月夜の夜想曲


富士川鉄橋から

東京古書会館

古書店の店先で友人と作戦会議、相手の出方を予測し、いくらまで入れるか。意地の張り合いみたいだけどね。
未明に雷鳴、雨足も強く眼が覚めてしまった。今朝は京都駅7時26分発の「のぞみ106号」にて上京の予定。紙モノ好きには雨模様の外出が辛い、きつくならないでと願いながらウツラウツラ。明治古典会による「第47回 七夕古書大入札会」の一般下見展観に参加するのが上京目的のひとつで、懇意にさせていただいている古書店から送っていただいた目録を事前にチェックし確認すべきロットを24点にしぼった(昨年、今年とシュルレアリスム関係の貴重資料が多数出点されている)。東京古書会館には10時5分到着、さっそく三階から拝見。会場にはすでに競争相手の某氏、ちょっと言葉を交わし昨年のマン・レイ写真について尋ねると、やはり、この方だった。価格からするとアンダービットでよかった訳だけど(破産しなくてすみました)、悔しいですね、今年もこの方が相手だったら打つ手がないなと、戦意喪失状態。それでも平台上の801番「シュルレアリスム関連誌・資料一括」24冊(20万円から)を手に取る。目録の図版は6点の紹介なので一括と記載された場合は、チェックしなければならない。赤い表紙の一群で興奮します、欲しいですね。次いで806番「P・エリュアール著書一括」7冊(15万円から)。ショーケースの方に移動して802番の「シュルレアリスム展カタログ他一括」17冊(15万円から)、805番「A・ブルトン著作・共著一括」12冊(15万円から)、極めつきは808番の「G・ユニュ著作・書簡一括」15冊1通(20万円から)とケース上段左端に並んでいた842番の「超現実主義写真集 メセム属」1冊(60万円から)、良いですね。シュルレアリスト達の手作り本の楽しさを堪能しアイデアを沢山もらった気分となった。ところで、手帖にタイトルや限定番号などをメモ書きしてブログで紹介するつもりだったのだが、土・日曜日と遅くなってアップが出来なく、また先程、入札の結果を友人から聞いたので、もう、ここに書く意味ないよと思ってしまった。(ここまで7月9日(月)、いずれきちんと書きますのでお待ちください)。

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 1時過ぎに銀座へ移動。宮脇愛子の50-70年代の作品を展覧する会場のギャラリーせいほうを訪ねたのは始めてだったが、銀座中央通りから一筋入った新橋より、昔、この辺りにあったアテネ画廊がわたしのマン・レイ・コレクションの出発点なので懐かしい。さて、今回上京の主目的はマン・レイと出会ったころの宮脇愛子作品の確認である。彼女がリヒターに連れられてマン・レイのアトリエを訪問したのは1959年頃、ミラノからパリに行った時だという。これまでの白黒図版からの知識が塗り替えられた---光の画家と思っていたけど、色彩をもった物質の画家だったんだ。奇妙な形象が織りなす画面の肌には大理石の粉末が混じり合って、重力の子供達が蠢めいている。幾層ものガラスを通したブルーであったり、太陽の反射であったり、蜃気楼をとらえる画家の眼、繊細な網膜の動きでもあるような仕事。マン・レイは若い作家につねづね「あなた自身でありなさい」と言った。マン・レイに宮脇の仕事はどのように映ったのだろう、こうした作品シリーズのうちの一つを彼女はプレゼントしているはずだ。しばらく彫刻を専門にされているオーナーのTさんから貴重なお話をお聞きした。60年代の仕事なのに古くならない彼女の秘訣はどこにあるのだろうか、1979年からの「UTSUROI」シリーズのほうが親しい世代としては、作家の振幅の幅をエンドレスに論じる必要があると思った。展覧会は毎日新聞の文化欄(7月3日夕刊)に記名記事(岸桂子)で紹介された事もあり、大盛況との事だった。

Untitled 1968 Brass

左:A6-6 1961 Mixed media on board 右:Red Echo(TL4-1) 1964 Mixed media on board

Work "Listen to your portrait" 1972 Black grantie

壁面左: TL1-4 1963 Mixed media on board 壁面右: TL3-2 1961 Mixed media on board

手前: MEGU 1972 Glass 奥: MEGU 1972 Glass

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 さて、二会場同時開催の宮脇愛子展、南青山のときの忘れものでは、「宮脇愛子、私が出逢った作家たち」展が開かれている。地下鉄銀座線の新橋からだと乗り換えなしで外苑前にでられるので、上京者には判りやすい。雨は相変わらず降っている。室内を改装された空間で、入り口脇のオノサトの油彩が小品ながら秀逸、わたしの好みからはさらに阿部のコラージュ、瀧口については専門家の友人がいるので彼に任せておきたい。もちろん、わたしの方はマン・レイに釘付けだけど、それぞれに価格が付いている訳で、引退したコレクターには心臓に負担を掛ける事といったらありません。宮脇愛子の芸術家との交流は瀧口修造、阿部展也、斎藤義重南桂子、堀内正和、広津和郎辻邦生、菅野圭介、オノサトトシノブといった日本人から、マン・レイ、ジオ・ポンティ、ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、グドゥムンドゥル・エロといった外国人まで幅広く、会場には宮脇の研ぎ澄まされた真鍮の立体作品を囲んで瀧口やジャスパーやサムや阿部の作品が語り合っている。ゆっくりわたしも仲間に入りたいのだけど---綿貫氏のお誘いが恐い。観るとマン・レイの「月夜の夜想曲」には売約済みの赤いシールが付いていた。会場に掲げられた価格表では売約済みの場合、価格の上にシールが貼られている、いったい幾らだったのかしらと、こちらは涙が出るばかり。
 サンドペーパーに模造ダイヤをはめ込み、月の光であるような線を入れた「月夜の夜想曲」は、エディションのある作品で一般的には「ガラスの涙」と呼ばれている。「愛子へ」とマン・レイの献辞が入ったこの一点について宮脇は「私がいつも傍に大切に持っている作品です」と言い、マン・レイからプレゼントされた時の様子を具体的に書いている。それが東京国立近代美術館リーフレット「現代の眼」(1984年)だったので、わたしなど、涎だらだらの状態であった。マン・レイが「このダイヤがほんものかにせものかは、後世の鑑定家にまかせるんだね---」と言ったと書いている。「ほんものかにせものか」なんて涙に曇ったわたしの眼には観ようがありません、欲しいね、でも、作品下段のプレートには赤いシール。これを手に入れた人は「後世の鑑定家」だろうか、わたしとしては、宮脇愛子が受け取ったときの驚きを理解する人物である事を祈るばかりだ。作品についての、彼女の言葉も引用しておこう--
「ただのサンド・ペーパーに小さなガラスのダイヤモンドがぽつんと、埋め込まれただけのこの作品はマン・レイらしい諧謔に富んでいて、しかも、詩が画面一杯にあふれています。じっと見ていると、深い月夜の海にたたずんでいるような想像力をかきたててくれます。」
 この作品を最初に観たのは、もちろん白黒の図版で、1973年の美術手帖だったと記憶する。銀紙書房の初刊行となった「時間光」(1975年)をサンドペーパーで装幀したのは、このイメージによったのだろうか、その後も「マン・レイの眼の中に」(1986年)と「指先の写真集」(2003年)でサンドペーパーを使った。サンドペーパーで装幀を考えるたびにマン・レイの作品がわたしの眼の中を駆け巡る。先の「現代の眼」から引用をしていたら、タイトルへの言及もあった、作品を見せたマン・レイが得意げに「月夜のノクターンさ」といったと云う。宮脇は女子大生の頃、子供達にピアノを教えていたから、旋律が流れて近づいてきたのだろうな、それから、50年経った訳か----


宮脇コレクションのマン・レイ作品 左からLes grands transparents, Le nocturne de la nuit de lune, Juliet, Portrait of Aiko MIYAWAKI, Portrait of Aiko MIYAWAKI(profile)

左:グドゥムンドゥル・エロ LEGER,PICASSO 1986 右:オノサト・トシノブ 油彩 1977

ケースの中には瀧口修造のFoldingNo.6とデカルコマニー、宮脇愛子の小品など、瀧口がオマージュで「掌が星型をしているのは 光をとらえるため」としたのは、この出会いだと思った。


「ギャラリーせいほう」と「ときの忘れもの」での宮脇愛子展は7月12日(木)まで会期を延長して開催中です。

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 東京駅日本橋口の焼き鳥屋で友人と反省会。明治古典会の四階会場ケースにあった431番の「夜の噴水」4冊(40万円から)なんて、わたしには、最重要資料なのに、最終落札価格を考えると、ゴメンナサイ、ゴメンナサイで辛い。そんなコレクター人生の栄光と挫折に関するテーマには、お酒が入らないと語れない深みと危うさがある。競争相手がいなければと思う反面、だれも認めない作家を追い続けるのも孤独過ぎるし、生活を犠牲にして買い続けたところで、楽しむことのできる時間は短くなるばかり。いけない、いけない愚痴ばかだ。ほどほどで切り上げ、「東京たまご」を土産品に東京駅9時00分発の「のぞみ265号」で帰京。24時までには帰り着いたのだけど、興奮してしまい就寝したのは3時半を過ぎてしまった。日曜日も忙しいのに----