丸山・うずしお温泉・南海荘からの眺望
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日が沈み、日が昇る。なんと悲しく、なんと美しいことであろう。料理民宿でゆらゆらと過ごしながら、マルセル・デュシャンの「さりながら死ぬのはいつも他人である」の真相を考えていた。考えてはいたのだけど、淡路牛とシャンパンで浮世は楽しく暮れていく。大塚国際美術館の環境展示の場にいると、人類の表現について、生きる事、生きたことの証について、さらに、いろいろな声が聞こえるのだった。幼い友人たちは「真珠の耳飾りの少女」になりきって楽しげ。写真をパチリ。さてさて、
東京・駒込のときの忘れもののブログに死の床のデュシャンを思いつつ『コレクターの鎮魂歌』と題したエッセイを書いた。読んでいただけたら嬉しい。
ギャラリー ときの忘れもの : 石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」第8回 - livedoor Blog(ブログ)