EXPOSITION MAN RAY

 渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで7月13日から始まった『マン・レイと女性たち』展(9月6日迄)は、コロナ禍対策に影響され[全日程日時予約制]で行われている。株式会社OHANA内に設けられた広報事務局の頑張りで、ファッション系、イベント系を中心に雑誌やSNSでの露出度は高い。移動を自粛する者には意味がないけど、前売入場券、株主優待券のネットオークション出品も多く、イベント仕掛人の戦略をあれこれ推測してしまった。わたしとしては、インスタグラムなどで会場展示の様子を拝見するのが、せめてもの参加方式。昨今注目されるバーチャル・ツァーがあればと思う。内覧会などでの会場パチリをSNSにアップされているのは『美術の窓』『月刊アートコレクターズ』『美術手帖』『OBIKAKE 公式(美術館情報サイト)』『美術展ナビ』『ぴあ』『BAYCREW'S STORE』等や個人の発信者の方々。展示構成、作品とカタログの精査など気になる事柄が多く、ホント、東京に出掛けられないのが癪に障る。コロナ退散を願う。

 

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24.6 × 15.5cm 片面刷

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 そんな、わたしの嘆きに同情してくれたのか、東京の友人が展覧会のアイテムをいろいろ送ってくれた(深謝)。そうした中で琴線にふれたのは、上に掲げた片面刷りの封筒。白いチープな封筒にゴム印かと間違えそうな印刷。「EXPOSITION MAN RAY DU 13 JUIL. AU 6 SEPT. 2021」とは、嬉しいではありませんか。会場売店でグッズを入れる袋との事。嬉しいですね。過剰な物販戦略に一時のそよ風と思いませんか。
 さらに、会場で購入されたカタログに挟み込むこまれた「正誤表」。京都の書店で確認したが、平凡社から一般書籍として販売されたものには、入っていなかった。--- と思うので、参考までに画像をあげておく。

 

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10.6 × 9.8cm 片面刷 

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 さて、半世紀の間マン・レイを追いかけてきた者として、今回の展覧会について報告するのは、使命であるように思う。いずれ、巡回するどこかの会場で実見し纏め発表する予定にしているが、現時点では巌谷國士氏によるカタログを拝読した感想などをメモしておきたい。

 巌谷氏とマリオン・メイエ氏が2004年に監修し全国5会場を巡回させた『マン・レイ展 「わたしは謎だ。」』が、マン・レイの若い友人故ロザリンド・ジェイコブス所蔵の油彩や写真の重要作『アングルのヴァイオリン』などを招来させ、故宮脇愛子蔵のカラー写真『天文台の時刻に── 恋人たち』で迎える充実した内容だったので、今回はどんな作品が招来されるかと、期待したのだった。そして、カタログの頁を開いた。図版を見た。あれあれ、と思うものが多い。正誤表に記した以外にも逆版が含まれているようだ。友人が同封してくれた260アイテム枝番調整後265からなる展示リスト(マン・レイ以外の作者等42)を、前回2004年と見比べると初来日は極めて少ない(凡そ105点のイメージが再来日)。写真などはメイエ氏による別の展覧会でも見ているから、わたしが未見であるのは、どれかと記憶を遡る(写真集などに掲載されているからね)。おそらく178番『ジュリエット・ブラウナー』鉛筆・紙、181番『イーゼル絵画』インク、木炭、紙、191番『花-女性』インク、紙の3点だろうか。

 

 SNSの書き込みから展覧会でマン・レイの作品に親しまれた方々の感想を知る。20代までに出会い、眼が記憶したマン・レイが、心に住み着く。10年単位と考えて良いかと思うが、どの時点でどんな展覧会と出会うか、これが重要で今回の展示で知った若い人たちにとってのマン・レイって、どんな人なんだろうか。巌谷氏の解説でも「彼女たちと対等に接していた」良い人と云う論調が前面に出ている気がする。これは建前主義ですな。17年が経過してマン・レイが商業主義に取り込まれた感を強くする。 

 

 展覧会に行かれた方に教えてもらいたい。── カタログの作品リスト(256-267頁)に、「後刷のプリントには、マン・レイによるヴィンテージ・プリントのほか、1951年から現像技術師として仕えたセルジェ・ベギュイエによるもの、1970年代の制作活動を支えたビエール・ガスマン、写真集や展覧会図録の制作を手伝った出版者たちによるものがある」(256頁)と書かれているのだが、これ分かりにくい(特に赤字で示した部分)。1976年にマン・レイが亡くなった後にプリントされた写真の扱いが不明なのです。もう、オリジナルネガの概念は無いですな。ヴインテージ・プリントを複写してカタログや写真集に使用される近年の事例を考慮すると、「後刷」と記載するのはインクジェットプリントのことだろうか。わたしの世代では「後焼」とは呼んだけど「後刷」なんて、誰も言わなかったと記憶する。イメージ上に残るマン・レイのサインに、違和感を持つのよね。

 インクジェットと銀塩プリントの違い、眼がチカチカする違和感を、若い人たちの視覚もキャッチ出来るのか。Bunkamura ザ・ミュージアムでの展示を拝見していないので憶測としても、画素数の増大、プリント技術の進歩、数年前の「チカチカ感」が技術の進歩によって隠され、加えて老眼の進行で万事休す。写真の価格だけが高騰しますな。展覧会や出版用のプリントは拙宅に沢山あります。これを展覧会に出品する日が来たのかしら----