2005.2.1-2.28 マン・レイになってしまった人

February 28, 2005
  
ダニエル画廊での展示品に関する問い合わせがあった。資料を調べて返事をする。丁度、この時期のマン・レイに言及する原稿書きのタイミングなので、楽しい偶然だと喜ぶ。パリのO氏からも、カタログ到着。マン・レイに関しての未収集品がなかったので、落ち着いて拝見。しかし、興味惹かれる写真集が多くてヨダレだらだらの一時となった。忙しい月末だけど、帰宅してから、こんな楽しみがあると疲れなんて吹っ飛びますね。毎日、続くと良いけど、身体が持つかな---
  
   
February 27, 2005
  
今日も出掛けずに原稿書き。外界の刺激は新日曜美術館での森川嘉一朗氏の発言。マニア(具体物とつながる)とオタク(虚構の世界)の違いとか、「萌」なる概念---架空のキャラクターに対する恋心、と同人誌に集まる女性オタクの「やおい」なんて云う言葉の意味---「や」山がない、「お」落ちがない、「い」意味がないとする風俗の説明に興味をもった。森川氏の定義に従うとわたしはオタクではないようだ。現実の物から起因するさまざまな想念、鉄道マニアの時代から、現実がなければ生きられなかったのだ、見ていたものは、なんだろうか。今はマン・レイへのオマージュを書きながら、「もえ」を作ってしまわないように、冷静に、客観的になろうとしている。

 夕食は久し振りのすき焼き。家人が美味しそうなネギを買って、食べたいと思ったとき、すき焼きが良いなと思ったと云うのだから面白い。しっかり食べて、うどんもよばれ、ビールもグビグビやったので、その後は原稿書きにならなかった。次回に期待あれ----、明日で2月も終わる。最終日は忙しいだろうな、速く寝なくては。今朝は7時起きで、原稿ゴソゴソだったから、眠くもなってきた。
  
  
February 26, 2005
  
あまりに冷えるので、居間のストーブにへばりついて終日を過ごした。資料を調べつつ原稿に取り組む休日。記憶違いのために引用したい箇所が見付からなかったり、原書の読み込みが浅かったりで、難儀する。
 休憩でNHKの「地球大進化・生命と地球環境をめぐる物語」をミルク・ティーを飲みながら、ボーっと見てしまった。わたしは何をしているんだろうとの疑問。昨夜の「ターミネーターIII」は、今一つだったけど、核戦争後の地球なんて想像は、イヤなものだ。
   
   
February 25, 2005
  
23日から現象が出始めたが、ネットオークション・サイトの相手側と相性が悪いのか、途中で接続が切れる。
   
  
February 24, 2005
  
今朝は地下鉄車内で京都写真クラブのIさんとバッタリ。彼の鞄のなかにはリコーGR1(初期)やコンタックス。わたしの方は、このところ写真を撮っていない、ムクムクと撮りたくなってきた。
 
  
February 23, 2005
  
朝の地下鉄構内で、若い女性が黒いロングコートの裾をスーっと持ち上げるのを見た。一瞬の美しい姿。彼女はエスカレーターに乗って、ヒラヒラと通りすぎて行った。地上では紅白の梅が咲いている。甘い匂い。夕食にカマスゴが出て、春を感じる。娘が「祇園きなな」のきなこアイスを買って帰ったので、ご相伴にあずかった。きなこと黒ごまとか、黒みつとか。わたしには粉っぽくて合わないと思ったので、感想を求められたとき「ちょっと」と言葉を濁したら、大ブーイング。ごめんね----
  
  
February 22, 2005
  
昨夜、アルコールを我慢して原稿書きをしたら、頭が冴えて寝れなくなってしまい難儀した。それで、今宵は量を減らして飲んだ後に原稿に向かっている。頭の構造が粗雑なので論理的な書き物とならない、エッセイ風であったり、単純な日記であったりする、マン・レイ印象記が、どれほどの意味を持つのか、このところの、どっぷり「マン・レイと共」にと云った生活の充実と苦しさの先が何処に向かうのか、そればかりが気に掛かる。書いていると、次の内容が頭を巡って、目の前のテーマがおろそかになる。この傾向は昔からだから、しかたないと、あきらめるか-----
   
   
February 20, 2005
  
入力した原稿を出力し校正。写真を資料として使った画家達に触れながら油彩『二つの顔のイメージ』に言及。「惹かれるのは会場で感じたものと通じ合う写真。迷路の途中で劇的に現れた油彩」等と書いてみた。ここで云う迷路とは岡崎市美術博物館の事。
   
 3時のおやつで、娘達のリクエスト。たこ焼き工房「一休」(場所は西大路四条東入ル、嵐電を越えてすぐ、南側)へ行ったら、開店は4時からだった。アイロンを掛けて時間調整し、再訪。ここのたこ焼きは最高に美味しい、それで、ついついビール。娘もつられて飲んでいた。これが楽しい。
  
 夕方、メール便林哲夫画伯から、スムース文庫の新刊『読む人』が届けられた、深謝。わたしはここに描かれたどの人にあたるのだろう、見ている人も見られている。書く人と云うのもいるだろうし、撮る人と云うのも。画伯のスケッチをみると、みんな賢こく見える。有り難い。
  
  
February 19, 2005
  
小池貴之さんから個展の案内葉書が届いた。3月8日から13日まで、ギャラリー・イシスを会場に「モノクローム/現れた風景」と題して行うそうだ。錬金術師として京都で知られる小池さんの、京都見納めの会。とても楽しみである。
 
 「第10回記念 How are you,PHOTOGRAPHY? 展」に関する集まりがあったので、夕方出掛けた。お茶を飲みながら、いろいろな話を伺う。
森岡パパの対応なので活気あふれる催しとなること請け合いである。10回記念だから、皆さん参加してね。集まりの後、ちょっと一杯といきたかったけど、原稿のことが気になってそのまま帰宅。これから、昼間まとめたメモをパソコンに打ち込んで熟慮、脱稿をめざす。
   
  
February 18, 2005
  
ローランド・ペンローズが書いた「マン・レイ」(テムズ・アンド・ハドソン、1975)が書棚で見付からない。山をかきわけ近づいてゴソゴソ、崩れないでと祈りつつの作業なので、棚の奥に入っていたらお手上げ。この本での言及を確認しないと原稿が不安なので、困っている。
  
  
February 17, 2005
  
今年は花粉の飛散がすごいらしい。怖くて早めに四条烏丸、大丸百貨店西隣の河野医院へ。待合室は立ったまま待っている人もいて、大盛況(?)。
診察してもらうまで2時間待ちで参る。でも、おかげで原稿書きが進んだ。集中できたけど、美人の患者さんもいて、気になり、原稿の切れ味、今一つと反省して帰宅。夕食に飲みすぎるので、その後は書けず、ネットサーフィンを幾つか。右腕には注射の後のテープ、今日、入れて貰ったのは「スギ花粉エキス」、『日録』は書きやすい。
       
  
February 15, 2005
  
次のテーマのネタがあまり見付からない。どう膨らませて書くか、ちょと考えているのだが、頭が酸欠状態になって。うまくいかない。
  
 今日の京都新聞の夕刊に歌手のひがしの・ひとしさんが紹介されていた。70年代の後半に地球屋に入り浸りだった時期があって、懐かしく読んだ。「いくつもの才能が生まれ滅び自死し、からくも生きのびてきたのを見てきた」、何十年も前の話だな、70年代の人間としては「自死」の感じが判る。アルバムには地球屋の人々が写った写真が沢山、貼られている。頭の中で、これを取りだし、記憶を見ている。氏はこんな風にも書いている、同感である。だんだん鈍ってきたのがこわい」。
   
 
京都は不思議な街だ。僕は「執行猶予の街」と勝手に名付けている。いようと思えば"おとなこども"のままでずっといられる。世界に開きながら同時に閉じている。この街から出ずして、日本や世界の最高水準のものに触れられる。この居心地のよさは、他にそうあるものではない。それがこの街の一番危険なこわさでもある。(京都新聞 17.2.15夕刊)
 
  
February 13, 2005
  
終日、部屋の掃除をしながら、これから進めるテーマの資料類を取り出す。夕食後、昨日の原稿に手を入れてまずまずの物とした、やれやれ。2時近くなり、最近、ミクシィーにはまっている友人の日記を読んだ。芸術新潮の記事、わたしには今イチなんだけどな-----。
  
   
February 12, 2005
  
MAN RAY LES ANNEES BAZAAR
PHOTOGRAPHS DE MODE 1934-1942
Musee des Arts de la mode et du textile
13 Octobre 1992 -- 31 Janvier 1993
29.5 x 21.1cm. pp.10.
   
   
   
   


夕方までかかったが、15枚程の原稿を仕上げた。校正刷りを出力させて街に出掛けようとしたら、書留郵便が到着。そして、押印を求められた。オルレアン在住のコロンブス氏が、パリで開催されたマン・レイのファッション写真展カタログを贈ってくれた。この展覧会、ニーユーヨーク、ロンドン、パリと巡回したもので、当時、日本にもやってくるとの情報が入って楽しみにしていたもの。実現しなかったが、これで三箇所での資料が集まった事になる。もちろん、オークションで落札したのだが、3ユーロ。「送料込みで幾ら送金すれば良いのか」と、コロンブス氏に問い合わせたら、「3ユーロの事だから、何か交換しましょう」との話。それで、わたしの方からは、日本でのマン・レイ展カタログを送っていた。「受け取ったよ」と云うメールを昨夜、彼からもらっていたので、わたしも、そろそろと楽しみにしていたのだ。嬉しいよね。わたし以外には紙屑だけど、わたしにはお宝だからね。御礼のメールを送信した後、スキャナーで取り込み、久し振りに『日録』の読者に新収集品を報告。
   
   
February 11, 2005
  
朝はオスカー・ピータソン、昼過ぎにスタン・ゲッツを聴いて、今はビル・エバンスのタウン・ホール。終日、原稿と格闘したのに3枚しか進まなかった。リズムが途切れると堂々巡りとなって、楽しい文章とならない。今日からは「それぞれでの一点」として、マン・レイ展の各会場で気になった作品を取り上げ、紹介する構想なのだが、『日録』の雰囲気と異なる調子をつくるのに苦労する。ライブ報告ではなくて、資料調査に基づいた深読みをしてみたいと思っているので、時間もかかるし、原書にあたると自分の語学力の無さに脱落したい気分となってしまう。書きたい事がはっきりしていると、かえって文章に魅力がなくなる。原稿用紙の上でペンと指先がかってにマン・レイへ導いてくれる、そんなタイミングを待ち受けているのだが、夜更けになると、頭が濁ってくる。歳を取るのはイヤダね。
  
 居間に七段の雛飾りを出し、玄関には立雛飾りと桃の花。そろそろと春を向かえる準備をしている。そんな家内に叱られながらの原稿書き。良いものを書かねばと気持ちばかりが空回り。
   
February 10, 2005
  
湯船に顔をポチャンと着けて我に返る。原稿書きの前にビールを飲んでしまうので、こんな有様。昨夜はサッカーだったし、明日からの三日間で作業を進めなければ---
 
  
February 8, 2005
  
原稿は次のテーマに進んだ、しかし、取りのけていた資料が出てこない。構想は決まっているのに、細部が描けない。周辺こそテキストの魅力と思うが、どうだろうか。---資料はダンボール5ケース程に分散して整理しているのだが、大事な物に限って、折れないようにと別扱い。その為に、判らなくなってしまうのです。
   
   
February 7, 2005
  
夜に出掛ける必要があって、急いでカレーのルーをレンジでチン。その上に炊けたばかりの御飯を載せる。洗い物を減らす方策だけど、カレーライスを底から食べるのは面白い。こんな食べ方に名前があるのだろうか。
    
 名古屋市美術館で開催中(3月6日迄)の
安井仲治展チケットが手許にあります。先着5名様にお譲りできますので、ご興味おありの方はどうぞ御一報を----- 尚、展覧会の様子については『日録』1月29-30日を御覧願います。
  
February 6, 2005
  
今朝の日経新聞に「結婚生活が円満に続くのは肯定的な会話が否定的な会話の五倍以上ある場合」(12面「我が家の常識・非常識」2004年ワシントン大学などのグループ研究)とあった。筆者は続けて「日本語で会話する夫婦の場合はどうかわからないけれど、気持ちはわかります。文句ばかりだとどんどん不愉快になるし、そもそも会話も減るでしょう。」

 ビル・エバンスを聴きながら、今日も原稿書き。徳島県立近代美術館でのマン・レイ展が終わるまでに、ある程度の目処を付けたいと、頑張っている。もっとも、力を入れすぎると文章としては大味となるので、この点を注意しながら進めたい。銀紙書房の新刊、注文が殺到すると嬉しいのだが------
  
  
February 5, 2005
  
終日原稿書き。疲れて夕食後に「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」を観る。サムはえらいと子供達が騒ぐ。12時を過ぎたがこれは面白い。
  
  
February 4, 2005
  
フランス人の書いた英語に悪戦苦闘。フランス語は判らないし、英語も出来ないしで、時間ばかり取られてしまう。しばらく、やっていなかったので、頭が切り替わらない。明日の朝、別のメールも入れなくてはならないと思いつつ、ビール頭ではどうにも困る。それに、午後からは世田谷美術館での「瀧口修造: 夢の漂流物」展レセプション。京都からでは遠いよな。来週になるとロンドンでシュルレアリスムのオークション。マン・レイの素晴らしい油彩が出品される。現物がみたいよな。日本ではどうにもならない。せめて、カタログだけでもと、アンドリューが送ってくれたのを手にして、ウダウダしている。落札予想価格が1,000万円を超えるのだもの-----
 
  
February 3, 2005
  
片道20分の田舎道を抱えて歩くには「安井仲治展」カタログはちと思い。でも、気になるので、読みながらの通勤である。今日は節分。芥子菜の味噌和えと鰯。今年の恵方は西南西。京都では、こんな習慣なかったと云いつつみんなそろって丸かぶり。名古屋での『日録』を修正する。写真があがったら、さらに手を加えることとして、今宵はお休みなさい。
  
February 2, 2005
  
雪の朝、カメラを持って早めに自宅を出る。1月29-30日の名古屋行きの『日録』をアップする。とりあえずの報告。手直しをせねばの心境だけど、早くしなければと、我慢。