「東京シリーズ」を拝見。

名古屋の写真家が上洛。イノダコーヒ本店で新作の「東京シリーズ」を拝見した。被写体となっている女性は同一だが、これまでとは異なる表情、尋ねれば状況が相対となっていたらしい。衣裳の色合いからうける印象にも左右されたかもしれないが、女性の色気がなくなって、仲間と云うか、家族と云うか、自然にその場にいる人を捉えている様子。性差を超え存在が生で伝わる自然さかげんは写真の本質的な魅力であるだろうな。もちろん、名古屋の写真家が内に秘めた異常な情熱の出所が問題である訳だが、これに言及するのはあまりにも厳しい。非公開とならざるおえない写真群の成り立ちは、写真する人格と、被写体との対話、客観化された新「東京シリーズ」の進展に思いを寄せる。二ヶ月毎に更新される仕事を援護し補足する、さまざまな公器との戦いが、言えば写真に奥行きを与えているのだろうか。ファイル二冊と追加シートの数枚を拝見した後、軟弱なマン・レイ狂いは、イノダコーヒ近くの居酒屋でヒラメの縁側、くもこの塩焼き、それに湯豆腐、八海山を呑みながら昔話をウダウダしつつ、山本悍右の絵葉書の話しになって、追い詰められてしまった。長い付き合いは有り難いものだ。