2004.6.1-6.30 マン・レイになってしまった人

June 30 2004

今日は決算日。バタバタとした一日だった。帰宅すると食卓にサクランボ。ちょつとつまんでメールを一つ。夜型の生活をしばらくしていないのでこたえる。日曜日のつかれがまだ残っているようだ。福井県立美術館のサイトを覗いたらマン・レイ展の「 会場風景・動画(F-iネットへ)」がアップされていてビツクリ。 この映像を見るの---1分16秒---がすごい。県広報課の野村裕子さんのナレーション。福井バージョンのメトロノームがリズムを刻んでいる。会場の様子もわかって、まいりました。


June 28 2004

昨夜の痛飲がこたえ、しんどい一日だった。


June 27 2004

京都写真クラブ 第三回総会
恒例の記念写真
東華菜館 3F
    
     
     
     
     
黒ベタ白ヌキの解決策を見付けリーフレット作業は前進した。昼に用紙を買いに出てから、自宅に戻り京都写真クラブの総会に出席。いつもの東華菜館で4時からの開催。新しく特定非営利活動法人京都写真クラブが誕生した。もちろん、楽しみは懇親会、旧友のY氏と同席なのでガヤガヤと写真にまつわる世間話やらなんやかやと。有田恭子さんが7月7-16日まで東京・高円寺のカフェ百音でポラロイドの写真展「薫り」を開催されるので、その案内状をいただいた。カーテン越しで窓辺の光がちょっと良い感じ。前田好雄さんが最近出された祭礼図解(参)祇園祭長刀鉾懸装品考察がすごい、氏は小学5年生の時(1960年)にかむろをされている。祭りが近づいているのでソワソワしてきた。氏の考察を愉しもう。わたしは資生堂でのマン・レイ展を紹介した。ボックスカタログに対する関心は皆さんたかい。即席のインタビューを受けたので、今回の展覧会も含めいろいろとお話しする。喜んでもらえた印象。こんな感じなら、10日のトークショーも上手くいくかな。でも、シラフでは舌が回らないか----
 みんなでATHAへ移動し二次会。何杯もビールを飲んでヨッパラった。
 


June 26 2004

洒落た用紙も見付け、リーフレットのデザインを終日。しかし、黒い紙に白い文字を印字出来なくてジタバタする。手許のディスクジェット1220Cでは無理なようだ。黒ベタ白ヌキではどれだけインクが必要かわからなくて困りはてる。デザインから変えなければ。
 明日は夕方5時から四条大橋東詰めの東華菜館で京都写真クラブの懇親会。どんなバカ話ができるか、いつもの集合写真はどんなのになるのだろうかと楽しみである。


June 24 2004

『日録』福井編を読んで下さった方から、幾つかの励ましのメールをいただいた。鑑賞報告で励ましのメールと云うのもおかしな話だが、例えば、こんなふうに

「石原さんのコレクターならではの苦悩の告白に接し、会場は必ずしも100パー幸せな邂逅の場ではないことを知り、心に石を置かれたような感じです。」(Nさん)

会場に張り巡らされ、仕掛けられた、いろいろな謎がmanrayistによって、自在に読み解かれている様子が伝わってきて、思わずこちらも興奮してしまいました。(Tさん)

写真もたっぷり使われており、臨場感たっぷり。マン・レイへの純愛と忠誠。そして悩めるコレクターぶりがいとおしくさえある。山高きがゆえに尊からずですよ(?)。(Hさん)

石原さんはマン・レイという芸術家とその作品・人生にご自分と重なり合うものを多く感じて、以来ずっと見つめ続けていらっしゃるんですよね。信仰に近いものさえ感じられる深い想い。日録読んでいると、聖書の福音書使徒の手紙のような感じもします。私が感動してしまうのはコレクションの物に対してではなく、石原さんの想いに対してですよ。(Kさん)

---------------------------------

いただいた私信をかってに引用、掲載してしまいました、ゴメンナサイ。でも本人はとても癒されているんです。わたしは、いつも自己癒着しない客観的な眼を自分のコレクションに持っていたいと思っているのですが、今回はまいった、グラついたのです。ジェイコブス夫妻の収集品はとにかくすごいんです。かなわぬ片思い状態です。電車で2時間の距離に作品があるのですから、心が苦しいのです。 さて、福井県立美術館のホームページが、小生の『日録』福井編へのリンクをはって下さった。感謝。


June 23 2004

昨夜は長女とMACがバッティング。それで早起きしてメールやら、『日録』福井編の修正等をする。庭に今年最初の朝顔が咲いている。


June 21 2004

なんとか『日録』の福井編をUPする。


June 20 2004


午前中に資生堂でのリーフレット用写真を選び、焼き増しを頼みに近くの写真店へ行く。出来上がりサイズとの兼ね合いで、いつものL版にした。その後、名古屋に帰り、老齢の母と取り留めのない世間話。夕方、兄と御器所の「まどか」で、米、芋、麦と焼酎づくし。太刀魚や鱧を楽しみビールも冷酒もいただいたので酔っ払った。それで京都に戻ったら、急にATHAへ行きたくなり、久しぶりに顔を出す。いつものメンバーといつもの世間話。これが楽しい。

June 19 2004

福井での日録。写真もだいたい選びスキャナー処理をして割り付ける。しかし、報告を読み直してみると後半の暗いトーンが気になり、アップするのを躊躇。今日は頼まれた案件の処理や画材店での材料選びといった目的があるのだが、京都市内の恒例探索に出かける。画せんどう、丸善、柿本、ロフトと回るが、イメージにぴったりの物がない。紙がないとリーフレットは出来ないのだよね。稚拙なデザインでも紙が素敵だとキリリとしまる。さてどうするか。その後、河原町丸太町のギャラリースペース4Uへ行き、こいけカメラ氏が頑張っている京都学生写真連盟の「五感+α」展覧会を覗く。

June 18 2004

しばらく読めなかった林蘊蓄斎氏のディリー・スムース。待ち遠しかった(11日~16日)けど今日、まとめられた「東京ちかてん日記」を拝読した。さすがに林さん、スゴイ。わたしの方は福井編で時間がかかっているので脱帽。明日は纏めなくてはと思いつつ雑事に追われてしまう。


June 17 2004

福井での『日録』、量が多くて書き続けながら難儀する。『日録』を超えて、エッセイと云うかマン・レイ論になりかける。『日録』は軽く、気楽に読める臨場感が命なので、さて、どうするか、遅れると展覧会の紹介としてはタイムリーでなくなるからと、気持ちがブレ始める。


June 16 2004

セゾン現代美術館に依頼していたポスター「美意識の形成と展開」が到着。福井での『日録』をゴソゴソ。


June 15 2004

銀紙書房の読者であるM氏が臨川書店の「和洋古書善本特選目録夏期特集号」(通巻11号)を送って下さった。林哲夫さんもディリー・スムースで紹介されていた号。これには「表紙下部やや傷み有り」と注記されているが「ニューヨーク・ダダ」が美しい図版で掲載されている。図版から推測すると美本といったところか。現在、ハス・オブ・シセイドウで展示中の資料と同じもの。価格がすごいので、小生にはゴメンなさいの世界である。又、パリの古書店からGLMを特集した古書目録が届いた。こちらの方は、入手可能の価格帯も含まれているので、パラパラと調べ始める。


June 14 2004

家人に頼んで福井で撮影したフィルム10本を現像に出す。帰宅してから、どの写真を『日録』で使うかと考えつつ、テキストの構成を描いたのだが、総量が膨らみ、記載内容も難しそうなので、6月12-13日は別頁とする。 UPしたら報告しますので、しばらくお待ち願います。

===

 

巌谷國士氏がマン・レイに捧げたオマージュとなっているカタログ。会場でこれを手にし、マン・レイの個人的な出来事を理解すると、展覧会はますます面白い。展覧会そのものが巌谷氏のマン・レイ感を現したエッセイ、展示各コナーの解説も良いが、「マン・レイ事典 Man Rayを知るための100項目」がすごい。又、メイエさんの「個人から個人へ」(巌谷國士訳)も読みやすく興味深い。略年譜(千葉真智子編) 主要参考文献(友井伸一編)ともに充実している。お薦めのカタログである。


 マン・レイ展カタログ
 26 ×19cm. 258頁
 一冊2,300円(消費税別、送料別途) ご希望の方には取り次ぎを致します。
 注文は
 E-mail; manrayist@ybb.ne.jp


    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    

    

 

June 13 2004

昨日の喜びに眼が興奮したままの朝、ブラブラとホテルから福井城址辺りを散歩し、片町のホテルに戻って朝風呂。温泉大浴場があるのだから幸せ。もっとも「朝からビール」と云うのは我慢した。朝食をすませ日曜美術館を見てから美術館へ。今日は2時から巌谷國士氏の講演会「マン・レイの謎を愉しむ」が開かれる。

--------------------------------------------

スライドと映画を映す盛りだくさんの講演ですと先生は始められた。 以下はわたしのメモと感想-----   数年前から準備された今回の展覧会には二人の監修者があたった。パリのメイエさんが作品を集め、展示方法とカタログを巌谷さんが担当。氏がマン・レイと本格的にであったのはポンピドゥ・センターでのマン・レイ展のおりで、展覧会そのものが作品といえるようなものだった。子供ずれが多く楽しい笑い声が会場に溢れていて、驚きやおかしさやいろんな気持ちが表現されている、パリの人達はマン・レイの物を観ながら親しみを感じ、何かしら近所の人、隣人といった気分だったろう。メイエ女史にマン・レイをどう思うかとたずねられた氏は4つのV「Voisin(隣の人) Voir(見る人) Voyageur(旅人) Voler(覗き見る人)」で答えたと云う。氏はマン・レイに共感を持てると思い、監修を引き受け、徹底的にやったとの事。日本では観ることの出来ない珍しいものを借りてくると云う発想ではなくて、出来るだけ沢山借りて迷路のようなものを作ろうとしたとの事。マン・レイと云うのは「マン・レイと云う全体」であり、それが20世紀と重なっている。マン・レイを浮かび上がらせるために、持って歩けるようなカタログを作った。普通カタログは展覧会が終わってから買うものだが、これは違う、様々なマン・レイの側面、付き合った人々、恋人、作品は年代順に並べられたけど、様々なモチーフが再現されている。「わたしは謎だ。」とマン・レイが姪のフローレンスに応えたエピソードを紹介されながら。「マン」は自ら選んだ名前、「マン・レイ」はひとかたまりの名前。名前を変えた時にマン・レイは二つに別れたのではないか、個人的なレベルでの内面を持った自分と、人間としての抽象的な自分、人類というようなものを抱え込んだ。パリに出てから本名を隠し、訪ねられてもいつも「I am Man Ray」と答えたと云う。彼がなろうとしたのはマン・レイであって写真家ではない、肩書きを持つ者ではない。彼は芸術家になろうとしていたが、それは、芸術家を自由になろうとした人と定義していたからだ。マン・レイの作品は総て「自伝的」である。マン・レイの個人的事情が、われわれ現代人にとっての普遍的な事情つながっている。先生のお話は、リー・ミラーやデュシャンやチェスといろんなところに侵入していきながら、出品作品のスライド解説に移っていった。いつの時代のセルフポートレイトでも視線を逸らさず、笑わないマン・レイ。予定された二時間はあっというまに過ぎてしまったが、最後にメレット・オッペンハイムとマン・レイとのプライベートフィルム「毒」が映し出された。ここにはおちゃめなマン・レイがいるのだが、これも又、引き裂かれた人格であるのだろうか。

--------------------------------------------

 
昨日と同じように併設の喫茶ボナールで先生達と世間話。それで以前から気になっていたブルトンマン・レイの距離感についての質問を試みた。先生はカタログ所収の「マン・レイ事典」アンドレ・ブルトンの項(212頁)で「マン・レイブルトンに対するときはいつも、いくぶん距離をおいた観察者だった。」と書いておられるので、調度よい機会だと思った訳。「タンギーの例のようにブルトンにあまりひっつきすぎると大変なことになる。ブルトンが一緒に本を出すのは珍しく、「写真は芸術にあらず」などは、マン・レイを重要に感じていた証左。シュルレアリスムと絵画でも重要な位置に置かれているし、オブジェの問題については、いずれ詳しく論じなければならないね。デュシャンに対してだって論文は一本だけだし、エッセイや詩が少ないとしても、それは依頼との関係でもあるよ」と教えて頂いた。ブルトンの「ナジャ」からマン・レイに入ったわたしとしては、「告示なしにあり続けるために」のブルトン宛て手紙の形式を用いたのマン・レイのエッセイ等を読んで、いろいろと思うところがあったのだ。先生にはその他いろいろと御指導を頂いた。しかし、氏はあこがれの人なので、お話しするとあがってしまう。すぐに美術館が閉まる時間となり、急いで京都へもどった。明日は仕事、働く「手」は日常の様々な場で、わたしの眼をわしづかみにしようと待ち構えている----


June 12 2004

 福井鉄道福武線福井駅

慣れない街に着いた朝は、カメラが友達となる。まして、迫力あふれる折り畳みステップが停車の度に飛び出す、併用軌道を持った郊外電車が乗り入れるターミナルとなると、鉄道ファン時代の習慣がよみがえる。それで、写真を撮りながら田原町まで移動した後、美術館へ。道中にも展覧会を宣伝するポスターの幾つかが目に付いた。

 「マン・レイ展『私は謎だ。』」と題した今回の大規模な展覧会は、マン・レイ・サークルの世話人的存在であるパリのマリオン・メイエ女史とアンドレ・ブルトンの翻訳で知られ、旅行に関するエッセイを数多く発表されている、日本でのシュルレアリスム研究の第一人者、巌谷國士氏が監修者として企画されたもの。300点を超える出品は、写真、オブジェ、油彩、デッサン、映画、資料等にわたり、作者の広範囲な作品領域を、ほぼ総て網羅する構成となっている。これまで幾度となく繰り返されてきたマン・レイ展とは異なる、明確な視点によって集められ、初来日品も多く、さまざまな楽しみ方が可能な展覧会である。これから半年かけて、国内五箇所の公立美術館を巡回(注)する。その立ち上がりが福井県立美術館で、7月11日から始まっている。

 エントランスロビーにはマン・レイの「謎」が----

 第一展示室へのエントランスロビー上部に福井でのメイン・ビジュアルとして選ばれた「イジドール・デュカスの謎」がポスター拡大版となって掲げられている。入室前から期待が膨らむ「謎」への予感。「カッチ」「カッチ」とゆっくりしたテンポでリズムが刻まれている。遮光幕をすり抜けて入った一室からわたしは唸ってしまった。心臓の鼓動と同調していた声の正体は、黒い木製のメトロノームだった。マン・レイは振り子に眼の写真を切り抜いて貼り付けているけど、一般的に美術館で出会う時には静止し、休息の時を過ごしているメトロノームが、この会場では生きている。観客の足音とジョイントするそれは、オブジェ作品と同じ様式のもの、幾つか並べられた中には「福井バージョン」の一点も、こちらには眼の写真が留められている。気取らず楽しくそれでいて、当惑させられる、マン・レイ作品への序章となっている。眼を先に転ずると、右側が「THINK」をふくむ「破壊できないオブジェ」といったメトロノーム達4点、左側は「手」のイメージで構成され、「自由な手」のデッサンやブロンズが置かれている。これを挟んだ中央に両面鏡のパネル。それぞれに「自画像」が掛けられ、逆文字で壁面に置かれた「MAN」と「RAY」の単語が正しい像を結んでいる。そして、これらを見下ろすマン・レイの眼のイメージ、ハンス・リヒターの映画「金で買える夢」の1シーンを彷彿させる仕掛の巨大なパネルが掛けられている。その下に「自画像」の幾つものバリエーションが並ぶ。マン・レイと対面しつつ、左右に引き裂かれる分裂した個性との出会いが始まった事を実感した。

 第一展示室ではメトロノームのリズムが---



 このスペースを左に折れると、ニューヨーク時代のマン・レイが待っている。ランプシェードに照らされたアトリエの様子。「危険 不可能」の背後にトリスタン・ツァラからの手紙が置かれ、視線の先の離れた台座には、摩天楼を象徴する「ニューヨーク1920」といったオブジェ。さらにその先に「障害物」がある。天井から吊らされた沢山のハンガーが壁面に影を映し謎の造型を作り出している。床にはハンガーが入っていたとおぼしき旅行用の皮製トランク、よく見ると、これにはタグが付いていて、マン・レイの名前と住所が確認できた。このコーナーの終端からデュシャンの油彩「階段を降りる裸体」を複写した写真が始まるのだからこたえられない。

「危険 不可能」の背後にツァラからの手紙

 1921年夏からのパリ時代を紹介する空間は、油彩、肖像写真、ファッション写真、マネキンからなる四つの壁面からなっている。新天地での新鮮な印象を描いたとされる油彩「イタリー広場」「レガッタ」「グラン・パレ」等と写真の仕事を区切るようにアイロンの「贈り物」と「家具つきホテル」があり、右に移動した視線は待合いのソファに気付く。そこにはスタジオがしつらえてあり、黒いバック紙の前に小さな椅子と照明用ランプ。自分の番が来るまでゆっくりカタログに目通すことが出来る。

 担当学芸員のN氏は福井バージョンと云った表現をされているが、随所に展覧会を愉しむ面白い仕掛けが用意されている。それがマン・レイの仕事と実にタイミング良く一致し、アッと驚かされる納得の連続で、彼の人生に入り込んでいるような錯覚を覚えた。両次大戦間のパリにわたしは出会えなかったが、ここのスタジオにはマン・レイの視線、空気が充満している。N氏が準備しているのはすごい仕掛け、スタジオには暗室が併設されていて、暗室光の赤い光がバットや如雨露やカップを照らしている。壁面には出来たばかりのレイヨグラムが幾点か掛けられ、実験室の雰囲気。暗室を出ると映画が映し出されていた。

 今展の一般的な目玉作品はジェイコブス夫妻コレクションの「アングルのヴァイオリン」だろう。わたしは同作品の様々のプリントを見ているが、印画紙の調子からして品格の良さが他を圧倒する。写真右下の「R」がちょっと変わった印象を受けるのだが、自筆なのか複写なのかが「謎」のまま残った。キキを捉えた魅力的な一角は、レイヨグラムと映画と文献資料に囲まれている。

 会場を回遊して行くと第二室に至る通路に隔離された空間があり、サドの領地となっている。彫刻と版画と素描の間にマン・レイが描いた「D.A.F.・ド・サドの架空の肖像」で飾られた自装アポリネール編「サド伯爵の作品」が置かれている。写真と云うのは、こうして使われるのだと、またしても納得する。

 手前のケースに「贈り物」と「家具つきホテル」

 右側の壁面には肖像写真やモード写真が----

 台座の上には「明日」「大鉋」「非ユークリッド的オブジェ」

 第二室の入り口にはフラッドランプがあり、現像バットの中ではネガが浮いている。ソラリゼーションの現場であるようなりー・ミラーとのイメージ。斜め前の一角には宮脇愛子さんがマン・レイから贈られた「天文台の時刻---恋人たち」の複製写真が掛けられている。これには天文台の上部にマン・レイの献辞がある。この経年変化で退色したカラー写真の横に、全体的に赤く染まったリトグラフが掛けられている。幾つもの技法で再現されたシュルレアリスムの記念碑的大作、リー・ミラーの唇、愛し合う男女の肉体。「ファッシール」をやり過ごし「上天気」の前を通ると、左手にわたしの大好きな油彩アドリエンヌをモデルにした「夢の笑い」がある。前回来日した時には、この作品ばかりを何度も観たと記憶する。でも、今日は、隣に掛けられた「顔なし」と云うデッサンにハッとする。この感じなんだマン・レイエスプリは-----

 洞窟を抜け出ると眼がまぶしい。次の部屋にはカリフォルニアの光が溢れている。白い鉄製のテーブルと椅子が幾つか置かれ、軽い音楽が流れている。コプリー画廊の中庭に一晩だけ出現した「カフェ・マン・レイ」の再現か。プールサイドで若い娘たちの姿態を眺める楽しみでもあるのか。今回、わたしが出会いを楽しみにしていた作品が数多く並べられたカフェ、ここのテーブルにも展覧会のカタログが置かれている。明るい町で、ジュリエットとの愛の巣を築きながら、パリから遠く離れ隠遁者のように暮らしたマン・レイが描いた一連の油彩。特に会いたかったのがジェイコブス夫妻のコレクション展カタログで知っていた「鍵の夢」これらを観ると胸がキュンとなる、こんな油彩が欲しいのだ。画面の要素は単純で、クロス・パターンに塗り分けられたグレー色彩の上に鍵が几帳面に描き込まれている。鍵を手にする男の欲望と共に有るような、彼が戻ったところなのか、これから出掛けるところなのか、彼の部屋なのか、彼女の部屋なのか判らない。でも、この絵には鍵を取り出す「手」の動きが描かれている。23.0×45.7cmの小さな画布は、額で壁面と隔てられることなく木片で簡単に留められている。作品が鑑賞されるとき壁と一体化した印象を与えようとしてきたマン・レイには自作の額が多い。
 この作品の横に掛けられた円い変形ボードで留められた「視点」は、昔、オークション・ハウスのプレビューで対面した時、ビットしたいと思った一点だけど、今日もメガネを捉える角度が正面なのか側面なのか判らないままである不思議な油彩。1930年代の油彩が好きなわたしだが、シェイクスピア方程式と題された一連のものも素晴らしい。作者の手の痕跡や画布やボード、額の造りや支持体の構造等を丹念に観ているとテレピン油の臭うう一点と出会ってしまった。こんな体験は初めてである。記憶に無いので他の絵に戻ったりやり過ごしたりして鼻をクンクンさせてみる。アメリカから書籍を取り寄せた時など独特の渇いた砂の香りがするもけど、それとも違う。この絵「ジュリアス・シーザー」は修復された直後の来日なのだろうか。左上部の背景がなんとも若い。画家の多くは「テレピン中毒者」と云ったのはマン・レイだったが、コレクターにも魅力的な匂いの刺激だ。ビリー・ホリデーの「I Cried for You」「What a Little Moonlight Can Do」「Me, Myself and I」「Without Your Love」等が流れる。美術館の一室とは思えないこの空間には、自然光が差し込み、カリフオルニアの空、プールサイドで水に反射する青が作品達の楽しさを伝えてくれる。そこに内在しているマン・レイの孤独がひしひしと伝わるのだから、わたしにはたまらない。

 手前の油彩は「レダと白鳥」、後方に「夢の笑い」

 「鍵の夢」「視点」等が並ぶ

 同室を出て長い階段を上がる。マン・レイの人生に入っていたわたしも我に返り、野外展示室から広がる福井の空に気付いた。ここは福井なんだよね。幾分クールダウンして二階の第三展示室へ。ここへ入る時にも遮光幕をすり抜ける、大きな油彩「二つの顔」を起点にパリに戻った1950年代のマン・レイが居る。ル・フェールのアトリエでマン・レイと交流された宮脇愛子さんのコーナーには、幾つかの記念品(?)、昔、展覧会でうつろひのポスター頂いた時、写真家の安齊重男さんに宮脇さんとの記念写真を撮ってもらった事があったので懐かしい。
 方形の大きな台座におもちゃのようにオブジェ達が並べられているので、前後左右からじっくり鑑賞できる。手にとれそうな親近感。アイロンやフランスパンやその他の日用品が、観る者を当惑させ面白がらせる、「自由な手」の仕掛けとなっている。全体が見通せ空間の中央に「天球儀」と云う変わったアッサンブラージュが連り下げられていて、マン・レイとわたしの関係のように、宇宙と自己との位置測定を可能とさせ、要求する。最後のコーナーには梱包作品「イジドール・デュカスの謎」が置かれている。そして、出口を挟んだ左側には、紐が掛けられていない「謎」を運んでいく小柄な人物が認められる「フェルー通り」の版画。二つを対比させながら、マン・レイの「謎」が今もって続いていると云う印象を持った。

 「二つの顔のイメージ」「パレッターブル」等



展示はここで終わる。しばらくしてから気が付いたのだが、遮光幕が機能する暗室のように設えられた展示室に入った観客は、彼の光の「謎」である実験室で迷い、マン・レイの人生を追体験し、迷路を堪能した訳なのだが、遮光幕の無い出口の設定は、福井の街路に暗室がさらに繋がっていると云う、状況の暗喩であるのだろうか。

 以上がおおまかな展示の様子なのだが、わたしは幾度も会場を巡った。個別の作品に対する様々な思いが充満しているので『日録』には書ききれない。会場でわたしがしたいと思った作業は、展示品の状態確認、カタログと現物との突き合わせ。額縁を含んだ作品記録(二日間で36枚撮りフィルムを10本も撮影してしまった)。今回はメイエ女史が中心となって集めたマン・レイ・サークルの人々の貴重なコレクションが展示されているので、それぞれの自室に置かれていた様子を想像するのが楽しい。みなさん素晴らしく、それぞれがシャレタ額装をされている。額まで資金の回らない三流コレクターは恥じ入るばかりである。

--------------------------------------

 担当学芸員のNさん、企画会社のTさんと併設の喫茶ポナールで世間話。広い店内の目立つ位置にマン・レイの版画「セルフポートレイト」が掛けられているので嬉しくなった。会場の一点と同じバージョンではないか、それで、Tさんをモデルに記念写真。
 バタバタと忙しい一日だった。マン・レイの素晴らしい作品に接して嬉しかったけど、同時に寂しさを覚えた。コレクターの道程のなんと険しいことか。最近の様々なオークションや画廊や古書店の目録で価格を知っている作品が多数招来されている、ブルトンのオークションでビットを検討した写真やアントワープのヴエルデの店で高いなとパスしたものが含まれている。晩年のキャンバス地に焼き付けられた写真「願い」には対話集の相手ヴルジャードさん宛ての献辞が入っていたりする。日本で資料類をコツコツと集めると云ったやり方の限界が、最初から判っていた限界だけど重くのしかかる。マン・レイが好きなんだからそれでもと思う反面、どうにもならない時間と資金の壁がわたしを押しつぶす。夜、風呂上がりにビールを飲みながらテレビを付け、マン・レイの暗室はここまで繋がっているのだが、眼を閉じた夢の中にしか実在しないのではないかと悲しくなった。


注) 福井県立美術館 2004.6.11-7.11 岡崎市美術博物館 2004.7.17-9.5 埼玉県立近代美術館 2004.9.11-10.27 山梨県立美術館 2004.11.3-12.15 徳島県立近代美術館 2005.1.15-3.21 尚、ジェイコブス夫妻のコレクションは埼玉までの展示で予定されている。

 

June 11 2004

明日は早起きし福井県立美術館で開催されているマン・レイ(注)「わたしは謎だ。」を観る予定。心配していた台風も熱帯低気圧となり予定通り出発出来そうである。担当学芸員のN氏が、どんな切り口でマン・レイを見せてくれるのか、巌谷先生の講演会「マン・レイの謎を愉しむ」(13日14:00--) と合わせ一泊二日の楽しみである。最終的に招来した油彩がどれになったのか期待が拡がっている。
 そんな訳で明日、『日録』はお休み。それで、報告を一つ。日曜日のNHK新日曜美術館で、資生堂の「マン・レイ展--まなざしの贈り物」が取りあげられるそうです。放送は9時45分以降の枠、どんな視点でカメラが回るのか、こいつも楽しみである。きっと放送後の入場者はすごい数となるだろう。文献資料の方も観てねと、お願いしたくなる。

注)マン・レイ展「わたしは謎だ。」2004年6月11日---7月11日 福井県立美術館 福井市文京3-16-1 電話0776-25-0452

 


June 10 2004

本日発売の週間新潮(6月17日号)で資生堂マン・レイ展が紹介された(TEMPO アーツ欄 40頁)。「女性に捧げるマン・レイの「贈り物」」と題された、この記事、しっかりとした視点で、適切、的確にマン・レイをとりまく現象が纏められている。文中「"マン・レイ狂い"を自称する、ある募集家」とはわたしの事、担当のK氏に感謝。


June 9 2004

脳みそが酸欠状態なのか、ひどく眠い。夕食ビールをやめればよいのだが意志が弱い、そんな訳でトークシヨーのリーフレット、アイデアの具体化が頓挫してしまった。土曜日の午前中しか作業の出来ない頭になっている訳。お休みなさい---


June 8 2004

今朝、御手洗恭二さんの手記を読んで涙がとまらなくなった。「さっちゃん。今どこにいるんだ。」


June 7 2004

『日録』の6月2-3日の項を読みやすいように調整する。幾つかのメールと必要な電話。展覧会は始まったばかり。


June 6 2004

『日録』を2日から更新していないので、朝から頑張って書き込む。就寝前の10分間に気楽にメモするのが、わたしのスタイルなのにちと狂ってしまった。東京での二日間を報告すると約束していたもの。『日録』の読者のみなさんお待ちどうさまでした。やっとアップいたします。写真も楽しんでくださいね。今、午後4時です----


June 5 2004

展覧会の報告を兼ねて京都市内の友人、知人を回る。どの方もカタログのセンスに感激される、可愛いのだそうだ。ギャラリー16の坂上さんと顔を合わせたら1991年にロンドンのバービカン・アート・ギヤラリーで開かれたマン・レイのファッション写真展のリーフレットを示された。彼女が学生時代に偶然、居合わせたとの事で、湾岸戦争の記憶が甦るらしい。ニューヨークのICPをスタートしロンドン等の後、東京にも招来されると聞いていて実現しなかった展覧会の資料を手にしながら、これも縁のある事だと思った。銀座でのマン・レイ展が資料をわたしにもたらしてくれたのだろう。感謝。
 その後、長女と待ち合わせて散歩。木屋町通りを二条から下がっていたらなにやら騒々しい。メリー・アイランドに入るつもりだったので、そのまま歩道側のテーブルに腰掛けると、東ちづるが男優二人と維新史跡として知られる幾松に入るところ。店の北隣路地が旅館への入口なので「ここが幾松」と言ったセリフが本番で聞こえた気がした。心地よい風が吹いている7時頃の高瀬川。大勢の見物人と奇妙な業界人を観ながら、長女とビールを飲むのは至福の一時である。自転車で町を走りランデヴーなんて理想だね。携帯電話の力はすごい。東映のスタッフに聞いたら、来年放送予定の「新選組殺人事件」との事だった。


June 3 2004

銀座和光の前で待ち合わせ(?)中の女性。

   
    


本日も天気に恵まれ、朝一に源喜堂と田村書店を覗く、神田に出て気持ちが落ち着いた。昼前に会場へ戻り、横浜のT氏、デュシャンピアンのK氏と待ち合わせ。K氏はこの道の大先輩なので古書店やオークシヨンの情報を伺う。花椿通り側の維新號でランチ。K氏に勧められ黒ごまの中華饅頭、美味い、ビールも飲んで良い気持ちとなった。その後、中央通りを渡ってルノアールでお茶、明るい店内で世間話。銀ブラをする家内と別れ三人そろって閑々堂で資料を物色。昔は思わなかったけど晴海通りの緑が美しい、ブラブラと並木通りを戻ってHOUSE OF SHISEIDOへ。後わずかしか時間がない、会場で観客の動きを眺めながら、マン・レイと共に歩んだ30年を思い出す。さすがに東京、資生堂となると訪れる人が多い。この展覧会が新しい「マン・レイ狂い」が誕生する機会となる事を願う。

 子供二人が留守番なので早めに京都へ戻った。テレビで有名なとんかつまい泉の「ハナマル弁当」とアサヒビールの「富士山」を車内でいただき、忙しい二日間を締めくくる。

二階会場天井部分に仕込まれたスポットフィルターで
Man Ray, The Gift of His Vision
3rd June -- 18th July 2004
の表記がフローリングに浮かぶ。

   
   
     
     
     
     
     

June 2 2004

経理マンの月初は忙しいが、いよいよレセプション当日。数日前から天気予報にヤキモキしていたが、上手い具合に雨も降らず暑くもなく、気持ちの良い午後となった。同僚に助けられのぞみ50号で予定通り東京に到着。早速、担当者にお願いし展示確認をする。お貸しした「ハーパース・バザー」誌の扱い「どの号のどの頁を見せているのか」や、二階に並べられる資料類の安全性が気に掛かっていた。以下、わたしなりの感想を紹介したい。展覧会を観た人には確認の為、これからの人には期待を増幅させる為。わたしにとっては、視覚と感情のメモ。

エントランス 並木通りを行き交う人々の視界に展覧会のタイトルとマン・レイの「半分のひげのセルフポートレイト」が映る。大判一枚ガラスにポジフィルムのようなマン・レイ。透過された彼の眼差しは、展覧会が作者の内部に入って行く設定となっている意図を示している。その先の白く美しいカーブを持った壁面に「Man Ray The Gift of His Vision」の文字サイン。計算されたタイミングで作者やブルトン、メレットやココ、モデル達がプロジェクターから投影される。これはマン・レイのキャンバス、スライド・シヨーの流れが展覧会に動的な期待をいだかせてくれる。
    
マン・レイ展は光の演出。
受付カウンター前で演じられる。
何人の美男美女が登場するのか
確認してみるのも面白い。
     
     
     
     
     
     
     
     
     

会場 一階 フィルムであった「半分のひげのセルフポートレイト」が正面に、本来の印画となって印象的に置かれている。その下にわたしの書いた略歴。「1890年フィラデルフィア生まれ。両親はロシアからの移民。ブルックリンで育つ。-----」 作品保護の為に照度を落とした暗い空間であるが、貼られた黒クロスの色調がエレガントで、スポットライトがそれぞれの写真を的確に浮かび上がらせている。普通の展覧会では照度の違いが眼について、イヤラシイ表現になってしまっうだろう状況を克服し、逆に個性として表現している、これならマン・レイも喜ぶだろう。観客が最初に見るマン・レイの顔やファッションの仕事、「ハーパース・バザー」誌がケースに入れられているので、その位置まで空間を進むだろう。雑誌掲載のイメージと使用された写真の対比。ブロードヴィッチのエデトリアルで観る「パドヴァの広告」と額装されたそれ。職業人としてのマン・レイを華やかな広告の世界で知った事は、新しい体験となった。社会との接点が開かれた状態として、この辺りにあったのだ。左右に配置されたパネルもそれぞれ三枚に別れ、圧迫感を与えない空間を確保している。回廊式に背後へ回ると、ファッション写真を撮影していたスタジオ内部の感覚を体験させてくれる。そして、入口側へ視線が振り返ると、左側がキキやリー、右側にメレットとジュリエットと云った構成で彼の恋人達が並べられている。メインビジュアルの「絹のドレスのリー・ミラー」が何気なさを演出して、他の写真と共にある。これが良いのだ。普通の展覧会で目玉作品があからさまに展示されていると、観客は納得したり安堵したりして、会場の外で連想し観たいと期待した作品を安直に発見し、展覧会での感動をプチ喜びで終わらせてしまう。観客自身がそれぞれの眼差しで発見、イメージの「贈り物」を自分で受け取る事が一番の楽しみであるはずなのだ。会場構成のプランを最初の段階から聞いていたのだが、想像以上に上手く美しく仕上げられていて嬉しくなった。さすがに資生堂のスタッフの方々だ。作品保護の理由(?)で並木通りから展示の様子を覗き見れない構造となっているが、曲線と照度が阿古屋貝をわたしに想起させた。波静かで水の澄んだ海湾に育つ二枚貝。人間の手が入らない時、貝の内部はこんな黒色を持っているのではないだろうか。雑誌にあてられた完璧な照明によって六粒の真珠が育っていく。入口中央の挨拶文を挟んで、左に「ぼくは絵を描くように写真を撮影した」、右に「芸術とファッションを結びつけよう」と云うマン・レイの言葉が引用され、壁面にレタリングされている。さて、観客はどちらの入口から入り、出るのか?  わたしなら右から左へ。二階への展示をさらに期待させる動線が用意されていると感じられた。

展示されるハーパースバザー誌の各号
上段; 1936.11 1936.1
中段; 1935.9.15 1937.11
下段; 1937.2 1936.3
    
     
     
     

     
     
     
     
     
     
     

     
     
     
     
     
     
     

     
     
     
     
     
      
     
     
     
    
     

       

階段 アールヌーボー風の唐草文様が洒落たアプローチとなる階段を上がると、マン・レイの言葉。「あらゆる創造的な行為の背後にひそむ力とは、情熱ではなく、霊感だ。マン・レイ」 これを選んだ担当者の思いが伝わる。それは、作者に成り代わって展覧会を準備し実現すること。擬似的に作者となること。マン・レイは出品作品の選定から会場構成、カタログ制作と総て自身でやらねば気がすまなかった。他人任せには出来ない芸術家。それは冷遇されたニューヨーク時代の記憶が作用する行動。もしマン・レイがこの場にいたのなら、どのような構成を望むのか。マン・レイがこの場にいるような印象を観客に与える効果が随所に仕込まれている。だから、視線が伸びる良い位置に言葉が置かれている。

会場 二階 大判ガラス扉に「HOUSE OF SHISEIDO」のサイン。室内の優しい拡がりにブルトンを中心とした資生堂コレクションの写真が掛けられている。展覧会タイトルが仕込まれたスポットフィルター。作品の掛けられた壁面が三箇所、それぞれのコンセプトで展示品が選ばれている。一番奥にL字コーナー、その右にミクストメディアの「障害物」がある。二階はアーカイブになっていてオープン時の解説には「すまし顔で並んでいるモノたちを、静かに見るだけの場所ではありません。 どんどんふれてください。体験してください。 図書室があります。そこで何か興味が広がったら もっと深く調べることもできます。 お座りください。ミニシアターではあなただけの上映会もはじまります。 近いうちに、色々なセミナーも開きたい、と 考えています。 ここは並木通りの小さな学校。ごゆっくり、どうぞ。」とある。
 工事中に拝見した時は天井が低いかと心配したが、かえって奥行きの広い、のびのびとした空間となっている印象。受付カウンターのカーブを挟んでライブラリー側と不思議な箱側のバランスが良いのだろう、箱の上を照らす変化していく色彩が美しい。展示プラン段階では作品、資料と云った企画展示スペースと企業文化を表すアーカイブの棲み分けが困難ではないかと心配したのだが、素人の浅はかさだった。二つが別にあるのでは無く上手く溶け合っている。片方が強く一方的に自己主張するのでは無く、互いを認めたうえで同居している。一緒に生活している恋人達、同居人のニュアンスに近い。

    
引き出しに収められた
展示品の葉書とカタログ。
わたしは、こうしたものが好きだ。


    二階の展示プランは、マン・レイの部屋のイメージの再現と担当者から聞いていた。引き出しを開けてそこにある品物。もとからあって、手に触れているような錯覚を与える効果。机型什器三台にわたってオブジェと資料類が置かれている。上から見下ろす視線がいやだったわたしも、今回の展示では品物と見る者の距離が絶妙に調整されていて、デザイナーの力量に感服し考えを改めた。弊宅の書棚で無造作に保管されてきたカタログ類が、晴れの舞台で緊張している面もち。光の化粧をしてもらった嫁入り前の娘のようだ。彼女の恥じらう表情を愛おしく涙目で見守る父親の心境と云ったら理解頂けるだろうか。
 最初の机には「贈り物」と「破壊されざるオブジェ」。開かれた引き出しの中にマン・レイジョイス・リーヴスに宛てた葉書とジュリエットと二人で友人ドリスに贈った葉書が収められている。右の引き出しにはコプレイ画廊の案内状。これには「カフェ・マン・レイ」のゴム・スタンプ。マン・レイがここに居るんだよね。生き生きとした資料の活力を感じ取る事ができる。わたしのオブジェ二点の後方壁面にあるのは資生堂コレクションから出ている「天文台の時間---恋人達」のリトグラフ(15/150)。ゆったりとした余白を持って掛けられているので、じつに気持ちが良い。

 二つ目の机上には資生堂コレクションから「幸運」「羽の重さ」「永遠の魅力」の三点が置かれている。一方カタログ類は8点でコーダー・アンド・エクストロム画廊のものが目立つ位置。赤、白、緑、黄のストライプが可愛いルーレットで、偶然と云う幸運を掴むことの出来るミクストメディアの前に照応する色彩をもった油彩「女綱渡り芸人は自らの影を伴う」の複製がカットされた窓から覗く。落ち着いたブルーが黒色の下敷きに映えている。机の手前には解説シートが用意されていて、手にとって観たいと云う欲求が、自由気ままに扱えるシートで満たされる。その解説文はわたしが書いたのだが、レイアウトが上手いので楽しめる資料となっている。カタログを開いて中を見せたり(ハノバー画廊)もしているので効果が上がるだろう。

 そして最後の机には、極め付きの一品。雑誌「ニユーヨーク・ダダ」の完璧に美しいアイテム(東京都現代美術館蔵)とわたしのコレクションであるイオラス画廊による「回転ドア」連作からなるカタログが対面している。テーブルを大きく(1.25×2.3m)設営し、書籍ラックと「ニユーヨーク・ダダ」の和訳シートが直接取り出せるようになっている。「すまし顔で並んでいるモノたち」ではない、マン・レイデュシャンが社会にコミットしようとして作成した雑誌。もちろん80年以上昔に刷られた紙面を、今、誰もが手にすることは出来ない。でも和訳シートで当時の気分を再現しよう。マン・レイは後年、ニューヨーク・ダダは存在しなかったと言い、見捨てられた雑誌を嘆いている。今回の展示品もわたしが昔ある書店員から聞いたところでは、イタリアのある都市に住む紳士が、当時、ニユーヨーク土産として持ち帰り娘にプレゼントしたもの。しかし、娘はこれを手にする事もなく老女になった。書店員が偶然示された時、初めて土産品を紐解く瑞々しさがあったという。オークションでこの雑誌を見掛ける事があるが、これだけ完璧に美しい物を知らない。和訳シートを手にして回廊すれば、雑誌をプレゼントされた雰囲気となるだろう。

 展示の様子を書き込むつもりが、横道にそれてしまった。会場ですっと品物の魅力の側に入ってしまった気分が、今も続いているんだね。最奥のL字コーナーはわたしの収集品で構成されている。ちょっとしたマン・レイへのオマージュで祭壇となっている。正面に10点。左に2点。重要な位置に「ピンナップ」が掛けられ、シンメトリックに他の作品が配置されている。この中に初めて紹介する版画「両次大戦間のシュルレアリスム」を紛れ込ませた。全体的に気品のある壁面となっている、感謝。

 作品や資料がきわだって見えるのは照明の魔術なのだろう。各机で天井から下げられた小型のランプシェードはマン・レイがデザインしたもののようにも思えてくる。照明の調整が大変だったと担当者の方からうかがった。強くなくうるさくなく、さりげなくてオシャれ。わたしの祭壇(?)に「障害物」の影が忍び寄って、マン・レイの謎、「霊感」が揺らいでいる臨場感。ハンガーのミクストメデイアをよく観ると、中頃の一つに限定番号(7/10)とタイトル、マン・レイのサインが認められた。マン・レイが居るんだよね、いたるところに----

祭壇となっている突き当たりの壁面。
自宅ではこんなふうに作品鑑賞ができない。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

   
   
カタログ
 奇妙なメーキャップをしたリー・ミラーの写真が効果的に現れるカタログは、表紙も含めて16頁、平林奈緒美さんのデザインによる。ページネーション、テキストと写真のバランスも上手い。写真上の人々、視線や身体の動きが密接に連動し観る者の指先と目の動きに負担をかけず運んでくれる。何気なくてオシャレと云うのは力量が無ければ出来ない仕事。まして英文と共にレイアウトするのはむつかしい。テキスト自体の内容もさることながら、欧文の文字バランスと和文の調和がポイントとなるだろう。二つの対極にあるタイポグラフィを書体とポイント数、字詰めで結婚させる技は、平林さんがしばらく海外に行っておられた賜物だろう。
 尚、テキストの執筆は池田香「マン・レイのモード」 飯沢耕太郎マン・レイの「贈り物」」 石原輝雄「Man Ray's personal history」となっている。
 そして、このカタログはメモ帖、ジクソーパズル、缶バツチの3点が印画紙の箱を連想させる、黒いケースに収められている。可愛らしい小物達。資生堂だからこそ実現できた「遊び」 女性達のしなやかな指先で口紅やマスカラに変わってマン・レイのイメージが踊る。ジュリエットに化粧をしてやるのが好きだったマン・レイ。男達は鏡の前の彼女達の口紅になりたくてじっと待っている。
 平林さんは箱をシールで封印し、破らなければ手に取れない構造で展覧会への参加を観客に求めた。ささやかな勇気、ささやかな意志が新しい局面を生活にもたらす。理屈はいろいろと書けるけど、物それ自体の魅力の前では脱帽だね。 尚、カタログは一冊500円。小物の入ったボックスタイプは1,000円となっている。    
   
小物が3点入ったボックスタイプの
カタログ(27x20.5x2.3cm)には、
こんな確認指示がある。
If seal is broken 
Check contents before accept.
---------------------
Contents: Catalogue/Notebook/Jigsaw Puzzle/Tin badge






    
レセプション
 7時から始まった。友人知人の美術館関係者やコレクター仲間、研究者、学生と云った人達が沢山出席されたので、挨拶やら世間話やらであっという間の2時間となった。二階の展示室でカタログ類の説明を皆さんにさせてもらう。東京の方には初めてのお披露目なので驚かれる「やはり現物が一番だね」と金子隆一さん。「よく日本でこんなに集めましたね、世界中でもう出ませんよ」と大先輩の佐々木桔梗さん。巌谷国士先生にも来ていただいて感激。資生堂の担当者や飯沢耕太郎さんから沢山の方を紹介される。いろいろ伺いたい方がほとんどで、名刺をお渡しするとみなさんわたしの「マン・レイ狂い名刺」に目をシロクロされた。ビールでも飲みながらゆっくりマン・レイの話をと思うのだがしかたがない。20年振り、30年振りに再会という懐かしい顔もある。旧い友人の臼田収介が今宵の記念にと「Man Ray 2 June 2004」と刻んだ三菱鉛筆プレモルトを進呈してくれた。同席する家人にも結婚前の愛称と日付を刻んでくれた。プレモルトは「ウイスキーの樽材として使われた樹齢100年以上のオーク材---手にしっくりとなじむ木の優しい質感とぬくもり」のあるボールペンとシャーペン。彼とは一緒にデャシャンTシャツを作ったりした思い出がある。感謝。
 レセプションは一階のエントランスでワインとカナッペで行われた。担当者が厳選したロサード・トーレ・ガラテイアはピンクが美しいスパーリング・ワイン。今宵はシュルレアリスムの夜だとダリがデザインしたパッケージのこだわりチョイス、こいつは美味い。銀座の美しい女性達とお近づきになる前にお開きの時間となった。
   

 マン・レイの自写像がレセプションを俯瞰する。  

 スライドのココとツーショットで御機嫌のI氏。
  
 銀座のお二人。次回はゆっくり世間話を---

その夜 カタログの執筆者を囲んでの食事会。京風のおばんざいを楽しくいただく。ビールやら赤ワイン等で和やかな雰囲気。美術館と広告の間で参加型の開かれた空間をどう準備し運営していくか、限られたスタッフで沢山の魅力ある企画を立ち上げる苦労と忙しさ、体力勝負といった側面もあるが、今宵のメンバーの大阪風のりが楽しい展開を期待させる。話をしていたら学芸員資格を持つ方が半数もいて驚いた。元気な女性達だ。例によってカタログを取り出し執筆者の方にサインをお願いした。それぞれが執筆した頁に書き入れる。筆跡がテキストの内容を彷彿させる。今回の企画を精力的に実現させた真の功労者であるMさんは、「HOUSE OF SHISEIDOでは第2回目の展覧会として」と印刷されている辺りに、名前と日付を書き入れてくれた。彼女の献身に感謝する。職業の域を超えてしまう芸術作品との出会い、マン・レイが彼女にとって特別の人となる事を願う。

 さて、紹介されて8丁目のラウンジ、ファロ資生堂へ上がる。吹き抜けの広い空間で夜景を見ながら家内と世間話。彼女は甘いカクテル、わたしはシャンパンベースのミモザ。二つともが綺麗なオレンジ色の飲み物だ。そして、アードベック17年を、夜が更けていく。

東京銀座資生堂ビル11階
ファロ資生堂
電話03-3572-3922
    
    
    
     
     
     
     


June 1 2004

白い月が揚がっている、そんな時間に帰宅した。明日はハウス・オブ・シセイドウでの『マン・レイ展--まなざしの贈り物』レセプション。どんな出会いが待っているのだろうか。カメラの準備をしながら銀座の夜への期待が拡がる。翌3日は会場に居る予定なので、どうぞ一声掛けて下さい。