面白い。福本さんの禁書制作の様子をかいま見たし、川崎氏のダンス・パホーマンスも楽しい。城戸さんもほがらかで、ぎょっとさせられるインスタレーションにビックリ、満足。最後に覗いた11号室で話し込んでしまった。窓からみえる隣地のお墓のせいではないだろうけど、日常品が生産されたシステムを逆さにとって、ブラックに返していくシステムが面白い。魚型の小さな醤油指しがポールに沢山浮いてガス台にかけられている『醤油な紫』の導入部からインパクトがある。芸大で染色を専攻していた作者にとって、色を出すことは容易いだろうが、台所で当たり前のように浮いているのが良い。「ナビスコ OREO」や「紅Collon」等のお菓子を原型にバラシタ『組み立てキット』のシリーズなど益々面白い。説明を聞いて納得すること多々。そして、もっとぎょつとするのは「だし巻の卵、巻き戻し」。身が付いてくるような、奇妙な脅迫観念に襲われる「BAND-AND-PUZZIE」。ユーモアはいつもブラックをはらんでいるんだね。三条ラジオカフェで毎週木曜日(12:00-12:30)ギヤラリートークをされている奥田真希さんを注目しよう。彼女の部屋でも写真をパチリパチリ。

川端二条東入
水明洞前の道端に並べられた本達
この中にブルトンの一冊も

   
   
   
 収穫が一杯の午後だが、満足し二条通りを西進すると水明洞前の道端に、100円均一のダンポール。見るとしっかりとした洋書。探していくとグローブ・プレス版1960年ニューヨーク刊の『ナジヤ』に当たった。100円だものすかさずゲット。整理番号「PQ 2603 R35 N313 1960」でテンプル大学日本校図書館の蔵書印が認められた。

 丸太町通り寺町下ルの下御霊神社は祭礼で三月書房やATHAのあたりは、屋台が出、歩行者天国のお祭りモード。ATHAでは残念ながら吉川さんに会えなかったので、マン・レイ展のチラシを置いてもらい、丸善へ。今日の楽しみは7階の美術書売場でマン・レイを特集した雑誌、Soezial FOTOGRAFIE PORTFOLIO NO.35『MAN RAY』を購入すること。担当者の岡田史朗氏が入荷をメールで教えてくれていた。しばらく前からネットで同書の紹介に気付いていたのだが、ドイツで刊行された大判なので送料の事を考え躊躇していたところだった。氏が説明してくれたように雑誌なので廉価(税込み3,129円)であるが見応えは充分。お薦めのマン・レイ本である。店頭に数部あるはずだから、ご興味のある人はどうぞ。

 今宵は『日録』に書き込みたい事が多く12時を回ってしまった。これからメールをいくつか入れなければ。バイバイ、オヤスミ。さてと-----


May 22 2004

展覧会の最終打ち合わせに資生堂の担当者来宅。会場構成等の説明を受けた後、希望と調整事項を伝える。設営に立ち会えないの身なので、やはりいろいろと気になる部分が発生する。「マン・レイならどうするのか」が、わたしの判断の基本であり、マン・レイの芸術を理解し、良い展覧会にしたいと云う担当者の熱意も理解出来る。しかし、見ていただく人達へのインパクトと作品の安全性には相反する面があり、どこで妥協するのかが難しい。作者に変わって再制作をするわけにはいかないコレクターの身としては、展示期間の無事を祈るばかりである。展示の様子については、開催後、詳しく報告するつもりだが、プランによると、一階ではファッション写真の世界、華やかなマン・レイの仕事の世界がシックに演出され、二階に上がると、マン・レイのアトリエに招かれたような部屋のイメージが展開する。センスの良いしやれた空間を期待した。
 
 昨夜からヤフーBBのメール機能ダウン。本日も回復しない。展覧会の案内や必要なメールを送信したいのだが、下書きのみ行い明日の回復を待つ。拉致事件に関するテレビニュースを観る。

マン・レイ展---まなざしの贈り物』
10.5 x 15cm.
POST CARD
2004.6.3--7.18
at HOUSE OFSHISEIDO, GINZA TOKYO


   

   

   

   

   

   

   

   

 


May 21 2004

気持ちの良い一日。


May 20 2004

モンテクレール美術館のチーフ・キューレーターであるゲイル氏が、三つの会場を巡回した一年以上にわたる展覧会、『モダニズムへの変革;マン・レイ初期作品』展に関する雑誌や新聞での紹介記事をコピー(約300枚)して送ってくれた。感謝。ただ郵便物を受け取った次女の話では、配達人が「濡らしてごめんなさい」と謝っていたと云う。手にとってみると親書であるにもかかわらず開封されたのち、テープで留められている。それに「この郵便物は、運送中湿潤して到着しましたので、当局で渇かしました。おわび申し上げます。成田国際航空郵便局」と云う付箋がある。モンテクレールを5月14日に出て、成田の日付は5月17日。料金20.50ドルだから通常の航空便なのだろう。開封すると全頁にわたって左下が濡れており、渇かした痕跡。雨の日の配達で濡れる事はまれにあるが、今回はきつい。郵便局の詫び付箋がある例をあまり知らない。郵政省に詳しい家人は「親書」の扱いを無視した点に立腹している。いままで、郵送中の事故にあまり遭遇していないわたしは、せっかくゲイル氏が親切に手配してくれているのに、イヤな気分を味わった。御礼のメールを打つのに気分がのらないではないか。


May 19 2004

東京・銀座のHOUSE OF SHISEIDOで開催される『マン・レイ展---まなざしの贈り物』(6/3-7/18)に関連して、6月2-3日と7月10-11日に上京する予定をたてた。オープニングとレクチャーに参加するのが目的だが。しばらくお会いしていない友人、知人、先輩と会場でお会いできるのではと期待が膨らんでいる。銀座の画廊でマン・レイ作品を購入し京都へ持ち帰った、様々な月日を思い出す。しかし、回帰ではない新しい出会いこそが人生の楽しみである。どんな人がどんなタイミングで声を掛けてくださるのか、とっさの話題に弱い引っ込み思案のマン・レイ狂いにはプレッシャーでもある。会期中に2回のレクチャーが予定されていて、最初は6/19(土)の伊藤操氏と飯沢耕太郎氏による「マン・レイと『ハーパース・バザー』」、次いでわたしと飯沢さんとのトークが7/10(土)となる。どちらも定員20名なのだからプラチナ・チケットとなるのではと怯えている。案内チラシは下記のように紹介している----

  Man Ray The Gift of His Vision トーク トーク

ハウスオブシセイドウがクローズした後、夜7時から始まる、ちいさな教室。企画展にまつわる方とご一緒に会場をまわり、お話をうかがいます。ライブラリーのテーブルほどの人数による、アットホームなレクチャーです。ぜひご参加ください。

マン・レイと『ハーパース・バザー』」 6月19日(土)午後7:00---9:00 伊藤操 X 飯沢耕太郎
 現在のハーパース・バザー編集長である伊藤操氏と本展監修者の飯沢耕太郎氏による、ハーパース・バザー誌とマン・レイについてのお話しです。またファッション誌とファッション写真との関係についても語っていただきます。

マン・レイの[贈り物]-----man ray istの日々」 7月10日(土)午後7:00---9:00 石原輝雄 X 飯沢耕太郎
 本展にも出展いただいている、マン・レイの熱心なコレクターである石原輝雄氏と本展監修者の飯沢耕太郎氏に、マン・レイの魅力を、思う存分お話いただきます。

 会場はHOUSE OF SHISEIDO2階ライブラリーで、定員20名。申込み方法は会場2階カウンター、又はFAX(03-3289-0543)との事。詳しくは資生堂企業文化部 森本、齋藤  電話 03-3289-8204 10:00--18:00(土、日、祝日休)までどうぞ。


May 17 2004

貸出品が無事到着したと担当者からの報告を受けた。東京では雨も上がっていたとの事。手許を離れてから、資料類の事が気になって困ってしまう。国内の友人、先輩、知人から譲ってもらった品物の時々の人の表情を思い出す。海外から取り寄せた物達との出会いも思い浮かぶ、書棚の決まった場所からいなくなった彼らが、VIP待遇とは思うが今宵どんな空間で待機しているのか、心配となる。パリ、ニューヨーク、アントワープ、バークレイ、サンタバーバラ、あるいはハワイのヒロから航空便で京都までやってきた彼らの道程の、つかのまの遠足といったところだろうか。早く戻っておいで。


May 16 2004

朝からの雨で元祇園梛ノ宮の祭礼巡行が中止となった。自宅前を維新勤王隊の鼓笛が通る手はずだったが残念。写真を現像に出し、ホームページに貼り付ける。


May 15 2004

空調、エアサスペンションを装備した
足立ナンバーの美術品専用車。東京まで時速80Kmで、
約8時間30分の道程と聞いた。
       
     

   
展覧会への貸し出し作品集荷に資生堂の担当者来宅。ハーパース・バザー誌23冊を含めて、総58点となった。一点毎の状態確認が伴うので予定時間をずいぶんと超過したが、午後3時すぎ4tトラックに積み込み送り出した。本人は常日頃、作品・資料の点検をしないので、お互い確認しながら作業を進めた。傷んでいるもの、図版の対抗ページうつり等、保管方法の検討が必要かと勉強になった。作品は額装してあるので安全だが、書籍やカタログ類はかど折れ、しわ、染みとデリケートな問題が発生するので神経を使う。本人は硫酸紙を掛けただけの資料を横に置いて原稿を書くタイプなので、およそ、資料の保存には悪弊のそしりである。人様が扱う場合に神経質となるのは、どんな感情と云うのだろう。紙類を手にもってしゃべるのは唾液が飛び散るので厳禁。数年の後に、しみがじわりと浮き上がってくるのだから、空手の3年殺しの技に近い。くわばらくわばら。
 こんな時、わたしは考える「物のためには貸し出しをしないのがベスト、しかし、マン・レイは公開を望むだろう、彼の思想をひろめる為には必要な事。少々傷むのは仕方がない」問題は少々の範囲。どうか無事に戻ってきますように。

 『マン・レイ展---まなざしの贈り物』の「内覧会&オープニングレセプション」の案内状もしゃれている。黒ベタ白ヌキ。メインビジュアルのリー・ミラーが強いまなざしを持ってインパクトを与える。マン・レイはミラーにふられて自殺を考えたりしたのだから、こんな化粧のシックでエレガントな女性なら、みんなメロメロになってしまうよね。ミラーがあらゆる意味で自由な精神を持つ人であったのは、シュルレアリスムの奇蹟だったけど、彼女の不幸な出来事が裏面にあった事実も覚えていなければならない。

 頂いた資生堂パーラーの「プティ フール セック」を子供達と取り合いビール。序盤台湾に押され気味だったバレーボールも3-1で勝利し、オリンピックへむけての仕上げも順調。今宵はレオが決まらなかったけど、苦しい時はベテランだね。吉原キャプテンかっこいい。

PETITS FOURS SECS
SHISEIDO PARLOUR
美味しいフランスの焼菓子が
蓋付き缶に詰められている。
「バターと砂糖と小麦粉の繊細な表現」
こんなシートが中に入っていると、
紙好きのわたしなどは、うれしさ倍増である。



   
    


May 14 2004

「黒みつだんご」
美玉屋
北大路下鴨高木町バス停西入
電話 075-721-8740
     
     
     
   
     

   
   
我が家のメンバーはこのところバレーボール「アテネ五輪世界最終予選」の中継に狂っている。ひいき選手は孤高の天才 ファイティング・レオ佐々木みき。キャプテン吉原知子。レオについてはワールドカップからの応援で、今晩の韓国戦での活躍に益々興奮。序盤はハラハラ、ドキドキの展開だったけど、その後はいいね、実に良く守。バックアタックの弓なりになった身体から炸裂するスパイクはしびれるね。
 家人が下鴨美玉屋の名物「黒みつだんご」を貰ってきた。我が家では初おみみえの黄粉たっぷり、黒蜜甘さの濃厚大人味の一品、美味い。それで、このところ、画像スキャンしていないので、取り込んで紹介。「本日中にお召し上がり下さい」とある。割当ては一人二本。黄粉をべたべたひっつけて、まだまだ食べたいな。


May 13 2004

25年前の写友である「スタジオ・オプト」の山下順氏が会社に電話をくれた。ネットサーフインをしていてわたしの名前を見付けたとの事。その頃、象画廊で『私設・写真の日』などと云うグループ展をやったりしていた仲間の一人。中年のおじさん達も、そろそろ現場復帰してきた。昨年あたりから、当時の人達となんとなく再会している。引きずっているのではなく、やはり、血が騒ぐといったことだろうか。京都写真クラブを始め一緒に発表する場も用意されているのだから、若い世代と共に、自由な精神を生きようではないか。当時の写友で連絡を取りたい人の何人か、例えば武田博、新司健。もし、彼らがネツトサーフインをしてこのサイトにであったら、嬉しいのだが。しかし、わたしは何を求めるのだろう-----


May 11 2004

新収集品のカードを作り、ホームページのコレクション・リストに追加する。


May 10 2004

資料調べの原稿を仕上げて添付送信し一段落。しかし、MAC環境でワードを使うのは疲れる。意図的に使いにくくしているのかと思うほど、入力中にフリーズする。メモリーを使いすぎるソフトなんだろう。それで、MAC用のイージー・ワードで書いてから、ワードにコピーして仕上げる。会社ではウインドゥズを使っているけど、その環境でもワードは使いにくい。いろいろな機能が必要以上に準備されているのだろうね。タブだって、文節だってほっといてくれ、自分でやるよといった気分になる。

 さて、先日のMACフリーズ事件も昨日、吉永さんと情報交換をしたので、リラックスしている。マン・レイの珍しいカタログと資料を紹介することも出来たし、手に入れる事も出来た。人とのつながりが大事なんだよね。


May 9 2004

阪急電車の車内で、
堀江敏幸氏の『書かれる手』(平凡社2000年刊)
14-15頁の辺り。
同書のこの部分「生きることは本当にひとつり思い出を作りあげることなのだろうか。
----回想録の本質的な成否は、時間の観念が失われ、
圧縮された現在だけが流れはじめるこのわずかな空隙を、
いかに過ごすかにかかっている。」(194頁)などに惹かれる。
    
   
    

    
   
昼から梅田に出てリブレリ・アルカードへ顔を出す。吉永さん、バタヤンといろいろ世間話。しかし、帰宅してから資料調べをしていたので1時をまわってしまった。『日録』の前に睡魔が襲ってくる。今宵はここまで-----



May 8 2004

横浜のT氏と情報交換。堀江敏幸氏の話題になって仏文関係の若い人達にけっこう人気があると教えられた。1964年生まれだから若い人だけど内容的にはわたたしの世代に近いかと思いつつ、多治見だとそうかなと想像したりする。明治大学の先生であり、フランス語からの翻訳調文体が骨格としてある為か、フランス的な思考構造なのか、『雪沼とその周辺』を読み終えたけど、しばらくマイブームが続きそうな予感。

 さて、円安加速は、ユーロに対して5円程度進んでいる。近づいているシュルレアリスム関係の資料を中心としたオークションの事を考えながら、嫌な展開だと思う。在パリのNさんがロットの確認をしてくださった。感謝。毎年バカンス前のこの時期にオークションが開かれる。遠く離れ、現物を想像しての参戦は当たりはずれが多い。こんな時、Nさんの助けは有り難い。Nさん自身もパピヨンに狂っているから、わたしの気持ちが解るんだよね。感謝。


May 7 2004

通勤のお供が堀江敏幸氏の『雪沼とその周辺』(新潮社 2003年刊)になった。身体的な部分も含めて、動きについて書いたことがあったかなと思う。いろいろな鍵を道ばたに置いているような文体だな。書いてみようかな------


May 6 2004

必要なメールを入れていたら遅くなってしまった。こんな夜も就寝前に林蘊蓄斎氏の「デイリー・スムース」を覗く。今日の奥様とのやり取りも良いな、彼のマチエールの様に言葉が優しい。リフレッシュ出来て元気が出る。感謝。


May 5 2004

今日も終日スクラップ・ブックの整理。結局1年間で6冊となった。期間と表題は下記のとおり。
 '03.5--6 伊勢丹 マン・レイ写真展
 '03.6--8 40本のバラ
 '03.8--10 書肆 砂の書
 '03.10-12 瀧口修造 オートマテイスムの彼岸展
 '03.12-04.2 地下駅の画家
 '04.2-4 光人・今井一


May 4 2004

雨の一日。午前中はビル・エバンスソニー・クラーク。午後はスタンゲッツ、ジョアン・ジルベルトを聴く。ジャズは心を癒し、ボサノバは鼻歌をもたらす。家族みんながそれぞれ出掛けたので、一人きりの午後。スクラップ・ブックは時間を「プリット」で定着する錬金術。楽しみが宝石になることを願う。夕食後はマトリックスを借りてきてミニ・シアター。アイロンを掛けながらのビールで、ながら鑑賞。最終章は哲学的でちと難しい。セリフと戦闘場面に必然性がない。シリーズものは1作目を超えられないね。
 就寝前に『いつか王子駅で』を開く。今宵はこんな一節「日々の暮らしなかで、私の足首はうまく機能しているのだろうか? いくらパドックで馬の足首を観察しても、それで自分の足首が強くなるわけではない。阿武隈さんの言葉と正吉さんの言葉が重なって胸を締めつける。本当の足首でなくともいい、たとえば生き方を左右するような思考の足首が、私に備わっているだろうか?」(119頁)


May 3 2004

昨夜のショックを引きずって気分はブルー。マン・レイに関してとなると心が弱い。反省をしつつ今後の展開にそなえなければ。今日は家族そろって名古屋へ帰る。新幹線の車中等で堀江敏幸氏の『いつか王子駅で』(新潮社 2001年刊)を読む。この人の同書での文体は読点がいつまでも続く、文の運び方も頭がヘンテコになりそうで、わたし好みだ。それ故、情景描写の後の句点のたたみかけが効果をあげている。重層的な螺旋構造の中を物語りが展開して行く。元鉄道ファンとしてはこんな部分も気に掛かる。例えば「単線という言葉は、字面では単数であるにもかかわらず現実には複数でしか存在していないものだから、---」(22頁)などと。
 
 母親も元気で一同安堵。兄とみんなで旬肴「まどか」(昭和区御器所通り2-14メゾン御器所1F 電話052-842-4588)で割烹。今日は蓋を開けたときの色彩が新鮮で、そら豆を裏ごしした汁物がよかった。ビールから熱燗。冷酒をも楽しみながら、世間話。


May 2 2004

新選組屯所遺跡碑の前、
京都鶴屋で順番待ちをする観光客。
    
     
     
    

     
大型連休で京都は観光客で溢れかえっている。自宅に近い新選組の屯所であった八木家の辺りは、芹澤鴨(NHK大河では佐藤浩市が演じる)が暗殺された奥座敷を見ようと順番待ちの人達が100メートルは続いているだろうか、前川邸、幸福堂を超え、嵐電線路近くまで人の列である。140年程前の9月に実際に起こった出来事。その子孫の人達が営む和菓子店「京都鶴屋」で抹茶を頂くのは感慨深い。地元だから静けさが戻ってから再訪しよう。何時も買い物の行き帰りに賑わいを横目で見ながら、鴨居の刀傷を思い出す。

 四条坊城(今はバス停も「壬生寺道」などと不粋に呼ばれているが、家人は「坊城」でないとピンとこないと冷ややか)から戻って、理髪店へ。スーパーで買い物。庭木の剪定(猫の額ほどだから選定じゃなくて、草むしりと散髪か)と肥料やり朝顔の種蒔き。衣服の整理。と家の用事をいろいろ。

 そして、夜にそなえる。しかしである---- オークションの大事な時にMACがフリーズしてショック。


May 1 2004

色街のお姐さんは美しい。お見かけすることなど皆無だけど、今朝方は幾人もの芸舞妓を祇園で見掛けた、甲部を自転車で上りながらチラチラと。不謹慎だけど喪服姿だから一段と艶やかだ。その後、岡崎、京都市勧業館で開催される「春の古書大即売会」へ突撃。42店舗参加の大イベント。曜日の関係で初日に参加するのはひさしぶり。会場で友人、知人と遭遇。近況についてしばらく言葉を交わし、それぞれの持ち場へ。見るだけで買うことのないわたしは、手にされている本やカゴに入っている本が気にかかる。若く美しい女性のカゴに瀧口修造氏の「近代芸術」が確保されていると声を掛けたくなってしまった。最近は古書市にもステキな女性が増えて楽しい。3時間程物色していたが、結局、戦果を得ることなく戦線離脱。

「春の古書大即売会」
 会場のH氏。