長谷川等伯80分待ち at 京都国立博物館

寄り道をしたので京博に着いたら「80分待ち」の表示。噴水の向こうまでつづら折れで人が並んでいる---参った。原稿を考えながらゾロゾロと繋がって進む。なんとか日差しがあるので我慢が出来た。10時20分に入って、会場に入ったのは11時40分。出直す事を考えればしかたがないか。

 わたしの場合、「デジタル写真」を見ると眼がチカチカする。画素数が増したので、最近はひどくないけど、しっくりしない。その為、画像は鮮明だけど眼が喜んでくれない---等伯の仕事を見ていてこのように感じた。真面目すぎて、伸びない線、置かれた墨、ドットである墨といった感じ。各流派を会得した技巧は最高だけど、何かピンとこないのよね。「絵仏師」と云うスタートからくるのかな、信仰が強いのかな、それとも個人的解釈が無いのかな(時代からすれば当然だけど)、良く判らない。画面全体をつかんだ後、ギャラリー・スコープを使って細部を確認。興味深く鑑賞したのは、25「山水図」 35「千利休像」左手親指の爪がなんともリアル、75「烏鷺図屏風」そして、国宝76の「松林図屏風」となる訳だが、京博での展示は障壁画の下絵を後に屏風に仕立てた経緯から「制作当初の状態に近づけるために折り曲げずに」置かれている。墨の濃淡による大気表現、空気遠近法の例と思うが、左隻の右上端の山から左に続く配列は、眼の動きを誘う遠近感であり、右隻の松の角度も奥行きをもたらす効果があるように思う。でも、よく凝らして見たり、離れたりしつつも、「デジタル」感は抜けなかった、観客が多すぎる為かな。----図録で学習をしなければ。



 その後、清水三年坂のイノダコーヒに上がって、休憩、パラパラとカタログを読む。二年坂高台寺知恩院と抜けて、再度、岡崎の京都国立近代美術館で「マイ・フェイバリット---とある美術の検索目録/所蔵作品から」を見る。こちらの方が気分に合うな。デュシャンのレディメードである犬用櫛を入れるケースのサイズを目測(5.5×18cmと思うが?)したり、フレッシュ・ウィドゥの裏側に貼られたプレートとデュシャンのサインを覗いたり。こちらの窓、ケースの手前に置いているのは、裏側もみせようとしている為かなどと。もちらん好きなのは、シュルレアリスムの文献、「処女懐胎」の用紙使いに唸るな---いずれ銀紙書房本でやってみよう。それに「映画時代」の特装版(わたしの手許にあるのは、普及版だからな)、フィルムを閉じたステップラーの錆具合が気になって---飽きなくて何時までも見ていた訳。次は、連休の古書市の時に拝見しよう。