August 30, 2005
お待たせいたしました。銀紙書房新刊『マン・レイの謎、その時間と場所。』完成いたしました。
詳細、及び刊行案内については、近日中にお知らせ致します。
石原輝雄待望の新刊、表紙 限定50部、200頁。
August 26, 2005
一晩一冊のノルマで糸縢りをやっている。
August 24, 2005
パピヨン縢りに必要なのは1時間20分だった。終日、バソコンの画面とにらめっこをしている経理マンとしては、ちと、きつい。12時前には就寝しなくては。
August 23, 2005
昨日に続いて、今朝も朝顔四つ。糸縢りに一冊1時間以上かかる、接着剤の有機溶剤に悩まされるし、職人の問題とつきあい始めた。
August 22, 2005
今朝、朝顔が四つ咲いていた。知人が朝顔は9月の花だと言う「本当かな」。土曜日に作業をしながらラジオの夏休み子ども相談を聞いていたら、朝顔のつるを逆方向に巻いてやると、朝顔自身にストレスが発生し、そのエネルギーで大きな花を咲かせるらしい。女の子が相談していたけど、これを研究した人がいると先生が説明していた。こうした時、実験は少なくとも3回行い、3度とも同じ結果であれば、ほぼ間違いないとの話だった。やってみようかな。
August 21, 2005
NHKの新日曜美術館で「横尾忠則が招待する イッセイミヤケ パリコレクション1977-1999」展(富山県立近代美術館)が紹介された。展示の様子を見るとパタパタと電動で招待状の頁が開く。手にとって開く状態、変化の面白さが。こうした紙ものの命なので、動き方に興味をもった。いずれ、応用出来るだろうかとメモする。昼食後、たかじん委員会を見ながらのアイロン掛け、町内では地蔵盆の家庭福引き。しかし、それ以外はこつこつ篭もって終日本造り。7時を回るとさすがにギプアップとなった。入浴して一息し、ビール。やっと解放された。
August 20, 2005
『マン・レイの謎、その時間と場所。』について朝から作業。HPからEPSONに切り替え、表紙カバーのインク問題をクリアし初期出荷分10冊の表紙出力を終える。やれやれ、やっと完成。後は腰巻きと中に入れるオマケの調整。その前に10冊の糸縢り作業をしなくては。出来次第案内をさせていただきます。先行予約も可能ですよ(笑)
August 19, 2005
わたしも二十歳の頃、辻推雄氏の『奇想の系譜』を読んだ。若冲、蕭白については、この読書で知った。時代と共にあった事を今回の山下氏の著書で知った。暑い、それでビール頭。そんな訳でウトウトしている。
August 18, 2005
山下裕二は著書『日本美術の二〇世紀』の中で、砂川幸雄氏の著作『浮世絵師又兵衛はなぜ消されたか』に言及した所で、「まあ、事実としてはそうなのだが、この書きぶりは、アカデミズムに対する怨念みたいなものに粉飾されていて、かなり気持ち悪い。---これでもか、というほど研究史を丹念に調べてあるのには、私も脱帽する。「われわれ素人は何が何だかわからなくなる」という一節に象徴されるように、「素人」としての立場を貫き通して、「学者」の矛盾を徹底的に突こうとする姿勢は、「玄人」も見習うべきだ。でも、「アカデミズム」というのはそんなにたいしたものじやないんですよ、といいたくなる」(128頁)と書いている。
August 17, 2005
仕事再開。通勤のお供で山下裕二の『日本美術の二〇世紀』(晶文社、2003年)を読んでいる。文中に高松塚古墳発掘の話題に関して「初めて壁画の写真が撮影されたのは、翌22日の夕刻らしい。京都の便利堂のカメラマン・大八木威雄氏による」(89頁)と云う記述があった。『日録』読者のある方々にとっては、懐かしい名前であるだろう。平成13年、熊本へ向かう飛行機の中で、桂離宮で暮らしたと云う人から、この兄上の話をうかがったのを思い出した。---ご健勝とご多幸をお祈りしたい。
August 16, 2005
上段; 祇園甲部、下段;石段下八坂神社
急に『ルーヴル美術館展』へ行きたくなり出掛ける。夏は終わりかけている様子で仏光寺通りには地蔵盆の日程表や時代祭りの維新親王隊の隊員募集の張り紙が見えたりする。いつもの道を抜けて四条ホテルの横から高瀬川、鴨川と渡って祇園の方へ走る。今日はちょつとコースを変えて石段下から円山公園に入ってから知恩院へ抜ける。緑が気持ちよく山門の黒とマッチするのを自転車で走りながら、チラリと見るのは愉しい。途中でカメラを向けたりしたので、予定より10分遅れて美術館へ着いた。ひょつとしてと期待していたのだが、お盆の今日もすごい人だ、画面の全体像を見ることは出来ないね。新聞社の動員力とルーヴルのブランド・イメージはすごい。
『無毛症と包茎と』 ルーヴル美術館展での印象
展覧会で見る繪の印象は、絵画とは別にあるその日の気分を反映する。気分は刻々と変わる。会場で最初に見た作品に影響されて、片寄った見方を自分の中にこしらえて、見てしまう事もある。これから、報告する「無毛症と包茎と」と云う下品な表題を思いつかせてしまったのは、展示2作品目のトリオゾンの『エンデュミオン』のせいである。木陰で休む「弛緩し扇情的な姿となった青年の身体」は、マン・レイのリッジフィールド時代のデッサンを連想させる。骨格を無くした植物であるような肉体、アナクレオン風と云うらしいが、両足の親指の開きがなんとも官能的で、中央辺りに申し訳なさそうに置かれた、性器の状態が、少年愛的でおやおやと思った。19世紀のフランス絵画を、この視点から眺めて身近に感じるのも、困ったものだが、祇園祭りのお稚児さんにも、少年愛的な見方をしてしまう、この目ではしかたのない反応というべきだろう。
第一セクションに置かれたタプローの圧倒的な美しさをもつ物質感にはまいるね、日本人には太刀打ち出来ない。構図やマチュエールをウムウムと見ながら、シェフールの『聖アウグスティヌスとその母、聖女モニカ』の眼の表情を前にして、思わずギヤラリー・スコープを取り出した。モニカの眼がマン・レイの写真『ビーズの涙』の眼と似通っていると思ったのである。納得しつつ、母と息子の結ばれた指先が、禁断のイメージに繋がる。こうした許されない雰囲気が「目で見ることも、耳で聞くこともなく、人の心が達することもない、あの永遠の生とはいったい如何なるものであるのか」と云った視線の行き先を暗示しているのだろう。しかし、その横に掛けられたプリュードンの『水辺で体を揺すって遊ぶ子どものゼフェロス』が、幽霊に思えて立ちすくんだ。「裸体画と神話画」の融合であるのかもしれないが。この子どもは黄泉の国の住人で、小さな包茎状のものの画面での位置が、目のやりばに困る。かってそうであった。あるいは、隠したままで過ごしたい何かを、知らしめるゼフェロス。オドロオドロとした絵肌が、神話的だ。
上段; 京都市美術館 Oの部分はアングルの『トルコ風呂』
下段; 会場に置かれたカタログの『泉』の頁、54-55頁を見る
わたしは、展覧会を観るとき。まず、ざっと会場を一巡する。それから、ゆっくりと作品を見る。その後、再度、最初の作品に戻り、解説を読みながらじっくり鑑賞する。最後の段階でギヤラリー・スコープを使う事が多い。今日は何故か包茎と云うテーマがまとわりついてしまっている。シャセリオーの『白馬の左側面』を見ても、その股ぐらに目がいく、愛くるしい白馬の表情と墨が入れられ強調された性器。もっとちがったところ、たとえぱ。ジェラールが描くプシュケの美しい姿に恋いこがれても良さそうなものだが----
さて、この展覧会で、わたしが見たいと思ったのは、アングルの『泉』と『トルコ風呂』。どちらの絵画もマン・レイがとらえたキキ・ド・モンバルナスの残像を想起させる。『泉』はこのイメージとそっくりそのままの写真が存在する。それを写した時の事をマン・レイは自伝で「キキは片隅の洗面器を隠す仕切りのかげで着物を脱ぎ、出て来たが、つつましやかに手でまえを押えていて、まさしくアングルの絵<泉>そっくりだった。----彼女は小娘のように恥かしそうに微笑んで、恥毛が無いの、と言った」(自伝149頁)と書いている。マン・レイも完成まで30年以上費やしたと云う、この名作を見ていたのだね。ルーブルへ行った時、モナリザとミロのビーナスははっきり記憶しているのだが、アングルは覚束ない。それで、この機会にマン・レイがこの絵からどんなインスピレーションを受けたのだろうかと、追体験したかったのだ。第一印象はあどけなさと、永遠に続く水のイメージ。清楚さと水面に反射する足の辺りが良いね。壺からの水は無くなるはずなのに、それを予測させない、画家の力業。この不思議はモデル女性の肉体のアンバランスからきているのだろう。現実の女性であって。骨が一つ多いような感触。もう一点の『トルコ風呂』の画面中央でターバンを巻いた裸の姿の女性の肉体も不自然だ、『アングルのヴァイオリン』との関連から見る見方はかたよっているけど、アングルと云う人は『スフインクスの謎を解くオイディプス』でも感じたが、人間の身体を解剖学的には描かないやりかたで、何処かが長い。トリオゾンの描いた青年もそうだったし、マン・レイのほとんどのデッサンでも肢体が伸びる。伸ばしてしまうのは、肉体に未練がある為だろうか、あらためて考えるべきテーマだと思った。
いや違う、今日のテーマは性器の描き方だった。タブーとされるものを、あつかう画家の指先の問題。その為にコローの『甲冑をつけた男---騎士』の股間が気になった。気になってしまったので、刀の向きと影の角度まで疑問に思い始めた。絵画を見る先入観は恐い。改めて訪れれば違った見方も可能だろう。ボディニエの『イタリアの結婚の契り』の画面を、隠された包茎、あるいは公証人制度などと、ねじれて下世話にすると、絵画を見る楽しみは、井戸端会議のおばさん達の仲間入りとなる。それも、面白く元気の出る事だけどね。
報告が長くなりすぎそうだから、後半は手短にしよう、ヴァランシエンヌの『森の下生え--曲がりくねった樹』が良かった。それに特筆すべきはコローの風景画だね。『ティヴォリ、ヴィッラ・デスケの庭』と『サン=ローの街の全景』。興味惹かれる絵画は歴史画と風景画と云うことになるかな。室内で鑑賞される絵画。だからこそ、写真を見るような臨場感が期待されるのだ。あたかも、その場にいるような。そしてなによりも、劇的な光の演出。欧州ではそうした光が随所で現れていたのではないだろうか、それを確かめに海外旅行をするのも素晴らしいだろうなと、夢がひろがって行く。
最後に、ニンプス(光輪)がなんとも神々しいドラローシュの『若き殉教の娘』に言及しておこう。両手を縛られ屍となった娘が川面(?)を流れていく。大画面を支配する光輪の扱いが素晴らしい。水の表現に特別の反応を示す、わたしの眼は、この娘を見ながら、今日は8月16日だと考えた。お盆も終わる。
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美術館でゆっくり鑑賞できたのは、10時40分ごろまでだったろうか、12時を過ぎたらお手上げ状態で、退散する。その後、『マン・レイの謎、その時間と場所』の為に、製本用の糸と針を買い、家族へのお詫びにイノダコーヒーへよって定番のレモンパイを求める。午後からは、印刷職人にもどって作業。表紙の用紙とカバー用紙も、取り都合を考えながら決める。
夜8時、五山の送り火を近くのマンションの屋上にあがって見る(西大路通りに面した10階建ての屋上には、住民があふれている。ここからは、五山総てが見える)。ギャラリースコープを使いながら、昼間見ていたドラローシュの繪の事などに思いをはせた。毎年の行事だけど、これから、何度、見る事ができるのだろう。火勢が衰えてから西大路通りを横切る時、左大文字を見た。高いところから見るよりも、送り火は見上げた方が気分にマッチする。自宅へは100メートルほど---
August 15, 2005
印刷出力の手戻りが続く、昨日5セット終わって、今朝から続き、ヘッドの加熱も発生しているのか、ある時点からガタガタとなる。これでは、用紙の予備がなくなるぞ----職人は大変だ。1冊200ページで裏表100回の印刷。両面となるから、どちらも綺麗に出力せねばのチェックの連続、50部刊行の道は険しい。もっとも、注文がどれだけ入るか、こちらの方が、肝心だけどね。とりあえず10部作成して、発売としたいのだが。
ウダウダとした苦労話ばかりでは、みなさんも楽しくないでしょうから、ページ紹介を致します。今6時30分、夕食後に作業再開の予定ですが、その時にはビール頭となっています。(笑)
扉頁、アトリエのシュルエット素敵でしょ----
64-65頁 差し込んでいるのはチラシ
August 14, 2005
印刷職人は大変だ。くたびれたHPのディスクジェット1220Cは、昨日まで機嫌良く動いてくれていたのに、今朝からきげんが悪い。用紙下段のページ・ノンブルあたりの文字が踊る。これの解決策を試行錯誤。用紙送りのローラー摩耗と思うけど、だましだまし作業しなければならないので、乾燥時間の設定変更をしたりする。結局、裏面印字後のインクと静電気で紙がひっつくのが原因だろうと考え、それで、片面印刷終了時に、巻癖を戻してセット、なんとか動き出した。用紙ストックがどんどん減る。時間もかかるしで困ってしまった。
昼から「おっさん」(お寺さんの事)がみえられご先祖様にお経をいただく。仏壇の位牌を総て手にとって戒名をとなえて下さる。位牌というのは表札のようなものだろうか、これが無いと帰る家を見付からない、そんな感じなのかな。昨日から16日の朝までは家に帰ってきているらしい、無心で手を合わせるのはよいことだ、形から入って魂を入れる。文化だよね。
印刷職人の続きだけど、巻癖は、左側だけにしないと、紙送りが上手く出来ないことが判明。調整しつつ、なだめながらの作業。
雨が降ったりしている、合間に酒屋へ、そのついでに、JR二条駅にオープンしたBiVi二条をのぞく。2Fのゲーム・アミューズメントTHE 3RD PLANETにビックリ。ゲーセンへ入った事がないのでよくわからないが、ここはラスベガスのカジノか。着飾ったパチンコ屋に中高生や家族連れ、ゲームを相手に一人っきりで遊ぶ空間。コインをがんがん入れ熱中している少年に気付いて恐ろしくなった。
仮想空間の遊びって、SFじゃなくて、もう現実なんだね。わたしのしている本作りはどうだろう、読書は自ら選び開拓し深厚させるもの、映画の待時間に、つい入ってしまった結果、とりこになってしまう、オジサン達も出るだろうね。恐い恐い。
夜は世界陸上のマラソンをビール頭で見る。最近は強い選手がいないみたいだがアメリカ人はマラソンきらいなのかな。
August 13, 2005
10時には下鴨神社に行って、お盆恒例の納涼古本まつりを覗くと云う計画も、朝からの雨で断念し、遅れていた仏壇の掃除とか、古新聞の紐掛けとか、銀紙書房新刊の表紙デザインなどをする。それでも、ソワソワするので、3時頃から出掛ける。何も買わないのに、習慣だからしかたないね。マン・レイに言及しているような戦前の雑誌も見かけなくなった。今回もボウズのままで、引き揚げる。中央図書館で通勤のお供を借りておく。古書市で買えないのは住宅事情の影響も大である。ディオ・ハウスによって製本用の材料を求め、上新電器でもインクを買う。その後は、ビールとなってしまうのだから、効率悪いよな。表紙のデザインについては、本番の用紙が揃わないと進めないなと自己弁護。そんな、連休初日を過ごした。
August 12, 2005
金曜日からお盆休みに入っている会社が多いのだろうか、通勤電車はゆったりしている。明日からの四日間、どうすごそうか、ルーブル美術館展にも行きたいなと思っていて、前売り券どこで購入しようかとまごついていたら、阪急電車烏丸駅で売っていた。マン・レイに関連して、アングルの「トルコ風呂」と「泉」は見なくてはいけないんだよね。
さてさて、銀紙書房本の経過は、フランス装的な仮とじ本とする予定だが、テストしてみると、希望する強度を出すことが出来てホットした。用紙卸店のI氏から表紙と表紙カバーのサンプル帖を借りてきたので、これから検討せねば。表紙デザインが確定する前に、印刷を始めているから、無謀だね。頭上のプランと実際の印象は違うからね、さて、どうなりますか。暑いですね。休日だから昼間に作業して夜はビールの職人生活、憧れます。
August 7, 2005
昼からコピー店へ出掛け『マン・レイの謎、その時間と場所。』に挿入する扉繪を作る。昔、使用した葉書をコピーする為、影の処理を悩んだが、我慢できるレベルでおさまった。本番出力を行い、パピョン縢りをやってみる。厚みが1.6cmほどなので、表紙の仕上げを考える。
August 6, 2005
上段; いば昇
下段; ラシック
用事で名古屋に帰った。同行者の「名古屋名物といえば」のリクエストでひつまぶしの老舗「いば昇」で昼食。11時ならと覗いたけど、すごい人の列。店外でも20人はいるだろうか、美味そうで食欲をそそる煙がモクモクと並ぶ人を包む。期待できる雰囲気。この店でうなぎを食したのは、30年以上前だったので、忘れてしまっていた。その時はどんぶりで、ひつまぶしではなかったように思う。待つこと1時間。でもね、美味しくはなかった。味に驚きが見付からなかった。二杯目でのネギの薬味、三杯目のお茶漬けに山葵と、それなりの水準ではあるのだろうけど、至福の時とはならなかった。後で気がついたけど、お茶漬けにしている人は少なかった。名古屋でひつまぶしを始めたのは、この店ともう一店だと聞くけど、お出汁で食べる、大好評のもう一店のイメージが強すぎたのだろうね。京都・廣川の味に親しい同行者達の意見も厳しいものだった。
名古屋といえば、活気があって、モリゾーとキッコロが人気のこの時期、雑誌の特集記事も多く、ゆっくりと、かっちりした仕事が難しいともいえるだろうが、愛知県美術館で開催中のゴッホ展(大阪から巡回し9月25日まで)を観た同行者は、ゴッホ作品の総てが黄色いパネルに載せられていて驚いたと報告する、さすがに名古屋だとの批評をお聴きした。街で見かけるポスターのコピーに「今日は万博、明日はゴッホ展」とあった。いやはや、まいった。
松坂屋南館とラシックを見学。新しい素敵な店は愉しい。若いお嬢さん達を見るのが、好きだ。待機組のオジサンがジロジロといつまでもとは、いかないので、喜多村拓の『古本迷宮』(2004年、青弓社)を読む。一歳年上の詩人でもある古書店主の本は、たくましくも、もの悲しい。自費出版を続ける銀紙書房社主の耳にはちと痛い。「売れれば本、売れなかったら紙屑」、注意しなければ。
帰宅して公取委「三井住友銀を審査」の記事を読む(読売新聞)。「金融派生商品 融資先に購入強要?」であるらしい。超低金利時代に、金利上昇に対する保険の必要性はと思い、この調査の進捗に注意したいと考えた。
August 5, 2005
暑さのせいでもないのだが、ビールをつい飲みすぎてしまい、集中しての表紙デザインに進めない。本造りのこれが難関。雑になったり、切れ味が鈍ったりすると、文化祭の出品作になってしまう。客観的で自立し、手にする人がうなるような外まわり、これが出来ると良いのだが。
August 3, 2005
名古屋の実家で処分寸前だった、35年程昔の弁当包み紙を持って帰り、年初に来宅された「学と研」のお二人(三木学氏と谷本研氏)にお譲りした話は、この『日録』で報告していたが、本日、愉しい切り口で、その包み紙を紹介した「PAPER SKY」の最新号(2005年夏号--秋田のたからもの 氏自然と歩く旅)を頂いた。感謝。お二人の連載「In Search Of...」(72-75頁)で「幻の万博駅弁 大阪万博発~東京万博行き」と題して、戦前の包み紙6種と共に、「EXPO'70」のマークが入った上野や豊橋や新見で求めたものが、大きく取り上げられている。
「交通の発達は、空間の圧縮をもたらすが、実は駅弁のコンセプトも、地域の食を圧縮することにあった。つまり駅弁とは、本来列車によって通り過ぎてしまう地域の味を楽しめるようにした「圧縮装置」だったのだ。駅弁の包み紙はいわば、その圧縮フォーマットだろう」と二人は書いている。
アンチ万博の考えだったので、絶対に行かないぞと思っていた当時のわたしは、駅弁を食べながら、その「EXPO'70」のマークをどう見ていたのだろうか。新しい世界の始まりよりも、消えゆく運命と共にあった蒸気機関車の写真を撮ることに熱中していた。きっと、ひねくれた高校生だったのだろうね。
「PAPER SKY」を拝見しながら、古い客車の堅い椅子を思い出した。ノスタルジックな列車を走らせてくれた「学と研」のお二人に、改めて感謝の気持ちを伝えたい。忘れられた為に、生きながらえた包み紙を、独自の視点で見直し、新しい命を吹き込んで世界へ返してやることが出来たのは、当時を実体験していない、世代だから可能な事なのだろう。わたしが「マン・レイ」その人と会った事がないのと同じだろうか---