(4) ブルトンとパリノーとの『対談』( N.R.F. 1952)

N.R.F.本の佇まいとしては例外かと思うが、茶色系にちょっと惹かれた。それで、展示品に選んだのだろう。
 アンドレ・ブルトンの「対談集」の書物としてのボリューム感がシュルレアリスム運動の同時代的雰囲気、パリの五月革命の臨場感に通底しているようでもあるかと思う。この一本は神田の田村書店2階で求めたものだが、私としては戦後・京都の詩人・大槻鉄男の思い出に連なり、1960年代後半から70年代にかかる学生たちのシュルレアリスムに対する思いの現れでもあるだろう。昨日、紹介したシャンパンのコルク栓の色目から続く書物の独特な感じの、隠喩でもあるだろう。

「対談集」の大槻訳は雑詩「本の手帖」に連載された後、「シュールレアリスム運動の歴史」(昭森社、1966)として上梓されているが、これは、同書の主要なパリノーとの対談部分。N.R.F.版とおなじような構成の書物の日本版としては、1994年に稲田三吉・佐山一訳の「ブルトンシュルレアリスムを語る」(思潮社、1994)として、まとめられている。これを読んだのは、体調を壊した京都市立病院のベットの中だったな。
  ブルトンのこんな物言いがわたしは好きだ。---「シャトーブリアンは実に見事にこう述べています。「ブルターニュの子である私は、荒野が好きだ。荒野に咲くみすぼらしい花が、私の襟のボタン穴で萎れなかった唯ひとつの花だ」。私もまたこの荒野の血をひいています。この荒野はしばしば私を悲嘆にくれさせましたが、それが私の心のなかで育むあの鬼火の光を私は愛するのです。」(248頁) 
 数年前、シャトーブリアンの記念室があるサン・マロのホテルに一泊した。ブルトンの事などを思いつつの一夜だった。一冊の書物が想起させるものの奥行きは、書物の厚みを超えて時間や場所に繋がって行くのかと思う。大槻鉄男は悲しく素晴らしい詩人だ。愛読書「樹木幻想」を読むたびに、そのように思う。亡くなられた人である訳だが。


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年末の挨拶回りで上席と外出。三条烏丸の交差点で信号待ちをしていると、眼の前に森岡パパ。拙作『対談』の評判など激励を頂く、有り難い。三条京阪の地下街で現代美術の作家Kさんとバッタリ。マロニエで作品を観てくれたとの事。直ぐに判ったとこれも嬉しいお言葉。淀屋橋へ向かう京阪特急の車内で、取引先のTさんとばったり。偶然が重なった午後である。仕事の後、上席とかっば横丁の丸一食堂で一杯。よこわとなまこ。おでんのロール・キャベツなどと菊正宗。美味しかった。

タバコのパッケージの色目がなんとも新鮮