マン・レイへのオマージュ


シルクスクリーン入り小冊子『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)
乾燥したフランス・パンを青く彩色してマン・レイがミクスト・メディアに作り替えたのは、ウイリアム・クラインが独特の美しいクライン・ブルーを発見するより随分まえの事だと思う。自然界には存在しない青い食品は危険の兆候で、人は戸惑い困惑させられる。このねじれ具合が作者を面白がらせ、永く記憶に留める作品となった。題名は「ブルー・ブレッド」あるいは、フランス語の発声で「パン・パン(塗られたパン)」。
 ニューヨークでのマン・レイ展(1974)で、記念に配られた青いフランス・パンは買いのがしてしまったが、ミニチアの「パン・パン」が引っ付いた折り本形式のカタログは、昔、若い友人から結婚の記念に頂き架蔵するに至った。アレクサンドル・イオラス画廊のこのカタログには刊行年表記がないので、コレクション・カードに記載するときに困ったが、今年になって年次を特定出来そうな資料が展示される事を知った。それは、画家の宮脇愛子さんがマン・レイから贈られた同じカタログの扉に書き入れられた献辞の文言Dear Aiko / Thanks for the New Aiko – wish I could travel to JAPAN to see you – may we meet soon. Love / Julie and Man / Paris 1973。交流のあった二人の関係が「新しい愛子」の一言に現れて微笑ましい(この年、宮脇さんは磯崎新夫人となった)。おそらく1973年でよいだろうと思う。
 それで、東京・青山のギヤラリーときの忘れもので開催された「マン・レイと宮脇愛子展」を観に上京した様子については、すでに、このブログで書いた。

 80歳を超えた宮脇が自身の芸術家としての半生を思い出し、強く影響を受けたマン・レイとの交流を回想する展覧会は、マン・レイ狂いとして確認せねばならない最も重要な企画であり、記念にカタログが作られると聞いて胸が高鳴った。----マン・レイの展覧会カタログに狂っているので、もちろん直ぐに注文をした訳で、そのカタログが昨日到着し、今朝から手にとって楽しんでいる。


 カタログといっても、先のイオラス画廊カタログからの引用が随所に散りばめられたオマージュ、カタログや書籍といった範疇では収まらない、限定25部の美術品として手にとり拡げた。総革のカバーに掛けられた紐を解くと緑のステッチで、イオラス版の緑色のリボンとの関連を感じつつの始まりである。端正な仕上がりは知的で、宮脇作品に相応しいと思った訳。最初に開かれるのは宮脇愛子の側で、各時代の代表的イメージが折たたまれ進む、静寂に包まれたスクリーン・プリント13点。作品保護のシートをそっとめくりながらの鑑賞を楽しみ「うつろい」の空間を紙で追体験すると、どっこい宮脇のエネルギーあふれるオリジナル作品が待っている。女性の指先から鬼の角が伸びていたのだな。
 マン・レイの側は、わたしにとって馴染み深い世界で、イオラス版の「回転扉」が宮脇の思い出に変奏している感覚。マン・レイが撮った宮脇の肖像から、先に引用した献辞の赤いボールペンの文字に移って、マン・レイ83歳の指先を連想する。宮脇もこの歳に近づいてきたのだな。そして、次の頁を開くと鶯色のコートを着た宮脇の魅力的な微笑みがマン・レイに向けられた写真。これがオリジナル・プリントの貼付けなのだから、ファンとしてはたまらない。ベレー帽を被り赤いニットのカーデガンが微笑ましいマン・レイとの会話が聞こえそうなル・フェルーのアトリエ。マン・レイから贈られた作品が興味深く続くその後の展開は、折り目と印刷画像の貼り込みが絶妙に調整されていて、驚いた。折り本形式で紙の遊びを調整し貼り込む技は、ちょっと素人では真似が出来ない。造本された綿貫令子の確かな指先に感謝する。
 そして、巻末の封筒に入れられた宮脇愛子へのインタビューDVD(約10分)、イオラス版のカタログの場合は、ここに「桃風景」のポスターが貼り込まれていた訳。DVDをパソコンに挿入し、パリのアトリエへ宮脇と共に再訪した---懐かしいな。

 マン・レイと宮脇愛子との交流が、このように楽しい折り本となって刊行された。愛情あふれるオブジェといえるので、どのように25部が流通して行くのか、見守りたい。一冊毎の手作りで、まだ8冊までしか完成していないと聞いたので、取り急ぎ、手にした幸福のまま、いち読者の感想を報告させていただいた。書誌的情報はギャラリーときの忘れものの該当頁でどうぞ。

宮脇愛子側のページ

マン・レイ側のページ