『精子たちの道連れ』 at ギャラリーときの忘れもの


『トランクのなかの箱』に収められたマン・レイ撮影の《大ガラス》(部分)な

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昨年の4月から、京都国立近代美術館4階の常設展示室を使って催されているマルセル・デュシャンの『泉』誕生100周年祝祭企画も、美術家、毛利悠子さんのCase-5『散種』で最後(3月11日(日)迄)となる。1年間に渡って楽しい展示が続き、大いに楽しませていただいた(地元ですから、それぞれ、たっぷり拝見)。この企画が全国的にどの程度注目されているかは知らないが、美術館の牧口千夏さんと、京都工芸繊維大学准教授の平芳幸浩さんのお二人を中心に、ひっそり、こっそり、お金を掛けずに(失礼)、手作り感満載でありながら、100年後の『泉』を取り巻く言説が見事に視覚化さて、有り難い事、この上ない。「この展示を紹介してよ」とときの忘れものの綿貫不二夫氏に依頼され、デュシャンピアンの方々からのお叱りを覚悟しながら画廊のブログに気楽なレポートを提供させていただいた。その最終回分が本日、アップされたのでお時間がおありでしたら、読んでいただきたい。『精子たちの道連れ』と題した、ちょっとエッチな内容です(笑)。→ http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53333491.html

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次元の問題の解答(?)を示すのに毛利さんが用いた「遠近法実体模型」(1882年、東京大学博物館蔵)は、2015年から翌年にかけてワシントン、コペンハーゲンイスラエルと巡回した大規模なマン・レイ展『人間方程式』に出品された油彩『間違いつづき』(1948年)を連想させて、近年のマン・レイのトレンドを彼女は、知っていたのかなと思ったりした。

『間違いつづき』(1948年) 引用: マン・レイ展 カタログ

「遠近法実体模型」の裏面

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 わたしは「マン・レイ狂い」なので、友人からの視点で『泉』を手掛かりにデュシャンの芸術活動・人生について、残された作品を見ながら、初回に受けた「寂しい人」と云った印象について考えたが、その印象は最後まで変わらなかった。フランス人のデュシャンの場合は、デカダンスの系統が、さらに屈折して現れていると、個人的に思う。どうして、みんな、これにやられてしまうのだろう。アメリカ生まれのマン・レイの方は実際的な合理主義で、「喜びと楽しみ、そして自由」を守るために芸術を続けた。彼にもマイノリテイーとしての悲しみがあり、それが、二人を強く結びつけたのだろうと推測できる。

『トランクのなかの箱』手前にあるのが『罪のある風景』(1946年)

「歪んだ《大ガラス》越しに『罪のある風景』を見ながら」引用: ときの忘れものブログ 2月11日

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 ときの忘れもののブログの続きになるけど、デュシャンに実子がもたらされたとすると、タイトルを『精子たちの道連れ、偶然が与えられたとせよ』とすれば良かったのかもしれない。その一方で、子供のいない芸術家の物語もあるかと思う。作らなかったのか、作れなかったのかは判らないし、偶然に拾われたのか、見捨てられたのかも判らない、一切は人知の及ばぬところでの出来事。マン・レイには実子がなかったようで、彼自身は「キキはわたしの子供を欲しがったが、期待は裏切られた。わたしは父親になったことはいちどもなく、自分の欠陥なのかどうか判らなかった。それ以上は調べを続けなかったから、今でも判らない。」と自伝(『セルフポートレイト』千葉成夫訳、美術公論社、1981年、153頁)に書いている。デュシャンの謎めいた『罪のある風景』を見ていると、以上の事柄が浮かんだ。マン・レイの祝福が彼の血縁の側にも広がってほしいと、思うのだけど。