2003.9.1-9.30 マン・レイになってしまった人

September 30 2003

涼しくなって家人が掛け布団を出していた。


September 29 2003

クリスチャンのNさんと聖書の話しを少々。「三位一体」の概念における「聖霊である神」ってどうやって人々に降り、その心で生きるのか。バンジャマン・ペレに知られたら怒るだろうな、そんな会話だった。


September 28 2003

白川から行者橋
ヤナギ並木をとおして北を望む。

   

   

銀閣寺の辺りに用事があって自転車で出掛ける。今日も良い天気。仏光寺通りを東進し河原町から高瀬川へ。何時も細い路地を抜けて走るのが好き。今日は土曜明けの早い時間だったので四条ホテルも満室のランプ表示。ここは川沿いのいかがわしさに心時めくたたずまいのホテルなんだ。鴨川を渡って祇園へ。朝方は町の様子が腑抜けで写真とはアンマッチだった。でも、巽橋でスナップ。辰己大明神前の三叉路は白川に柳が栄えて良い趣。行者橋から白川の柳並木沿いに上がって岡崎、そして、哲学の小径南端の若王子へ。光の状態が良いのでパチリパチリ。写真を撮りたくなる光がある。

東龍の京野菜いっぱいラーメン
800円
   

  

   

 昼は北白川別当町の東龍(テレビで美味しいラーメン店と紹介していた)で京野菜いっぱいの中華そばをいただく。トロ味のある塩味スープでいける。京都造形大学や古書店の文庫堂、欧文堂、紫陽書院等を巡る時のベースに使えそうだ。スープをしっかり飲んでしまうタイプなので、腹一杯で自転車もヨタヨタ。

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「アートゾーン神楽岡
左京区吉田神楽岡町4
075-754-0155
   

   
その後、銀閣寺道から神楽岡通を下がって新設の『アートゾーン神楽岡』へ。地元の新聞に「ビカソ、ダリ、池田満寿夫………2200点所蔵 念願 "版画ギャラリー" 開設」とあった。住宅街に光を上手く取り込んだ新しい建物(地上二階、地下一階建て)があったので、直ぐに判った。今日は開設記念のコンサートが演じられるので、手短に谷口宇平氏に挨拶。マン・レイも4,5点コレクションされているとの説明で、収蔵庫に案内された。----これがすごい。一階部分になるのだが、二階からつり下げられたガラス張りの空間に、可動式のラックが並べられ、額装された版画作品が作家毎に掛けられている。引き出しながら作品を見るのは楽しい。ちょっとした学芸員の気分だ。マン・レイについては、カラーリトグラフの「謎」(V/XX)と「時間の外にいる貴婦人達のバラード」に収められた「ナターシャ」(43/75)の2点を拝見する事が出来た。他のマン・レイ作品が気になるが次回に伺う事としよう。いろいろと観ていたら山本容子さんの「フランシス・ピカピア」(10/30)と云う版画に気付いた。彼女はピカピアの額に「VIVA PAPA」と入れ、顎の部分に「Man Ray」と書き加えている。スポーツカーに乗った少年ピカピアだ。収蔵庫ではいろんな出会いが訪れるだろう。この空間を一番楽しんでおられるのは、もちろん谷口氏、コレクターの夢は収蔵品と気兼ねなく対話する事だからね。
 この空間が気になる方はこのをクリックして下さい。『アートゾーン神楽岡』のホームページへご案内します。ところで、記念品をいただいた。版画芸術の121号(阿部出版)だが、同誌に『作家の創造性こそが魅力』として紹介されている。そこに「25歳のときに買った一枚の版画がきっかけで始まったコレクション人生ももう30余年」とあり、編集部は「あえてギャラリーとしたのは、買ってもらって初めてコレクションの楽しみが実感できるとの経験からだ。---コレクションの面白さを伝える伝道師としての谷口さんの第二の人生が始まろうとしている。」(65頁)と結んでいる。
   
    

オンラインブックショップ
砂の書」入口
下京区五条堀川東入ル増田屋ビル5階

 

   

   
自分のコレクションと対話する機会など無い者は、うらやましいばかりだ。天気が良いのにウダウダ思って、山崎書店、ギャラリー16へ。三月書房でブルトンの文庫本を二冊買い求め、Sさんに教えてもらった『砂の書』へ行く。場所は堀川五条東入ルの増田屋ビル5階。雑誌で知っていたけど、躊躇していた。Sさんが「書棚を見上げてとても幸せな気持ちになるの」と言っていたので覗く気になった。最近は若い人達が自分の読書傾向に沿ったラインナップの古書店を開店するケースが多いが、ヴィレッジバンガードが最初の例だろうか。ここのエレベーターの無い古いビルの5階と云うロケーションは最高だ。屋根裏部屋に上がる詩人といえるか、入口にアントナン・アルトーのポスター。わたしの思考と一致する本が多い。新刊書店で買いそびれ、そのままとなった本が、値段も手頃に再会の時を待っているといった感じ。とりあえず、挨拶をかねて『シュルリアリスムの射程』(せりか書房 1998年刊)を求めた。この書店はCDや小物も扱っているが、オンラインの書店でもあるので、このをクリックしてみて下さい。ここでも、新しい出会いが期待できるだろう。

 こんな一日を『日録』で報告していたら、えらく時間が掛かってしまった。銀紙書房の新しい本達のために時間を使わなくてはと反省。


September 27 2003

一昨日届いたカタログの荷物を観ている。フランスでの料金体系を知らないが航空手紙便の優先郵便で10.50ユーロ。邦貨で1,366円とすると同じぐらいか。三機の紙飛行機が飛んでいる料金シールが洒落ている。コンコルドみたいなものもあって郵便物がどんなシーンで運ばれてきたのか、こいつを想像するのもわたしの楽しみの一つ。消印が9月20日だから今回は早く着いた計算となった。宛名を書いた人の人柄が判る美しい筆記体で「M. Teruo Ishihara」の表記。今朝も感謝の気持ちでカタログをパラパラ。ジュリエットの家族写真で彼女との出会いを思い出している。これは人生についての物語といったもの。

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 久し振りの洗濯日和。昼から、自転車で近くの西新道商店街へ買い物に。ここは壬生寺に近いので新選組に関連した地域興しに取り組んでいる。各店の店頭に隊員を紹介したプレートが掲げられて。自転車でチラチラ眺め知っている隊員を確認。あの人は何処だとキョロキョロ。仏光寺通の「とり広本店」に土方歳三は居た。それで写真をパチリ。家人の話では「ご主人も親切で、ここのかしわは特別に美味しい」との事。

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 夜、横浜のT氏と情報交換。昨日から著名な美術評論家にしてコレクターの膨大な蔵書セールが開催されたと云う。京都からではどうにもならず。早い者勝ちって嫌だなと思いつつ、行けるなら目の色変えて突撃だけど、しかたないか。日本でもオークションという制度が定着したら良いのにと、ウダウダ考えてしまった。


September 26 2003

朝から十勝沖地震の報道。帯広の知人には大した被害がなく安堵。しかし、釧路の私設美術館に収められたマン・レイ作品の状態が心配。ひとまず抱えた仕事を済ませホットした週末を向かえる。しかし、ここでも前途への不安は変わらず。


September 25 2003

最新版に更新した、わたしの探究書リストには66のマン・レイ展が載せられている。様々な資料から展覧会が開催された情報を引き出し、整理したもので、会場名、都市、年号を記載している。わたしの偏愛はカタログ、ポスター、案内状といったエフェメラに発揮されるので、リストは想像上の航海図である。特に街の画廊で人知れず開催された展覧会のカタログを手にするのは楽しい。掲載作品は売り物であったはずなので、選択の悩みを会場でしているような、不思議な臨場感を味わうことが出来る。過ぎ去った展覧会であっても、カタログの中では展示が続いていると云った感覚。

 探究書の一つであるトリニー画廊(13, RUE DE THORIGNY, PARIS)が1991年に開催したマン・レイ展のカタログがパリから送られてきた。現物の書影も知らない資料だったので、荷物を開けるのはドキドキと焦る楽しみ。アイロンを持ったジュリエットの写真がカタログの表紙に使われている。彼女の顔に反射する『贈り物』金属性の光、仮面の化粧。あるいは、シャボンのヘアバンド。やはり、単純ではない写真。この展覧会は『ジュリエットのために』と云う副題が付けられ、50点程の写真やオブジェやデッサン等が展示されている。このカタログがパリから『贈り物』として届けられたのは、本年8月の新しい出会いからなる素敵な贈り物。初対面なのに旧知の間柄と云った共通した領域の産物である。


September 24 2003

忙しい一日。


September 23 2003

Cafe and Products
efish  

    

   

新選組ファンの次女に連れられ京都国立博物館の特別陳列『新撰組』を覗く。近藤勇土方歳三沖田総司それぞれの性格が偲ばれる筆の運びに興味惹かれる、書簡を中心とした歴史資料53点。次女が好きな土方のスピードと返しの味は、剣の太刀筋を彷彿させる。彼のものとされる刀「銘和泉守兼定」の切っ先と相通ずる。この刀は武骨で鋭い武器の妖しさを潜めている。これまで関心を持たなかったが、これからは刀にちょっと、心を奪われるだろうという予感。昔、北海道旅行をした時、次女と一本木関門にも立ち寄ったが、明治2年5月の安富才介から土方隼人宛の書簡には、歳三最期の様子が語られている、その「隊長討死せられければ」と前置きされた句には「早き瀬に力足らぬや下り鮎」とあった。
 わたしが熱心に観たのは松本順他の書簡4通をまとめた一幅。明治8、9年頃の郵便切手と消印。ギャラリー・スコープを使っても切手全面を覆う消印模様と「一六・七・東京」等の表記しか判読出来ないが、流通した書簡の往時の姿を偲ばせる。もう一組は日野井上家に保存されている天然理心流剣術切抜、目録、中極位目録、免許。免許皆伝には「殺」や「活」とした但し書きと共に「無心、風心、天地當、草行眞、決心、浮鳥位」などの極意が認められる。会得した心を形に現す時には美しいグラフィックの側面も生じたように思われた。

 実実した気分で帰りに「エフィッシュ」(五条鴨川東詰下ル)で休息。次女はチーズケーキに大満足。他の店のとは異なる格別の味。特別のシチュエーション。川面の風が快く店内を吹き抜けて行く。娘との楽しい一時だった。


September 22 2003

納期の切迫した仕事をかかえ遅くまで会社。ドライアイを気にしてのパソコン画面。


September 21 2003

終日細雨。探し物もかねて部屋の掃除。狭い書斎に本が溢れて手の付けようがないのに、12月のレクチャーに備えて資料確認。写真集に対する思いを鑑賞者と実作者の両面から喋ろうという企画なので気合いが入っている。当日配布のリーフレットもそれなりの物にしたいので、イメージを予測しながらの書棚遊び。もっとも、机の下などは埃まみれの穴蔵で、花粉症にはきつい。

 今日の引用は宮脇愛子さんの東京画廊での個展カタログ(1973?)。所持本にはナンバリングがあり「453」と読める。この美しいオマージュは17×17cmの変形で、序にマン・レイ。文に宮川淳。構成が杉浦康平、辻修平、鈴木一誌といった顔ぶれ。最近のわたしは特に鈴木さんの仕事に注目している。これも鈴木さんだといった感触。整理をしていると大きな本の間からフッと現れた。それでパラパラ。黒いページをめくると銀紙に白いインキで刷られた瀧口修造氏の詩が、眼にユラユラと来た。

宮脇愛子に

掌が星型をしているのは
光をとらえるため
瞳の扉をひらき
夢の廊下を手さぐりに
もうひとつのまばゆい光に遇うため
働きものの星よ

瀧口修造

「掌が星型をしているのは」って良いな。意志を持ったイメージは、行動をうながすシュルレアリスムに固有のアプローチ。瀧口氏が送った封筒は「★」の型で封印されている。マン・レイの序については、昔、佐谷画廊で現物を拝見したことがある。いずれ言及しよう。


September 20 2003

二日続けてパリ在住のNさんからメール。昨日のには「いよいよパリは涼しく、朝は肌寒く、なってきました。お天気は良好で、すてきな秋です」とあって憧れの街を思う。楽しい知らせだったので喜ぶ。今朝もメールを読みながら、返事を考えていたら宅配便が届いた。

 『写真月報』昭和9年4月号。片岡伍郎氏が「マン・レイ最近の中心作 SOLALIZATUION」を発表している。検索エンジンを使っての国内購入は初めての経験だったが無事に到着。雑誌の状態も良好で喜ぶ。この号の事は、昨年12月にT学芸員から教えていただいばかりなので、わたしがこれまで纏めてきた「マン・レイ書肆目録」に欠落していた。
 同誌には「大体マン・レイは貝のうちがわのように美しいが、彼は又貝のように無口なので、彼自身によって語られた言葉は殆ど耳になし得ない。大方彼の友人達や批評家や或いは彼を訪ねた旅行者達の言葉で、作品行動とそれらからして調査するより仕方がないので往々にして間違えられ誤解されることが多い」(377頁)といったマン・レイ感も述べられているが、誤解を解きたいとする筆者の思いが伝わる。「モダンフォトグラフイ誌」1931年号でソラリゼーション作品を見た片岡氏は、直ぐに実験を行いマン・レイと同じような効果を得たと云う。「現像のファースト、アビランスが現れるや否や白光の電灯をともす、すると画像が反転するのであるが、同時に画像の輪郭線がくっきりと棒状になって現れるのである」(380頁) 氏はここから光の作用、乳剤等の化学変化に着目し「マン・レイとソラリゼーションとを考える時、私はこの仕事をフォトグラムよりの流れとして系統づける」(380頁)と定義されている。同号には11点の写真が紹介されているのだが、内3点には「Exposition Man Ray A LA Galerie Vignon」の表示。調べてみると画廊はパリ8区にあってマン・レイの近作展が1932年12月2日~15日の会期で開催された様子。展覧会のエフエメラを追いかけるわたしの役割は、何が展示されていたのかと云う事実の積み重ねである。

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 台風と秋雨前線の為か、雨。昼から外出し辛く厳しい話。その後、メディア・ショップによってイングリッド・スカッフナーとリザ・ジャコブス編著による『ジュリアン・レビュー: アート画廊の肖像』(THE MIT PRESS 1998年刊)を購入。50%OFFだったので思わず手が出た。巻末資料編の展覧会カタログや案内状を車内でパラパラ、コーネルやエルンストやダリ。なかなか良い。

 帰宅し『日録』の続きを書き込む。今の気分を反映する本の一節は、移動中に読んだ昨日と同じ谷昌親氏からの引用、孫引きだが-----第一次世界大戦の折りに志願兵として参戦し、シャンパーニュ地方の戦場で右腕を失った詩人ブレーズ・サンドラールの言葉。「草のなかに伸びて咲いた背の高い花を思わせる人間の腕が、赤い百合さながらに、血をいっぱいしたたらせている、肘の上のところから切断された右腕で、手はまだ動いていて、しがみつこうとするかのように指で地面を掘っている---。この手、この右腕、樹液のごとくしたたるこの血は誰のものか?」(153頁)


September 19 2003

谷昌親氏の『詩人とボクサー/アルチュール・クラヴァン伝』(青土社、2002年刊)の133頁の辺りを読んでいる。クラヴァンは登場しているが、まだ生き生きとした血を流していない。それでフェリックス・フェネオンの「三行ニュース」からの孫引きで---「[ペタンクの]的球を狙っているとき、ルヴァロワのアンドレ氏は卒中で倒れた。持ち主がもはやこの世のひとではなくなっても、球はまだ転がっていた。」(83頁)


September 18 2003

最近雑誌が面白い。歴史を遡りながら現在の生き方に影響を与えた物を探す視点。特集等で古書店を紹介するとよく売れると云うから、居場所を失ったおじさん達のホットしたい気持ちに似合っているのだろうか。帰宅途中に新刊書店でパラパラ覗く事が多い。
 今日『PEN』(阪急コミュニケーション刊)の10月号「すべて買えます ポスターと、古い雑誌。」を購入した。ちょっと調べたくなったデザインの幾つかで、次回作のアイデアをねる。ウエッブのアドレスが紹介されている店については、サイトを覗く。もっとも、何か見つかりそうな雰囲気のところは、昔風で、直接行くか手紙じやないと連絡がとれそうもない。1920-30年代のマン・レイが関係したファッション雑誌を集めている身としては、価格の高騰にため息が出る。


September 17 2003

家人達は読売新聞夕刊の「太めバレリーナ解雇」と云う記事をガヤガヤ。


September 16 2003

昨日、顔を出したサードギャラリー・アヤで知人の立花常雄さんが個展『-媒質・距離-』を開催される。案内状を見ながら作品のprocessをいろいろ想像した。会期は9月29日~10月4日。楽しみである。


September 15 2003

地階にアムズが入る大江ビル、一階には番画廊、サードギャラリー・アヤ等がある。(写真上段)

アムズの店内(写真中段)

例えば、ドイツ語版の『マン・レイ・自伝』も50%OFF(写真下段)
 

  

大好きな書店が無くなるのは悲しい。まして、銀紙書房の初期刊行本と出会っている人の空間となると思いは深い。西天満、大江ビル地階に1999年10月に開店したブックセラーアムズは、独自のルートで美術洋書を仕入れ、時代にコミットした企画を精力的に開催し、魅力的な出版も行ってきた。採算の問題については部外者にはわからないが、書店を訪問する者に、楽しく充実した時間を与える場所だった。それなのにと云えば良いのか、その為にと云った方が適切なのか、この10月末日で閉店されることとなった。残念である。
 アムズで本日から閉店セールが開催されるので一番から出掛ける。店はちょっとしたバーゲン会場だった。知っている顔も幾つか。50%OFFとなると眼が血走る部分も生じる。様々な理由でパスした洋書を今日は買うぞと意気込んでいる訳だが、タイミング良く現れてはくれない。安くなってるから購入と云うものでもないんだよね。やはり、新たな出会いを予感させる本でなくてはと、再度、尻込みする本もある。70%OFFになったら買おうとか思うのも。

 しかし、しゃがみ込んで夢中に物食すると、未見の本が登場した。一つはアーノルド・クレインの『カメラのもう一方の側』(Konemann 1995年刊) クレイン氏はマン・レイのコレクターとして知られる人で現在はニューヨークに住んでいる(この本で知った) 氏が撮ったル・フェルーのアトリエでの戯けたマン・レイの様子を紹介する写真が沢山入っていて楽しむ。
 もう一冊も、マン・レイのコレクターに関係する本で、こちらは『甘い夢と悪い夢』と題された展覧会カタログで、有名なロザリンドとメルヴィン・ジャイコブス夫妻のダダ・シュルレアリスムのコレクションを北マイアミの現代美術館を会場に、2000年3月3日~5月28日の会期で開催したもの。出品点数は約65点(マン・レイは25点程)。薄いカタログだったので、最初にしゃがんで回ったときには見落としていた。二度目か、三度目に手に触れたんだ。ふっと浮かんで現れた感覚。羨ましくカタログを見る。このカタログの図録で紹介されている油彩『鍵の夢』(1942年 22.86 × 45.72cm)は良いな。わたしの欲しい油彩というのが、これなんだ。クスグルよぼくの心を。  

 一段落して本をカウンターへ、驚くべき安価で大満足、申し訳ない。熱い紅茶で一息。そしてHさんと世間話。ヒンドリッヒ・スティルスキーのモダンプリントによる写真集『見ることの復活』(1999年プラハ刊 限定24部)を見せてもらう。古いタイプの写真だが、シュルレアリストの琴線に触れる映像、書物の造り。アムズが無くなったら、こうした本を手にする事も出来なくなるんだと、又、悲しくなった。好きな本、好きな作品傾向の仲間がいればこそ、創作の幅も拡がるといった経験。人と出会う為には、人が会話をするテーブルと椅子が必要なんだ。  

 その後、梅田に戻りリブレリ・アルカードに寄る。情報交換をいろいろ。やはりYさんと「あのころは良かったね」とル・フェールのアトリエへ行った時の楽しい話題となる。遅い昼食は「古潭」のラーメン。かっぱ横町の加藤京文堂で拙箸『我が愛しのマン・レイ』(名古屋市美術館、1996年刊)が2,500円で店頭にあるのを知りびっくり。そこその時間で京都に戻る。

 行きの阪急電車でも甲子園へ応援に行く虎キチを沢山見たが、試合はどうなっただろう。夜、阪神の優勝が決まる。名古屋ドームでなくて良かった。テレビの特別番組を見よう。  

阪急京都線高槻市駅
京都へ戻るのに乗り換え。
急行運用が変更され、
わたしには不便となった。
大阪へ出たのは二年ぶり。   

   

   

   

 


September 14 2003

家人達が外出したので、気ままに留守番。家の用事を早めに片付け、友人から送られてきた『瀧口修造 オートマテイスムの彼岸』展(名古屋市美術館11月1日~12月25日)のチラシを部屋にピンナップ。表面に使われているデカルコマニー「Taj Mahal Travelers」(1971年)は地球人が観る他の惑星の風景であるように、青インクで構成された大気に被われている。これは彼岸。眼の奥から脳髄へと続く何万光年の道程の先にある。
 ネットサーフインやら本の整理やら。昨日買い求めたカタログのテキスト執筆はテイモシー・バウム、ジョゼ・ピエール、ロザリンド・クラウスと云った馴染みの人達なので、パラパラと図版と共に楽しむ。大きな本で装幀も今一つの感じだが、紅茶を飲みつつ、名古屋ドームの野球観戦も。暑いので原稿書きは進まない。


September 13 2003

図書館へ先日の本を返却に行くので、最後にこんな引用をしておきたい。「本書で、読者諸氏には次のことがお分かりになったと思う。つまり、あの四年間にわたったフランスの芸術作品の略奪・大量移送・破壊の帰結が今もなお、いかに影響しているのか。また戦時中、パリで没収された絵が、何年もの不在の後、国際美術市場で気づかれないまま所有者の手を移って、どこかの美術館か個人コレクションにいかにして再出現してくるか。さらに、スイスで、略奪絵画がいかに執念深く保持され続けているか、その本当の歴史がいかに魔法を使ったかのように消えているか、また絵が東欧やロシアでいかに不意に浮上してくるか、そして最後に、いくつかの絵がフランスの美術館にいかに見過ごされたまま掛かっているのかをである。」(「ナチの絵画略奪作戦」371頁エクトール・フェリシアーノ箸、宇京頼三訳。平凡社1998年刊)

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葵橋から賀茂川上流を望む(写真上段)

関西日仏学館二階図書室。
膝の上にはブルトンの著書『野をひらく鍵』(写真中段)

元田中から岡崎に引っ越した山崎書店。
普通の住宅に本が並ぶ。理想的な書店だ(写真下段)   

     

昼から外出。京都中央図書館の後、今出川通りの辺りを東進し、下鴨神社を抜けて白川通りまで走る。パリのNさんや知立のY氏に影響され、話題にあがった写真集がないかと紫陽書院、欧文堂、福田屋書店等を覗く。もちろん、発見は出来なかったが、久し振りに棚をゴソゴソと楽しんだ。店主にしたらイヤな客だろうね。マン・レイ資料なら価格は無関係に突撃する人だと云っても、購入実績が無ければただの冷やかしだものね。店の写真を撮ったりしながらの自転車巡りは、身の丈に合ったライフスタイルである。この前から気になっていた日仏学館のライブラリーへ寄って、ポール・クローデル文庫のブルトン本はどうなったのかと確認。書架には出ていないようだ。サジテール版の『野をひらく鍵』(1953年刊)を取り出してちょっと記念写真。フランス語は理解出来ないけど、良い手触りなんだよね。写真版も何点か挿入されているこの本では、こんな引用が適切だろうか「子供たちの絵本から、詩人たちのイメージの書へ、グラデイヴァ 夢と現実とを結ぶ橋の上で、「左手で、軽やかに服をつまみあげながら」、グラディヴァ ユートピアと真理の涯に、すなわち生命にあふれながら、グラディヴァ」」(アンドレブルトン集成7巻 粟津則雄訳、人文書院1971年刊。42頁) それにしても語学が出来ないのは情けない。

 その後、岡崎の府立図書館で借りる本を選び、元田中から京都市美術館の近くに引っ越した美術古書専門店の「山崎書店」を訪ねる。9月1日に開いたばかりだとの事だが、元の店舗ではあまり本を並べられなかったので、本の背表紙を観る事が嬉しく頑張って整理したと説明して下さった。普通の住宅の床を板張りに改装し書棚を並べた店舗は、理想的な書庫といった雰囲気。中庭を望む事も出来て、本を探す前から興奮してしまった。こんなバックヤードを持って原稿に取り組んだら、良い物が書けるぞと力が入った、夢なんですよね。
 引っ越し祝いに何か購入しようと物色すると、書棚上段にニューヨークのグッゲンハイム美術館で1999年6月4日~9月12日までの会期で開催された『シュルレアリスム: 二つの個人的視点展』の大判2分冊カタログが見つかった。ダニエル・フィリパッキとネス・エルティガン・コレクションによるこの展覧会については以前から注目していたが、カタログを手にしたのは初めてだった。フィリパッキ氏は出版人としても有名で『サイコロの七の目』と題したシリーズでマン・レイ画集を刊行しているので、特に気になっていた訳である。印刷原稿としたものか『写真は芸術にあらず』に収録されたオリジナル写真を始めとして、珍しいマン・レイの「写真アルバム」が紹介されている。本好きには堪えられないラインナップである。
 ギャラリー16に寄ってこの話をすると「山崎書店」の事も良く知っているとの事だった。久し振りの収穫でハイになり、傷めないよう2分冊を抱えて30分走る。帰宅して計測すると7Kgだった。

 山崎書店の住所は〒606-8344 京都市左京区岡崎円勝寺町91-18 営業時間10:00--18:00 月曜定休。電話075-762-0249 ホームページを開設されてますので、訪問されたい方はこのマークをクリックして下さい。本とのそれぞれの出会いを期待します。


September 12 2003

「探究書の最新版 マン・レイは街の何処に潜んでいるのだろう------」などと見出しを付けたものも含め、幾つかのメールを送信。

 

September 11 2003

修理に出していたモンブラン#149が無事帰宅。二週間の外泊だった。診断は吸入不良とヒビ割れ。どちらも完璧に直されての再会。早速に書き味を楽しむ「万年筆の修理」とか「マン・レイとは誰だ」とかを原稿用紙にベタベタ。8月頃、京都の丸善や専門店でモンブランの修理について調べた時には6ヶ月以上かかり、料金も2~3万円と云う解答。諦めかけたが、東京の友人M氏に教えてもらって良かった。それで、わたしのように、モンブランの修理が必要な人に今回の経緯を報告し、ヴィンテージ萬年筆専門店ユーロボックスを紹介しておきたい。

1)病状をメールか電話で問い合わせおおよその必要日数と料金を確認。
2)配達証明で現物を送付。
3)診断された後、見積もりがメールで入る。
4)内容・料金を確認しメールで修理を依頼。
5)郵便局の代金引換便にて現物到着。

 連絡先は、「萬年筆と写真のある書斎」ユーロボックス 藤井栄蔵
メール: info@euro-box.com  ホームページ: www.euro-box.com  電話: 03-3538-8388 

 わたしの場合、2週間の短期間で完了。料金も2箇所修理で必要経費を含め1万円以下で収まった。不思議な巡り合わせだが、この専門店は「幕末、明治期の日本の古写真を収集していて、5,000枚ほどの古写真をコレクション」されていると云う。必要な方はをクリックして、ぜひヘルプの声をかけてみて下さい。きっと救いの手がさしのべられると思います。

 

September 10 2003

知立の友人山崎正文が未見の資料をコピーし送ってくれた。これは花和銀吾氏が戦前、雑誌『カメラアート』1936年1月号(pp.50-53)に発表した「マン・レイ / 写真と超現実」と題したエッセイで、拙箸『マン・レイ文献目録』にも未掲載。追加記載をしなければならない。
 「モンパルナスの夜は更けて」と始めて、キキ・ド・モンパルナスとマン・レイとのカフェでのエピソードを小説風に披露し、作家の人となりを紹介する(註)。ついで彼の写真集パリ1920-34年に言及。花和氏自身も写真家である為か「写真界に於て夢を生んだ彼独特の新手法は一はソラリゼーションであり、一はレイヨグラフである。」と、実作家としての見方をしている。エッセイは同志へのラブレターといった趣があり「マン・レイを指して私は云う、この人を見よと。彼は画家であり彼はシュルレアリストである。而して彼は写真家である。真を美への転化、うつつより夢の創造こそ写真芸術の楽しみではないか」と熱い。読んでいて共感が伝わり楽しい。「彼の作品に対する私の思慕渇仰はあまりに強烈であるために私は彼を紹介するの無謀を敢えてした」と結んでいる。

 花和銀吾氏の問題提起「新興写真の勃興と共に写真は絵画よりの解放を宣言した。絵画との訣別が惹いて芸術との訣別となり逐には美との訣別となるならばそれは結局写真芸術の自殺に外ならない」(53頁)

 古書店巡りのターゲットが増えた。嬉しい事である。

註)1927年12月の一夜と云う。孤独なマン・レイの様子については、わたしも昔、中山岩太夫人の正子さんに伺った。

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 そんな訳で感謝の電話を友人に入れる。しかし、ページを保存せず30分程話をして戻ったら、なんと、MACがフリーズ。再度、思い出しつつ、『日録』を書き込んでいる。

 

September 9 2003

わたしにとっての読書は、活力が与えられ明日への指針が示される場面であるはずだが、最近読んでいる『ナチの絵画略奪作戦』(エクトール・フェリシアーノ箸、宇京頼三訳。平凡社1998年刊)は重くて辛い。奪われた絵画と善意の第三者に対するスイスの法律の事など考えると、読むのが不快で頁を先に進むのをやめようと思う。313頁のあたりを帰宅途中の車内で開きながら、作品来歴の重要性を改めて認識した。

 次女が大好きな『ウォーターボーイズ』の最終回を観て、ちょっと泣いた。恥ずかしいけど、中学生の時、水泳部だったんだよね。

 

September 8 2003

大阪西天満にあるブックセラーアムズが10月末日で閉店になると知らせてきた。そのカードが、もし、ここでマン・レイ関連の展覧会をしたなら使いたいと思っていた店の扉を上手く捉えた写真だったので二重のショック。しばらく大阪に出ていないが、お別れに覗かねば-------

 

September 7 2003

名古屋市美術館が毎年開催するクリスマスショーの今年の企画が発表された。題して「生誕100年記念 瀧口修造:オートテマティスムの彼岸」展。瀧口氏の造形作品を紹介する好企画。11月1日~12月25日の開催期間中、二回の講演会が予定されている。どちらの話も興味深い。二週続けての名古屋参りが確実となった。この『日録』読者で出掛けられるご予定の方は御一報下さい。お会いしたいと思います。

  11月30日午後2時~ 巖谷國士氏 「シュルレアリスト 瀧口修造
  12月7日午後2時~ 土渕信彦氏 「瀧口修造 オートマティスムの彼岸」

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 横浜のT氏から電話、若干の意見交換。昼から河原町に出て丸善とメディアショップをブラブラ。カメラを持ってはいたが、あまりに暑いので写真する気になれずダラダラ。丸善では来年の手帖がもう発売されていてビックリ。はがしっこシリーズの「印紙・切手はがし液」350円を購入。下駄をカラカラ鳴らして歩くと何人かが振り返る。赤尾照文堂で今夏の七夕古書市の目録をパラパラ。VOUのバックナンバーや写真集Tの価格高騰を嘆く。マン・レイ関係でもこの値段ではパスだなと思いつつ、これじゃ全部パスになると、ゲンナリ。一駅乗って大丸でヨーグルトを纏め買い。ブルザンチーズを追加。
 帰宅すると幾つかのメール。早速の「御一報」もあって感謝。はがしっこのテストをするが本番は躊躇。古い物だからそのままが良いかとも思ってしまった。さて、気になっているのは銀紙書房の新刊原稿。何時もの事だけどアプローチがはっきりしない。最初のフレーズが難しいのだよね。

 

September 6 2003

スーパーへお使い、布団干し、風呂掃除、留守番、原稿の下調べ。ビールを一杯。そんな一日。

 

September 5 2003

原稿用の下調べにベルキーの古書店目録をゴソゴソ。この店は年に一回発行しているが、画商でもある主人は「シュルレアリスム資料の目録作りを完全な趣味(?)としてやっている」と、先日来宅されたNさんに聞いた。1992年からの12冊を、あれも欲しい、これも欲しいと価格の確認。終わっているのにパカだね。


September 4 2003

カッターシャツにアイロンをかける。

 

September 3 2003

出勤時に電信柱の影に沿って歩くと後頭部の暑さがちょっとまし。これは数秒の暑さ対策。
 午前中、久し振りに銀行、コンビニ、郵便局へ自転車で出掛ける。地下鉄T駅の駐輪場係員は元自転車屋(当然か?)で、空気入れを借りたら「後輪はカンカンに、前輪はそれよりちょっとゆるめて入れると良い」と親切に教えてくれた。空気がしっかり入っている方がパンクもしにくいと云う。でも前輪はハンドルを取られるので、ゆるめとの説明だった。暑い中、フラフラと走ったが、帰へりは快調。それでも暑い、頭が「ボー」とする日が多くなった----気候ではなくて年齢の為かもしれない----事務所の冷房ダクト前で一息。

 

September 2 2003

ネット・オークションで気になるマン・レイ版画2点を発見。しかし、わたしは何時もある桁までしかビットしないので、様子を静観する事にした。追跡登録で結果を確認すると、ちょっと不自然。出品者は初参加で、締め切り日付や時間が変更されるし、僅差で落札した人も初参加。おまけに、アンダービッターもIDを替えている。オークションでは紹介されている映像だけでも贋作と判断出来る品物も多数出品されているが本作品はどうだろう。版画でも絵柄や限定番号の記載だけでは、真作と断定出来ない物も多い。今まで、わたしは悲劇に遭遇していないが、この場合はどうだろう。

 

September 1 2003

長女にMACをとられた。早く寝て、夜中の2時半にゴソゴソ。