2005.3.1-3.31 マン・レイになってしまった人

March 31, 2005
  
会社の玄関脇にある茱萸黄色い花をしっかり咲かせている。欅の芽も一斉に出てきているようで、しばらくするとトトロの森が出現する北ノ口界隈、明日からは4月である。しかし、夜になると風が冷たい。今日は月末でバタバタしていたが、それなりに終えて帰宅。ビールを飲みつつ家の者と世間話をするのが楽しい。でも、12時近くになると眠い。明日は入社式があるから早めに出勤しなくては。銀紙書房新刊の原稿書き、ペースが狂ってしまった。
  
   
March 30, 2005
  
昨夜のおまけには「CABIN」7号(編集・発行 中尾務)と云うのも付いていた。小特集が「富士正晴」で、雑誌VIKINGに言及している箇所もあるので興味深く読んだ。また、同誌には林哲夫氏が「スムースの作り方」を寄稿されている。昨夜、山本氏が創刊号の「特集三月書房」を「はずかしいから」と店出ししてくれなかった故宍戸夫人の魅力を語ってくれたが、わたしもなるほどと納得した。同人達の出会いが羨ましい。文中「岡崎の友情というか、山本を信じる気持ちは、まったくうらやましいくらいのものである」(58頁)とあって、昨夜の十番勝負のふたりの雰囲気の良さを納得した。

 これも、山本氏から聞いた話だが、「SUMUS」のバックナンバーで、みんなが捜しているのは「エクストラクト 三月書房・本は魂をもっている」だそうである。幸いにも2号「画家の装幀本」で取り上げていただいた関係もあり、手許に総て揃っている。林哲夫氏の心遣いに深謝。
   
   
March 29, 2005
  
「スムース友の会」楽しく参加させていだいた。今、ヨッパラっているので、後日、改めて報告したい。
   
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浅川マキの声を久し振りに聴いた。昔、泣きながら彼女の「裏窓」や「流れを渡る」や、とにかく、とりつかれたように、うなっていた。泣いていた。「スムース友の会」の会場に入ったら、マキのしみる歌声だったので、思い出しつつ泣きかけた。後で、岡崎さんに質問したら、いつもかけているのではないそうだった。だとしたら、お誘い --- こんな、出会い方が人にも店にもあるんだよね。 会場は
バー・ディラン・セカンド(075-223-3838)
  

 

 「SUMUS」の書き手と読者が集まっての楽しい会。ほとんどの人が林哲夫氏の「デイリー・スムース」に顔を出しているので、毎日、訪問させてもらっている者としては、知人、友人、身内の感覚である。そして、書いているものと、風貌は一致するなと思った。参加者全員の自己紹介の後、乾杯の発声を頼まれた。しかし、これは初体験、舌がもつれてしまって恥ずかしい。当夜の呼び物は「岡崎 vs 山本 100円均一・十番勝負」、出品された本の多くを知らないわたしでも楽しめた。二人の掛け合いが漫才なんだよね。勝負5番では、好みからすると山本氏の「松尾邦之助、巴里物語」が好きだけど、負けてしまった、参加者がどちらに手をあげるかといった興味も生まれる。勝負の様子については、デイリー・スムースを参照されたい。
  
 ビールを飲みつつ、書物にかける硫酸紙の扱いや黒木書店の事、あるいは、若い女性に歌舞伎の話を聞いたする。岡崎さんの九州古本地震実況報告等も面白い。話のテンポと、行間の余白は同じものだね。これも、なるほどと思った。105円で入手した本に自己評価をくわえ、エッセイーの中や、こうした機会に紹介し、新たな命を吹き込む行為。この時、どうだろうか、105円以下で古書店に買い取られた、旧蔵者がいたわけで、値打ちを知らない貴方が悪い、あるいは、猫に小判(猫をおとしめるつもりはないけど)だからと、言うのも、なんだが---。掘り出し物に出会いたい欲望は、わたしとて人の数倍は持っているのだが、ものの値段はそれ相当のと思ってしまう。古本通の人達は「抜く」とか「拾う」とか云うけど、どうも、うまくなじめない。100円均一でマン・レイを見付けたら、こんな考えも変わるのかな、成功事例を報告できるようなチャンスがおとずれるようにと祈る。いや、「拾った」幸福のお裾分けを読者にしてくれているのだろうか。有り難くいただかなければ。

 友の会では「セリ」もあり、みなさん手を挙げられる。「福引き」もあった。わたしは、不思議なものを、当然のように呼び込んでしまった。この件についてもデイリー・スムースを参照。

 最後に銀紙書房新刊の告知もさせていただき、9時頃解散となった。楽しい3時間だった。

 さて、今宵のお土産に林哲夫氏のP-BOOK04「忘茶庵用印」をいただく。手軽に読めて楽しい手触り。海人舎の鳥居昌三さんが生きていたら、ともに喜んでくれる本だと思った。さてさて、今宵の「スムース友の会」は、みずのわ出版刊の林哲夫美術論集『帰らざる風景』の発刊記念会も兼ねている訳で、わたしも買い求めさせていただいた。帰宅して、素敵な本の手触りを楽しみつつ床に入った。氏は「一語一繪」とサインをして下さった。これが、わたしには楽しい。読み始める前に、愛撫できる本。こうした本がわたしは好きだ。
     
 
      
 
       
March 28, 2005
  
 Exhibition of "CHARLES DANIEL AND THE DANIEL GALLERY 1913-1932"
 at ZABRISKIE GALLERY, New YORK
 December 22, 1993- February 12, 1994.
 22.3x17.1cm. pp.36

  
  
    
    

    
    
   

ニューヨーク在住のバイヤー、リサ・モーガンからダニエル画廊の資料が届いた(21日送付)。マン・レイの個展とは違うので、普段ならばビットしないし、アメリカの古書検索で追っかけるか、直接、会場のザブリスキー画廊に依頼するのだが、今回は、オークションの書影を見ていて、読みたい気持ちになった。銀紙書房の新刊原稿でチャールズ・ダニエルに言及していたタイミングだったのが理由。スティーグリッツの画廊「291」がクローズした後、ニューヨークのモダニスト画家達をダニエル画廊が引き継いだようで、早速、パラパラと読んでみる。「頭髪はないが長身で、眼鏡をかけて血色の良い顔色」をしたダニエル氏を、写真で知った。この人について、マン・レイはいろいろと言っているのだと臨場感がわく。わたしの書いている原稿にちょっと奥行きをもたせることが可能であるような気がした。ここでは、1915年のマン・レイ初個展カタログ裏面のカットが随所に使われていて楽しい。
   
   
March 27, 2005
  
なんとか朝をむかえた。今週は高校野球が始まって日曜美術館の放送がないので、冊子小包やらスモール・パケットやらを作り郵送する。右京郵便局に出てからDVDの「007/ロシアより愛をこめて」を借り、原稿書きの準備。昼からこれを見る。どんな原稿を準備しているかはお楽しみに。ビデオと違うので使い方が判らず、必要な箇所を見るために何度か最初から見直す。早送りとか停止ってどうやるのだろう。新しい操作が苦手になってしまった。
  
 横浜の友人T氏が「芸術新潮」4月号での小特集「堀江敏幸が選ぶ 瀧口修造の19の夢」について、ミクシィーで言及されていたので、読んでみる。わたし堀江さん好きなんです。今回はどんな切り口だろうと期待を持って進む。こうした時、瀧口さんの言葉のどこからを引用し、自説につなげるのかと云ったプロの技が気になってしまう。困った読み方なのだけど、しかたがない。「物々控」の一節はなるほどとうなった。「私はかれらを鎮めるために、言葉を考えてやらねばならない。」オブジェに与える言葉、この言葉の生起に興味を覚えた。「散文、それが人生だ」と云う読み方も良いな、やはり、堀江さんは読ませてくれる。しかし、どうだろうか、今号の一番は、池田龍雄氏が描いた「瀧口修造氏邸見取図」(95頁)。これまでの知っている写真の写角を思い出しながら、図面を確認してみる。「プレハブの物置」これが気にかかる。長野県に現存すると記載されているのだが----
 
  
   
March 26, 2005
  
29日の夜に「スムース友の会」が開かれるので、会員御用達の三条「ブ」へ行ってみた。わたしにとっては始めての店(三条以外はあるけど、それでも全「ブ」で4回目ぐらい)。どんな本があるのだろうとウロウロ、キョロキョロ。でも、わたしは古いのかな、工場(もちろん内職の規模だけど)の木でも削るような音がして、ぞっとする。化粧断ちの一種だけど、生まれた本が、削られるなんて、耐えられない。小さくなっちゃうのだよ。ダンボールの箱が幾つもあって、「ブ」の各店を動き回っているのだろうか、そんな感じの荷札。客が多く本の回転も良そうなので、いつか、何か見付かるかもしれない。そんな目で見ていたら、赤貧の山本氏とばったり、ちゃんと三冊程抱えていらっしゃった。それで29日に参加する事をお伝えした。いつか「ブ」にもなれるかな。発見の実績があればね、今のところ、わたしは文庫も新書も読まないからね。105円は魅力だけど、削られちゃった本の肌の傷みを思うと、まだ、手に取る自身がない。
   
 「河井寛次郎展」チケット半券
 10.5x7.6cm.
   

   
   
    
    
    

   
   
   

 出掛けた目的は、家の用事の買い物と原稿資料確認の府立図書館。そして、気になっていた京都近美の「河井寛次郎展」(4月3日まで)。わたしは氏の焼き物が好きなんです。どうしてだろう、どんなところに惹かれるのだろうと鑑賞した。良いなと感じた展示品は1)泣碗、38)青瓷鱚血文花缶、65)象嵌花四方壺、109)絞描き草花四方壺、157)辰砂丸絞四方壺、206)黒釉菱型花瓶等。泣碗の高台のあたり、垂れている雫のような部位が不思議だ。肩の丸みや六角形の口、星形や何かのオブジェのような物。ブルトンの見付けた★なんて言ってもおかしくない物でもある。釉薬のかかりぐあいも適切な感じ、この人には民芸の安定がない、求道者の手を持っている。土が塊となってあぐらをかいている。どしっと座って、手に馴染んでいる焼き物。寛次郎の仕事は強い、民芸を無名者の仕事の中に美を見出したものとしてとらえると、浜田や柳の仕事が、わたしには弱くうつる。現代的ではないのだね。現代的であることは、作家の強い意志が作品に反映するものだと思う。わたしが寛次郎を贔屓にするのは、開館直後に求めたポスターを長く部屋に貼っていた、五条坂にある「河井寛次郎記念館」の空間が好きである事に起因するだろう。幾度かの訪問の記憶が30年の後も、強く影響している。

 さて、今日は近美常設で川西英(1894-1965)氏の旧蔵資料
(注)に接して驚いた。マヴォ3号表紙のコラージュ「ラシャメンの像」。状態が良く貴重。ゆっくり拝見した。(マヴォは他に1,2,5,6,7号)、北脇昇の「秋の驚異」も良かったな。これは「戦前の前衛」と題したコレクション・ギャラリーの小企画(4月3日まで)だった。
  
 ギャラリー16でいろいろと世間話。荒川修作を解読する展やデュシャン展、アルテ・ポーヴェラ(豊田市美術館6月12日迄)や自然をめぐる千年の旅(愛知県美術館5月8日迄)の事等。元気なお二人と話をして活力をいただいた。感謝。その後、買い物を済ませ、三月書房、京都芸術センターと寄って帰宅。でも、夜は悲惨な事になった。花粉症で壊れた蛇口状態となってしまった。きつい時には、後から薬を飲んでも効かない。寝るのも怖いが、キーボードが濡れるのも困る。ああどうしょうか。

注)創作版画の普及に大きな足跡を残した作家。版画家のでもある子息の川西祐三郎(1923- )氏が2003年に近美へ寄贈された。
   
   
March 25, 2005
  
● 写真集の復刻が目白押し。Caloの石川さんの情報では、

細江英公鎌鼬 KAMAITACHI」青幻舎 
31500円
A3変型、41シート
1969年、限定1000部で刊行された幻の名作の完全復刻版! 秋田の風景を舞台に、土方巽の魂と肉体が繰り広げる鮮烈な疾走。モノクロームによって、日本の記憶を記録した、記念碑的作品集。舞踏・土方巽、装丁・田中一光。限定500部。著者サイン+シリアルナンバー入。4月下旬発売予定、ご予約受付中です。 

川田喜久治「地図」月曜社 
12600円
A5、190頁総観音開き、上製函入
1965年に川田喜久治の初めての写真集として800部で刊行された「地図」。品切絶版となってから久しく、今や伝説と化した写真集が、終戦後60周年、原爆投下から21800日めの2005年3月20日、あらたな造本とあらたなメッセージを添えて新生する。 収録作品や掲載順は初版と同じですが、一部トリミングが異なります。 写真家本人によるテキスト「「しみ」のイリュージョン」を掲載したリーフレット付。リーフレット奥付にシリアルナンバー入。装丁:川畑直道。4月上旬入荷予定、ご予約受付中です

● ミクシーの情報では、国書刊行会の新シリーズ、6冊他

日本写真史の至宝
全6巻・別巻1

飯沢耕太郎金子隆一監修
各巻予価10000~30000円

日本の写真表現が最初の全盛期を迎えた1930年代を中心にモダニズムの傑作写真集を原本に忠実に復刻するシリーズ。2005年春刊行予定

・「初夏神経」小石清 ISBN4-336-04485-6
・「カメラ・眼×鉄・構成」堀野正雄 ISBN4-336-04486-4
・「巴里とセイヌ」福原信三 ISBN4-336-04487-2
・「Japan through a Leica木村伊兵衛 ISBN4-336-04488-0
・「安井仲治写真作品集」安井仲治 ISBN4-336-04489-9
・「光」丹平写真倶楽部 ISBN4-336-04490-2

● そして来週はスムース友の会

3月29日(火)午後6時から京都木屋町のディランII(ディランセカンド)にて「スムース友の会」開催決定。岡崎武志山本善行扉野良人荻原魚雷南陀楼綾繁林哲夫ら同人参加。スムースはいかにして生まれたかを振り返るトークショー、岡崎「均一」VS山本「赤貧」の100円で買った本対決10番勝負、古本オークション、サイン会などの楽しい催しを予定しています。また、P-BOOK最新作の「おみやげ」を考えています。参加費用3000円(ドリンク・軽食付き)。予約受け付け中。定員になりしだい締め切りますので、ふるってご参加ください。残席、すくなくなってきました。
    

* マン・レイ・イストもスムース友の会に出席する予定です。楽しみ---
   

March 24, 2005
  
名古屋に戻って荒川修作について考えたりしていたら、銀紙書房新刊本の原稿を書くペースが狂ってしまった。もちろん、酒の飲み過ぎが原因なのだが、数日、眠くて、花粉症の飲み薬が影響している部分もあるのかも知れない。今宵はまだ11時だが、資料調べと必要なメールを入れたら、頭が酸欠となってしまた。最近は、休日の午前中にしか原稿が進まない。夕食のビールをやめればいいんだけど、こいつが出来ない。
   
   
March 22, 2005
  
ソーシャルネットワークミクシィーに驚いた。先日の名古屋市美での荒川修作、記念イベント会場にわたしも含めて5人がいたようで、また、みんなが、それぞれ、荒川の当日についてレポートを寄せている。まいりました。それはシモジマトーチカ、kodama、Zhi-mei、ピナと云った人達。トピに書込をしていない人もいるだろうから、まだ増えるだろう勢いで、ミクシィー世界の濃さにうなった。わたしも感じた事を報告する丁寧さに気を付けねばと、反省した。

   
   
March 21, 2005
  
昨日までの写真を現像に出した帰りに寄った書店でSTUDIO VOICEの4月号が「写真集中毒のススメ」である事に気付き、買って帰ってジャズを聞きながら、急いでパラパラと読んでいる。読み終わっちゃうと雰囲気が伝わらないし、家人が戻ってビールを飲みだしたら、『日録』に書けなくなるので、その前にと引用を幾つか。最初に紹介されているマーティン・バーは、わたしと同い年なんだね、彼の意見は、わたしも常々感じている事だし、「いい具合に古びている」なんて、同病者の症状だね。

「それに辿り着く前に「The Lines of My Hand」の方を先に発見。スペインがいい具合に古びている。(P.32)
写真集で写真史を綴る。ある意味でこれは、写真史の研究の現場に新しいアプローチを提示したように思えますが。(P.33)
写真家の僕には本が一番だってわかるんですよ。展覧会に行くよりも、写真集を手に入れる方がずっと簡単でしたからね。(P.33)

 それに、作家のクリストフアー・ウールの発言なんかもよく判る。

「写真集とは基本的にはイメージの連続なわけで、そのためには一定のリズム感が必要だし、出来のよくない写真が逆に本のメリハリを作る役割を果たすと感じているんだ。(P.41)

 
読みながら、雑誌で紹介されている書店のアドレスを入力し、マン・レイを検索。まあ、これは上手くいかなかった。もう、こうした方法で未見資料をゲットする事はできないのだろうな。実際に書店へ行かなければ。写真集狂いのわたしとしては、こうした風潮が蔓延し始めるのは、つらいが、価格が高騰すれば、珍しいものが市場に登場すると期待する事になる。海外の知らない写真集が、紹介されているそれぞれの書棚に収められている。雑誌には知人のディラーや評論家も紹介されていたりして、我が書棚の写真集の値踏みを、してみるのも面白い。

 それにしてもだが、STUDIO VOICE誌の写真に関する取り上げ方は面白い。この前、京都写真クラブの仲間と話しをしていたとき、若い人が写真集に関心を寄せていると聞いたが、こうした流れの一つだろうか。
   
   
March 20, 2005
  
朝風呂に入ってリフレッシュ。新しいマンションでは浴室にも暖房が入り、たっぷりの湯を溢れさせて豪勢な気分。荒川氏の住宅プランでは、お湯に包まれるようなお風呂の設計がされていると昨日、聞いたけど、それに較べたりして、朝からボーとしていた。NHK新日曜美術館では世田谷美術館での『瀧口修造・夢の漂流物 同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s~1970s』の紹介。会場の様子を熱心に見た。マン・レイへのオマージュも発見して、ワクワクする休日。居間で『日録』の原稿を書いた。昼から四国・丸亀在住の姪と合流。4歳と2歳の男の子を向かえて、母は最高に楽しそう。わたしも一緒に、チョロQを走らせたり、ヨチヨチ競争をしたり、グルグル回りをしたりして楽しむ。小さな子供は良いな。荒川は世界認識がどのようになされるかと、7年にもわたって幼児を観察したと言っていた。獲得されて行く世界。4歳の子と84歳の母との世界認識は、どこへ向かうのか、わたしの前にあるものの方が幻想であるのか。昼には丸忠の寿司をとって、ビールを何杯も飲んだので、ますます良い気分となった。賑やかな家族は楽しい。

 夕方、京都に用事があり5時10分に家を出る。地下鉄、新幹線と乗り換え自宅には6時45分に着いた。待ち時間のないスムースな移動であった。夜は来客と楽しく食事をし、ビールを飲んで過ごした。今日も書きたい事が沢山あるのだが、10時を過ぎたら眠くなってしまった。お休み---
   
  
March 19, 2005
  
名古屋市美術館 「荒川修作を解読する」展
    
    
   
   
    
    
   

    
    

   

   

   

荒川修作氏の風貌は26年前の兵庫県立美術館での「荒川修作全版画展」での講演時と同じだった。作品と作家のイメージはつなげられて捉えられるものなのだ。氏は総ての支持者から「建築だけは手掛けないでくれ」と忠告される中で、「建築する身体」を5年以内に実現したいと熱くプランを語った。(すでに進行中の物件も幾つかある)
 10時30分に美術館へ入って、わたしなりの解読作業を試みた。荒川修作は人と云う種の中にある、一つの個性であって、個性でないもの。芸術家でなく、哲学者でなく、科学者でもないもの。フーリエとは違うけど、21世紀に向かうユートピスト。彼の仕事を軽視する語彙としてのユートピアではない、建築家のうさんくささが、ある種の新興宗教を想起させる不幸を思う。しかし、こうした感情、反応にたいして、ノンを投げつける人。建築は知性を覆い被すよどみのようなもの、ユートピアに入居する高齢者のエネルギーが、ある一つの生であるような空間。氏は熱く語られたけど、わたしとしてはどうかと思ってしまう。群れなす種には、恐ろしさを感じるのである。永遠なんて、ノンだよと意志表示をしたい。

 さて、午後2時、展覧会の記念イベント「荒川修作に質問する」(19日 14:00--16:00)が始まった。岐阜県美術館の岡田潔、養老天命反転地の平林恵、名古屋市美術館の山田諭の3学芸員が、2年半程の間、32回にわたって行った「アラ研」の過程でこれまでに書かれたテキストと実作品を解読し、生じた疑問を直接作者に投げかける場であった。開催前に本人に伺うのではなくて「解読する」作業。午前中にじっくりと作品を拝見していたので学芸員達が提起される視点もわたしなりに理解でき、興味深く、楽しく参加した。冒頭、山田氏は「荒川さんの作品は難解ではなく、テーマを様々に検討し、より判りやすく提出された結果のもの。解読を進める過程で、仕事に一本筋が通っていることを発見。判ってくると高速道路に乗り入れた様に理解出来た」と発言。そして、オブジェと図式絵画の関連等から質問は始まった。

 荒川氏の返答はある種の禅問答のようであり、死を見つめ、棺桶を作っていた人は、永遠を思考し、人が肉体でなく、空間との関係、いや空間に存在するものとし、哲学者は「無」、芸術家は「空間」、科学者は「真空」と呼ぶ世界に精神はあるようだ。心臓の辺りを示し「これは何処にあるだろうか」と問い掛ける。人間存在をDNA解読に求めるのではなく、トップレス、ボトムレス、サイドレスの境界、空間の中に捉え、永遠を個の死ではなく、再生産を続ける生殖のメカニズムでとらえ直すと、宗教者の側面の方が強く出るように思う。
 回答の中で興味深いのは瀧口修造氏やマルセル・デュシャン氏とのエピソードであるわけだが、渡米した直後にオブジェ作品をデュシャンに見せた時「これはいい作品だ、でも芸術ではない」と言われ「君は芸術をやめる」とも予言されたらしい。デュシャンに対しては政治的芸術と手厳しいが、「ボトムレスの3次元的なモデル」に入って、デャシャンの葉巻の煙がもうもうとトップレスから立ち上って素晴らしかったこと、カメラをもっていたら良かったと話された。ダヴィンチの悩みから500年、荒川氏の頭の中にあるのはヘレン・ケラーのようで。彼の絵画の締めくくりには、生命を作る装置を用意するつもりとの事。その生命はエネルギーといえるものだろうと感じた。
  
 わたしが荒川氏の作品に接っした最初は、名古屋のギヤラリー・ヴァルールで1978年の展覧会の時だと記憶する。ブループリントの幾つか。そして、同じくたかぎでの連続した展覧会。荒川氏旧蔵のマン・レイ作品を手にしたりした。そのころに兵庫で講演を聴き、強い影響を受けた。それは、芸術家の存在といったもので、その日に起こった幾つかのエピソードに結びついている。そして、国立国際美術館や、京都近美での体験装置に結びついていく。
 今回の展覧会で出品された12点の内には、街の画廊で見ていたものがあり、懐かしく嬉しい。でも、わたしが読解できるのは3「デュシャンの大ガラスを小さな細部としている図式」、4「無題」、やっとのところで5「自画像」といったあたりまで、図式絵画が進行し、巨大化していくと、マスプロぽくなって楽しめなくなってしまった。でも、体験装置に入り込んで行くと、絵画ではなく空間が現れる事となって、新しい生命が芽生えた。本展示でも12「「何」を繰り返すこと。置き換えること。大地、いや、しかしそれは多くの瞬間的なもの。変わることなく不連続な世界へ立ち返ること。この過程が問題だ。」が置かれている。斜面に立って、重力にあがない、解読するのは面白い体験だが、こうしたシリーズの作品としては、ちょっと弱いかと感じた。
 学芸員3氏の質問の後、会場の若者が体験を交え質問をする。「おかしな人といわれていると言われていましたが、御自身の感想は?」と投げかけた人もいたが、京都精華大学の男子学生は、鏡に対する恐怖と違和感を、水族館での気泡体験を自身の死のイメージに結びつける女性、質問ではなくて、同感の表明だった。荒川氏はいずれにも熱心に応答され、絵を描いていると云う女性には、「絵は止めたらよいけど、代わりの表現行為を見付けなくちゃいけないよ、お店でもなんでもかまはないけど----」と温かい。
   
 荒川修作氏からパワーを感じたが、芸術からは外れてしまった印象で、宗教者に近い。建築はやめたら良いのにと、氏に忠告する人達のような感情を持った。たった一人でも出来る崇高な行為。これが芸術であり、おおくの人々の共感、協力、集合となっていくと戸惑いを覚える。イベント終了後に、再度、会場を巡った。今回の展覧会では、作品の横に透明ケースがあり、そこにリーフレットが入れられ、読みながら作品を解読できるようになっている。例えば作品3では図像上の矢印とかハンガーとか、傘などが、詳しく解説され、学芸員のアプローチも追体験できるように考慮されている。会場で読みながら作品の前に立つ人、座る人を見るのも面白い。何枚にも別れたこれらのシートが、ケースに入れられてカタログとなっている。上手いアイデアだ。

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 美術館のYさん、詩人のBさんと一瞬立ち話をした後、会場を出た。母が戻っているはずなので急いで実家へ。兄弟で世間話。姉が留守番をしてくれるので、夕食は兄といつもの「いなよし」へ行き、美味しい魚を食す。そして二次会、三次会へ。年末の時と同じコースだが、今宵はビールのみとしたので、悪酔いすることなく、池田公園の辺りを楽しんだ。
   
   
March 18, 2005
  
明日は、名古屋市美術館での「荒川修作解読する」展、初日。午後2時から美術館で記念イベント「荒川修作に質問する」が開かれる。昔、兵庫県立美術館で氏の講演を聴いてから何年の月日が経っているのだろうか、楽しみだ。昼前には美術館へ入るつもりで、持っていくものの整理をする。尚、会期は5月18日まで。養老天命反転地・志段味循環型住宅バス・ツアーも4月29-30日に予定されている。
   
   
March 17, 2005
  
 
Exhibition Catalogue
 Man Ray
 10 - 30 ottobre 1970
 GALLERIA LA CHIOCCIOLA,
 PADOVA
 19.4 x 13.5cm. P.14




    
    
    
     
イタリアのマントバを7日に出て、本日、書留便到着。1日にペイパルで支払っていたから、アレサンドロ氏が荷物を整理するのに一週間。この間が判らないので待つ身はつらいね。さて、今回のマン・レイ資料は、1970年10月にイタリアで開催されたマン・レイ個展のもので、出品点数29点。オブジェや油彩やレイヨグラムなど1914年から1970年にわたって出品されている。テキストにデュシャンの言葉とマン・レイの自伝からの引用。小さなカタログだけど、わたしはこうした物が大好きである。硫酸紙をかけてから、パラパラと見ている、イタリア語だから読むと云うわけにはいかないけど、タイトルとか略歴とかわかっているテキストだから、Disegno, olio,Oggetto.....と判るよね、楽しい。
  
  
March 16, 2005
  
ソーシャル・ネットワークのミクシーで、友人「ばらん」さんが、素晴らしいシュルレアリスム関係資料を書影と共に紹介をしてくださっている。彼女の日記を読むのが楽しい。今日、届けられたものは「エフェメラブルトン」で、テキストの方には「第1次と第2次世界大戦の間のシュルレアリスム LA SITUATION DU SURREALISME ENTRE LES DEUX GUERRES  アンドレ ブルトン著  出版社、年代記載なし(1942年)、初版、17ページ。  大戦中アメリカに亡命したブルトンがイェール大学で講議した折りに出版した本当の初版。ロネオタイプという日本で言った”ガリ版”のような印刷方法かと思います。マンレイイイストさんのお持ちの仏国立図書館のマンレイ展のカタログと一緒ですね。このタイプの感じがそこはかとなくて、、。 」 彼女が言及されている保管中のマン・レイ・カタログの活字(?)は奇妙なものだと思っていたので、この「ロネオタイプ」について、調べたくなった。興味があるのは、1962年頃、仏国立図書館はこの形式を使ってカタログを出していたのだろうかと云う事。 
   

March 15, 2005
  
このところの『日録』は暗いなと本人が思う。訪問された皆様も同じように感じられているのではないだろうか。銀紙書房の新刊執筆モードでじっと家にこもって、そちらの原稿ばかりを書いているので、『日録』まで手が回らない。それに、花粉症ネタが多くなって、今宵もそんな話題をと考えたのだが、先日、国立国際美術館(4月17日迄)で拝見した、オノデラユキさんの写真展の事にふれたいと思う。ちょっと、影響されているのです---

 「古着のポートレート」や「鳥」等の有名な連作から、最近作の「関節に気をつけろ」迄のおよそ50点。この人は写真集じやなくて、オリジナルを見せる人だね。写真を感じさせない現代美術。でも、写真好きのわたしは「Roma-Roma」にぐぐっと惹かれてしまった。スウェーデンにあるローマとスペインのローマが、ステレオ・カメラで捉えられている。「人工着色された二つのローマの間には、未だ感光していないネガの時間、つまり闇の時間が流れているわけだが、説明がなければただの鄙びた田舎の風景写真が二枚隣り合っているにすぎない」(島敦彦 同展カタログ P.88)とあって、印画紙上で合成したのじゃなくて、偶然の二箇所なのかと不思議に思い、ジロジロと写真を見た。着色されている様子は判らないし、2点の写真が置かれたバランス、白い余白の取り方、額縁のセンス、いやはや上手い。作者は2月5日に美術館でギャラリー・トークをされている。その記録を読むと、益々面白い。

 「このシリーズで特に強調したかったのは、“移動”、二つの場所に移動するという事だったんです。写真家が旅に出て、写真を撮るというのはスタンダードな 撮り方だと思うんですけど、私はあえて好きな場所とか興味がある場所とか、撮影する場所を自分で選びたくなかったんですね。それで、じゃあ自分が選ばない為に移動するにはどうしたらいいだろうと思った時に、名前があればその名前を目指して向かえばいいんだと思いました。」

 原稿モードに入ってから、カメラを持っていても、写真を撮る気にならない。オノデラさんの写真に圧倒されながら、写真集の表現ではない部分が、わたしにあっても良いのではないかと考えさせられた。
    
  
March 14, 2005
  
寒さがぶり返したので辛い月曜日。花粉症のマスクで眼鏡がくもる。おぼろげな視界で会社までの道をトボトボ歩く。原稿は仕上がった。次の単元に関する下調べをしなければ---
  
  
March 13, 2005
  
六時に起きて原稿書き。平日の夜はアルコールを入れてしまうので、休日に書く事が多くなった。珈琲が合わない体質なので、一日に何杯ミルクティーを飲むのだろう。もちろん家の用事もしなくてはならない訳で、NHK新日曜美術館でクリストを見た後、お雛様を片付ける。娘達は手伝ってくれないので、ブツブツ家内と共に納戸へ入れる。ナフタリンの匂いが紙の作品には大敵だと何時も気になりつつ、家内に従って作業する。本当はコレクションの整理をしなくちゃいけないのに、言い出すのが怖い。
 外は時折、粉雪が舞う荒れ模様。玄関には作り物の梅と桜の盆栽が二つ、娘達は出掛け、家人は箏曲の稽古。わたしはコルトレーンを聴きながら、マン・レイの原稿を進める。今日書いたのは、マン・レイの油彩『二人』についてで、なんとか下書きを終え、ワードに打ち込んだ。明日は細部の手直しの予定。そろそろ一時になろうとしている。銀紙書房の新刊に人々がどんな反応をしてくださるのか、睡魔でふさがる脳みそで、ダラダラと『日録』を書いている。
   
   
March 12, 2005
  
朝から家の用事をいくつか。午後、原稿書きの手を休めギャラリー・イシスで開催中の小池貴之氏の写真展『モノクローム/現れた原風景』を覗く。銀塩写真の魅力を再確認させてくれる、素晴らしい17点である。人間の眼は風景の一部にしか焦点を合わせられないけど、写真の眼は記憶の光景をすみずみまでとらえてくれる。おもわず眼鏡を外して、印画紙の表面をなめるように見てしまった。写真は光とシャッターが開いている時間との関数で決まるものかも知れないが、小池氏の今作品には、変化する風が感じられた。写真に奥行き(細部までのピント)と時間(水やススキのゆれ)が現れていて、単調じやないのである。寒い撮影地の情景が演歌にならないのは、この人のセンスの良さであるだろう。見ているわたしが、作者になりかわってシャッターを押しているような時間、頬に受ける風の勢いを視覚から与えられる臨場感。土着にならずに力強い。小池氏の故郷の記憶が、上手く作品化された好例と云えるだろう。深謝。夜のパーティに参加したかったのだが急いで帰宅し、原稿の続き。夕食後には家の用事。
   
   
March 10, 2005
  
午後から仕事で大阪へ。温かくて気持ちが良い。しかし、花粉が飛んで鼻がムズムズ、眼もチクチクと云った状態となる。足速に歩く。行き交う人にもマスク着用者が多くて、まるで「風の谷のナウシカ」だ。風邪ひきの他人様に迷惑かけないようにと使うマスクじゃなくて、完全防御のマスクは楽しみがない、だれがこんな世界にしたんだ、だれも謝らず、手もうたれていない。マスクと注射と飲み薬で、この季節をやり過ごさねばならないのはつらい。春は待ち望む楽しい季節であるはずなのに----

 仕事の後に、タグチ・ファイン・アート、カロ、アルカードと回り、阪急電車の車中で原稿のプランをねる。
  
  
March 9, 2005
  
昨夜の後遺症もあって、原稿が進まない一日となってしまった。でも、ミカン母様より励ましのメールをもらったので元気が出てきた。友人と川田喜久治の復刻写真集『地図』の話題やら、アンドリューとトムにメールを入れたりしていたら12時を過ぎてしまって、眠たくなった。
 
   
March 8, 2005
  
ネットオークションの会社からおかしなメールが入った。「アカウント情報を再送しなければ会員資格を剥奪するぞ」と云った内容で困った。メール中のURLに接続しようとするも、タイム・アウト・エラーでつながらない。普通の名前と違うようなので、これは危険だと気付いたが、スキミングされているのか、なりすまされているのか、入ったメールの信憑性が判断出来なくて、まいってしまった。さっそくヘルプ画面で内容の照会をしたのだが、その返事は長文となるので、英語についていけなくて、ますます困ってしまった。
   
   
March 6, 2005
  
昨夜の花粉症にはまいった。眠りに入ったのは何時頃だっただろう。今朝は回復していたから、昼間の買い物外出1時間程で花粉を一杯吸い込んだんだろうか、怖いね。
    
 さて、今日は閉じこもって終日、ナウマンさんの本「マン・レイ; モダニズムへの変革」を読む。新しい発見が幾つかあり、次ぎのテーマの下調べが終わった。
   
   
March 5, 2005
  
近所のディオ・ハウスへ出掛けドアノブ等を購入して家の用事を幾つか。マン・レイについては、ダニエル画廊への出品作の出典が見付かりメールで返事。関連してパリのアンドリュー氏に問い合わせのメールを入れる。その間にもミクシーを覗いたりしていたので、時間をとられてしまって原稿書きが進まなかった。夜には花粉症が出て鼻がグズグズ。後は明日の事、ケセラ・セラ
 
  
March 2, 2005
  
本の山が崩れて、雪崩状態。大事なのに原稿書きの資料で、部屋には現在、大小取り混ぜて7本の山。連鎖反応は停められたが、どうしよう、バランスを考えて積み直していると、本がどこに紛れ込んだか、判らなくなる。取り急ぎのダニエル画廊の話題、返事をしたいのだけど、資料が見付からない、判らなくなってしまった。
  
  
March 1, 2005
  
久し振りにペイパルをした。アメリカのオークション・サイトが上手く接続出来ない関係でフランス語から画面に入ったら、使い方が判らなくなって難儀した。30分程。あれこれやったかな。最後には上手く送金できたようだが、インターネット・エクスプローラのバージョンが古くなった為か、アメリカの画面が使えない。困ったものだ。かといってバージョンUPもままならないので、ネスケと思って、最初、トライしたのだが、こいつも上手く動かなくての混乱だった訳。品物が到着したら、報告しますのでお楽しみに。