December 31, 2004
京都も朝からの雪が積もる程の勢い、やがて、みぞれから雨に変わり寒い。大晦日。最終の掃除指示を家人から仰せつかり対応。しかし、花粉症に襲われる。わたしの場合はハウスダストが主因なので、このところの真面目なご奉仕が身体のヘルプをもたらしたようだ。昼から作業にかかった銀紙書房本の製本も花粉症におびえながらとなった。
ゆっくりと風呂に入った後、年越し蕎麦をいただいた。今年は紅白よりもからくりTVボビー・オロゴンのK1フアイトで、みんなが盛り上がる。製本の区切りがついてから、恒例のミニあてでビール。「いつでも どこでも 味わい三昧 イカ香り」「いかす丸」「こんがり しまあじ」「美味 えび寿」「マーブル & コンペイ」「たたみ剣先」、最後のには、マヨネーズの小袋付き。袋を見ながら『日録』を書き込んでいる。子供達はジャニーズ、年が変わった。
明けましておめでとう。
2005年は、どんな年となるだろう。銀紙書房本の限定部数作成が最重要だが、年始は徳島でのマン・レイ展、名古屋での安井仲治展と続く。じっくりと、計画中の本に取組たい。必要な資料を整理し、原書を読む事から始めなければならない。
December 30, 2004
年末大掃除の最終段階。神棚と仏壇に神饌と御神酒、お鏡をそなえ準備万端。新年から値上がりするビールに自己防衛して、いつもの酒屋へ買い出し。二回出掛けストックが6ケースとなったので、とってもリッチ。主人の話では、この時期、消費が5%アップするとの事。買いすぎても馬鹿呑みをするばかりなので、これも、兼ね合いが難しい。午後は銀紙書房新刊の出力を済ませ、年賀状の投函まで完了させる。電子レンジも到着し、セッテング。夕方になると、グッタリ。家人と娘達はおせち造りモードで、どうやら、親父は逃げきれそう----
夕食はトンシャブ、それに頂いた蟹で二杯酢。これも頂いた銀河高原ビールで「白ビール」「有機栽培ビール」「小麦のビール」と三種類を味見。味にうるさい家人はビールはストレートと辛口批評。飲み助のわたしは、総てに寛大で、いつも、その場で口にする味がベストと云うスタンス。どれにも個性があり、泡が上手くてよろしい。わたしの好みからすると、3本の中では「ヨーロピアンテイスト」の「白ビール」がマッチする。「にごりのある淡いウィートビール(注)」なのだが、酵母がまろやかで、ゆっくりと楽しむのに好都合。
注)ウィートビール http://www.rakuten.ne.jp/gold/kiya/belgianbeer/whitebeers.htm
通常ビールの醸造には大麦を使用するのですが、その大麦に加えて生の小麦または小麦麦芽をかなり大量に使用したものをホワイトビールといいます。
たんぱく質の含有量が多いので泡持ちがよく、発酵過程で非常に淡い色の泡を造ります。
色が淡くなり、濁ったものができるので、白濁を嫌うブルワーは比較的たんぱく質の少ないウィンター・ウィート(冬蒔き小麦)を使う場合もあります。
爽やかな口当たりが特徴で、その特有の酸味が喉の渇きを癒す働きがあります。 かつてピルスナーがまだ無かった頃のエールに比べて色が淡い上に、酵母やたんぱく質のため白く霞がかってみえたので、ホワイト(白)ビールと呼ばれたと言われています。
December 29, 2004
雨降りでトボトボ田舎道を歩く。残した仕事が予定より手間取り、会社を出たのは2時を過ぎていた。経理担当者であるわたし自身の御用納めは29日だが、銀行や宅急便など、まだまだ忙しい人も多い。2004年の一区切りが付いてホットしていたら、定期券を買っておかなければならない事に気付き、券売場へ。六ヶ月定期の地下鉄、阪急となると8万円を超える。すごい金額だな、使い込んだら大変なので、早めに購入するのが正解。
帰宅し、年賀状を書き上げ、銀紙書房新刊の出力も並行しておこなう。家庭ゴミの回収は、明日が年内最終なので、部屋の整理をしなければと、ゴソゴソやりだしたのが、夜の12時、なんとも、段取りが悪く、反省しきり。
December 28, 2004
可笑しげな始まり方の一日だった。朝、枕元にメガネがないんだよね。布団やシーツの間を探したのだけど、発見出来ずに、焦り始めたら、家人が電子レンジが遂に動かないと溜息。数日前からかってに停まってしまっていたので、あきらめモード。年末の忙しい時にとタイミングが悪い。そんな訳で出掛けるのが遅くなり、駅までダッシュ。御用納めの日なので遅刻する訳にはまいらぬ----
December 26, 2004
用紙を買いに出た時に、高校女子駅伝のランナーを西院で応援。それ以外は年末大掃除モード。座敷や子供部屋や電気の傘を担当し、掛け軸を迎春用に替える。一段落した時には4時を回っていた。そんな訳で京都写真展への再訪をあきらめ、年賀状のプリンターに徹する。早く規定枚数を仕上げないと家人に叱られる。イヤハヤ----
銀紙書房新刊の用紙は一番廉価なものが、プリンターとの愛称が良い結果となった。富士の光沢仕上げの写真用用紙の地色にも近く、こんなところかと決める。枚数が多いので連量を小さくし、本の厚みを抑えたいので好都合。しかし、再生紙だから、本としては良くない。まあ、しかたないか。その時々の本の手触り、イメージと一致する用紙を捜すのが難しい。次回、完本は用紙の上等なのを使いたい、それが、本の内容とマッチする気がする。
豊田市美術館で今日まで開催されている「イン・ベッド[生命の美術]」展を紹介するDVDをいただいた。歩くスピードで会場を追体験できる7分間。ビデオ作品が発する音声以外は無音で、観るのに神経の集中を必要とする。しかし、会場の様子は良く判る。紙のカタログと違った可能性がこうした媒体にはあるだろう。わたしは、これを記念品と思っていない。この様に展示されていたと記録するものとも思っていない。あの日、あの場所で、わたしが感じたもの、わたしが会場を巡った速度と、これを作ったデイレクターの速度と、ビル・ヴィオラに再度、ドキットしながら、そんなふうに感じた。
December 25, 2004
グリーテイング・カードを作成し、やっと海外へ送る。国内への送付は挿入した葉書の部分だけなので、カードとして、完成させた文案との関係がみそ、ホームページで新年になったら紹介するつもりなのでお楽しみに。
今日は、家族がそろってミニ・パーテイ。ケーキを焼き、お寿司をつまみ、モスチキンやピザを並べ、スパーリング・ワインを開ける。ビールも飲み、チョコを選ぶ娘達を見ながら、ぼーっとしている。酔いがさめてから、銀紙書房新刊本のテストを少々。用紙選択を考える。
December 23, 2004
「第5回 京都写真展 風景へ--�」
12月21日---26日 P.M. 2:00----8:00
ギャラリーマロニエ
河原町四条上ル東側
電話 075-221-0117
レセプションパーテイ
ギャラリーマロニエ5F
楽しいパーテイだった。7時にギャラリーマロニエへ上がって3階から見始めたら、人の声が聞こえて、集中力がにぶってしまった。でも、知っている人達の仕事であり、それぞれの背景の判る部分も多く興味が倍増する。中でも麻谷宏氏が今夏、ドイツのロストックで撮った「物、皆ナ一点に集マル」の4枚組が良い。壁面一杯に写真がセットされ、ベンチに腰掛けるドイツの婆さん二人の右横に作者が座っている。微妙な距離感がなんとも微笑ましく、日本人が順番に入れ替わって(作者の生徒さんかもしれないが)行く内に、違和感が無くなり、自然な表情が婆さんから、若者に拡がっていく。コンセプトがしっかりありながら、それが前面に出て嫌らしい感じにならない。写真の写真らしい表現が、ジワリと眼の中で拡がってくる。楽しく面白い作品である。それでルンルンとパーテイに参加し、ビールやらワインやらを飲み、助六にお稲荷さんをつまむ。森岡パパの段取りだから、気が利いている。そして、作者の自己紹介、展示作品の事や近況を話されて、これが、またまた、賑やかだ。みんなが話す足元には、吉川恭生氏の「血と自由? Reality--真実」小さな額に入った家族写真が新聞の上に無造作に置かれている。その後に鉛筆、背後にダイナマイト・ケース。床上での構成。「こんな物を持っているのは、大変で公案に届けなくてはいけないんです。でも、ダイナマイトケースは湿気が入らなくて紙の保存にはバツグンですよ。」と上手い。作品のメインは子ども達と写っている写真。画面の左側に人が寄っているようで、不思議なバランス。色彩も赤みがかり不気味、これが血だろうか、写真がダイナマイトケースとやじろべいのようなバランスをとっているのだから、吉川さんの力量はすごい。現代美術だよね。コンセプトと見せ方がしっかりしてるからね。
求められて、わたしも一言二言スピーチ。ついつい、本音を言ってしまって反省。出品作家じゃないから肩身が狭い。
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村中修さんから、ニューヨーク、フィラデルフィアへと続いた、遺作の扉にこびり付いたニオイの正体などと「落ちる水、dedicate of Marcel Duchamp」の顛末を伺う。そしてA4シートにアウトプットされたデュシャンの展示空間印象記を頂く、限定10部の内の5番だった。深謝。大ガラスの解説シートを持つ手は村中さん自身だろうか、噴水が見えるはずの窓に女性のシルエット。大ガラスの前に置かれたベンチには、うつむくシュワルツのような人物。全体にこぢんまりとして、デュシャンと対話するには、このサイズがベストだろう。持ち運び可能なポータブル美術館を用意した人物。軽井沢でわたしが観たものの幾つかを、村中さんの写真で確認できた。
December 22, 2004
村中修さんが、フィラデルフィア・レポートを氏のブログにアップされている。19日朝11時(現地時間)に美術館に到着された様子、氏の撮られた写真をダブルクリックして拡大し、観ながら、わたしも行きたいなと、つくづく思う。「興味を持たれた方はぜひフィラデルフィア美術館に足を運んでください。ニューヨークからAMTRACKで1時間半です」と読むと、ソワソワする。わたしの環境では連続した休暇が望めないので、イライラしている。明日の夕方、ギュラリーマロニエで開かれる「第5回 京都写真展」のパーテイに村中さんは出席されるだろうか? お会いできたら、旅行の様子をお聞きしよう。
December 20, 2004
銀紙書房新刊本を中断し、年賀状の図案を考える。今年のアイデアは屈折しているかな。一年を振り返り、新しい年の方向性が出せるようなカードがつくれないかと、毎年、やりながら感じる。
December 19, 2004
ギヤラリーマロニエでの村中修作品。
午前中に年末掃除の本日分を済ませ、午後からギャラリーアートゾーンを覗く。これで、今年の全会場を確認できたことになる。いろいろな個性、おかれた状況を感じることができた。わたしがやりたいと思っているイメージに一番ピッタリするのが、ギャラリーマロニエにマックのノートブックを置き、アメリカからのドキュメントを送ってきている村中修さんの作品である。氏の「落ちる水--dedicate to Marcel Duchamp 」と題したサイトは、すごい、今日の日付はMOMAから---
http://blog.livedoor.jp/r_mutt1917/
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このブログは12月14日から始まるHow are you? Photography展での展示に使うべく立ち上げました。写真展の会期中僕は旅をしています。その途中から投稿を続けます。インターネットとデジタルカメラを使った新しい展示法に挑戦します。
さて旅の目的はフィラデルフィア美術館でマルセル・デュシャンの「遺作」「1.落ちる水、2.照明ガスが与えられたとせよ」を見ることです。
現在、大阪の国立国際美術館でマルセル・デュシャン展が開催されています。しかし国立国際美術館に展示してある作品のほとんどはレプリカです。ただしレディメイド(既製品)シリーズで有名なデュシャンの作品ゆえ、すべて本物でもあります。しかし「遺作」は最近まで写真撮影さえ許されておらず、部屋を丸ごと使ったインスタレーションなので移動もできません。フィラデルフィア美術館に行かなければ見ることが出来ないのです。
「遺作」に至る旅の記録がここからはじまります。
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Howのパワーがどうこうと云う問題じゃなくて、デジタル世界での写真の使われ方、一番、写真が写真らしい世界が村中さんのこれではななかろうかと思う。氏の去年のも良かったけど、今回もすばらしい。参りました。
ギャラリーTerraへうかがい、搬出の手伝いをして帰宅。写真を取り込み『日録』を整理。「わたしには、わたしのやり方が----」この事が今後のテーマとなるだろう。
December 18, 2004
京都国立近代美術館で『痕跡』展を観た。1950年代から70年代後半までの美術の流れを「痕跡」と云うキーワードでとらえ直す試み。大ホールの階段を上がって最初に眼に入ったのが、ジャクソン・ポロックの「カット・アウト」なので、自然に展覧会の空間に溶け込めた。フォンタナの「空間概念--期待」の緑、クラインの「人体測定」の碧と美しい。ウォホールの黄も、ひねった色だけど、違った意味で美しい。いろんな機会で知っている作品なので、出会い方としては不幸である。話した事のある作家、初出に遭遇した作品に対しての見方が、率直になれなくて困った。自分の見方を特別に持つ必要も無いのだが、野村仁氏の「ドライアイス」や「Photo book 又は視覚のブラウン運動」等を前にすると、作家から直接聞いた事柄が視覚を規定する。そんな時だったのでメル・ボックナーの「メジャメント」の明確なコンセプトに明るくさせられた。部屋に脚立が立てられ、床に置いた写真用のフラットランプから出た光が作り出す影が、壁に影のスケールを投影する。その壁に9'5''とサイズが書き込まれている。わたしはアッと思った、判りやすいのだ。作者は1940年ピッツバーグ生まれ。この作品は35年ぶりの再制作。キャプションを読むと「ボックナーは人が世界をいかに認識するかという点に関心をもち、認識の手段としての「計測」に注目した」と云う。わたし好みの作品を知った。感謝。
第一会場に戻ってカタログを見ていたら、アンデイ・ウオーホルの3-09「カム・ペインティング」で眼が止まった。綺麗だけど、さっきとちょっと違う。デュシャンの「偽りの風景」との類似性はよいのだが、量が少ないか、いや違う天地が逆(134頁)なのだ。それで、担当学芸員のO氏に声を掛けてしまった。お聞きすると会場の展示天地が正解で、カタログの校正間違い。---カタログをお持ちの方は訂正願います。重力と精子の関係は大切だから、どちらでも良いと思ってはいけません。
ギャラリー16によって坂上しのぶさんと世間話。美術作品に心ときめく場面が少なくなったと怒りの罵倒、ごもっとも。先日のKなんて、本当にそうでしたね。彼女の怒りの鉄拳から逃れ、急いでHow are you, PHOTOGRAPHY?展の各会場を回る。
まず江寿画廊。瀧川弥生「さようなら」、KOSHO「KOSHO」、小笠原圭彦のPhilippe CADIOTの肖像。小林祐司写場での有田恭子、黒魔術の十字架を思わせる構成の中に谷川俊太郎 『夜中に台所 でぼくはきみに話しかけたかった』と『写真よさようなら』の書影が認められる。彼女の心象、今宵会えるだろうか。ササダ貴絵の「おかえりパパ」も良かった。ついでギャラリーTerra、アートギャラリー北野、ギャラリー三条と歩く。Howも回数を重ね、制度疲労がたまってパワーが落ちたかと思う。若い人達がつまらなくなり、元気なのはオジサンたち現象となっている。ギャラリーマロニエの5階が良かった。村中修の「落ちる水」、奥野政治の「AQUA」、田中幹人の「Untitled」、杉本康雄「嵐ぶ風」等。急いで同時代ギャラリーに回り、小池貴之君と世間話。ここで勝山信子の「a piece of peace」を知る。小さな写真(ピース)の集合の中に一枚だけ鏡が入っている。勝山さんは付録に詩を添えているが、「---このてのひらのピースが、このほしのピースへ加担していくとおもいたい。そして 今 鏡にうつることで繋がってくれるピース---」と謳っている。それからギャラリー三条柳馬場にも寄り、フォトパーテイ会場の新風館へ。野外で凍えながらビールを数杯。ホカロンで暖まりながらだが、会場の仕掛けが散漫で盛り上がらず、早々と切り上げた。
How are you, PHOTOGRAPHY?展会場
上段; 江寿画廊、
中断; 小林祐史写場
下段: ギャラリーTerra
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ミクシーで日記を書き始めた友人Y氏が、わたしについてこんな言及をして下さった。
イストとは、マン・レイになった人なのか。 そうではなくて、マン・レイになろうとしている人のことなのか。 マン・レイになる人のことなのか。
写真1は、マン・レイ・イストさんの写真である。 写真2及び3は、 化石の人の作品である。
マン・レイ・イストさんは、 この作品に「水の空気」という名前と与えた。 1977年10月23日制作。
私とは誰かと問われ、 私は謎だ。 マン・レイは誰とつきあっているたのか。 マン・レイ・イストさんは、誰とつきあっているのか、 そこに、 答えがある。 マン・レイは、 誰とつきあっていたのか、 明らかにしていない。 誰か、 それは、マン・レイのみが知っている。
「水の空気」というのは、もちろんアンドレ・ブルトンの詩集のタイトル。当時、人文書院から出始めた集成に惹かれていた訳。Y氏は手許の写真資料を公開している、自身のものの他、荒木の「センチメンタルな旅」や川田の「地図」。彼の学生時代の未見の写真がわたしは楽しい。私写真の世界は写真の魅力を存分に発揮する。彼「化石の人」の日記を読むためには、ミクシーの会員になる手続きが必要となる。閉ざされた世界とイヤに思うか、閉ざされているからこそ密度が濃いいと思うか、そいつは自由。会員になるためには、現会員からの招待が前提、面白い仕組みだ。とりあえずのわたしは、この『日録』との二面作戦で----
December 17, 2004
夕食はおでん。ビールを控えめにして、食後、やっとのことで銀紙書房新刊本『マン・レイ展とキーボード』のあとがきを仕上げる。深夜に帰宅した長女が、土鍋でぐつぐつあたたかなおでんを上手そうに食べていたので、横から入って、一つ二つとつまむ。熱燗が良いのだけど、買い置きがないので、いつものビールをちょっと飲む。12時を過ぎてのおでんがいける。それから、ウダウダとネットを観ていたら3時になってしまった。
December 15, 2004
やりたい事、やらなければならない事、雑多な事柄に追い立てられた師走を過ごしている。部屋中がちらかって必要な資料が取り出せない、これが足かせとなって、気楽な『日録』も、進展がのぞめない。職場で頂いたミカン「小原紅早生」が甘くて美味い、「香川県でしか栽培されていないらしい」と云う話題だと良いのだけど、ジヨン・ソルト氏が山本悍右先生について書いた原稿を紹介するサイトの話題となると、調べてから書込たいし、でもバタバタ。取り急ぎ、ここをクリックして下さい。
December 14, 2004
土曜日からの『日録』をまとめて打ち込む。豪遊の後遺症もあるけど、気楽に展評が書けない。眼にアクのようなものがたまったようだ。帰宅すると食後の甘いものに仙太郎の老玉が一箱。黒糖、柚子、南瓜と三色でビールの後にこれでお茶を一杯。風呂に入って、『日録』を書いていた訳。
December 13, 2004
How are you, PHOTOGRAPHY?展のオープニング・パーティへ出品作家でミク友のT嬢と出掛ける。会場の新風館はクリスマスのイルミネーションで飾られロマンティックな夜を演出している。3階のギャラリースペースに、各会場毎の輝く柱が立てられ、出品作家のキャビネ写真がピンナップされている。トップライトが上手く差し込んでいる為、透過光のような効果が出て写真が美しく輝いて見える。展示品のほとんどは一枚500円で購入可能。今年度で9回目を向かえる同展は、時代を現す重要なシーンとなって、いずれ多くの人達が資料を追い求める出来事となるだろう。全作品を纏めて買うのがベストだね。わかっているけどね。
パーテイはワインやらビールやら焼酎やらを飲み、寿司をつまみ知人達と世間話。わたしは出品作家ではないので、ちと肩身が狭い。程々できりあげ、木屋町まで歩いてT嬢と明石焼きを食す。そして、世間話。それからココン烏丸へ移動。
Photo party会場
新風館3階ギャラリースペース
December 12, 2004
昨夜は「ロト6」を当てた兄のご相伴にあずかり、豪遊。そのため、酷い二日酔いとなり、布団から出られないままで12時を過ぎてしまった。夕方に用事があり、早く京都に戻らなくてはならない。兄に駅まで車で送ってもらい、やっとのことでこだまに乗車。三人掛けの席で横になたまま、ゆられる。京都についてからもフラフラで、乗るとき降りるときと、椅子でグッタリ。3時から6時まで自宅で横になる、さんざんの日曜日。豪遊は楽しいけど、天罰は恐ろしい。
December 11, 2004
中京大学アートギャラリ
C・スクエア
第一会場
名古屋生まれの名古屋育ちとしては、興正寺や隼人池、遠足や墓参りの折りに出かける界隈であった八事の変貌ぶりに驚かされた。今日は横浜の友人Y氏が勧める『封印された星 瀧口修造と日本のアーテイストたち』展を観る為、中京大学アートギャラリ C・スクエアに出かける。地下鉄の環状線と云うのは名古屋市が国内最初らしいが、その名城線を八事で降り、大学の洒落た建物、センタービルを訪れた。子供時代の市電の終点であった町の様子はどこにもない。若くて活気あふれる大学の開かれた展示空間が会場である。
ポスターからして素敵だが、瀧口さんから巌谷さんに贈られた縦長の大判デカルコマニーが正面に掛けられ、平台に新刊の『封印された星』、これをはさんで、瀧口氏の自筆詩稿やリバテイ・パスポート、手作りの冊子等が置かれている。会場に入ると上野紀子、中江嘉男による油彩「Mr.stノ覗キヲハルヲ待テ」、デュシャンの遺作(?)を大阪で観た直後なので、ちょっと驚く。この感じだと覗く自分と観られている自分のバランスが上手く現れるのだね。野中ユリさんの「ガラスの本のための小さなヴアリアント」がいいね、近づき眼をこらしてアリスの本の文字を追ってみた。この人に強く惹かれていた時代がわたしにあったからね。展覧会は二つの会場に別れて開催されている。秋山祐徳太子や四谷シモン、高梨豊氏の作品に興味を持った。
今回の展示は、わたしが敬愛する巌谷國士氏の美術論集出版記念展の意味があり、先日から書店で探していた新刊書を手に取れるのではといった期待を持った訳。同じフロアの書店で買い求め、早速、読んでみる、待ち遠しいのよね。---巌谷氏の紀行文じゃなくて瀧口さんから始まった芸術家達との交流、作品の背景にある動機や状況が氏の日本語で的確に興味深く捉えられている。既にさまざまな機会で読んでいるエッセイもあるが、こうして纏められた一本のボリュームはすごい。
December 9, 2004
スムース文庫の新刊『1914年 ヒコーキ野郎のフランス便り』(編者:築添正生、2004.11.30初版発行、64頁、領価=500円)を手にして興奮している。読みかけているので『日録』はここまで----
December 8, 2004
朝10時から花粉症のほっさで、9時に就寝。薬の力で夜は大丈夫だろうかと不安、明日の回復を期待する。
December 7, 2004
免許証の書き換え時期となったので、原稿書きに丁度良いかと思ったのだが、試験場の部屋に大きく「講習中の居眠り、会話、内職はお断り」と書かれていた為、おびえ、始まる前の20分だけ「あとがき」についてのメモを印す。教室って書きやすいのだよね。でも、時間切れで上手くまとまらなかった。優良ドライバー(もちろん、ペーパードライバー故)講習は30分で終わるが「防衛運転」「ポンピングブレーキ」「左小回り、右大回り」と云ったキーワードを教えてもらった。「ゴールドカードの教室では挨拶に反応があるから話やすい」とは講師のクスグリ。10時のバスに間に合ったので、そのまま会社に入り仕事となった。男前で写真に写ろうと気合いを入れてお洒落をして出かけたのにピンボケ。帰宅して娘に見せたら「年とったね」と言われて、チョン。
December 6, 2004
四条烏丸で寄り道。「唐長」の古典文様をアレンジしたガラス壁面を持つCOCON KARASMAが4日にオープンした。それで、偵察。coconって「古今」の事。昭和13年に建てられたビルがお洒落に改装されている。再生したのは建築家・隈研吾。北欧のインテリア志向によるモダンさが売りのアクタスのためか、清潔感が全面に出て、この空間でお茶ができる「スーホルムカフェ+ダイニング」なんて水が流れ落ちる壁面を持つ店なのだから、キラキラする感じ。カップルのクリスマスに合う店。その横にある「オーバカナル」のフランス風ブラッスリーと対照的で、どちらにも入ってみたいね。ショップとしてはメインの「アクタス」が1、2階をしめ、リビングとカフェの融合をはたし、3階には「京都シネマ」と京都精華大学の「shim-bi」。ここには展示スペースとアーティスト・グッズ、書籍を置いている。わたしの関心領域と異なるので、セレクト・センスの善し悪しが判らない。でも、第一印象としては軽薄だね。うわっすべりで頭なしの家具や食器、インテリアの小物。バイヤーの力量によるけど、建物がハイセンスだとショップのダメさがひきたつね、可哀想。このcocon、お茶や食事、一杯飲むのに向いていそうだから、そちらで楽しもう。英国パブの「ハブ」からかな、カクテル半額だもね。
オープニング直後でお祝いの蘭が通路に所狭しと並べられ、えもいわれぬ甘い香り、そこへラーメン店「天天有」の油がツーンと混ざると異様に面白い。偵察はこの辺りまでで退散。今後の展開はどうだろう、唐紙屋「唐長」(注)とお香屋「リスン」は別格としても、他のショップは洗練されて行くだろうか、品揃えに独自性が期待できるだろうか、こうした店が急速に色あせ、閉店してしまった場面を何度も観てきたので、心配になってきた。
注)ステキだけど高いね。絵葉書一枚450円。初回分は限定番号入りとあった。手に取ると15/100といった表示。アートとして見せるのもいいけどなんか勘違いされていませんか、汚れをきらって袋に入れると紙の良さが消えちゃいますよ。
December 5, 2004
朝から年末お掃除モードで換気扇をゴシゴシ。こびり付いた油汚れをきれいにするのは、気持ち良い。合間をぬって買い物。昨日の撮影フィルムを現像に出したら、今日から値上げと告げられてあんぐり。先日、焼き増しした時も「サービス特典」今日から無くなりましたと言われて、いやな気分になったところ。「Yカメラもう使わないぞ」とブツブツ。フィルムカメラが衰退して行く過程なんだろうね、他の店は品質悪いしな。事前に値上げの告知を貼り出すべきだよ、「今日から上がりました」のセリフはお客の気分を害する。そんな後だったので、次ぎに回ったS薬局で、栄養ドリンクをサービスと出された時に切れてしまった。栓が抜いてあるビンなんですよ、こんなもの手渡されても飲めませんよ。味わってもらって購買に繋げ、滞留時間を長くする作戦は、店のやり方だからかまわないけど、薬局ですよ。バカな事はヤメナハレ。
ミクシィーの障害が長く続いて、回復は夕方となった。ミクシィー依存症の人は困っただろうね。サイトへのクリックをしたら以下の表示「5日(日)午前3時より、サーバーの障害が発生しております。 ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。5日(日)の午後3時以降に再度アクセスして頂ければ幸いです。 ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。何卒宜しくお願い致します。mixi 運営事務局 <info@mixi.jp>」3時になっても回復せず、表示には「追記:復旧作業が長引いております。午後5時 以降に再度アクセス頂ければ幸いです。 」とある。5時過ぎのアクセスでは反応したので、いくつか確認する。でも、ミクシィー反応が遅いね。サーバーのメンテって大変だから、あたたかくみまもっていよう。
『マン・レイ展とキーボード』の表紙デザイン案完成。結局、ロシアアバンギャルド風にはならず、シンプルなものに、表紙の写真配置と本文で使われている写真への流れが指先と視線から自然に楽しめるようになった。これで「あとがき」にかかれる。年内には刊行と頑張らねば。10日刊行が遅れクリスマス・プレゼントのタイミングになる案配。まあ、しかたないか。
December 4, 2004
「マルセル・デュシャン 泉(部分) 1917」
シール 6 x 10cm 一枚 500円
制作・販売 CaloBookshop&Cafe
大阪の国立国際美術館で19日まで開催されている「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展のオリジナル・グッズが出揃ってきた。今日、再訪するとR.ムット氏のサイン・シールに気が付いて嬉しくなった。デュシャンが選び、サインした事によって芸術となってしまった男性用便器。そのサイン部分が「R.MUTT 1917」と印されたシールになっている。これを自宅の便器に貼る行為はゾクゾクするね。デュシャンへの追体験であり、聴衆が芸術家もどきとなる儀式である。裏面を見ると石川あき子さんの店、カロ・ブックショップ・アンド・カフェの表示。彼女のところなら、このアイデア、理解できると納得。彼女に敬意を表して西梅田のショップで買い求める事にした。
シールの裏面には「マルセル・デュシャン 泉(部分) 1917」そして「便器へのご使用をお薦めします」の記載。彼女達のセンスはバツグンだね「部分」だよ、それに「お薦め」だからね。商品化を許諾したデュシャンの著作権者に感謝。シールを買い求めるならばカロにしてあげて下さいね。アイデアを出してくれたisolation unitの柳原氏に連帯の挨拶を---
シールは一枚500円(会期終了後は525円)。申込は
CaloBookshop&Cafe/CaloGallary http://www.calobookshop.com/
大阪市西区江戸堀1-8-24若狭ビル5階12:00~20:00(土曜は~18:00)日曜・第3月曜休tel/fax06-6447-4777mailinfo@calobookshop.com
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「泉」のシールを紹介したかったので、一日の出来事が逆になるけど、開館時間前に美術館へ入り、レセプションでは見れなかった作品とゆっくり対面する。---つもりだったが、10時からすごい人なので困ってしまった。観客のどの顔もデュシャンのウンチク屋さんに思えるしまつで、居心地が悪い。「マン・レイの親友」と云うスタンスからわたしは、離れられない。デュシャンのエロテックな油彩、特別の淡いピンクの『花嫁』の解剖学的なアプローチが上手いね。多層構造というか、時間と空間というか、----いやはや、デュシャンについて書くことは、『日録』の手におえない。ビール頭にはちと手強い。(明日にするか)
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デュシャンの油彩がフッと現れた。網膜的絵画じゃなくて、脳髄的絵画。脳が現象に反応するときの電位が、時間の流れにそって移動して行く様子。チャスプレイヤーの頭の中が鳥瞰図となって見える。ある瞬間、一度だけじゃなく過去も未来をも含んだ不思議な空間。黒い左右の縁取りがチェス・ボードなんだから、上手い仕掛けだね。ポンピドゥー・センターとフィラデルフィアから招来した2点。重厚な1点は別として、ここは『花嫁』に言及しなければ、「機械的要素と内蔵的フォルム」女性の皮膚から踏み込んで拡がる内臓の世界に光がうっすらと差し込んでいる。海中で振り返って感じる光であるだろうか、なんともエロテックな油彩だ。会場で最初に出会う4点の油彩はゆったりと等質を持って掛けられている。劇的でなく、素っ気ない扱いでデュシャン展は開始された。展示空間が広く、初めから大ガラスが視線に入るので、間延びした印象を受けたのはわたしだけだろうか。
油彩の対向壁には版画を含む9点の紙作品。レセプションの時とは違うので、今日はしっかりと作品を確認しメモも取りながらの鑑賞となった。
奥の部分に『大ガラス(東大バージョン)』、初めて見た軽井沢から22年、遅延が進んで「ピンク---明るい焼き黄土」がくすんで見える。背景も作品に取り込んでしまうガラスは、会場を巡る観客には、「背後に人の気配」と云うやつで、こまった存在である。軽井沢での前後関係はどうだったろう、記憶が曖昧になっている。本展でのマン・レイ作品は3点。同館の収蔵品である訳だが、記録といった側面の強いもの。マン・レイ狂いとしては『埃の培養』がデュシャン作品として扱われていたので、もう少し上手いやり方がと注文を付けたくなった。展示品は大ガラスの「7つの濾過器」の方も含めたマン・レイが好んだ写真だったので、なおさらと云った気持である。
軽井沢でのテュシャン展(1981.8.1-9.6)の副題は「反芸術「ダダ」の巨匠 見るひとが芸術をつくる」だった。その時に観た作品の印象が、眼を悩ませている。さらに、京都岡崎のビギ・アート・スペースで開催されたデュシャン展(1991.4.19-8.25)は「紙の上の仕事」で、紙好きのわたしに対して強烈なインパクトを今日まで与えている。その他の展覧会も幾つか国内で開かれている。わたしのマン・レイ作品と合わせて京都国立近代美術館でレディメイドが展示された事もある。その折りには、『帽子掛け』が無造作に置かれていて、作品貸出者のわたしなど、気楽に写真を撮らせてもらった。手許にマン・レイとデュシャン作品に囲まれてご満悦のわたしが写ったスナップ写真が残っている。それは、昔の事なんだと、今回、展覧会場を巡りながら反省した。しかし、過去のこうした出来事が、コビリついた頭、コビリつかせるデュシャン作品というのは、恐ろしい。網膜的絵画ではない20年殺しの「呪いの絵画」。楽しみと共に芸術を生きたマン・レイの親友がこの人なのだから、二人が惹かれあった気持ちがわかる気がする。
デュシャン展についても、最近『日録』でやっている、展覧会報告のアプローチが可能と思っていたが、こうして書きながら、上手くいかない自分、書いて楽しくない自分を観ている。もうやめよう、デュシャンへの言及は----
さて、12時前、知人のI氏と連れだって館内のレストラン、クイーン・アリス・アクアでランチ。 店の内装、味、料金とも満足できたのだが、スタッフのサービスが悪い。テーブルに置いてあるミネラルの勧め方が気にさわったのから始まり、オーダーした後に別の人が現れ、再度、求めたり。ナイフとフォークを使う前から片づけたり、テーブルにセットした後で、別の人が持ち去るのですよ。なんでしょうね。会場でデュシャンの事を考え疲れた頭には、ちと、よろしくない。次回には改善されているよう、期待したい。
シンポジウムでの各氏
「デュシャンと現代美術の保存・修復をめぐって」
知人といろいろ世間話をした後、地階の講堂でシンポジウム「デュシャンと現代美術の保存・修復をめぐって」を聴講。バネラーは今展の担当学芸員・平芳幸浩、修復家・谷村博美、現代美術作家・岡崎乾二郎、哲学者・マリオ・ペルニオーラ(通訳・松原)。司会が京都大学の岡田温司。まず4名のパネラーがそれぞれ話をされる。今回のシンポジウム、共同で何かの発言をしようとするものではなく、おのおのの分野、視点からの問題提起が、参加された各人の問題提起となれば幸いと云ったスタンスで始められた。 まず平芳氏、学生時代からデュシャンに関心を持っていた氏は、今回の展示に関わることで、ひとつの集大成といった意味があるようで、作品をスライドで紹介しながら、「作品そのものの持続性が、作家の側から疑問視された20世紀美術」と「オリジナルとレプレカに差異がない事」、本展でも展示されているシュワルツ版のレデイメイドが「オリジナルを再現すると云う逆節」となったと話された。『大ガラス』東京バージョンの色彩が気になっていたのだが、専門家が「色が落ち着いてきたわね」とコメントされた事も教えられた。こんな、話題をうかがう事がわたしは楽しい。
二人目は「旅行カバン」を二つ修復したと云う谷村氏。紙を支持体とする作品の修復家なのでグリーンボックスのメモなどを例にとって、デュシャンは良い紙を使っていますねと発言。額装で使われるベニヤは作品に悪く、普段は別に保管するのが良いとの忠告を聞いた。三人目は岡崎氏で、作家の生の発言なので、面白い。やはり、いきいきして、心を打つのだね。氏は作品を完成されるのは誰なのか、どの時点なのか、作家と第三者との契約によって作品が出来るといった概念を出された。再制作や旧作の修復と云った状況に対して、作者自身がこれを受け入れた時、作品は死んだと考えなければならないなど。最後がマリオ氏。哲学からのアプローチなので堅苦しいが、「西洋の現代美術作品の修復が担う役割は、芸術的活動を文書に記録すること、芸術的事業の経済的価値を維持すること、フェティッシュの作品を保持すること」との分析。フェティシュ崇拝と云うのは面白い。
この段階で4時を回ってしまっていた。その後、岡崎氏がイタリア彫刻、絵画をスライドで紹介しマリオ氏に質問、応答。そこえ 最前列に居た浅田彰氏が「オリエンタリズム」とマリオ氏にかみつく。「日本でもヨーロッパでも自己と他者の切断をめざした訳で、真面目な人は同じ状況に直面したんだ」。しかし、浅田氏のはアジだね。70年代にこう云う人と沢山であった記憶があるけど、わたしはニガテ。
デュシャンが絡むと話がおかしな方へ行く。遺作の扉が投影されている壁面に。人の鼻息や脂で、恐ろしい顔が現れ始めているのに気付いていますか。光源が落とされた白い空間にあるのは、議論じゃなくて、生きる為のなにか。観る事の中にも狂気が宿されている。発言もしかり。
December 3, 2004
ミカンちゃんのご両親から新刊の「photo album ミカンな日々」(すむーす堂、2004.8.16初版)をいただいた。銀紙書房としてやりたいと思っていた本の作りで羨ましい。今度のには奥付にシリアルNo.があって、すごい。紙の選択、写真印刷の仕上がりと林画伯、由美子さんコンビに脱帽。海人社を名乗った伊東の故鳥居昌三さんの本造りが想い出される。愛情をそそいだ本は、指先でも優しく花開く。
ミカン父が「クテン」で語る相棒への優しいまなざしが良いですね。12月の掃除モードが始まりかけた我が家では、こうはいかない。明日デートするミク友のむつおさんと電話、化石の人と電話。いろいろとしゃべって、今宵も「マン・レイ展とキーボード」進行せず。
December 2, 2004
今のところは、友人の輪だが、やがて新しい出会いが始まるだろう予感。ミクシー世界のことだけど、友人二人がわたしの紹介文を下記のように書いて下さった。
セラヴィ氏----- 関係:フェルー街の隣組同士
以前、私がバイトしていたオブジェ・ショップの隣で、彼が「パピエ・ダルジャン」(銀の紙)なる出版社・写真スタジオを開いていたのが、付き合いのはじまり。(彼はすでに堂々たるオーナーで店主だったが) 彼が出すのはどれも銀色のオーラを発する不思議な本ばかり。「マン・レイ油彩カタログレゾネ」など、唯一無二、海外からの引き合いの方が多い。これもその名、輝雄=「光線男」=マン・レイのなせる業か。やはり光線男は光線男であるのだ。彼の「日録」も読ませる。 私も自分の店を開き、彼に倣って「彷徨観想者の日記」を書きたいものだ。
むつお 氏----- 関係:デュシャンつながり
思慮深く、精緻な文章を書かれるマン・レイ・イストさん。素顔は、とってもきさくで優しい、 マン・レイを愛したというよりも マン・レイから愛されたような方。 以前、こそっとコレクションの一部を見せてくれましたね。あのときの子供のような目が忘れられない。(笑
わたしが、書かせていただいたお二人の紹介文は、ぜひ、ミクシーに参加してお読み願います。参加の方法は、メールでどうぞ★
December 1, 2004
コロタイプ印刷で有名な便利堂が三条富小路上ル西側に「美術はがきギャラリー」を開設されたのをご存じですか。昨日、必要があって同店のサイトを訪問したら京都国立近代美術館で開催中の「痕跡」展<チケットプレゼント>と云うのをやっていたので、早速、ネットで応募。今日「抽選の結果、当選されましたので展覧会チケット2枚を本日(12月1日)お送りいたしました。どうぞお受け取りくださいませ。」と嬉しいメールが届いた。美術館で求める絵葉書の制作・印刷の会社と云うこと以上に、写真集狂いとしては気になる会社。最近、手にしたものでは、濱谷浩氏が夫人に捧げた私家版「女人暦日」が素晴らしい。コロタイプでしか再現できない微妙な調子は職人の技によるが、技を伝える為の装置を確保する事が大変なこと。自転車で会社の前を通るたびに気になっていたのだが、ロケーションの良い場所に移られて感謝。
便利堂の名前を覚えたのは写真集の奥付であったが、身近に感じたのは桂離宮の人。熊本へ向かう飛行機の座席でいろいろとうかがった。あれから3年。あるいは、わたしの先生である山本悍右氏とコロタイプ印刷の話になった時、「今では、そんな事が出来るのは京都の会社だけだから」と云われたのだが、きっと、その会社は便利堂の事だと、今では思っている。こちらの方は20年も前の事。